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第42話

 魔獣の雄叫びが轟き、誰かのうめき声があちらこちらから聞こえる。

 アンジェリカ(ニクス)は視線だけを横に滑らせ、視界の端に見えた瓦礫にひくりと息を詰めた。


 庇うように覆い被さっていたカルロが起き上がる。

 肘をついて状態を起こしたアンジェリカは、後方を険しい表情で振り返る彼の外套をがしりと掴んだ。

 腕にくん、と負荷がかかる。


「どうした?」

「ニクス、大丈夫なのだ」


 訝しむカルロの横で、同じく起き上がったリクハの手が頭を往復した。


「大丈夫なのだ。怖くない、怖くないのだ」


 傍らに膝をついたカルロの手が脇の下に差し込まれ、抱え起こされる。

 すとんと地面に足をついてアンジェリカは両手で服を握りしめ、視線を落とした。


 わかっている。あの時とは違う。

 それにも関わらず、そうあるべきと刻み込まれたかのように体が熱を失っていく。


「ニクス。ちゃんと帰ってくるから、な?」


 安心させるようにカルロが声を駆けるけれども、それで心が晴れることはない。

 だが、これ以上、彼を足止めさせるわけにも行かず、ぎごちないながらも首を縦に動かす。


「ニクス、リクハと一緒に行くのだ」


 横から差し伸べられた手の先に、少しだけ指先を乗せた。

 足が重い。しっかりと握られた引かれるそれに逆らうことなく、引きずるように足を動かす。


「……ニクス!」


 足を留めて振り返る。思っていたよりも近くにあったカルロの姿に軽く仰け反る。

 片膝をついた彼から首になにかをかけられた。


「持っててくれ。……大事な、ものだから」


 言うやいなや、カルロは立ち上がり外套を翻した。

 目を瞬き、首からかけられた物を手に取って、目を見開いた。


「ニクス、はやく行くのだ」 


 再びリクハに手を引かれながらアンジェリカは走る。

 先ほどよりも足どりはずっと軽い。抱いていた怯えは解け、かわりにどうしようもないほどの情動が心を揺さぶる。

 視界がにじみ、頬を熱く濡れた。


(ばかじゃないの……⁉)


 声があれば口をついて出ていたであろう罵倒は、リクハにしか届かない。

 それでいい。カルロは知らなくていい。


 どうしようもない絶望の行き場として、彼を恨んだ。

 手厚く保護をしてくれることをありがたく思う反面、どうして今更、という怒りが拭えないでいた。

 嫌いになりたかった。嫌いになれればよかった。なのに、昔のように抱える手が温かくて、昔と違って大きく見える背中が嫌いにはなれなくて。


 首から提げられているお守りを握りしめて、アンジェリカは音の出ない唇を動かした。


『カルロのこと、これからもよろしくお願いします』


 どうして来てくれなかったのかと恨んでいたわりに、彼は彼できちんと覚えていることを嬉しく思い、どうして忘れていてくれなかったのかと恨む。

 身勝手な自分が本当に疎ましい。


 そんな疎ましい自分に願われるのも迷惑かも知れないが、カルロには幸せでいて欲しい。健康でいて欲しい。今までの苦労が報われて欲しい。可能なら、いい人と巡り会って欲しい。

 そんなことを口にする資格はない。そのかわりに、ありったけの祝福をそのお守りに込める。


 涙で重い目を和め、アンジェリカは口元にほのかな笑みを浮かべた。


 ほどなくしてぴたりと足が留まった。

 大きな建物が建ってい敷地へ足を踏み入れた事は知っている。

 外套で顔を隠しながらリクハに連れられるがまま歩き続けていたが、思えば喧騒が遠のいていた。


 アンジェリカは片手で目をこすり、顔を上げた。


 荘厳な扉が佇んでいる。辺りに人気はなく、明らかに避難所とは別の場所であるということを理解する。


(ちょっとリクハさん、どこに侵入してるんですか!?)


