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第65話

 視界は巨大な天井に覆われていた。

 体を起こして室内を見渡すと、最低限の調度品しかない広々とした光景が広がっている。


「なにしてたっけ……?」


 ぼんやりと寝る前のことを想起して、遠い目をした。

 なんか、いろいろあったな、うん。


 深く追求はすまい。知らねばならないことは、いつか知るときが来る。


 そう結論づけてベッドから足を下ろした。

 しんと静まりかえった室内からでて、だだっ広い廊下を見渡す。


 古代の神殿を思わせる建築物を見渡しながら、人気のない廊下を気ままに進む。

 柱の隙間から見える庭の向こうで、吹き上がる水が見えた。


 草木が生い茂る庭を横切って、噴水に近寄る。


「誰かと思ったら、過去の私か。ちょいちょい視界に入る髪が黒だからそうなんだろうなって思ってたけど、こうして鏡で見ると久しぶりすぎて慣れないねえ」


 そうは言っても、そのうち慣れることは分かりきっていること。

 久しぶりだね過去の自分、とあまり心にもない感想を述べて顔を上げた。


 爽やかな風に揺られて草木が心地の良い音を奏でる。

 噴水の縁に腰掛け、右手を水に浸した。掬いあげて水の軌跡を描く。


 それを何度か繰り返し、今度は左手を水に浸した。

 ふたつの腕飾りが水の中でゆらゆらと揺れる。冷たさに口元を綻ばせ、空を見上げた。


 太陽が浮かんでいる訳でもなく昼間のように明るいその空間は、変わらぬ明るさで照らし続ける。


「本当に誰も居ないね、ここ。誰かおるん?」


 下手に動き回るよりじっとしていたほうが、という考えが少しばかりあったが、結果は惨敗。

 しかたない、と再びふらふらと当たりを散策する。


 庭から建築物の中へ戻り、適当に右へ左へ練り歩く。

 ここに来るまでの道筋を覚えている訳もなく、もとの部屋に辿り着くことは不可能だからできれば誰かに会えるとありがたいのだが。


「――――――――!」

「――――」

「――――――」

「――!!」

「――――――――――――」


 どこからか声が聞こえた。

 ぽてぽてと声が漏れ出ている扉の前に移動し、腕を組んでしばし考え込む。


 なにやら紛糾しているお話し合い真っ只中らしい。

 扉の傍らに座り込み、壁に背中を預け、つらつらと思考を巡らせる。


 なんでまだ生きて……ちゃんと死んでいないのだろうか。

 いや、死後の世界がこういう場所という可能性もある。残念なことに。

 そうだとしたら非情に残念すぎる。


「いくらお前の命だとしても、俺は俺の最後の子をこれ以上見放すつもりはない!!」


 乱雑に扉が開け放たれた。


「ひゃっ」


 扉が吹き飛ぶのではないかと言うほどの大きな音。

 ばくばくと大きく跳ねる鼓動を胸の上から押さえ、深々と息を吐き出した。


「――お前」


 低い声音に顔を上げた。

 橙色の髪をした厳つい男が、睨むように目を細める。

 視線に怖じ気づき、膝を抱えていた手を床について、逃げるように体を横にずらした。


「師匠、やっと起きたんだね!」


 背が高く、大人しいそうな風貌にもかかわらず、どこか子供じみた言動をする……人物。男か女かの判別はつけにくい。どちらでもいいけど。

 だが、あいにく、そんな中性的な顔立ちの成年に師匠と呼ばれるような関係を築いた記憶は欠片もなく、気色悪さに引く。


「僕だよ僕!! 姿がちょっと変わったからってひどくない!?」


 そう叫んだ成年の姿が一瞬にして子どものそれに変わる。

 こうして相見えるのは久しぶりだが、ともに過ごした楽しい時間はきちんと覚えている。


「なんだ少年か」


 胸をなで下ろした。心臓に悪い。


「僕以外に君を師匠って呼ぶ変わり者がいるわけないじゃないか」

「いきなり他人を師匠扱いする変人かと思っただけ」

「酷いね!? 素直に君はもう少し怒ろうよ」

「少年が腹を立てる要素があったとしても、私が腹を立てる要素がどこかにありました?」


 至極真面目に返せば、君はそれでいいよ、と苦笑された。


