第41話
魔法の練習が始まってから三日が経つ。
マイアの教えならば少しすれば使えるだろうと思っていたが、予想に反してニクスの進捗は芳しくない。
そういうこともあるんだな、と見守りに徹していたカルロは、本日の授業を終えたマイアに呼ばれて共に彼女の店に向かっていた。
厳しい顔で考え込んでいる彼女の後を無言で追いかける。
想定できることを頭に思い浮かべ、どんな答えがこようとも受け止めようと、心を構えた。
店に着いてからも、唸っては本題に入らない彼女に、カルロはきっかけを与えるべく口を開いた。
「なんだ、話って。ニクスのことだろう」
「……そうね。伝えたいことの前にひとつ聞くけど、あの子、どこの子?」
「さあな。森に一人でいたところを保護しただけだから、そこまでは」
対外的な理由を述べ、カルロは入り口横の壁に背中を預けた。
腕を組んで、難しい顔をしているマイアを見つめる。
「ニクスの出自がどうした」
「出自そのものがどうこういうわけじゃないの。……あの子、今のままなら今後も魔法を使えないわ」
「使えない? 魔力がないわけではないだろう」
「そうね。この国でも指折りの魔力量よ」
魔力量について驚きはない。だが、魔力があるのに魔法が使えないという理由に見当がつかない。
「今のままなら、っていったな。使えない原因があるということか?」
「単刀直入に言うとね、あの子、魔法契約してるわ。それもとびっきり重いのをいくつも」
「――は?」
それは、滅多にするようなものでもなければ、幾重にもするものでもない。
それの指摘にマイアは同意する。
「今では貴族くらいよ、使うのは。それはいいとしてもね、命を賭けるような契約をいくつも交わしてるっていうのが問題なのよ。あの子、よく生きてるわね」
カルロの顔が引きつった。
契約の内容を知る術はない。知らずのうちに契約に抵触するようなことがあれば、ニクスの命はないということだ。
「そんなに酷い状態なのか?」
「そりゃもう。普通なら契約の重さに魂が潰れてるわ」
耳を疑った。
契約は魂を縛るものだ。それはいくつも重ねるようなものではない。何重にも縛り上げれば縛り上げるほど、契約による魂の束縛は強固なものとなり、耐えきれずに魂が崩壊する。
魂の消滅。それが意味するのは肉体の死であり、魂の循環からの消失だ。
「保有している魔力を魂の保護に回すことで耐えられてるのでしょうね。あとなにか……三つか四つほど、別の力に守られているのもあるけど」
「満了かお互いの合意がなければ解除できないことは知ってる。他に手立ては?」
「ないわね」
カルロは目元を覆った。
魔法契約を行うのは、本当にごく稀なのだ。一度経験して以降、カルロも遭遇したことがない。
契約を反故にしたときの代償は等しくなければならない。彼女が命を代償としているならば、同じく契約者も命を代償とする必要がある。
「契約者さえわかれば、脅しにでも行くんだが」
「……あの子自身よ」
三拍後。
「はあ?」
低い声で、カルロは唸った。
「ここじゃ知ってる人は知っていることなんだけど、魔法契約って別に二人でやる必要はないの。自分で自分を縛ることもできる。それをするには見届け人がほしいけれど」
「誰かが、なにかを目的に彼女自身に契約させたと……ふざけてんのか」
顔も名前も知らない貴族にふつふつと怒りが沸く。
一瞬にして熱気が渦巻いた。
直後、冷気が肌を撫でた。肌に走った痛みにはっと我に返る。
怒りのあまりに漏れ出た魔力から引火し、燃え始めていた炎がぴきぴきと音を立てて凍りついた。
急降下する室内温度に劣らない冷淡な視線でマイアは尊大に言い放つ。
「店ごと弁償してくれるかしら」
「悪かった。いくらだ」
凍りついた炎を見れば小火程度とわかる。
それにも関わらず、ぼったくりにも等しい要求に正面きって応じる態度に、マイアはたじろいだ。
「……冗談よ。この話はする以上ある程度の被害は覚悟してたもの。この程度で済んだのなら御の字よ」
マイアは氷に手をついた。瞬く間に解けて水滴さえ残さず消える。
想定されていたとはいえ、人の店を燃やしかけたことに対する詫びは必要であろう。
しばし考え込んだカルロはふと思い至った。
「知り合いの信頼できる商人にあの話を通す予定だ。どこまで聞いてくれるかはわからないが、多少なりとも融通してくれるよう口添えし」
「じゃあお言葉に甘えるわね」
食いつくようにマイアが受諾した。
嬉しそうな顔で、けれども心を入れ替えるようにひとつ咳払いをする。