 慌てふためくアンジェリカの手をしっかり握りながら、リクハは空いている片手を扉に置いた。


 パキン、と硬い物が壊れるような、澄んだ音が耳に届く。


(まって、なにが壊れたの? というか絶対ここ入っちゃだめなところですよね!?)


 扉を押し開くリクハの手を引っ張るけれども、逆に引っ張られるような形で室内へ足を踏み入れた。

 真っ先に目を引いたのは、部屋の奥。壇上に横たわる白いもの。

 静寂に二人の足音が反響する。階段を上りその白いものへ近づいた。

 それは牛だった。白いということは神獣に他ならない。同じ神獣だから、気配がわかったとかそういうのだろうか。


「ニクスはここにいるのだ」


 今まで握られていた手が離れた。

 振り返るのと、リクハが距離を置くように数歩下がる。


「ここなら大丈夫なのだ。――リクハはちょっと行ってくるのだ」


 くるりと背を向けてかけだしたリクハを追いかけた。


(うぎゃっ!?)


 見えない壁に激突したかのような衝撃と激痛が顔に走る。

 二、三歩よろめきながらアンジェリカは蹲った。


 顔を覆って悶絶する彼女の耳に、ぱたん、と扉の閉じる音が忍び込む。

 手のひらの向こう側が薄暗い闇に覆われる。


 痛みとはまた別の理由でアンジェリカは息を詰めた。

 血の気が引いて小さく震える指の隙間から、忙しなく視線を滑らせる。


 僅かに室内に入り込む光源を求めて天井を仰ぎ、呼吸を思い出したかのように深く息を吐き出した。


 衝撃のあまり失われた体温がすぐに戻るわけもなく、震える体をなだめるように両腕で抱きしめた。

 自分の呼吸音だけが室内に木霊する。その静寂が、外の様子がわからない不安を更に煽る。

 人間よりはましだが、神獣のそばというのもまた情緒不安定に拍車をかける。


(大丈夫だもん。大丈夫じゃないのは私じゃない)


 カルロは怪我をしてないだろうか。順調に事は進んでいるのだろうか。

 リクハは大丈夫だろうか。なにをしに行ったのだろうか。

 ちゃんとまた逢えるだろうか。怪我をしていないだろうか。

 心配事が浮かんでは消える。


 気を紛らわせようと、現実逃避に思考をやろうとするけれども、すぐに意識は現実に引き戻される。

 胸が躍らない。沈んだまま見えない暗闇を漂い続けている。


(二年後にご褒美が待っているとは言え、これが続くのは、あとの反動が怖いなあ……)


 人並みであろうと頑張り続けているからこそ、こうしてここにいられるのだ。責任もなにもかも放り出せて引きこもれる場所を得たならば、どこまでも自堕落に雑にずぼらに生きていくのだろう。

 過去、仕事という予定があるからある程度のめりはりはあったが、家事と名のつくようなものは、他人を家に入れるなんてもってのほか、という程度。その一言で察して欲しいほどに室内は自分の領域を体現していた。


(もっとも、今回の場合、引きこもれたとしてもまともに生きていけるか、という問題が立ちはだかっているのだけど。…………おんぶにだっこ、俗に言うヒモ、すねをかじって生きるようなのはだめだ)


 膝を抱えて、ため息を吐き出した。

 だめだ、無理だと思っても、精神衛生上そうすることでしか二年をしのぐ方法はない。

 この精神状態が数ヶ月やそこらで簡単に回復するわけがないのだ。


 ご褒美をくれると言ってくれた。たとえそれが私の理性を保つための偽りだったとしても。

 期待すべきではないと理性は警告をはするが、感情はそれを望みに浮かれている。


(矛盾に揺らいでるあたり人間してるよなあ。本当に、めんどくさい)


 もう少し割り切るとか、気にしないとか、そういうふうになりたい。いろいろ考えすぎる思考もやめたいが、それができるならばここまで精神的苦労はしてきていない。


 喜びがあるから悲しみがあり,苦しみがあるから楽しみがある。

 動じないようになりたいと思う反面、喜びや楽しみを感じ取れないのは創作人生に関わる。いまやってないけど。


(早くリクハが戻ってこないかな。見つかったら怒られそうでこわ――)


