第50話
「帰るのだ、勝手に動いたら兄に怒られるのだ、リクハが!」
「知らぬ。我は見つけねばならない」
「伝えたら兄もわかってくれるのだ、だから先走らず、帰るのだ」
腕を掴んで両手足を突っ張るリクハをものともせず、人型ドラゴンはずんずんと街の中を進んでいく。
大通りからはずれ、薄暗い路地に入り込んだ。
カルロから、どの街でも裏路地は危ないから近づくな入るな、と散々受けた注意を思い出したリクハの顔面から血の気が引いていく。
「ダメなのだ、本当にダメなのだ。兄がダメって言ってたものは本当にダメなのだ。怒ると怖いのだ」
「くどい。未熟者だけ先に帰るがよい」
無造作に腕を振り払い、ドラゴンは振り返ることなく歩みを進める。
地面に倒れ込んだリクハは、虎視眈々と様子を窺う視線を受けて慌てて立ち上がった。
「こんなところにリクハを捨て置かないでほしいのだ老輩の薄情者っ」
遠のく背中を追いかけて再び腕を握ったリクハは、ほっと安堵の息を吐き出した。
「どこへ向かっているのだ」
「知らん」
「老輩、迷子なのだ?」
「誰ががあるだけのこと」
凍てつくほど恐ろしい声音で告げられた内容に、リクハは言葉を失った。
大事なものを失った。その苦しみや寂しさには覚えがある。
鼻が曲がるような腐敗臭が鼻をつく。
苦しげに顔を歪めたリクハは、ぽつりと尋ねた。
「混ざっても、区別はつくものなのだ?」
「お互いに強い繋がりがあれば僅かでも感じ取れる。おおかた、大姫の元にいる、体を失ったあの若輩たちのことであろう」
「そうなのだ」
ふたりがニクスのそばにいない理由はただ一つ。
見つかって、呪具の材料にされたからに他ならない。
以前からそういう話はあった。被害が拡大しているとも。
神の力が薄まり魔が拡大する中で行われた神獣の乱獲と、その血肉などを利用して作られた呪具。その犠牲にあの二人もなってしまった。
恐らく、彼らの末期をニクスは知っている。
リクハは唇を噛み締めた。
「だからこそリクハは赦されないのだ。あの時、大姫ではなく兄のそばにいることにしたから、リクハは踏み入ることを許してはくれなくて、……リクハを赦しはしないのだ」
人型ドラゴンはなにも言わなかった。
リクハはカルロには言えない弱音を吐き出したことで、少しばかり肩の荷が下りたような顔で微笑した。
「だから、リクハは見つけるのだ。鱗でも、甲羅の欠片でも、魂が大姫の元にあるのなら、核となるものさえあれば、具象化できるはずなのだ」
「神の子と心を通わせねばできぬ芸当、過去にも数えるほどしか居らぬ偉業か。大言を、と言いたいところだが、歪なほどに大姫が慕う若輩ならば、できるであろうな」
「老輩のお墨付きなら、大丈夫なのだ。二人が、ニクスが呑まれる前に、見つけ出すのだ」
リクハは仰々しく、自らに言い聞かせるように頷いた。
「でもそれとこれとは別なのだ。リクハも気になるけど、今は兄の所に」
「ここだな」
「にぎゃっ⁉」
人型ドラゴンは歩みを止めた。
それに反応しきれず、真正面から衝突したリクハは顔を片手で押さえて悶える。
もう片方の手で彼の服を掴み、リクハは周囲を気にしつつ懇願した。
「老輩、ほんとうにだめなのだ、こんなところで問題を起こしたら」
「見つけた……!」
空から聞こえた声に、リクハはぎくりと肩を揺らした。
人型ドラゴンは隠そうともせず舌打ちをする。
「思いのほか効かぬようだな」
「やっぱりなにかしてやがったな。勝手にちょろちょろするなって言っただろう」
「言われはしたが、我は承諾しておらぬ。するつもりもない」
「街からたたき出すぞ」
「その時は全てを灰燼に帰すだけのこと。あの時のように」
にらみ合う両者の間で、リクハは右往左往する。
(あとらくしょんきらい……)
ニクスの弱々しい訴えが響く。
カルロの腕の中でぐったりしているニクスにリクハは橙色の瞳を大きく見開いた。
「ニクス、気分が悪いのだ? 外に出たからなのだ? 老輩がごめんなのだ!」
リクハの叫びに、一旦怒りを収めたカルロは片腕で抱えていたニクスの顔をのぞき込んだ。
「うわ、さっきより顔色が悪いな。熱はないみたいだが」
(…………よった…………きもちわる……)
「よった……酔った? お酒でも飲んだのだ?」
「成人してないやつに飲ませるか。もしかして、屋根伝いの移動で気分が悪くなったのか?」
ニクスが力なく首を縦に振った。
喉の奥を震わせて、彼女はゆっくりと息を吐く。
そして、どこ吹く風のドラゴンに視線を向けて目をすがめた。
(とりあえず、そこのドラゴンさん。その顔で、その姿で、人の道徳に反することしたら赦さないから。貴方の感情や動機はそれはそれでいいとして、私の推しを穢すな元の姿になおれってねぐらに帰りやがれくださいすかぽんたん)
その警告に、ドラゴンは渋い顔をした。変哲のない廃屋を気にしていた彼は、しばらくニクスを見つめると諦めたように肩を落とした。
意味のわからない罵倒にリクハは首を傾け、けれどもひとまずは大人しくなった老輩に安堵の息をこぼす。
「老輩の負けなのだ」
「致し方ない。大姫がそういうならば、」
「一回、帰るぞ」
カルロが振り返りざまに、鋭い視線で周囲を見渡した。
僅かに空気が張り詰めた。視線を追いかけたリクハは、建物の陰に隠れる人影を認め、僅かに顔を強ばらせた。
老輩を見上げると、驚いた様子もなく飄々としている。
