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第62話

 無を体現した顔で、アンジェリカ(ニクス)はソファに座っていた。


 両耳の下あたりで緩やかに結ばれた髪を、後ろから抱えるように腕を前に回したカルロが無言でくしけずる。

 少し前の切迫感や焦燥感はなく、今はどことなく不安定さや恐れが彼の空気を重くしていた。


 穏便に離れる方法を、と思っていた。だが、物理的に離れようものなら、こちらが冷やりとするような目をするのだ。

 縋るような、監視するような、それでいてなにかに怯えているような。


 街に来たというのに、剣聖に会いにいくこともなくそんな様子で三日も捕獲され続ければ、心配を通り越して諦めが勝った。


 人間、ほぼ丸三日間も捕獲され続けたらもう好きにしてくれ、と自棄になるらしい。

 別の作業をする気にもなれず、アンジェリカはカルロに寄りかかってぼーっと宙を見つめる。


 ふと、カルロが手を止めた。僅かに体が動く。

 仰ぎ見ると、彼は窓の外に視線を向けている。

 視線の先を追いかけるけれど、別段おかしななにかがあるわけではない。


 視線をカルロの手元に落として、髪の毛の先を指に絡ませた。

 少しして、カルロの持つ櫛が髪を通る。


「ニクス」


 ぽつりと、久しぶりにカルロが口を開いた。

 返答のかわりに、手を顔の横まで持ちあげる。


「もし、水鏡の世界にしばらく隠れてろって言ったら、どうする」


 ニクスは眉間にしわを寄せた。


 それは拒否権があるという意味でのどうするか、ということでいいのだろうか。

 ニクスは僅かに首を傾けて喉の奥を震わせる。


(足手まといだからひっこんでろっていう意味なんだろうけど、まあ実際そうなんだけど、それでいいのかなあ。でもカルロたちに庇われているだけの一般人だからな。今更足掻いたところでなにかの足しになるわけもなく)


 自らの不甲斐なさと力不足の間で心が揺れ動く。


(…………まあ、確実に利益を取るならカルロの言うことに従ってるほうがいいんだろうな。ただ、私の感情がぶつくさ言っているのはあとで慰めるとして、今は私情を挟むべきではない、か)


 座っている隣に置いていた鞄を手に取った。


『それがリクハとカゲツを連れて帰ってくることに繋がるなら、そうします』

「……………………」


 頭の上に紙を掲げた。

 髪を解かしていたカルロの手が止まる。返答がない代わりに、頭頂部にこつんと固いものがぶつかった。

 頭のすぐ後ろで吐息が聞こえる。それが少しくすぐったくて、小さく体を震わせた。


 なにかを迷うように、カルロはなにも言わない。

 その沈黙が少しばかりいたたまれなくて、アンジェリカは紙にインクを滲ませた。


『なにかありました?』

「……なんでもない。そんなことは、言わない。悪かったな、変なことを聞いて」


 顔を上げた彼の返答は絶対になんでもなくない内容なのだが、問いただしてもきっと言わないのだろう。

 言いたくないのなら、無理して聞き出すまい。


 小さく首を横に振った。

 カルロの手が解いた髪を三つ編みに編んでいく。


 その後も変わらぬ様子のまま夜を迎えた。

 いつもの如くお風呂に入れられ、世話を焼かれる。お湯を出す以外は自分でできるのだが、放っておけないのか丸洗いされるのがいつものこと。

 少しばかり、カルロの倫理道徳というか、情操教育というかに不安はあるが、とりあえず目を瞑っている。ないとは思うが、自分やリクハ以外にも同じようなことをしているのなら流石に指摘しようとは思っているが、今のところ確認はできていないのでいいってことにしている。