 重い音を立てて、扉が開かれた。

 リクハが帰ってきた、と思い腰を上げたアンジェリカは、しかし見知らぬ一団が険しい顔をしているのを見て動きを止めた。


「賊!? よもやこんな所にまで入り込んでいようとは」

「お下がりください、ユリエル様」

「下がれないよ。奴らの狙いが守り神だというならば、取り戻さねば父にこの土地を治め続けてきた一族の誇りを貶めることになる」


 青年が前に進み出た。それに続いて武器を向けながら数名が室内に入ってくる。躙り下がり、アンジェリカは白い牛の後ろに隠れた。


(リクハのばかっ、ここなら大丈夫っていったのに、出られないようにしたくせに、ばかっ、ばか!!)


 じわりと視界が滲む。鼻の奥が刺すように痛みを訴える。息を吸い込んで止めた。


「守り神様を盾にするとは卑怯な! 出てこい!」


 やだ。もーやだ。帰りたい。なんでもいいしどーでもいいから土に還っていいですか、いいですよね。

 耳を塞いで体を小さく丸めた。


 それでも指の間から複数の足音が割り入り、焦燥感をかき立てる。


「なにを企んでいる」


 ぴりぴりとした空気が肌を刺す。

 歪む視界を閉ざして、膝頭に瞼を押しつけた。


 きん、と澄んだ音が屋内に響く。


「結界のようだね。ルーンハルト」

「わかっています。下がっていてください、ユリエル様」


 しばしの沈黙ののち、澄んだ音とともにぴきりと鋭い音が耳朶をついた。

 耳を抑えていた手で頭を抱え込み息を殺す。


 己が正義であると露とも疑わない人間が怖い。

 迫りくる平穏の崩壊が怖い。

 ――二人に自責の念を抱かせてしまうことが、なによりも恐ろしく、重い。


 捕まるくらいなら。賊として始末されるくらいなら。

 いっそのこと、ここで全て、なにもかもなかったことにしてしまえば。


 頭をなにかが撫であけた。


「さっきからごちゃごちゃとうるさいわねえ」


 一喝する声があった。

 後ろで動く気配に更に体を縮こまらせる。


「事は把握しているわ。あの未熟な者がどうするのか、しばし静観していただけ。大姫を託されたこともあるしね」

「そのものは守り神様を狙い、魔物に街を襲わせた賊では……。まさか、洗脳を」

「だまりなさい、人間」


 荒々しく蹄が床を叩いた。

 アンジェリカはびくりと肩を揺らす。


「さあ、大姫。あなたが"リクハ"と呼ぶ者を迎えに行きましょう」


 耳を塞いでいた手から力を抜いた。

 迎えに行く、という言葉にのっかりたいが、大人しくしておくべきという思考がよぎる。


「それにしても、未熟者はやはり未熟者よね。本来、私たち神獣は時をかけて成熟する。だが、あの子は焦って戯けたことをしでかして。それはあの未熟者の役目じゃないっていうのに」


 牛が苛立たしげにかぽかぽと蹄を鳴らす。


 ゆっくりと目覚めたばかりの神獣へ首をめぐらせた。


 リクハを未熟者、と呼ぶこの御仁はリクハよりも長く生きているのだろう。守り神、とあの人間が言っていたことも、崇められるほど長い時を生きていることは想像にたやすい。

 そんな御仁を怒らせるようなことを、リクハはしている、と。


 思考を纏めた直後、全身から血の気が引いた。

 くらくらと頭が揺れる。体をおして振り向き、牛の毛を掴んだ。


(生きてる? 生きてるよね? まだ見つかってないよね?)

