第60話
気まずさを抱えつつ、探索を始めて七日経った今でも手がかりは見つけられていない。
(う――――――ん)
一通りの建物は見て回った。各建物はほぼ同じ作りをしており代わり映えはないが、カルロ曰く、気配が若干異なるらしい。
それぞれの特徴をメモしつつ、探索を終えた結果を広げて、アンジェリカは考え込んでいた。
中央にある灰色の神殿。カゲツは他の神殿に見向きもせず、そこに足を踏み入れた。それにはそれなりの理由があるのだろうが、残念なことに記録物の一切は確認できなかった。
そのかわり、各神殿に彫られた意匠が、その神殿が誰のものかを示しているのだという。
灰色の神殿の北に青色の神殿に掲げられた意匠は竜。それが表すのは叡智の神ナンナ。
東よりもやや北、東北東あたりに赤色の神殿に掲げられた意匠は双頭の鳥。それが表すのは慈愛の神ウトゥ。
南東方向、やや南よりに黄色の神殿に掲げられた意匠は一角獣。それが表すのは豊穣の神イナンナ。
南西方向、やや南よりに白い神殿に掲げられた意匠は虎。それが表すのは転変の神ニルタ。
西よりもやや北、西北西あたりに黒色の神殿に掲げられた意匠は亀。それが表すのは幽明の神イルカルラ。
そして、世界を創造したと言われている創造の神アーヌイを祀っているであろう中央の神殿に、意匠はない。
愛の女神ウトゥの名は聞いたことがある。だが、その他の神の名は初耳だ。
(いや、違う。イルカルラはどこかで……。……ああそうか、“彼女”が手紙の中で使ってたのか。確か水の女神、だっけ)
カルロ曰く、昔にあった宗教では常識だった。今でも六柱の神を祀る国もあるらしいが、影響力は微々たるものであるらしい。
だが、帝国が転変の神、通称武神ニヌルを崇めるように、魔法国家アルスレイムが叡智の神ナンナを信仰するように、国によっては六柱のうち一部の神だけが名を残しているところもあるそうだ。
閑話休題。
(見ていて理解できるのは、五行思想がベースにあること。でも完全に準じているわけではない可能性も……五芒星の中心に創造神アーヌイの神殿があるなら、ほかの神々はそれを守るあるいは付き従う役割を担っている、あるいは建物そのものが結界の役目を持っていると考えた方がいい?)
どちらにしても、鍵となりそうなのは中央の灰色の神殿であることに変わりはないが。
(でも、ほぼ調べ尽くした後なんだよねえ……)
恐ろしくだだっ広いとはいえ、必要最低限のものが少しあるだけの建物を探索することはそう難しいことではない。
隠し通路がある可能性も含め、慎重に探索を重ねたが、手がかりはひとつもない。
「根を詰めすぎるな、ニクス」
器が机を軽く叩いた。
アンジェリカは顔を上げて、広げていた紙を片づける。
「建物そのものに意味があったとしても、そこに出入り口があるとは限らない。思考を狭めると物事を見落とすことになる」
(それも、そうなんだけどねえ……)
神獣ならば自由に出入りできた場所。それを、魔法やなんやは危ないから使うなと忠告するほど酷いらしい人相手に、魔法を使いそうな術を授けるかというと、しないだろう。
ならば、魔法によらない道があるか、魔法は魔法でも負担がかからない方法があるかするはずだ。
だが、終わるまでここに居ろ、と言っていた以上、カゲツしか出入りできない可能性も捨てきれない。
両手を合わせて祈りを捧げ、木の器を両手で持ち上げた。
ちびちびとスープを口に運びながら思考にふける。
(あと手がかりになりそうなことと言えば、"水鏡の世界"って言ってたことか。文字通り水面に映る世界を写し取ったと考えると、写し取られた世界がある、と考えるのが妥当か)
だとすると、物語では往々にしてあちらとここを繋げる仕組みがあるもの。
その条件を解明できれば、水鏡の世界からは出られるだろう。その手がかりはなくて詰んでいるのが現状だけれど。
(推測はできても、あまりにも情報がなさ過ぎて、結局徒に時が待つしかないのか。私はいいけど、カルロがねえ……)
スープに浮かぶ肉の欠片を口に運び、咀嚼しながらそっとカルロを見上げた。