「話っていうのは、そのことを素直にあの子に伝えるかどうするかということなの。私の一存で言うわけにいかないでしょう」
「感謝する。確かに、今はまだ、伝えるのは酷だ。……魔法について言い出さなければよかったな」
頭を上げて目を閉じる。
瞼の裏に、部屋の隅で丸くなるニクスの姿が思い浮かぶ。
時々、夜中に泣いている。息を潜め嗚咽を殺し、小さく鼻をすすっていた。
泣き腫らした目に気づかないとでも思っているのか、隠せていると思っているのか。
それに加えてベッドは落ち着かなくなるのか、半ば定位置と化している部屋の片隅へよく降りている。眠ったころを見計らいベッドへ戻そうとしたこともあったが、ほぼ確実に起きてしまう。ゆえに仕方なくそのまま様子を見ることのほうが多い。
保護してから二ヶ月も経っていない。保護する前のことを話題にあげるのはまだ憚られる。
「ところで、そのまま連れて歩くつもりなの? 耐えられるような状態じゃないようだけど」
「あいつの身の安全が図れて、なおかつ利用されないですむところがあるなら考える」
マイアは沈黙した。
顔を顰めて、カルロに背を向ける。
「利用されるような“なにか”については突っ込まないであげるわ。自分の命が惜しいもの」
「お願いされたってお前に言うつもりはないから安心しろ」
マイアは店の奥に一度引っ込むと、しばらくして戻ってきた。
手に持っている小型魔道具を放り投げた。
弧を描いて宙を舞うそれを危なげなく受け取り、カルロは訝しげに物を見分する。
「ザルイドへ行くんでしょう? あの子たちを連れて行くならあったほうがいいわ」
「なんだ、これ」
「魔獣を寄せ付けない結界の魔道具の携帯版。試作段階で通常のと比較すると性能は劣るけどないよりはましだと思う」
「どういうことだ。たしか、結界魔道具のおかげでこの国は魔獣が格段に減っているはずだが」
「それが最近、ザルイド周辺の魔獣が増えてるって話なの」
「ザルイドだけ?」
「そう。だからあそこからの物流が減ってその分こっちに色々仕事が回ってきているのよ」
マイアは肩に手を置いて、首を左右に倒す。
カルロは頭を下げた。
「感謝する」
肩越しに顧みたマイアは荒々しく息を吐いた。
「もしもあいつのことをまだ負い目に思ってるのなら、氷漬けにするわよ」
カルロはぴくりと肩を揺らした。
肯定はしなかったものの、はっきりと否定することもなく、頼りなさげな顔を上げる。
マイアは開いた方を一度閉じた。乱雑に散らばっている研究資料を集め、くるくるとまとめる。
そして、カルロの頭を叩いた。すぱん、と小気味よい音がする。
「あんた以外としつこいわね」
「しつこ……っ、悪かったな女々しくて」
「悪いと思っているのなら、リクハくんとニクスちゃんをちゃんと守り抜きなさい」
「当たり前だ」
間をおかずに断言したカルロにマイアは微笑を浮かべた。
「お礼はニクスちゃんの新しい菓子で手を打つわ」
真剣な空気が霧散した。呆気に取られたカルロは、額を押さえる。
「なんでお前が餌付けされてるんだよ」
「甘い物は正義なのよ」
胸を張り、マイアはひらひらと手を振りながら奥の部屋へと歩き去る。
カルロは宿屋へ引き返した。
蘇のこともあって次の街へ行くことを伝えると、ニクスはあっさりと頷いた。
駄々の一つもこねて欲しいところであるが、今の彼女にはまだ荷が重いのだろう。
それから二日後にルベイアの街を発った。
始めは順当だった旅路も、領をまたいでザルイドの街に近づくにつれ、マイアが行っていた通り魔獣と遭遇することが増えた。体感として宿場町へ着く間に2~3回、多くても5回程度の戦闘が主だったが、すでに両手を超えている。
領を越えてからの道のりも、予定の半分しか進んでいない。
深呼吸して、鼻を突いた匂い。反射的にせり上がってきたものを押しとどめ、吸い込んだものを吐き出すように長く息をつく。
剣を収め、カルロは後方を振り返った。
魔除けの魔道具を使い隠れていた二人が顔を覗かせる。
てくてくと進んでくる二人を迎えに行き、カルロは視線を合わせるように屈んだ。
「リクハもニクスも怪我はないか」
「大丈夫なのだ」
リクハがやや冴えない顔で頷く。
隣でニクスも首肯したが、珍しく眉間にしわが寄っていた。
「どうした、ふたりとも」
言いよどむリクハの横で、ニクスが書き付けた紙を掲げた。
『匂いがきついです』
「そうだな。近づくにつれて強くなってるんだよなあ、この腐敗臭」
カルロは嘆息した。
道のりの半ばとはいえ、吐き気を催す匂いがする方へ近づくのは気も足どりも重くなる。
