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第45話

 洞窟の中。少し拓けた空間に大きな白い竜が横たわっている。

 その足元でアンジェリカ(ニクス)は布にくるまったまま転がっていた。

 カルロとリクハは現在お出かけ中だ。


 なにも言わずに居なくなったら大騒動になるらしい。そのため、ちゃんと他国へ移る手続きをしに行っている。

 リクハはお留守番を言いつけられたが、当の本人が行くと言って譲らず、結局アンジェリカ一人でお留守番中を始めて一ヶ月が経とうとしている。


 リクハが作り置きをしてくれていたが、食べて寝るという日々を繰り返しているうちに空になってしまった。

 普段ならば食べ切れなかっただろう。初めのうちは神獣とはいえ竜と二人きりというのに緊張を強いられ、なにも食べない日もあった。

 だが、ひたすら眠っている竜に警戒し続けるのは無駄な労力。そう気づいてからは、お互い空気のような存在で過ごしている。

 もっとも、カルロからお目付役を言いつかっているために、洞窟外に出ようとすると監視の目はつくのだが。それでも、なにもしなければまったくと言っていいほど干渉してこないため、居心地が良い。


 だからこそ、割り切ってからはいつもより食べられたのはあるだろう。


(……なんか、作ろうかな)


 誰が作ろうと味なんぞわかるはずもない。

 食べたところで美味しくもなんともない。

 けれど、食べなければいずれ飢え死にする。


 あの頃はそれでもいいと思っていた。

 無理矢理食べさせられたとしても、味さえわからなければ、ある程度は乗り切れた。――そうでなくとも、毒に中っておわればいいとさえ思っていた。


 現実は残酷だ。けれども同時に、悲しいほどの優しさを見せる。


(なんか、長持ちするいいものないかな。乾物、干物、塩漬け。うーん)


 できればある程度栄養摂取できるものがいい。

 某栄養調整食品みたいなやつ。

 まったく良い案が思い浮かばず、鞄の中を覗いて、閉じた。


(切るのめんどくさ。米を炊くのめんどくさ。ほぼすべてがめんどくさい)


 鞄の口を開いて閉じて、しばらくうとうとして、起きたらまた鞄を開いて閉じて。

 もう一眠りして起きた頃、アンジェリカはようやく重い腰を上げ、気がついた。


(火……)


 なにをするにしても、一人では火の調整ができない。

 ただでさえ底辺に近いやる気が奈落の底へ落ちる。


(いいや、適当に木の実でもあさって)

「大姫。火の調整ならば我が為そう」

(へ)

「剣の子はともかく、大姫を餓死させたとなればあの牛に言われるかと腹が立ってならん」

(あ、はい。ありがとうございます)


 カルロはいいんだ。再三念を押ししてたけど、いいんだ。

 それよりも牛の神獣のほうが苦手らしい。わからないでもない。

 あれについて行けるのは私には無理だった。楽しさよりも精神的負担が大きい。


 改めて食材を見つめてアンジェリカは腕を組んだ。

 食材は知っているものと同じと仮定してもだ。なにを作ろうと栄養補給とお腹を満たせればそれでいい。


 皮を剥いて乱切りにして適当に鍋に投げ入れる。

 根菜・葉物野菜関係なく全て入れて水に浸し、ドラゴンに火を熾して貰って火にかける。


 沸騰するまでの間に米をといで水に浸しておく。鍋が沸騰したら火を弱めて貰い、適当に調味料を投入。そこから更にことこと煮込む。

 鍋と米の鍋を入れ替え、アンジェリカはごった煮を器によそった。


 リクハが作ったものならばまだしも、味見もなにもしていない自分が作ったものをさすがに誰かに与える訳にはいかない。

 あの時、牛の神獣にもあげることをよしとしたのは、米は炊くだけだし、肉と野菜の醤油もどきの炒め物も複雑な味付けではないこと、そしてカルロの助けがあったからだ。

 味の保証がまったくできないものは自分のお腹に収めるに限る。


 煮物でお腹が膨れた頃、米がようやく炊けた。

 一口二口炊きたてのご飯を口に入れる。今回は少し粘り気が強い。

 皿を取り出した。両手を綺麗に洗い、塩を手のひらにつけ、炊きたてのご飯を握る。


(あっつ、あっつい!!)


