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第55話

 ぼへーっと、見知らぬ天井を見つめる。

 否、天井ではない。天蓋だ。初めてみるけれども、蚊帳のようにベッドの四方に垂れ下がる薄衣は恐らくそうであろう。


(起きようか、起きまいか……)


 ぶっ倒れたことは覚えている。

 だが、そこから見知らぬ天蓋にいるとなると、恐ろしいものがある。

 誰かが拾ってくれたのであろうが、ぼろぼろで倒れている小娘に手を差し伸べるような人間が果たして世の中にどれくらいいるのか。


 待遇面から言えばいい状態ではあるが、往々にしてそういうことには下心というものが存在する。


 転がっている自分を拾ってなにかを得ようとしているとしたら、リクハか、あるいはカルロに関連することだろう。

 天蓋を拾った人間に使うくらいの財力がある人間が考えそうと言ったら、それくらいしか利点が考えられない。

 起きたとばれたらめんどくさいことになりそうだ。


(カルロの試合、ちょっと見たかったのにな……)


 もう始まっているか、終わっているか。どちらにしてもこんな状況では見られないだろう。そればかりが心残りである。


(カルロの心労を増やすばっかり……どうするべ。どうするべ。どうしたらいい? とりあえず状況把握しま)


 がちゃりと扉が開いた。

 開いていた目を素早く閉じる。


 衣擦れが近くで鳴る。

 少しして、掛け布団が軽くなり、先ほどよりも近くで布が擦れる。


(え。待って誰? どういう状況?)


 体のすぐ近くで、わずかにベッドが沈む。

 成り行きに固唾を飲んでいると、お日様のような暖かい匂いが鼻腔をくすぐった。


 嗅いだことのあるそれに内心首を捻っていると、

 体に腕が回された。こつん、と頭に硬いものがぶつかる。

 驚きのあまりに目を見開いた。


 視線だけ横に滑らせ、僅かに唇を開いた。

 茶色と白のグラデーションの、つんつん跳ねる髪。

 見覚えしかない。


 首を横に反らすようにして見上げると、予想に違わず橙色の瞳としっかり目が合った。

 

「ニクス、起きたのだ!?」


 跳ね起きたリクハが覆い被さるように見下ろす。

 いつもより距離感がおかしい彼に戸惑いつつ、アンジェリカ(ニクス)は首を縦に振った。


「怪我の具合はどうなのだ。痛くないのだ?」

「我の血を与えたのだ、痛むわけがない。怪我もとうに完治している」


 カゲツの指摘にリクハが頬を膨らませた。

 再び横になって抱きしめられる。

 へー、とわからないままそういう事実を受け止めていたアンジェリカは、とりあえず手を伸ばしてリクハの頭を撫でた。


「気分は悪くないのだ? あ、喉は渇いてないのだ? お腹は空いてないのだ? 厨房を借りてリクハが作ったご飯があるけど、食べられるのだ?」


 よくわからないが、宿ではないこの場所はリクハやカゲツが警戒する場所ではないらしい。

 警戒していた自分にアホらしさを感じつつ、片方の手をお腹に手を当て、もう片方を喉に当てて考えること三呼吸。

 アンジェリカは考えることを放棄した。


 リクハの腕をぺしぺしと叩くとゆっくりと腕が外される。

 のそのそと起き上がり、ベッドの上に座る。

 頬杖をついてこちらを眺めるカゲツを凝視した。


 さすが女王様。様になっている。

 公衆の場で欲望丸出しにしている信者は無理だったが、女王様ぶりには、実は少し見惚れていた。それよりも嫌悪感が勝っただけで。


 シャツにズボンというラフな姿はそれはそれで様になっているのだが、やはりドレスアップした姿の方が綺麗だしかっこいい。

 ところでなんか、不機嫌というか、元気ないような……?