「見つかるのも時間の問題……いいえ、あえて自分を囮にした」


 喉の奥が凍りついた。


「そこの人間が言った通り、これは私を表に引きずり出すための仕掛け。ならば、姿を見せた神獣をこの土地の"守り神"と誤認もするでしょうね」


 静かな憎悪が顔を出した。立ち上がり、神獣の横を通り過ぎようとして襟首を引っ張られた。

 不安定な体勢のまま後ろに倒れる。

 身構えるより早く体が宙に浮いた。


 くるんと視界が反転し、神獣の背中に落ち着いたニクスは、揺れる体に慌ててしがみつく。


 ぱきん、と高音を立てて結界が砕けた。


「しっかり捕まってなさい」

「守り神よ、その者は賊ではないのですか」

「邪魔よ、人間」


 問いに答えることなく、神獣は勝手知ったる様子で建物から出た。

 周辺の景色を見渡す。木々の向こうに大きな建物が見える。恐らくそこが本来の避難場所だったのだろう。


「ちょっと走るわよ」


 言うな否や、ぐんと体にかかる抵抗に慌てて頭を下げた。

 やがて振動になれてきたアンジェリカは、薄目を開けて辺りを確認する。


 すでに街から外れ郊外にいるようだ。

 そのうえ、街道から外れた森の中を走っている。


 リクハはどこだろうか。


 その疑念を解消するかのような間で、少し先でリクハが飛び上がる様子が見えた。


 無事であったことに喜色を浮かべた直後、飛来したものがリクハを貫いた。

 矢が射られた方向に視線を向け、アンジェリカは届かないとわかっていながらも神獣にしがみついていた手を離す。

 墜落するリクハに向けて懸命に伸ばした。


(リクハ!!)


 だが、無情にも二本目の矢がリクハを貫く。

 目の前が赤く染まった。
















「ニクス!!」


 焦燥を帯びたカルロの声に、ふと目を開く。

 目の前にあった顔に更に目を見開き、足を引いた。

 焦げついた匂いが鼻をつき、辺りを見渡したアンジェリカは絶句した。


 木々が焼けただれ、白煙を上げている。

 生えていたであろう草は燃えかすを残し、見える範囲でも死滅しているのが見て取れた。 


 地獄の一端を垣間見るような絵図に引く。


「大丈夫か? おかしな所はないか?」


 案じるようにカルロの手が添えられた。手足を検分するのは怪我の有無を見ているのだろう。

なんとなく居心地が悪くて視線を彷徨わせていると、不意に抱きすくめられた。


「よかった……」


 背中に回された腕に力がこもる。

 思いがけない抱擁にアンジェリカは盛んに目を瞬かせた。


 彼の黒い髪を凝視しているうちに沸き起こった得も言われぬむず痒さに、紅い空を見上げた。


 避難所で大人しくできなかった。リクハのことで居ても立ってもいられなかったのだが、ここまで心配かけてしまったことは申し訳ない。


 そうして我に返った。

 焦土と化した森の中をぐるりと見渡すが、リクハの姿はどこにも見いだせない。


 ゆっくりと抱擁を解いたカルロにされるがまま抱えられた。

 肩に手を置いて安定を図る。


「リクハは牛の神獣が見てくれている。だから帰ろうな」


 あやすように背中を叩かれた意味はわからない。だが、リクハの無事の確認は急務であるため素直に首を縦に振る。


 その際、視界をかすめたお守りに思い出した。

 首から提げていたそれを外して、歩いているカルロの首にかける。


 彼の胸元に揺れるそれに目を細めた。


「……おう、ありがとな」


 ぶっきらぼうなお礼とともに頭を撫でまわされた。唇をもにょもにょと動かしながら、乱れた髪を整える。


 形にならない心の機微にそわそわしつつ、カルロの肩に顎を置いた。


 遠のく地獄絵図をじっと見つめる。


 リクハが矢に射られてから、カルロに呼ばれて我に帰るまでの間の記憶がない。

 だが、周りの惨状やカルロの反応から考えるに、恐らく自分が何かしたのだろう。


 なにがあったのか、知りたいようで知りたくない。

 ずしりと胃の辺りが重くなる。吐き気を混ぜた不快感を押し留め、問題を先送りにするように目を閉ざした。




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