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第46話

 目覚めたら空になっていた皿に、小さく口元を緩めた。

 そしてちまちまとおにぎりを囓りながら過ごすこと三日。

 カルロとリクハが帰ってきた。


「ただいまなーのだっ!」

「戻ったぞ」


 ドラゴンによりかかりぼーっとしていたアンジェリカ(ニクス)はぱっと跳んで起きた。

 元気そうな二人の顔に安堵を覚える。


 カルロの足が止まった。

 たたた、と駆け出し両手を広げて抱きついてきたリクハを受け止めて、アンジェリカ(ニクス)は背中をとんとんと叩く。


 リクハが可愛い。


「ニクスも可愛いのだ」


 一瞬、心臓が止まりかけた。

 追撃するかのように更に可愛い可愛いと愛でられて、アンジェリカは恥ずかしさのあまり、リクハの両肩を掴んで引き剥がした。


(昇天するかと思った……)

「仲いいな、お前ら」


 恐怖心を抱かない程度の距離で立ち止まったカルロが視線を合わせるように片膝をついた。

 鞄に手を掛けたカルロが再び動きを止める。


「その腕飾りはどうしたんだ?」


 さあ、とアンジェリカ(ニクス)は首を傾ける。

 左腕にくくりつけられた、細い白銀の腕輪。寝る前はなかったものだ。

 犯人はドラゴンさんしかいないのだが、しかしそれについてドラゴンから言及してくる事はなかった。寝る前にやると言われた記憶もない。

 けれども、疑問形ながらも感謝の意を込めておにぎりをもう一個分けた。

 興味なさそうな顔をしながら、ぱくりと食する姿は可愛かった。


「供え物の礼だ」


 端的に、ドラゴンが返答する。

 やはりそうだったのか、と納得して、アンジェリカ(ニクス)は改めて頭を下げた。


「お供え物、なのだ?」

「意外と仲良くしてたんだな」


 カルロの感想に傾げた首を反対に傾けた。

 だが、まあ、仲良くという認識も完全に間違っているとも言えないのかもしれない。


「そうだ。ニクス、料理はなにが残ってるのだ?」


 リクハの問いに首を横に振った。

 橙色の瞳が、ぱちぱちと瞬く。首がぐるりと廻った。

 リクハの視線を追ってカルロを見たアンジェリカは、同じくきょとんとしているカルロに、きょとんとする。


「……まさかとは思うが、残って、ない、のか?」


 動揺を隠せていない問いに、アンジェリカは首を縦に振った。


「残ってないのだ?」


 同じく確認してくるリクハに、もう一度首を大きく縦に動かした。

 再び顔を見合わせたカルロとリクハが同時にアンジェリカ(ニクス)をかえり見た。

 リクハが再び抱きついてくる。なにかを確かめるように力を入れては抜く、とうい動作を繰り返す。

 食べられそうにない量を用意したと話していたので、二人の驚きようは至極当然のことである。なされるがままになっているアンジェリカからそっと離れたリクハは自分の手を見下ろした。


「ニクスがちょっと柔らかくなったのだ⁉」


 遅れて声を上げたリクハの両手がアンジェリカの頬を包み込む。

 皮だけだった頬を摘まんで、そこにある僅かな肉の厚みに、橙色の瞳がきらきらと輝く。


「兄、食べたのだ。ニクスが食事を全部食べたのだ!」


 歓喜の声が上がる。

 

