第51話
翌日。カルロに抱えられて冒険者ギルドに来たアンジェリカは、突き刺さる好奇の視線から逃れるように顔を伏せた。外套を頭から被り身を隠しているとはいえ、注目の的になるのは慣れない。
みぞおちがずしりと重く、鼓動が耳の奥で響いて頭の中がぐらぐら揺れている。
「ごめんな、無理させて。すぐに終わらせるから」
小さく頷き、背中を撫でる手へ意識を向けた。
「カゲツはこっちなのだ」
カゲツと呼ばれた、紅い髪を高い位置で結い上げた美しい顔立ちの女性。彼女を引き連れて、リクハがカウンターへ向かう。
「ようこそ。冒険者証を確認いたします」
カウンターに置かれた冒険者証を盗み見た。以前見た時は赤銅色だったそれは、今は白金に輝いている。
そこに至るまでは、きっと想像だにできない苦労があっただろう。
部屋に案内するという申し出を辞退するカルロの側頭部を撫でた。
「どうした?」
問いかけに首を横に振って、視線をゆっくりと周囲へ向けた。
ちらちらとこちらを見ていたり、リクハの誘導のもと冒険者登録をしているカゲツを熱く見つめる人だったり、いろんな人が居る。
昼間であるのに、意外と人がいるらしい。
まばらに紙が張り出されている板の前にも立っている人は居るが、その表情は芳しくない。思うような依頼がないのだろう。
カルロの同業者から受付へと視線を移す。
カゲツの対応をしている男性がだらしなく鼻の下を伸ばしながら彼女の手に触れているのをみて、アンジェリカは片目をすがめた。
彼女の容姿を認めてくれるのは嬉しいが、節操なく手を出されるのは受け入れがたい。
うんともすんとも言ってくれない魔法であるが、もしも使えたならば氷漬けにしたいくらいだ。
受付の向こう側で、唐突に男がびくりと体を震わせた。慌てたように立ち上がり、引き攣った顔できょろきょろと当たりを見渡す挙動不審な男。理解できないが、少しばかり溜飲が下がる。
カゲツとリクハが二人揃って振り返った。
ぱちりと視線が合ったので、小さく手を振る。にぱっと顔を輝かせて手を振り返すリクハが尊い。
「ニクス、気に食わないことがあったのはわかるが、やりすぎだ」
なだめるように背中をとんとんと叩かれて、アンジェリカはカルロを振り返った。
叱るような視線の意味が理解できない。
鞄から筆記具を取り出し、彼に疑問をぶつけた。
『なにがです?』
「…………いま、自分が何をしたかわかるか?」
こてん、と首を傾けた。
ちょっとばかし怒りの念を向けただけで、これと言って何かをした覚えはない。
「なら、なにか普段と違う感覚はなかったか?」
『ありません。カゲツが美人なのは当たり前ですが、下心しかない過度の接触は御法度です、と思っただけです』
「……そうか」
外套ごしにぐしゃぐしゃと頭をかき回された。
「なにもないならいいが、無理はするな」
そう告げるカルロの声音は愁いを帯びていて、アンジェリカは大量の疑問符を頭に浮かべた。
「申し訳ございません。大変お待たせいたしました」
カルロが冒険者証を提示してからしずしずと奥へ駆け戻っていた受付のお兄さんが戻ってきた。
「書類は問題なく受理させていただきました」
「そうか。ならこれで失礼する」
踵を返したカルロに、受付の男性が慌てたように声を張り上げた。
「お待ちください! マスターがお呼びです!」
「……休暇届を出したはずだが。よほどのことがない限り依頼は受けないぞ」
渋い顔で返答を返すカルロに、男性は真っ直ぐにカルロを見つめ返した。
「内容を知る権利は私にはありません。私が言えるのは、マスターがカルロ殿を招請したということだけです」
そう言われたら、応じないわけにはいかないのだろう。
嘆息したカルロは身を翻した。
自分とカゲツの間をカルロの視線が往復する。
『監督役はリクハと務めますが期待しないでくださいとしか言えないです』
「……分かってる」
対応してくれている男性に断りを入れて、カルロがカゲツとリクハの元へ移動した。
「ここのマスターに呼ばれたから行ってくるけど、勝手な行動せず大人しくギルドのなかで待ってろよ、特にそこのカゲツ」
「理解しておる」
「本当か?」
「くどいやつよのう」
「この前のこと忘れてないよな?」
不信感を隠しもせず、カルロが入念に釘を刺す。
カゲツは口元に微笑をたたえ、沈黙した。
しばらく見つめ合ったのち、カルロが疲れたようにため息を吐いた。
「ギルドから出るなよ」
カルロが踵を返した。
人目のある中でのお留守番に胃の不快感を覚え、懸命に気を張っていたアンジェリカは目を瞬かせた。
てっきり置いていかれると思ったのになぜ。
関係者以外立ち入り禁止と書かれた看板を越え、奥へと続く通路を進む。
カルロの背後から、職員の物言いたげな視線が自分に突き刺さった。
そうだろうとも。私が立ち入ったらダメなんでしょうけど、それを思っていても指摘できない相手であると。
『非関係者は退散します』
「いい、俺が許す。あれに任せるのは正直不安すぎた」
それは同意。あれは絶対になにかしでかす、そういう人。
任される方としても不安しかない。有事の際の安心面で言っても、カルロの方がまだ安心できる。
『ギルドの隅っこで丸くなってますよ』
「俺と一緒にいたってだけで変な輩に絡まれるからやめとけ」
『リクハとカゲツは?』
「カゲツはともかく、リクハの人たらしは天性の才能だから問題ない」
人たらし。誰が? リクハが?