 ずいっと視界に不貞腐れたリクハがはえた。

 頬を膨らませてじっとりと見つめるリクハに小首を傾げる。

 ぶすーっと膨れる頬両手を添えて、顔の中心に向かって押した。


 唇の隙間から空気が抜ける。

 状況としては不謹慎なのだろう。けれども、込み上げたものに音もなく笑った。


「ニ~ク~ス~」


 誤魔化すように頬を手のひらでこねくり回しながら俯き、肩を震わせる。

 笑いながら、視界に揺れるものに笑みを消して体を起こした。

 胸元で揺れる真珠のような首飾りを手に取りってまじまじと見つめる。


(なにこれ)


 反射して照り返すその輝きが、彩り豊かに淡く色づいている。光の加減という訳でもなさそうなその変化に、真珠かいなかの判別をつけられるほどの経験を持っていない。


「我らが同胞から、大姫へ餞別だ」

(ほ?)


 カゲツの説明に顔を上げた。

 むにむにと頬を揉んでいるリクハの横から顔を覗かせる。


(なぜにそんなものを、なんの関わりも持ったことのない私に?)

「覚えていないのか」


 真横に首を傾けるアンジェリカの視界に、再びリクハが顔を覗かせた。

 カゲツの姿が隠れてしまい、反対側へ首を傾け直せば、橙色の瞳がアンジェリカを正面から捕らえる。


 その頭を撫でまわす。リクハの顔がふにゃりと解けた。

 可愛い可愛い、と目で回しながらアンジェリカは視線を上に上げて記憶を辿る。

 リクハを追いかけて廊下に出て、いろいろあって、会場の外でぶっ倒れて、起きたらここで。


(あ、でも夢をみた……か……?)


 見たかどうかすら曖昧で判然とせず、仮に見ていたとしても内容がなんだったのかまったく覚えていない。


「寝ぼすけでもなんでも、それが大姫が成したことの対価だ」

(成したこと?)


 頭の上に更に疑問符が浮かぶ。

 けれども考えても覚えていないものは覚えていなくて思い出せる訳もないので、即座に疑問符を放棄した。

 目線を上から下に戻し、目を瞬いた。


 少し見ぬ間に、リクハの顔がまたしても拗ねたものへ変わっている。

 両腕を広げて抱きついてきた勢いを殺しきれず、アンジェリカは再びベッドに倒れ込んだ。


(多分、想像が間違ってなければ、嫉妬、なんだろうか……?)


 なぜそんなにカゲツに対して対抗心を抱いているのか。

 仮に嫉妬だとしても、ここまでくっつき虫になる理由がわからない。


 倒れる前までは、冷戦状態だった。それは間違いない。

 拗ねて無視してしまったのは悪いと思ってはいるが、それだけでこうはならない。

 あとは倒れたことくらいか。だが、今までもぼちぼち主にメンタルがやばくて倒れたと言っても過言ではない状態だったのに、なぜ今回だけこれほどに堪えているのか。


(…………わっかんない。まあいいや。リクハにはそれだけ重大事件だったということで)