 閑話休題。


 今日も今日とて捕まって終わった一日。

 わしわしと布で頭を拭かれる動作に合わせて揺れていたアンジェリカは、聞こえた声にびくりと背筋を伸ばした。


「来たのであれば顔を出せ戯け者。喚び出しておったというのに」


 開けていた窓から剣聖と呼ばれている人が姿を現した。

 いささか不機嫌そうな声音で、剣聖のお爺さんが向かいのソファに腰を下ろす。


「……たぶん本当は、くるべきではなかったんだ」

「なに?」


 訝しむ剣聖同様、珍しくなにかを悔やんでいるカルロの様子に、アンジェリカも固唾を飲んだ。


「なんでもない。忘れてくれ」


 そう告げるカルロの声は、変わらず覇気はない。

 どうしたっていう心配はあるし、何があるのかっていう不安もある。普段の彼らしからぬ様子。

 取り繕うように、それ以上踏み込むなと言うように、カルロは強引に話題を変えた。


「リクハとカゲツの行方と、剣聖からの協力要請は関係があると思っていいんだよな」

「そうじゃ」


 曰く、仲間たちをいくつかの集団に分け、それぞれ安息香の拠点を破壊しながら行方を追い続けていた。そして、どの集団も最終的に辿り着いたのがこの国の城。

 曰く、先行部隊を名乗り出た二人リクハとカゲツはかれこれひと月は帰ってきていないため、捕獲されたものと推測。

 曰く、囮役と実働隊に分かれて拠点の捜索、制圧を計画している。

 曰く、第二王子が王太子に着任することになり、そのパーティーが王城にて行われる。警備がパーティーに割かれるため、侵入しやすい格好の日である。

 曰く、そのパーティーは十日後に開催される。


「国を相手にするとなると少々骨が折れるでのう。もう一人、協力者が必要だったのだ。お主には実働隊の指揮を任せたい」

「あなたは囮役でなにをするんだ?」

「それなりに滞在しておると、面倒な関わりが増える」


 剣聖が胸元から一枚の封筒を取り出した。

 差し出されたそれを受け取り、ひっくり返したカルロは中身も見ずに剣聖に返却する。


「王太子になるやつを指示するのと同義なのは分かっていて、出るのか」

「その程度であんなものを抹消できるならば安いものよ」

「名代を立てるとか」

「わしの代わりになるものなどそうそうおらん。それに、わしは怪しまれておるから、出たほうが油断させられる」


 カルロが口を閉ざした。


(あ、とられた)


 話を聞いている間、指が手持ち無沙汰だったため、いつもカルロやリクハがしていたように髪にオイルをなじませていたニクスは、手元から髪の毛を奪われて口をへの字に曲げた。


 腕を投げ出して、ニクスはゆるく編まれていく髪をじっと見つめる。


「――実働隊の指揮はあなたがやるべきだ。少人数とはいえ、その手の指揮を俺はとったことがない。大詰めって時にいらない危険性を背負うべきじゃない。だから、俺があなたの代理として参加する」

(あ、はい。まじですか。気は進まないけどわかりました)


 人混みは、できれば可能な限りいきたくない。

 だが、そうはいかないことくらいも、ちゃんとわかっている。それでカルロが安心できるなら、多少の無理はするつもりだ。


「押しつけたってことでいいだろう。招待状の当人が参加しない以上、支持しているとは言えない。パーティーの三日前ともなれば、来るかも知れない程度だとしても噂も広まっているだろうから、新参者とはいえ一応同じランクのやつが出れば、あちらの面目を潰さなくてすむ」

「…………黒髪は、特に祝いの席には忌避されるものよ」

「祝いの席くらい染めるさ」


 ニクスは軽く唇を尖らせた。

 いいじゃないか黒髪。いいじゃないか黒髪。黒髪のなにが悪い。

 魔と同じ色だから忌まれているとか、意味が分からない。


 軽く頬を膨らませながら、紙にインクを滑らせた。


『ドレスとか持ってないですよ』

「…………すまん」


 掲げて見せた内容に、カルロが肩を落とす。

 そのパーティーまで十日。無理を言えば仕立て上げてくれるところもあるだろうが、そもそもその無理を言えるような相手がいるかは知らない。


「振り回してばかりで本当に悪い。これが終わったら、ちゃんと休もう」


 そう未来を語るカルロに、咄嗟に顔を俯かせた。

 すぐに我に返り、顔を僅かに上げる。


(私か、カルロか。どちらにしても立ったな)


 言ってはいけないものを彼は口にした。そういう結果をもたらすきっかけとして信じられている台詞というだけなのだが、今この状況で口にするのはそういうものとして成ることが確定したような気がする。


 もっとも、この手の勘は当たったことはないのだが。


「ドレスか。ならばわしの知り合いに腕の良いのがいる。そこでつくれ」

「つくれって……まず先方に聞いてから」

「構わん」


 それが今回もそうであればいいなと願いながら、耳の後ろから前に垂れるふたつの三つ編みの先を指で弄んだ。



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