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第54話

「できれば出るなよ。出てもいいけどはぐれないようにちゃんと二人で行動しろよ」

「わかってるのだ」


 能天気な返事に顔をしかめながら、けれどもアンジェリカ(ニクス)は渋々首を縦に振った。


 剣術大会当日。宿で休んでいたかったしその旨も伝えたが、それはそれで心配らしいカルロにアンジェリカはあっけなく折れた。

 でも、自ら火の海に飛び込もうとするリクハをまだ許してはない。


 その危険性も、つかまったら最後辿るであろう末路もわかっていて、それでもカルロに背負わせるリスクを選ぶそのことを、許したくはない。

 あんな思いはもう十分だ。カルロが味わう必要もない。

 そんな事態になるくらいなら、その時は。


 案内された観覧室からカルロを見送り、アンジェリカはリクハをじっとりと見つめる。


「ニクス、どうするのだ? 出かけるのだ?」


 何ごともなかったかのような顔で接するその態度が本当に腹立たしい。

 つん、とそっぽを向いた。


「じゃあいいのだ。リクハは一人で外を見てくるのだ」


 彼の素っ気ない態度に、え、と首をめぐらせた。

 すでにリクハは背中を向けていて、扉に向かって歩いている。


 まって、と唇が動く。

 手を伸ばして、けれども自分の態度が原因であることを思いだして動きを止める。


 扉の向こう側に、リクハの姿が消えた。

 緩慢に腕を下ろしてアンジェリカは項垂れる。


 大人げなかった。もっと感情の制御ができていれば。

 ――なら、感情なんてなければいい。ひねり潰して、淡々とあればいい。そうしたらいちいち煩わしい思いをしなくて済む。


 深くゆっくりと息を吐き出して、アンジェリカはそろそろと足を前に進めた。

 時間をかけて扉の前に立ち、取っ手に手を伸ばして縮める。


(一人で外……ここまで来るのもかなりふらふらだったのに、でも、リクハになにかあるほうがもっと嫌で、どっちも怖くて)


 胸元を握りしめた。

 昨日カルロから貰った笛がある。音の出ない不良品かと思ったが、カルロには聞こえるらしい。なにかあったら吹けと言われている。

 だから、なにかあっても、これでカルロに伝わるなら多少は安心……、……。


(そもそもカルロに寄りかかりすぎだから自立したいのに進歩してない……)


 ぐるぐると負の連鎖で気持ちが落ち込んでいく。

 外套のフードを目深くかぶり、笛を握りしめながら取っ手に手を掛けた。


 一度手を離し、鞄の口を開いた。

 中にここに来るための証はちゃんとある。笛もある。鞄もある。よし。


 汗ばむ手を服で拭い、もう一度取っ手に手を掛け、勢いのままに下にさげた。

 重みで自然に扉が動く。開けるまでの心の準備をしていなかったアンジェリカは、動く扉に引きずられるように前につんのめった。

 彼女の重みで更に扉が開く。

 取っ手から手が滑り堕ちた。


(んぎゃっ)


 廊下に転げ出た。

 顔面強打は死守したものの、打ちつけた。

 よたよたと体を起こし、くるりと体を回転させて床にお尻をつく。


「なんで小汚いガキがこんなところにいる」


 人がいるとは思っていなくて、びくりと大きく肩が跳ねた。

 声がした方から離れるように這い、立ち上がろうと壁に手をつく。


「触るな!」


 野太い怒声に心臓が萎縮した。

 壁についた引っ込め、ひきつる傷口を庇いながら。足を曲げた。


 よろめきながら立ち上がるアンジェリカの視界に小綺麗な靴が視界に入る。


「貴様のようなやつかわいていい場所じゃない。出ていけ」


 フードの上から乱雑に髪を掴まれた。

 首にかかる負担に、唇が音なき悲鳴を上げる。けれども、それは男に決して届くことはない。


 長い廊下を引きずられる。床を滑る外套に当たる膝が擦れて痛む。立ちあがろうとするけれども、足は床を滑った。

 何度も試してみるが、引っ張られるそれに追いつけず支えきれなくて転がる。

 そのうちに鞄を下敷きにしたらしく、ぴん、と伸びた鞄に再び足を取られて再び膝をついた。


 そのままなす術もなく投げ出され、体が宙に浮いた。


(やば……っ)