だが、進まないことには当初の予定を果たすこともできない。
「リクハも気分は大丈夫か? 俺らより辛いだろう」
「…………まだ、大丈夫なのだ」
闊達な様は鳴りを潜めており、それが一層リクハの不調を感じさせる。
「一度ルベイアに戻るか。その後、俺だけで話を通して貰うようにしよう」
「それはだめなのだ」
間髪入れずに、リクハが否定した。
思わぬ意思表示に驚きを隠せない。
「だめなのだ。……リクハは大丈夫なのだ」
いつもの彼からは考えられない苦しみを押し隠すような笑み。
それでも、意志を曲げんとまっすぐな瞳に、カルロは折れた。
誰に似たのか、曲げないところは絶対に曲げてはくれない。
「わかった。無理はするなよ。本当にダメだと思ったら、すぐに言え。それが条件だ」
「わかってるのだ。兄も無理は禁物なのだ」
「――善処する」
視線を横に逸らした。
背けた顔の正面に回り込んだリクハが目を僅かにつり上げて顔を近づける。
「兄」
「大丈夫だ。ここでくたばるつもりはない」
「当たり前なのだ。なにに換えても兄は死なせない」
真剣な顔で告げるリクハに、カルロはすぱんと切り返す。
「それはいらない。重い」
「酷いのだ⁉」
衝撃を受けたリクハがいじけたようにカルロに背中を向けた。
「別にいいのだ。兄なんて知らないのだ。リクハはニクスにあげることにするのだ」
ふて腐れた様子を隠しもせず、リクハはニクスに抱きついた。
顔を強ばらせて固まっている彼女にカルロは軽く瞠目し、リクハからニクスを引き剥がす。
鞄に筆記具を収めた姿勢の固まったまま動かないニクスを抱え上げ背をとんとんと叩いた。ゆっくりと全身を弛緩させた彼女の頭が肩に乗る。
頬を膨らませるリクハを見下ろしてぴしゃりと言い放った。
「だから重い。ニクスがびっくりしてるだろう」
「リクハは嘘はつかないのだ」
「だからこそ、だ。お前の命はお前のもので、替わりは他の誰にも務まらない。逆もそうだ」
怯えたように衣服を握りしめるニクスの頭を撫でながら、カルロは再びリクハに視線を合わせるために屈んだ。
不服そうなリクハのまっすぐに見つめて諭す。
「リクハ。お前がなにを感じ取っているのかは知らないが、この先なにがあっても、お前も生き延びて帰ってこい」
「…………もし、どうしてもだめなときはどうするのだ?」
大きな瞳が不安に揺れる。
ニクスをあやしていた腕をリクハに伸ばし、片手で抱え上げた。
二人を抱えてカルロはザルイドへの道程を再開する。
「そんなことがないのが一番いいんだけどな。もしもの話をするなら、どんな形でもいい。そこにお前がいた証しを残せ。迎えに行ってやる」
沈黙が降りた。
ニクスとは反対の肩にリクハが頭を押しつける。
「リクハは兄といるって約束したのだ。兄とニクスと、リクハは一緒にいるのだ。ずーっと、一緒にいるのだ」
「そうだな。だから勝手にいなくなるなよリクハ。ニクスも」
「その言葉、一番可能性がありそうな兄にそっくり返すのだ」
「夜目が利かないリクハの案内よりましだな」
「夜目が利かなくても、その分リクハは賢いからちゃんと道は覚えてるのだ、えっへん」
「威張れることじゃないからな。梟だろ、一応」
「一応じゃなくてもリクハは歴とした梟なのだっ」
リクハと軽口を叩きあいながら、カルロはニクスを一瞥した。
話は聞こえているはずであるのに、一向に反応がない。当たり障りのないことしか訴えず、彼女がなにかをねだることはない。自らの思いを積極的に伝えることもない。
目を離せば、手を離してしまえばふらりとどこかへ消えてしまうのだろう。
かき立てられる寂寥感と焦燥感を鎮めるように、目を伏せた。
更に十数日かけてようやくザルイドの街に辿り着いた。
三人そろって顔色は悪く、ニクスに至っては着いて早々体調が悪化した。
街のどこへ行けども鼻を突く腐敗臭。ニクスの看病をリクハに任せ、その間に代筆でギルドカードを作成して貰った。
同じ人間が複数のギルドカードを持つことはできない。
商業ギルドと冒険者ギルドにそれぞれ登録した場合には、一枚のカードの表記が更に追加される仕様となっている。ギルドカードのランクには維持条件が存在するため、掛け持っている人はそこまで多くない。
比較的匂いが薄い広場で休息しているニクスを確認して貰うのに少しばかり時間を要したが、無事、その日のうちには作成を終えることができた。
「よし、終わったからこのままこの一度この国を」
不意に、カルロは言葉を切って二人を地面に押し倒した。
直後、破壊音が轟き、つんざくような悲鳴が上がった。