「食べはしたが、味がせんとぼやいておった」

「――え?」


 一瞬にして、アンジェリカの心が凪いだ。

 聞かれていた、と思ったがそういえば神獣はある程度の思考や感情は読み取れるんだった。

 今までリクハにばれなかったことが奇跡。だが、いつかはばれるもの。


 ほんとうに余計な事をしてくれた。知ったところでどうにでもなるものではないのに。


「味さえあればとぐだぐだ垂れ流される思考に嫌気が差しておった腹いせよ」


 腹いせか。そうか。円滑に回そうとしている対人関係にひび入れやがって。効果的な場面で的確に抉ってくる辺り、性根が悪い。

 本当にいろんな神獣がいるんだな、とドラゴンを凝視する。


「ニクス」


 遠慮がちに声がかけられた。困惑したような、探るようなカルロの視線にばつが悪くなり背中を向けた。

 言ったところで治るものではないし、食べたいなと思うことはあっても、基本的に食事は栄養摂取だ。お腹に収まってしまえば糧にできる。


 お腹を抱えるように自分の腕を組み、唇を引き結んだ。


「……あぁそうか……。すまない、気づいてやれなくて」

「リクハも、ごめんなさいなのだ」


 ああほら、気を遣わせた。気を遣わせてしまった。

 違うのだ。二人に謝って欲しいわけではない。気づいて欲しかったわけでもない。

 ただ、自ら不要と捨て去ったもの惜しんでいただけだ。後悔はしていない。


 久しぶりに筆談の道具を取り出した。

 感情のままに書き連ねそうになるのを押さえ込み、ゆっくりと一回、深呼吸する。


『謝罪は不要です。料理の味を感じられないことは惜しいと思いつづけるでしょうが、だからといってお二人に伝えるつもりはありませんでした』

「……それは、信用がないからか?」

『いいえ』


 否定の言葉だけ書いて、ニクスは考え込む。

 伝えるつもりはなかった。気を遣わせてしまうという懸念は確かにあったが、それだけではない。


『たぶん、楽しそうにしてるお二人を見てるのが、楽しかった? から、味を感じられないことは惜しくても、羨ましいとか、治したいとか、ほとんど考えたことない、かもしれない? です』


 味覚を持ったままあの頃を乗り越えられるのかわからないが、恐らく無理だろう。そしてわかっていながら"今"を選ぶ。

 なにせ味がわからなくても体が拒絶反応を起こすくらいだ。さらにろくでもない未来になるだろうことは想像にたやすい。


 だから、保守的な自分はなにかと理由をつけて同じ選択をする。知らぬ地獄なら、知っている地獄を選ぶ。


「……そうか。他に、変わったことはあるか?」


 その問いに、アンジェリカは再び考え込んだ。

 視力は半分になったが、もともと目が良かったから大して苦労はない。

 痛覚に関しては、怪我で痛いのを更に無理に動かされて死にかけたから生きるために少しずつ閾値を上げた。回数を重ねるうちにかなりやばいことになってるけど、まあいい。

 味覚に関しても同様。

 あと変わったことと言えば。


『性格や価値観でしょうか』


 勿論、よろしくない方向への変化だ。悪化ともいう。

 カルロやリクハに対してはまだ丸い自覚はあるが、赤の他人に対しては底辺に落ちた。もっとも、その前に拒絶反応で最悪ぶっ倒れるのを繰り返しているから、それが日の目を浴びる日はまだ遠い。


 難しい顔をしているカルロに、ニクスは紙面を見た。特に変なことを書いたつもりはないのだが。


 カルロの後方で沈痛な面持ちでいたリクハが静かにドラゴンに近づく。

 なにかを話しているようだが、ここまで声は聞こえない。


「……………………うん、その変わったことでニクスはこれが難しいなとか、もっとこうだったらいいのに、とか、あったりするか?」

『今のところ困ってないです』

「………………………………………………………………うん。まあ、なんだ。ないならいいんだ。あと、この一ヶ月で困ったことはなかったか?」


 少し寒いかなというのはあったが、凍える程ではなかった。

 大きな風よけもあってなんとかなっているのもあり、困っているということはない。


『大丈夫です』

「わかった。こうして欲しい、こうしたい、というのがあったら言ってくれ」


 立ち上がって彼の手の届く範囲で再びカルロは膝をついた。大きな手が頭をくしゃくしゃと撫でまわす。


 無にした心がぞわぞわじくじくといったような奇妙な感覚に襲われる。

 快とは言えないその感覚をもぎって奥底に放り投げた。


「ニクスにお土産があるんだ」


 話を変えるように、カルロが鞄を広げた。

 そこから取り出されたいくつかのものを眺める。


「家の中でもできそうなものを買ってみたんだ。ニクスはどういうのが好きなんだ?」


 広げられた沢山のお土産におののいた。

 繕い物ができそうな一式(高品質)はわかる。本もわかったことにしよう。

 ただ、宝石や装飾品の数々はなんですか?

 明らかに一人の量じゃないっていう衣装セットはなんですか?

 色とりどりのインクやペン一式に大量の紙って、いやそれは心惹かれますけど。


(なにしてるんですかこの人?)

「装飾品としてのよしあしはよくわからないんだが、これなんかおすすめだ」


 カルロが手にした石をじっと見つめた。

 ほのかに発光する宝石は、角度を変えるとその表情を変える。

 意匠はいたって素朴であるが、宝石そのものが質のいいものであるからこそ、引き立て役に徹している。

 首飾りを手にしたカルロが首の後ろに手を回した。


 三拍後。なにをされるか理解したがすでに時遅し。


「この石はオパルスっていうすごく脆い石なんだが、付与魔法との相性が良くてな。防御魔法が一回っていう所、これは三回はもつ優れものだ」

(まって? まって、これ絶対桁違うやつだよね? まって!?)


 首に掛かっている桁のわからないそれに緊張を強いられるなかで、カルロが満足そうに笑った。


「リクハとお揃いだぞ」

(ごちそうさまです。……ではなくて!!)