「あ」


 目下に広がる階段に、咄嗟に頭を抱えて背中を丸めた。

 目を固く瞑る。

 どん、と突き抜けるような衝撃が何度かあったかと思うと、ごろごろと体が転がり落ちる。

 最後に一度叩きつけられて、ようやく体は止まった。

 くらくらする頭を押さえながらアンジェリカは体を起こす。


「ふ、ふん! 分不相応なとこにいるこらそうなるんだ」


 階段の上で調子づく男を無視して立ち上がる。

 腹を立て怒る元気も、反論する気力もない。


(良運がなにかに食い尽くされてる気がする)


 一人になった途端に見舞われる災難。残っている悪運から、カルロやリクハがいるために守られているのであって、自分自身に悪運から身を守る術はない。そうとしか思えない。


 体のあちこちに違和感を覚えながら、アンジェリカはゆっくりと階段をくだった。

 外に出て、人の多い屋台通りを避け、会場の裏手に回る。


 息が上がる。歩くたびに、歩きづらさが増して体の均衡が取りにくい。

 くらりと頭が眩んだ。体勢を立て直せないまま地面に倒れ込む。


(……ねむい……)


 そもそも階段から落ちて無傷であるほうがありえない。傷を確認しないままここまで来たが、動くなという体からの警告なのだろう。


 少し、休もう。


 瞼を静かに下ろした。







 ――痛い。


 声が聞こえる。


 ――苦しい。

 ――やめて。

 ――どうして。

 ――帰して。


 たくさんの、嘆く声が聞こえる。


 ――恩を仇で返すか、人間……!

 ――ああ、厭わしい。

 ――こんなものに誰が屈するか、それが俺らの矜持だ……!

 ――許さない。


 怒る声が聞こえる。


 ――怖い。

 ――痛いよ、やだよ、助けて。

 ――逃げて。来ないで……!


 恐れ慄く声が聞こえる。


 ――覚えていろ。

 ――この雪辱、永劫に許しなどせぬ。

 ――この怨み、はらさでおくものか!

 ――許さぬ。

 ――許さねえ。

 ――許さないから。


 怨む声が幾重にも重なる。


(そうだね、痛いよね、苦しいよね、悔しいよね。許せないよね)


 目が熱をもつ。

 のろのろと目を開いたアンジェリカは、目の前にある褐色の肌にゆっくりと目を瞬いた。


「我が背の仇を我は討つ。汝らの仇も我が討とう。だから鎮まらぬか……!」


 宥めるようにカゲツが叫ぶ。

 すぐそこで聞いているはずなのに、どこか遠くから声が聞こえているよう。


 ぐるりと囲うように宙に浮く魔石から影が立ち上った。

 生前のものであろう形をそれぞれ模って、影がゆらめく。

 一瞬の後、霧散したそれは中心に向けて飛来した。


 庇うようにうずくまったカゲツが、小さく苦悶の声をこぼした。

 それ以上呻くことなく静かに耐えるカゲツにそっと手を伸ばした。


「っ、大姫、起きて……っ」


 息を呑むカゲツの頬を撫でる。さらそらとした肌に何度か指先を滑らせ、手のひらで覆った。

 頭の中に入り乱れる声が、より一層大きくなる。


 聞き入るように緩やかに目を瞑る。


 うん。痛いね。苦しいね。怖かったんだね。

 でもね、もういいよ。苦しまないで。

 許せないなら許せないでいい。許さなくていい。


 ただ、君たちには安らかに眠ってほしい。知らない相手とはいえ、酷く胸が苦しい姿を見ていたくはない。


(たかまのはらに、かむづまります……かむろぎ、かむろみのみこともちて)


 なにがあったのか、知らない。

 知りたいとも思わない。

 だから、許してやれなんて言わない。

 許せないなら、許さなくていい。

 受けた苦しみと同じ程度のものならば、苦しみを与えた個人に返せばいい。ただ、それ以上はだめだ。


 それ以上は、苦しみを与えたものと同じ所に堕ちてしまう。

 そんなふうになってしまうくらいなら。


(あまつかみ、くにつかみ、やおよろずのかみたちともにきこしめせと、かしこみかしこみもうす……)


 どうか、まだ生きている同胞たちを助けてください。リクハやカゲツがそんな目に遭うことのないように、守ってください。


 急激に襲う倦怠感に身を任せて眠りに落ちた。










 ――大いなる父の加護を受けし姫の、望むままに。

 ――祟れ。それが俺らの報復だ。

 ――泣き叫んで赦しを乞うても、もう聞かないわ。

 ――我らの力は、我らのもとに。

 ――その力は、私たちを貶めるものへ。

 ――今を生きる友を脅かすものへ。

 ――後進たちを守るための力に。

 ――そして、歪められた運命に抗う大姫と、その運命に飲まれてしまった父の子へ、祝福を。



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