 微動だにしないリクハの背中に軽く腕を回して、ゆっくりと撫でおろす。

 しばらくそうしていると、扉が開いた。


「戻った。カゲツ、ニクスの様子はどうだ」


 カルロの声がした。それに対するカゲツの返答はない。

 だが、困惑漂う空気が全てを物語っている。


 ぺしぺしとリクハの背中を叩くが、未だに反応がない。

 衣擦れの音がした。少しして、足下の方でベッドが軋む。


「リクハ。こうして目を覚ましただろう。だからもう大丈夫だ」


 カルロの手が、リクハの頭を撫でる。

 やはり、想像以上にリクハには心配をかけたらしい。

 大丈夫、という意味を込めてアンジェリカはもう一度リクハの背中を叩いた。


 僅かに、リクハが身じろいだ。

 背中に回されていた腕が抜かれる。

 ゆっくりと起き上がったリクハの顔の表情は未だに冴えない。


 そんなリクハをカルロは抱え上げた。

 体の上の重石がなくなり体を起こしたアンジェリカは、膝に乗せられるリクハを見つめ、カルロに視線を上げた。


 足の上でじっとしているリクハの頭をカルロが撫でる。


「ニクス、大丈夫だとは思うが、念のための確認だ。体調や、体の動きにおかしな所はないか?」


 ニクスはベッドの上を座ったまま移動し、足を下ろした。

 両腕を広げて回す。問題なし。

 両足を屈伸する。問題なし。

 飛び跳ねることもできる。気分が悪いこともない。


 カルロを振り返って、がっくんと首を縦に振った。


「ならいいんだ。俺は見てないが、相当酷い怪我だったみたいでな。カゲツがぶち切れるくらいに」

(…………カゲツが?)


 基本的に、神獣と言っても一概に好意的と言えばそうではなく、個体差がある。

 中でもカゲツは友好的とは言えない存在だ。敵意を抱かれているわけではないが、かといって好意があるわけでもない。

 だからこそ、今関わっているのは彼女の目的を遂行するために利用しているだけでしかなく、それ以上の感情は存在しないと思っていた。

 そんなカゲツがぶち切れた。


 なにやら今日は意外な一面を知る日であるらしい。


「…………なあ、ニクス。ひとつ聞くが、自分の怪我どれくらい把握してた?」


 是非では応えられない質問にアンジェリカは首をめぐらせた。

 カゲツが指し示した先、木の枝のような衣装用フックに鞄が掛けられている。

 足早に近づき、背を伸ばして鞄の口を開く。

 なんとか筆記具を取り出しベッドに戻って、返答を書き付けた。


『・両膝すりむいた

 ・たぶん足の骨いってる

 ・たぶん頭も擦ってる

 ・首から背中の骨は無事

 以上です』

「怪我をして傷を確認しなかったのか」

『その前に倒れたので』

 

 見たくなかったとも言うが、それは心に秘めておく。


「どうりで他人事のような反応なわけだ。カゲツ曰く、見つけたときには死にかけだったらしい」

『?』

「なんでお前が首を傾げるんだ。……怪我を把握してないからか」


 なにから説明したものかな、とカルロがぼやく。


「その話をするのも良いが、食事をせぬのなら我が貰うぞ」

「それはニクスのだからだめなのだ!」


 今まで沈黙していたリクハが声を上げた。

 カルロの足から降りてカゲツに近寄る。


「だめなのだ、リクハがニクスに作ったのだからダメなのだ!」

「わかったわかった。ほれ、さっさと準備でもするがよい。見苦しい」


 追い払うように手を振るカゲツにリクハが唸る。

 けれどもそれ以上言い争うことなく、リクハはカートに置かれたままの料理を手に取った。


 アンジェリカは先ほどから抱いていた疑問をひとつ、カルロにぶつけた。


『リクハはなんで、カゲツに対抗心を持ってるんですか?』

「…………まあ、なんだ。お前をカゲツにとられたくなかったんだよ」


 私は私のものですが?


 反射的に頭に浮かんだ返事を脇に置いておく。

 ペンの軸を顎に当ててしばし思考する。


 そうか。他の神獣に取られたくないって思うくらいには懐いていてくれているのか。


『リクハを甘やかすならなにがいいと思いますか?』

「そうだなあ……ニクスからならなんでも喜ぶと思うぞ。あの、よくわからん喧嘩した日に、リクハに上げた梟の編み物があるだろう」


 静かに首肯する。


「ニクスが寝たあとで嬉しそうに眺めてたり、くるくる回ったりしてた」


 そう語るカルロの表情は優しくて。

 気まずさを隠すように、アンジェリカはうっすらと笑みを貼り付けた。


 言えない。

 苛立ちに任せて色違いの梟を大量生産して、モグラ叩きの如くぺしぺし叩いていたなんて言えない。


「くっ……」


 カゲツが口元を押さえて顔を背け、肩を震わせている。

 不思議そうにするリクハとカルロを確認し、アンジェリカは何食わぬ顔でカゲツから視線を逸らした。



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