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第58話

「…………アリア? みんな……?」


 茫然としたリリアンヌの呟きに首をめぐらせた。

 先ほどまで騒々しかった一団が、一人残らず氷に覆われている。

 燃えさかっていた炎さえも、その形を模ったまま凍てついていて。


 ひんやりとした空気が心地よく、陶然とため息をついた。

 吐いた息が白く凍る。


「ニクス、大丈夫なのだ!?」


 苦しさを飲み込んだ声に首をめぐらせた。

 リクハがぴたりと動きを止める。


 アンジェリカ(ニクス)は体を多きくゆらしながら立ち上がった。

 違和感のある頬を押さえ、足先をリクハに向ける。


「…………ニクス……?」


 どこか驚いている様子のリクハにこてりと首を傾けた。

 左右に揺れる橙色の瞳を見つめながら、彼の背中に腕を回す。

 少しかかとを浮かせ、アンジェリカは頬を彼の側頭部にくっつけた。


 痛いのも苦しいのもいらない。そんな姿は見たくはない。

 見るくらいならば、自分がそれを背負う方がずっとましである。


 けれど、思うだけで、力の及ばないこれが現実。

 抱きしめる腕に更に力を入れ、三拍後、ふっと腕を弛緩させた。


 ぽかんと口を半開きにするリクハに目を瞬きながら、手を引く。


「……あの……これは、いった……っ、むらさきの……っ」


 リリアンヌの顔が引き攣った。

 強ばった表情。そのかさついた唇から漏れ出た単語に、自分が今どういう状態なのか把握した。

 もしかしたら、リクハの微妙な反応も、それによるものだろう。


 ぱっとリクハの手を離した。

 怯えた目をする彼女を見下ろし、アンジェリカは口角を僅かに上げた。

 

 感情的になるとそうなるのか、はたまた別の条件があるのか。

 どちらにしても、なにかを契機に瞳の色が変わることがわかった以上、深入りすべきではないだろう。


 ――必要なら、リクハにも。そしてカゲツやカルロにも。


 鞄から旧作の梟の一匹を取り出して、彼女の腕に押しつけた。

 ゆっくりと目を瞬かせる彼女から視線を逸らし、アンジェリカはふらりと窓に近づく。


「ニクス、どこに行くの、……だあっ!?」


 後ろを突いて歩いたリクハが、小気味の良い音を立てながらけったいな悲鳴を上げた。

 それに振り返る事なく、アンジェリカは内なる声に従い窓を指先で小突く。


 氷の表面にひびが走った。

 瞬く間に窓全面に広がったそれは、やがて音を立てて砕け散り、氷の欠片が氷上に散らばる。

 透き通る階段を窓枠に上るように作り上げて、アンジェリカは庭に飛び降りた。


 燦々と降り注ぐ陽光が、氷の庭に反射して煌めきを主張している。

 眩しそうに目を細め、アンジェリカは目深にフードを被り直した。


 別荘の門の外、辺り一面見渡す限り続いている氷の世界。道なき透明な道を踏みしだき、ふらふらとさまよい出る。


 腹の底の彷彿とした感覚は今なお収まる気配はない。

 その身にくすぶる衝動性に任せて、足下の草を蹴り飛ばした。

 氷柱を叩き割ったような感覚で、草が砕ける。余波で周囲の草木が粉砕され、アンジェリカは口をへの字に曲げた。


 凹凸のある床を滑るようにすり足で前進を再開する。


(……………………引きこもる、自分だけの時間と場所がほしい)


 邪魔されない場所が欲しい。気を遣っていろいろ考えしまわなくてもいい場所が欲しい。迎えが来るその時まででいいから。


 魔王というならばもうそれでいい。そうあれというならば、そうあろう。やがては殺される運命というならば、それはそれで構わないから。


 ――だというのに、現実は非情だ。そんな簡単な願いさえ叶わない。


(叶わないなら、叶えなければ良い。叶えない……叶えなくさせるなら)


 アンジェリカはぴたりと歩みを止めた。


(その時まで、私も氷の中に眠っていれば良いのか)


 名案と言わんばかりに、アンジェリカは唇で小さく弧を描いた。

 ついでに言うなら、是非ともそのまま彼らの所に連れて行ってほしい。


 息が、詰まった。胸の奥に引っかかるなにかを吐き出すように咳き込む。

 口元を片手で覆い隠してしばらく咳き込み、ようやく落ち着いた衝動に息をつく。


 金臭さが鼻をついた。

 己の手を見下ろして、赤く染まる手のひらに瞠目する。


 痛みはないが、そうとう体に負担がかかっているらしい。

 少し休もう。


 一歩踏み出した直後、くるんと視界が回る。

  ついで襲った浮遊感。まるで夕焼け空に浮かぶ月のような静かな金色が、視界に映った。


「そんな体で動くな戯け」

(……下ろして)


 カゲツの体を押しのけるように、腕を突っ張る。


 リリアンヌが来る少し前、公爵の使いの人、という人に呼ばれてカゲツは席を外した。

 あんな横やりはなく。リリアンヌ+一名との面会の場だと誰もが思っていたから、カゲツは渋々席を外し、リクハとともにあの部屋にいた。


 今となっては、それすら公爵の差し金だったのではないかと思えてしまうほど、仕組まれたものとしか思えない。


 だが、今更どういう事情であろうと、この目を見られた以上、なにもなかったことにはできない。

 抱え上げる腕の中でいくら抵抗しようとも、彼女の腕はびくともしない。


 カゲツは地面を蹴り、高く高く跳躍した。

 下に広がる街並み。思わず彼女の衣にしがみつく。


「まったく、なんのために我の笛を渡したと思っておる。なにかあったら鳴らせとあの未熟者に伝えたはずだが、聞いておらぬのか」

(笛?)