 わたわたと慌てふためきながら、ご飯を落とさないように握る。そして、皿に並べていく。

 炊いたご飯を三個ほど形にしたところで、アンジェリカはドラゴンの顔の前に皿を置いた。


「基本的に神獣は食さぬ」

(ならただのお供えです。手伝ってくれてありがとうございました。食べたければどうぞお召し上がりください)


 片付けをして、ニクスは布にくるまり横たわった。

 先ほどまで元気だったはずなのに、体が重い。

 腹は満たされたものの、普段はしないことをして疲労がひどいのか、あるいは思っているよりも精神面も回復していないのか。


 どちらにしても体が休養を欲している。ニクスは瞼を閉ざした。








 響いていた寝息がぴたりと留まる。

 布がこすれる音に耳を澄ませ、気配を探るドラゴンの体に手が触れた。

 体内を蝕んでいた魔が呼応するかのように蠢いた。

 苦痛に喉の奥を鳴らし、体に触れている少女を睨みつけた直後、体から魔が抜けた。


「なにをした、小娘。――いや、汝は」


 魔を纏い、自在に操った彼女はなにかを掴むように手を握った。

 纏わり付いていた魔が霧散する。


「大姫、ではないな。ならば貴様こそ父の子か。よもや魔に染まっていようとは」


 口を開いた彼女は、けれども発声ができず嘆息した。

 喉を押さえてしばし瞑目した少女が再び口を開いた。


「きちんと話せているかしら。あの子の知識を元に、声を模してみたのだけど」

「なるほど。喉を魔法で強制的に震わせておるのか。だが、長くは持たぬようだな」

「ええ、そうね。全てを掌握仕切れている訳ではないし、それに……いいえ、時間の無駄だわ」


 彼女は首を一つ振りかぶると、その瞳に鋭い光を宿した。


「私の知る未来では、牛の神獣はあの街とともに滅ぶはずだった」

「なに?」

「剣の子も叡智の子も幽明の子も、ずっと昔に命を落とすはずだった」

「なにがいいたい、父の子よ」


 ドラゴンは目をすがめた。

 その視線を受けても、少女は怯むことなく笑みを浮かべる。闇に属する類のそれとにらみ合い、しびれを切らしたようにドラゴンは唸った。


「簡単に我を動かせると思うなよ、小娘」

「――私はね、終わらない繰り返しに、変えられても救いのない未来に絶望して、自ら魔に堕ちたわ。でも、そのときにこの子が来た」


 どうして流れ着いたのか知らない。よく似た魂で、けれども違う世界の誰か。魔王としての覚醒を終える前に入り込んだその魂は、肉体の反発を受けることなく定着した。その後、加護という形で寵愛を示すほど"父なる神"の関心を買ったようだが、それを含めても特異的存在と言える。


「伴侶を殺した人間への復讐のために自ら神獣の位を下りた貴方に、この子はどう見える?」

「わけのわからぬ小娘よ。なにゆえこのようなやつを父がお気に召したのかさえ理解できぬ」

「そうね、私にもわからない。でもこの子は成し遂げた。私にはできなかった未来をこの子は掴み取っている。けれども、それをあれが黙認し続けるはずがない。運命はあの女狐の望むそこへと収束するでしょう」

「それは父なる神を裏切ったウトゥを言っているのか」

「さあ。でも魔王を倒せるのが神の子だけだというのが真実ならば、自らをヒロインと称し預言者の如く立ち居振る舞い周囲の者を虜にする彼女もまた神の子ではないか、そう疑っているわ」