「おい、お前。俺の子を救え。俺たちの分身の魔を拭い取ったお前ならできるだろう」


 狐につままれたような顔で沈黙を返した。

 話がまったく読めません。


「私になにができるというのです? 死者は死者らしく死者の行くべき場所に行くのではないのですか?」

「君がそうしたいのならそうする」

「アーヌイ!!」

「ニルタ。本来は僕らが蹴りをつけるべきことだよ」


 一触即発の空気が当たりを支配した。

 息が詰まる。全身に力が入って、固まっていく。

 ちかちかと目の前が点滅して、目元を押さえた。


「お二人とも、鎮まりなさい」


 静かな声とともに、ふっと体が軽くなった。

 かはっ、と息を吐き出して、喉元を押さえる。


「わ、ごめん師匠!」


 黒い髪が床につくことも厭わず、女性がしずしずと傍らに膝をついた。

 背中に触れた手。そこから入ってきたなにかに内側から満たされていく感覚が広がり、安堵の息を吐き出した。


 清涼な風の中で雪がれるような、欠けた器に水が満ちるような心地の良さが体を軽くする。


 女性に御礼を述べながら、まじまじと目の前の少年を見上げた。

 アーヌイ。ニルタ。その名を聞いたことがある。

 目の前の二人+女性と、室内に居る一人を順番に視界を納め、口元を手で覆った。


 少年がアーヌイ。がたいの良い男性がニルタ。

 ならば黒髪の、清らかな水を思い起こさせるような心地の良さがある彼女は、おそらくイルカルラ。

 そして、室内に残る知的な男性は、その印象そのままならば、ナンナ。


 創世神話に名を残す神の中で、ここにいないものは二人。

 アーヌイと呼ばれる少年をうつけと罵っていた桃色の目をした少女を当てはめるとしたら、恐らく。


「こじらせちゃった系慈愛の女神があれかあ」


 可愛さ余って憎さ百倍っていうしね。愛情も一歩違えば事故物件。


 ぷっと、小さく吹き出す声が聞こえた。

 部屋の中に居る人が背を向けて肩を震わせている。


 その向こう側で、知っている“肉の皮”を片手に抱いて、飛来する黒い化け物がいた。

 それを見て、誰かが“カルロ”と叫ぶ。


「師匠が気にすることじゃないよ」

「アーヌイ。二度も言わせるな」


 再び睨み合う二人をよそに、じっとそこに浮かぶ画面を見つめた。

 魔法が飛び交い、剣戟が張り響く。必死に名を呼ぶ声は、どう考えてもあの化け物に向けられていて。


 ふらりと立ち上がり、引かれるように室内へ足を踏み入れた。 なんで、リクハの姿が見えないのだろう。


 イルカルラはもちろん、アーヌイも、ニルタもなにも言わなかった。

 ただ、映像に近づくその後ろをついてくる気配がする。


 目の前で食い入るように見つめるなかで、魔王の左耳と、物言わぬ肉塊と成り果てた《《彼女》》の右耳に羽のついた耳飾りが揺れる。


 一対のそれを互いに分け合っていることは理解できた。

 ただ、事切れる直前まではなかったその装飾品の、けれども見覚えのある白い羽。


 一縷の望みを抱いて映像の中で彼の姿を探すけれども、どこにもあの溌剌とした橙色の瞳を見つけられない。


 代わりに、ひらひらと揺れる耳飾りの根元近くに輝く小さな橙色の宝石。


「……リクハも、逝ったんだね」


 ぽつりとこぼれた呟きに、後ろの肌を刺すような空気が霧散した。


「そっかあ……」


 もう一度しみじみと呟き、瞼を伏せる。

 あのあと、なにがあったのかは知らないけれど。


「"アンジェリカ"が魔王にならなかった埋め合わせとしてカルロが魔王になったんですか」


 画面から目を離して、傍らに居た藍色の髪の男性に声を掛ける。


「そうではありません。……ということは簡単です。それは私たちの口から聞くより、剣の子から直接聞くべきことでしょう」

「それもそですね」


 もう一度映像を見て、少年を振り返った。


「どこに行けばいい?」

「君が背負う必要はどこにもないんだよ」


 全てを覆い隠そうとするように、アーヌイが優しく告げる。


「別に背負っているつもりはないけど」

「そこに行けば、君も彼も魔に飲まれて帰れない可能性だってある」

「そうなの?」