 そう言われて覚えがあるのは、あの音の鳴らない笛だ。

 カルロがどこからか用意した物としか思っていなかったが、もともとはカゲツのものだったのか。


 ならば、鳴らないのではなく、人の耳には聞こえないというのが正しいのかもしれない。

 そうすると、それが聞こえるカルロの聴力がおかしいことになるのだが、カルロならば有り得そうとも思ってしまう。


「のう、大姫よ。お主は、このまま魂と引き換えに世界を氷像としたいのか」


 質問の意図を理解できず、彼女の顔を見上げた。

 見ろ、というように顎でしゃくられそっと下を覗く。

 白い世界が、ゆるやかに、けれども確実に四方へ広がっていた。


 けほり、と咳き込んだ拍子に朱色の霧が舞う。

 隠すように慌てて口元を両手で押さえた。


「その力はお主の命を削るものだ」


 カゲツが白い世界を見下ろしながら淡々と言葉を紡ぐ。


「今のお主は、本来ならば使えぬはずのものを無理矢理行使している状況よ」


 誓約によりお主の魂は何重にも絡め取られていて、ささやかな刺激にすら耐えられない。今でも形を保っているのは単に父なる神の加護ゆえにほかならない。


「もとより、異色な魂のお主に、魔力に耐えられる程の頑丈さはない」


 突きつけられた事実に息を詰めた。

 異色と言われる所以には心当たりしかない。けれども、出会ってからこの方、誰にも指摘されたことはなかったのに。


「我だから気づけるだけのこと。ほかの同胞は感じ取れもせぬ」

(…………)

「あと一度でも力を使えば砕けてしまうほど脆いお主がまだ生きているのは、加護と、同胞たちの力ゆえ。だが、多少無理に器に入っているゆえに、体にまで影響が出ている」


 指摘された驚愕とともに、冷淡なまでに現実を詳らかにする内容が、アンジェリカの心に重くのしかかった。

 腹の底でずっと煮えていたものが火種を失って凪ぐ。


「魂と体の状態を見ても、次はない。今のままならば次もない。それでも世界を氷像としなしたいか」

(……………………いい、いらないです。前に二年は頑張るって約束したから、それまで、こんなふうに振り回されることなく引きこもれる場所があれば大人しくしてます)

「ふむ……ひとまず、一足先に我の住み処へ戻るか」


 空中を安定して駆け抜けるカゲツにしっかりと身を任せ、アンジェリカは殻にこもるように目を閉じた。






 僅かに上下に揺れる振動に目を開けた。

 覚えのある湿った空気に、実家に帰ってきたかのような安堵を覚えて息をつく。


 隧道は一本道ではなく、枝分かれがいくつか存在する。

 いつも使っていた寝床へ続く道とは異なる、左側の道へカゲツは無言で足を進める。


 地底湖に辿り着いた。

 歩みを止めることなく、カゲツは水の上に立った。

 首を伸ばして水面を見下ろす。


 ゆらゆらと姿が大きく揺れて、やがて水面が大きく口を開いた。

 けれども地底湖全体に変わった様子はない。周りに影響を及ぼすことなく開かれている口の向こう側に、大きな建物が見える。


 カゲツの体が、穴に沈んだ。

 ぐるりと回る視界に慌てて目を閉じる。


「――今はもう、使われることのない場所だ」


 どこか寂しそうな声音だ。

 目頭を押さえてぐっと力をこめ、静かに息を吐く。

 瞼を押し上げた。進行方向には侘しさを纏う建物がある。


 中央にある最も大きな建物を中心に、円を描くように五つの似たような建物がそびえ立つ。

 神殿を思わせるようなその建物の一つ、もっとも近い位置に位置する二つの建物の間を通り抜け、中心の建築物に足を踏み入れた。


「ここは、この水鏡の世界に入れるものは、もはや我しかおらぬ」

(……カゲツ?)


 白地に綺麗な斑紋が描かれている床に降ろされて、アンジェリカはカゲツを見上げた。

 感情の読み取れない目で室内を一瞥した金色が、瞼の下に隠される。


「だが、その我も、とうにここにいる資格はない。だが、継ぐ者もいない。だから、大姫にこの場所をやる」

(えぇ……?)

「振り回されることなく引きこもれる場所がほしいのであろう」

(…………それは、そうなんですが。カゲツに資格がないというなら、私も似たようなものでしょう)


 生けるものの気配もない寂しい空間とは言え、その建物が持っている得も言われぬ神秘さは健在。

 そんな所に、堕ちかけの巫をおくんじゃありません。


「半分以上染まっているが、染まりきったわけではない。我のように、自ら座を降りたわけでもない。ならば問題ない」

(座を降りた……?)


 ほのかに唇を緩めたカゲツの手が、額に指先をあてた。


「なにより、我が連れて入れた。それで十分だ。……許せとは言わぬ。事が済むまで、大姫はここにおれ」


 額から後頭部にかけて、貫くような衝撃を最後に、意識が途切れた。



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