カルロを追いかけるように歩いていたリクハは、小走りでカルロの隣に並び、その指先を握りしめた。
ふっと、小さく笑う気配がする。
しっかりと繋がれた手に、リクハは頬を緩ませた。
宿に戻り、気分不良からも回復したアンジェリカは、至極真面目な顔でドラゴンの前に紙を掲げた。
『そういう訳ですのでドラゴンさん。大変もうしわけないのですが、その姿でその顔で貴方の思うようにあれこれされると推しの解釈違いが酷くて私が落ち着かなくなるので、姿にこだわりがないのであればスタイルチェンジを希望します』
「……随分と注文の多い。我の姿は大姫の"形"を模したものだというのに」
『だからこそです』
現在、カルロとリクハは台所で調理中である。なにやらリクハが甘えたがりを発揮しているらしく、少々結構かなりカルロが羨ましくはある。しかし、それはカルロの特権なのでアンジェリカはドラゴンの監視役にいそしんでいた。
『ドラゴンさん性別どちらがいいです? 男性? 女性?』
「……我は雌であるが、人の姿にこだわりはない」
『あと、人の姿を取りたいのならば、仮でもあだ名でも呼び名があれば都合が良いと思うのですが、なんと呼べば良いですか』
「我ら神獣に個別の名はない」
知っている。知っているけれども、リクハが老輩と呼ぶ以上長命であることは明白。過去に出会った者に呼ばれた名前があり、ある程度の愛着やこだわりがあってもおかしくないと思っていたのだが違うらしい。
「必要と言うならば大姫が授けよ。受けてやる」
尊大な態度に、アンジェリカの心がしん、と静まりかえった。
形にならない蟠りを遠くの彼方に放り投げ、ひとつ深呼吸をする。
リクハたちの名は雪から取った。
それは雪のようで綺麗だと思ったから。でも彼らと同じ扱いをするのは癪である。だからといって変な名前を付けるのは矜持が許さない。そうするとなにを由来としようか考えがまとまらない。
『ちょっと保留で。考えておきます』
「そうか」
先に姿を考えるべく、アンジェリカは紙を見つめた。
(推しの姿が由来とはいえ、今更路線変更はきつい。このまま褐色美女でも作る……? ありだな、褐色美女。え、どうしよう。妖艶系と天真爛漫系とクール系……)
空白に思うがままにインクを滑らせる。
髪の色はそのまま深紅で、瞳の金色もそのままだけど、つり目がちがいい。
かわいらしさよりは凜々しい顔立ちがいいし、闊達よりはクール系が好み。妖艶さはあまり重視していないからほどほどスタイルで良いけども、すらっと伸びる手足は美味しいので、是非衣装は見苦しくない程度に露出はしてほしい。
あれが良いなこれがいいなと絵に描き落とし、数時間。
ざっくり描きあげた暫定完成版をきらきらと見つめ、アンジェリカは口元を綻ばせた。
「ニクスにそんな特技があったとはなあ」
しみじみとした声にアンジェリカはびくりと肩を揺らした。
絵を隠すように胸元に抱きしめて勢いよく振り返り、首を仰け反らせる。
カルロだけではなく、リクハもいるとは思わなくて、絵を抱えながら僅かに後退った。
「悪い、勝手に覗き見て」
「老輩だけずるいのだ、老輩だけずるいのだっ! リクハも描いてほしいのだ!」
躙り寄るリクハの襟首を捕まえて、カルロは彼を抱え上げた。
「羨ましいのはわかったが、そのまえにまず言うことがあるだろう」
「う……勝手に見てごめんなさいなのだ」
二人からの謝罪に、アンジェリカは緩慢に首を横に振った。
「大姫よ、これで問題ないか」
悠々とした態度で声をかけられ、アンジェリカはぐるりと首を回した。
性癖の具現その者に、両手で視界を覆い隠す。
(性癖つめこんだらこうなるってわかってたのに、同じことやった……!)
前後左右に体を揺らして、アンジェリカは静かに悶え苦しむ。
(クールビューティ系褐色長髪美女が美味しいです)
「それは、どういう意味だ」
低くなったドラゴンの声音にアンジェリカは顔をあげた。理由がわからないと言った顔で盛んに目を瞬く。
「どうした?」
カルロが訝しげに問いかける。
助けを求めるように視線を送った先で、リクハも同様に顔を強ばらせている。
(えぇ……?)
首を傾けながらドラゴンの言葉を自分の中で噛み砕き、迷いながら思いを綴った。
『目の保養と心の栄養が過剰すぎてしんどいものはあるけど、それはそれとして栄養摂取できて精神が生き存えている感じですかね……?』
問いに対する回答になっているかは甚だ疑問ではあるが、それ以上言えることはない。
冷ややかな顔で文字を見つめていたドラゴンは、やがて深々とため息を吐き出した。
「大姫は我らの感性で測ってはならぬことは理解した」
(え……と、…………)
縋るように、紙で顔の半分を隠しながら二人を振り返る。
視線が文字を追いかけるに従い、彼らの表情が得も言われぬものへ変わっていく。
「…………なにを言ってたのかはわかんねえけど、まあ、ニクスがそれでいいならいいんじゃないか?」
無言でリクハが首を縦に振る。
文章を読み返して、アンジェリカは首を捻った。
(どこの言葉選びを間違ったんだろう)
あるいは間違えてはないのかも知れないが、それが理解できる範囲になかったか。それが大きな理由かも知れない。
「よし、飯を食うか。温めるからニクスも仕度をするんだぞ」
その一言にアンジェリカは意識を切り替え、がっくんと首を縦に振った。