 胸元を見下ろして、アンジェリカは助けを求めるようにリクハを探した。

 視線を受けて、リクハが胸元の装飾品を取り出して両手を大きく伸ばし、掲げる。


 お揃いなのだ、と幻聴が聞こえた。


(あ、だめだこれ。いつからカルロはこんな浪費家になったんですか!?)


 あれですか、昔我慢してた反動ですね、そうですね、わかりみしかない。

 それだけ稼いでるし生活苦はなさそうで本人がよければいいんです。いいんですけど、できれば貢ぐようなことはやめてくださいお願いします。ほんと心の底からごめんなさい。


「っ、ニクス、顔をあげてくれ。俺はお前にそんなことをして欲しいんじゃない」


 焦燥を帯びたカルロの声に首を横に振って、アンジェリカは額を地面につける。


(大変申し訳ございませんでした)

「ニクス」


 肩を持ち上げられた。抗うことなく体を起こしたアンジェリカは両頬を包まれて、目の前にあるカルロの端正な顔を凝視させられた。


「過去にお前がそうすることを躾けられたのだとしても、それは二度とやるな」


 いつになく真剣な顔に戸惑いを覚え、頬を包まれたまま、僅かに首を傾ける。

 カルロの顔に苦いものが滲んだ。

 両手を下ろしたカルロが、言いにくそうに口を開いた。


「少なくともこの大陸では共通なんだが、あれの意味は"首を捧げる"だ。刑が執行される罪人しかしない。他にも、今はないが過去に人の売買が行われていて、それを奴隷というのだが、その奴隷にさせていたものだ。この場合、"心身を捧げる"という意味になり、ようは隷属の証だ。どちらにしても、お前がしていいものじゃない」


 想像以上に重い話について行けず、アンジェリカは盛んに目を目を瞬かせた。

 目を上に向けて、カルロの発言を反芻して纏める。

 罪人か過去に存在した奴隷だけがする姿勢。それが土下座。


(……………………人権がなかったのは今更だな)


 土下座そのものがそういう扱いだろうとあまり驚かない。

 あそこはそういう場所で、相応の態度でなければ殺されかねなかった。

 ただ、命ぜられた態度がそれで、それでしか守れなかったのだから致し方ないこと。


 郷に入りては郷に従え。場所が変わったならば、それ相応の態度が必要。

 だが、この場合の態度とはどうすればいいのだろう。カルロに必要以上の出費をさせてしまっているのは事実であるので、きちんと誠意は示さなければならない。 


「先ほどからやかましくて叶わん。いい加減だまりや」


 ドラゴンの苦言が真面目な空気をぶった切った。


「うるさくしていることは謝る。だが、良い機会だからこれはきちんと教えておかないと」

「その娘は己の扱いを理解しておるがそこは気にしておらぬ。大姫が恐れているのは剣の子が費やした金額についてよ。そのことしか頭にないわ」

「――は?」


 カルロの反応に、アンジェリカは目を瞬かせた。

 使い切れそうにないお土産を積み上げられれば、小心者なら気にしそうなことなのだが。


 そこまで考えて、思考を切り替えた。

 もしも自分がカルロの立場にあったならば。費用は二の次だな。まずは扱いに衝撃を受けてないか案じる。そこの差か。理解。


 さて、理解したところで目の前の山をどうしようか。受け取るのは恐ろしくもあるが、受け取らなかったものがどうなるか考えると、それはそれで胃が痛い。


『お土産たくさんありがとうございます。しばらくお土産はお腹いっぱいです』

「……そうか」


 気落ちするカルロに罪悪感が心に広がる。

 それでも、貢がれるのはちょっと無理でした。貢ぐのはいいけど。


 手前にあるインクの小瓶をとって目の前にかざす。

 蓋を開けてペン先を浸け、試し書きをしてみた。ひとつひとつ実際の色を見比べ、その中で好きな色上位三つを抽出する。

 それは大事に使おうと心に決め、インクを鞄に収めた。


 ペンもお気に入りを作り、本は気になる題名順に並び替えて片づける。

 残った衣装はすべてお出かけ用として、装飾品は気に入ったかそうでないかでざっくり分けて収納を完了する。






 半月後、リクハを伴いカルロは再び山を下りた。

 色々と済ませてしまわなければならない手続きがあるらしい。

 詳しいことは聞いていない。


 二人を見送り暇を持て余していたアンジェリカは鞄のなかからおやつを取り出した。

 なんで思い至ったのかはまったく覚えていないが、試行錯誤の上につい先日完成した携帯食料、兵糧丸もどきである。

 蒸し台もどき作りカルロ、お試し作成私、最終調整リクハの合作だ。


(本でも読もう)


 口に入れた兵糧丸もどきを飲み込んだアンジェリカは手を綺麗に拭いて、鞄の中から本を一冊取り出した。

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