匙を手に持ったまま、食事がひとつも進んでいない。
根を詰めるなといいつつ、気が気でないのはカルロの方だ。
カルロがここに来るまでの半年、何があったのか知らない。
今まで行動を共にしていたことは容易に想像できるが、それがどういう訳かカゲツはカルロを池に突き落とした。
そうしなければならない理由があった。
リクハはそれを知っているのか、知らなかったのかまではわからない。
(なにが真実だったにしても、私以上にカルロはここでじっとしていられないからねえ)
なんとかしてカルロだけでも帰られれば良いのだが、良い案は思い浮かばない。
少なく用意されたスープを完食し、綺麗な布で拭う。
器を机の端において、アンジェリカは椅子から降りた。
カルロの隣の椅子によじ登るようにして座り、彼の手から匙を奪い取った。
「あ……どうした、ニクス」
我に返ったカルロの口元に、スープの具材を乗せた匙を突きつけた。
「俺のことはいいからお前は自分の食事を」
手を押しのけるようにしながら視線を滑らせたカルロが口を閉ざした。
カルロの手を空いている手で押し下げ、もう一度口元に匙を運ぶ。
「……………………すまん」
罰の悪そうな顔で匙を口に含んで、カルロはようやく食べ始めた。
「ありがとな」
覇気のない顔にほのかに浮かぶ笑み。
アンジェリカは首を横に振り、自分の器を持って逃げるように部屋を出た。
胸の奥底に押し込めている嫌な自分が、彼をいい気味だと嘲笑う。
そんな自分を戒めるように器を持っていない手で首元を握りしめた。
苛立ちを抑えきれないまま外に出て、綺麗な器に湖の水をすくい取る。
先ほど器を拭った布とその水で綺麗に洗いながし、片付けを終えたニクスはそのまま辺に転がった。
青く爽やかな美しい空が明るく世界を照らしている。
さわさわと吹き抜ける風が、風に揺れて踊る草木の音が不快感を拭い去る。
(完全に水に流すにはまだまだ時間がかかるか。意外ではないけど、ねちっこくて我ながらちょっとうざいなあ)
それでも、以前に比べたらずっとましだ。
カルロの胸元にはずっとあのお守りがかかっている。それだけで、救われ続けている。
アンジェリカは口元に笑みをたたえた。
(それだけでいいんだよ。過ぎた望みは、自分を更に欲深くさせるだけだから)
自然に身を委ねるように瞑目して感じ入っていたアンジェリカの耳に、名前を呼ぶ声が聞こえた。
「ニクス。今度は白い神殿の向こう側を軽く見てみようと思う」
食事を終えたらしいカルロの提案に、アンジェリカは体を起こした。
軽く土埃を払い、カルロのもとに近づく。
ここでの十日があちらでおよそ半年なのだとしたら、あちらではカルロが居なくなってさらに半年が経過している。
それがさらにカルロを焦らせているのだろう。
取り繕ってはいるものの、隠し切れていない切迫感にアンジェリカはそっとカルロの背中を撫でた。
そして、どこにあるかも、どうやって開けるかも何一つわからないまま更に十日以上過ぎたある日、それは唐突に開かれた。
湖の辺で一息を突いていたアンジェリカは、いつぞやにカゲツから貰った腕輪が輝いていることに目を剥いた。
その輝きは水面を指し示し、ここに来たときに見た渦を、湖面に作り出す。
(え、鍵ってそれ? それなんですか? 知らなかったとは言え手元にあったのを、延々と探し回ってた訳で……、……………………無知ゆえの愚かさが恥ずかしすぎる……)
思わぬ方向からがっつりと精神を抉り取られて、アンジェリカは目に涙を浮かべる。
指先で露を拭い取り、書き足していった世界の地図とにらめっこしているカルロの元にとぼとぼと向かう。
ここに来たときの状況の説明を受け、湖面の渦を見せられたカルロが、なんとも言えない複雑そうな顔で沈黙を貫く。
(うん、わかる。そうだよね、そうなるよね、そうなったもん。なんでいきなり開いたんだろう……)
今までうんともすんともいわなかった腕輪の異変。
カゲツから貰った腕輪が示すその扉の向こう側が今どうなっているのかわからない。
わからないからこそ、嫌な予感が胸をざわつかせた。