「愛の子はいるだけで無差別に周囲の者を魅了する、その力は健在であるようだな」


 ドラゴンの言葉に、彼女は納得するように頷いた。


「そのようね。……ずっと、考えていたわ。奥底に追いやられて彼女の自我を拒絶しながら、どうして私は魔王になりきれずに存在し続けているのか。どうしてだとおもう?」

「知らぬ」


 一抹の興味もない素気ない返答。それでも満足したように彼女は笑った。


「魔王は魔王らしく裏で糸を引いて女狐の企みを全て覆す。そのために、貴方の力が欲しい」

「断る」


 間髪入れない拒否。ドラゴンは目を閉ざした。


「あら、いいの? この子、このままじゃあの女狐の狡猾さに殺されるわね。そして最後の父なる神の巫を失ったこの世界は、やがて神に見放された世界として緩やかに荒廃する」

「愚かさに気づけず、神の御許にかえることもできず、滅び行く姿を見届けるのもまた一興」


 喉を鳴らして笑うドラゴンに、彼女は首を傾けた。


「その結果が、神の消滅によってもたらされるものだとしても?」

「――神は、神だ。消滅などたわけたことを抜かすな」

「事実よ。この子の加護の力が少しずつ弱まっているもの」


 加護の強さは神格そのもの、そして神が与える強さによって変化する。

 失われるのは加護を与えられた者が死んだときか、神が剥奪したとき。だが、神が消滅すれば消えるのもまた道理。


「馬鹿な。到底信じられるものではない」

「終わらない繰り返しに、変えられても救いのない未来を見た、いいえ、経験したわ。ねえ、何度も時間を遡ることって、神といえども対価なしにできるのかしら」


 その問いに、ドラゴンは沈黙した。

 物事には規則が存在する。時間を遡ること、それは規則に則しているか否かと言えば、反していると言えよう。


「それに滅んだらあなたも困るのではなくて?」

「戯言を」

「だって、まだ残っているでしょう。利用されればされるほど、神獣としての格を失い神の御許には還れない。そうなる前に回収しきらなければならない」

「知った口を利くな」


 牙を剥いて唸るドラゴンに少女は笑いかけた。


「全五十三箇所。私が把握している、神獣の血肉をもとに作られた呪具が眠る場所よ」

「……我になにをせよと」

「教えて欲しいの。もしも彼女が耐えきれなくて、この体が魔に染まることがあったなら。完全に飲み込まれる前に、肉体を利用されることがないように、消す術を」

「今の貴様には扱いきれるほどの力はない」

「あるでしょう、ここに、私自身が」


 ドラゴンはうっすらと目を開けた。

 そこには、覚悟を決めた強い眼差しを持つ娘がいた。その強い目にどうしてか知っている面差しが重なり、ドラゴンは忌々しげに口を開いた。


「たわけが」

「一石二鳥でしょう。魔は受肉する体を失い、そして依り代としていた父の子である私の魂が居なくなれば魔は一所に留まりきれず、拡散する」


 彼女の魂が消滅したとしても、魔は肉体という器がある限りそこに留まり、彼女がいる限り魔は彼女を依り代としようとするだろう。だが、それは困難を極める。

 依り代とするには、契約に絡め取られている彼女を解放したうえで、守り手となっている神獣たちの意志を排除しなければならない。


「うじうじぐじぐじしている姿は本当に癪に障りましたし、自らを省みない行為の数々には張り倒したくもなりましたが、まさかそれさえもあの子自身を守る防波堤になるなんて、ほんとうになんなんですの、この子」

「知らぬ。――一度しか言わぬぞ」

「感謝致します」


 五十三箇所の情報を対価に教えた魔法を無事に発動した彼女を、ドラゴンは見届けた。

 再び静寂が落ちた空間で、得も言われぬ不快感にドラゴンは鼻を鳴らす。


「たわけ」


 自らを省みないのは、彼女とて同じ。

 そして、自分を庇い人の手に落ちた伴侶とも。


「我の周りにはうつけ者しかおらぬのか」


 吐き捨てて、眠りにつこうとしたドラゴンは、するりと姿を縮小した。

 目の前の更に置かれている握り飯にかぶりついて、眉間にしわを寄せる。


「………………塩辛くて叶わん」


 再び口を開いたドラゴンの口に、滑り堕ちた雫が滴り落ちた。

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