 口元に手を当てた。

 十秒ほどしてから、ふっと口角を上げる。


「カルロが帰らないっていうなら、そのときは最期まで付き合うよ」

「魔に飲まれることは、魂の消滅と同義。あれに飲まれた魂は、二度と魂のあるべき所へは戻れない」


 考え直せ、というように釘を刺すアーヌイににこやかに告げた。


「この某RPG風ニャルりん、あえてじゃないよね」

「気にするところそこ!?」

「このビジュアルどーんってあったら気になるもの」

「そうだけど……、僕のせいじゃないからね!? そんな疑われるようなことしたかな!?」


 思いもよらなかったのであろう。目を剥いて食いぎみに叫ぶアーヌイに謝罪を述べ、再び映像を見上げた。


「できるだけの力は持ってそうだから一応念の為の確認」

「間違ってはないけど僕に対して辛辣がすぎない?」

「あ、間違ってはないんだね」

「そうだけど、やらないからそこは信じてよ!」

「うん、ごめん。――いいんだよ。世間一般的には魅力的な案なのかもしれないけど、自分の身より一緒に生きてきた分だけある情のほうが大事だって感じているからそれで。カルロの所に行ってくる」


 元気に生きていてくればそれでよかった。

 なんなら、忘れてくれてもよかった。

 でも、そうはならなかった。ひとつも祈りは叶わず、カルロは魔王となっている。


 あの時、腕輪を持ってきてくれたリクハももう居ない。

 絶望、したのだろうか。だとしたら、自分の選択がどれほど彼の心を抉ったことだろう。


 あの時の行動に後悔はないけれど、こうして自我を保って存在することを許されるならば、そしてカルロがあのまま魔に染まり消えることを望むならば。

 "アンジェリカ"という存在に振り回された果てに行きついた、その旅路の終わりを傍らで見届けることくらいはしたい。


「そういえば凄く今更なことだけど、重要なことを思い出したから一応聞くんだけど少年」

「なに」

「どこまで謙ればいい?」


 彼らの間に沈黙が降りた。

 呆れて物も言えないような空気に、まあそうだよねえ、と納得しつつ、静かに回答を待つ。


「師匠、今それを聞く?」

「聞いておく。今でもどうしようか悩んでるのに、次があったら更に悩むことになるから」


 泣き笑いにも似た顔で、そっか、とアーヌイが小さく呟いた。


 個人の心情としては、そんな死地に赴くつもりはない。結果がどう転ぶか分からないとはいえ、現状はただカルロに会いに行くだけなのだが。


 恐らく、この状況でその感覚がちょっとばかりズレているんだろうな、という自覚はある。

 重々しい雰囲気を纏うアーヌイや、期待と不安を織り交ぜたような顔をするニルタ。無言で見守るイルカルラとナンナ。

 …………扉の位置からは死角になるところで、ぼーっと突っ立っているイナンナは置いておいて。


「いいよ、今まで通りで」

「左様で。それで、どこに行けばいい」

「ご案内します」


 音もなく前に出たイルカルラの後をついて部屋を後にする。

 大きな廊下を抜けて辿り着いたのは、庭の噴水だった。


 水は命のはじまりであり、陰陽五行説が成立した段階で、最初に生じたとされるのが水。意匠も亀だった。生と死を司る女神が選ぶ場所として水辺を好んでもおかしい話ではない。


「ほんとうに、よいのですか」

「はい」

「では、水の中へ立ってください」


 綺麗な水を汚すようで気は進まないが、なにも履いていない素足を水に浸した。


「腕をお貸しください」


 藍色の髪の男性が差し出した右手に一番近い位置にある左手を重ねた。

 彼の左手が手首の腕輪を覆う。


 ふんわりと光った緑色の光が、すぐに収束した。


「あちらで貴方を導いてくれることでしょう」

「ありがとうございます」

「たどり着いたら、私や私たちの分身に捧げた詞を唱えなさい。それが、貴方の力になります」

「さあ、目を閉じて」


 ナンナの言に疑問を抱きつつ、イルカルラに促されるまま目を閉じる。

 キィィン、と耳の奥で甲高い音が鳴り響いた。



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