確かに私好みな素晴らしいショタっ子ですけど、そんな属性……リクハならあり得るな。私と正反対のあの人なつっこさだ。
どんな人間をたらしこんでるのかちょっと覗いてみたい気もする。
想像の世界に浸っていると、不意に歩みが止まった。
硬い物を叩く音が三度、響く。
「カルロだ。招請と聞いて来た」
「入ってくれ」
「失礼する」
ギルド長がいる部屋に到着してしまったらしい。
それはそれで精神的にはかなり負担らしく、きりきりと胃が悲鳴を上げる。
「先日ぶりだのう、狼王。待ちくたびれたわい」
「…………帰る」
「待ってくれ。騙したようですまないが、君が言っていたくだんの件で頼みがある」
聞き覚えのある朗朗とした声に、どこか疲れたような、けれども芯のある声音にアンジェリカは耳を澄ませた。
少し見上げただけではカルロの表情はうかがい知れないが、踵を返しかけた反応から察するに、面倒ごとに巻き込まれたと渋面でも作っているのだろう。
「断る、と言ったら?」
「耳寄りな情報があれば、手綱を握りやすくなるであろうに」
確信めいた老人の言葉に、カルロが喉の奥を唸らせた。
「目星をつけていた場所が、昨日のうちに手がかりも含めて見失ってしまってのう。どこぞの誰かのおかげで」
「いったいどこの誰なんだろうな。あぁ、進んで協力してくれそうなやつがいるから、よければ紹介しよう」
「食えぬやつよ。お主が御しきれぬ人の形をした何かなど、儂の手にも余るわい」
息を潜めて事の成り行きを見守っていたギルド長が声を上げた。
「剣聖殿、人の形をしたなにかとは一体」
「さて」
「どういうことですか、狼王殿。事と次第によっては」
アンジェリカはカルロの服を握りしめ、ゆるりと首をめぐらせた。
四十路ほどの男性が、険しい顔でカルロを睨んでいる。
いや、言い分はわかりますよ。人外扱いはまあいい。だが化け物としてカゲツを蔑むのは許したくない。
なによりそれでカルロが迷惑を被るとか、責任の所在だなんだとやはり人間はめんどくさい。必要最低限に関わり立って引きこもるのが平穏で精神衛生上最もよろしい。
退屈を覚えたらその時はその時で、新たな刺激を探せばいいだけのこと。
不意に、大きな手のひらに遮られた。
「ニクス、落ち着け」
……また、なにかしでかしたのだろうか。
憤りを飲み込んで、アンジェリカはカルロを振り返った。
「心配するな。悪手を打てば滅ぶのがこの街というだけで、そうなる前には三人で帰る」
…………それ、何一つとして安心できる要素がないのですが。
「その言い草、儂があれに敗北を期するというのか。ふむ、一度手合わせ願いたいのう」
「悠長なことを仰っている場合ですか! 狼王殿、今すぐその危険人物は」
「待て、ドルイド。悪手を打てば、ということはなにが悪手かは理解しておるのであろう」
カルロは考えるように視線を伏せた。
「それを答える前に、安息香についてどこまで知っているんだ」
「人を惑わし、魔物を狂わせる禁呪の香であろう。その製造方法は未だに不明と言われている。なにせ、それを作る者たちもすでにその香に侵されている。この何十年と進展はなにひとつとしてない」
アンジェリカはギルド長の発言に盛んに目を瞬かせた。
カルロはしかめっ面でこめかみを揉んでいる。
どうやらカルロの知っている事実と彼らとの間では、知識に大きな乖離があるらしい。
わからないことには口を挟むまい。
お口をしっかり縫い止めて、アンジェリカはカルロの肩に顎を乗せた。
「あいつに関して言えるのは、剣聖、あなたと同じだ。彼女は安息香に関連した事件で配偶者を失っている」
「――そうか」
「以前と同じなら見境もなかったが、なにか思うところが今回はあったんだろうな。詳細は知らないが、一応今のところは分別はつけている。頭ごなしに無理に行動を制限しないことだ」
考えなしは考えなしで、勢いのままに行動するから昨日のことのようになるだけで。
カルロのフォローの一言に、アンジェリカは口元を引き攣らせた。
(その考えなしがちょいちょい周囲への迷惑に繋がってるのが問題なんでしょうよ)
「彼女が"なにか"を知りたいのなら、直接聞いてくれ。知らないのなら、俺から言えることはなにもない」
「なるほどのう。――であればやはり、剣術大会で儂と試合せよ」
「は?」
心底嫌そうな顔でカルロが呻いた。
「そうも嬉しそうにされると、剣士としての血が滾るのう」
ご老人がほけほけと笑う。
ギルド長はいまいち納得がいかない顔をしつつ、けれどもその提案に異議を唱えることはしなかった。
たぶん、雰囲気的に断れないやつだこれ。
やりたくない、と大きく顔に描きながらも、カルロが即座に断らない立ち去らないのがなによりの事実。
体を伸ばし、労いの意味も込めて背中をぺしぺしと叩いた。
「励ましてくれるのはありがたいが、その間、おまえはどうするつもりだ、ニクス」
(あ)
そこまで考えていなかった。
腕を組んで頭を傾けたとき、どかん、と破壊音が建物内に響き渡った。




