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第35話

「この石に魔力を通すと、左からは熱湯、右は水が出る。……使えるか?」


 それぞれの石に手を置いて出てきた液体から、熱い風と冷たい風が流れる。


 水道を引っ張ってきている様子はないので、いわゆる魔法道具あるいは魔道具というものなのだろう。


 魔力という、今世では初めて聞く言葉に、またファンタジーだ、とげんなりした。

 普段の精神状態ならまだしも、現実を突きつけられて自棄になっている人に言われても、素直に喜べる訳がない。


 この世界で言う魔力というものがどういうものかは知らないが、カルロがしていたように左の石の上に手を置いてみた。


 無論、お湯が出るわけもない。

 もう一方の石にも手を置いてみたが、うんともすんとも言わない。


「一応誰でも魔力を持っているらしいから、練習すればできるようになる、と思う」


 随分と曖昧な勧誘文句である。

 信憑性に欠ける話を右から左に聞き流し、アンジェリカは手を下ろした。


 身の程を思い知らされる。

 以前、ともに逃避行していたときにはお目にかかったことがない代物だ。もちろん、監禁というか軟禁されていた伯爵家でも。


 整備できないほど貧乏だった、という可能性もあるだろうが、それよりもふさわしくないからと平民と同様の設備があるところに押し込められていた。そう言われたほうが納得できる。


 対して、この数年でカルロはこういう良い設備が整った家を確保できるほどの力を得た。なにより、傍らにはまだリクハがいる。


 アンジェリカは湯温を調整しているカルロへ視線を滑らせた。

 すぐに目の前にある鏡へ視線を移らせる。


 寝ている間に洗われたのか、思っていたよりも小綺麗だ。

 けれども死んだ目と、先ほどからぴくりとも動かない表情筋が、陰鬱な空気を醸し出している。


 それでも、青と緑と、左右で色の異なる瞳と整っている顔立ちが人目を引く。


(――紫じゃない?)


 アンジェリカは鏡の中にいる、自分の目に触れた。顔を近づけてじっと見つめる。

 最初は青だった。そして伯爵家にいる頃には紫だと言われた。紫色の瞳が魔に染まった証ならば、それがないということは自分自身の魔も祓われたということ。

 左目の青い瞳は生来のものだとしても、なぜ右目が緑色に変わっているのだろうか。


「湖の辺で魔が消えたと思ったら、お前の目もそうなってた。心当たりはあるか」


 アンジェリカはしばし考え込んだ。

 かもしれない、というだけで確定情報ではない。心当たりはあれだというには検証を重ねるべきだろう。


 小さく首を横に振った。


「そうか。お湯の温度はどうだ、熱すぎたり温すぎたりしないか」


 流れるお湯にそっと手を差し入れた。

 ほどよい温度に包まれて、じんわりと指先が温まる。


 久しぶりに感じる温かさに、やさぐれていた心が解けて喜びに踊る。

 ぴたりと、お湯が止まった。浴室の冷たい風に晒されて、濡れた手足が一層冷たさに震える。


(まさかの節水仕様ですか)


「時々、魔力を通してやらないと今みたいにとまる。自分の体は洗えるか? リクハはまだ片づけを楽しんでるだろうから、お湯は俺が出す」


 しばしの沈黙の後、アンジェリカは頷いた。






 もう少し丁寧に洗え、と結局はカルロに丸洗いされた。

 ただ、手を借りてばかりいるのが申し訳なくてちゃちゃっと済ませただけなのだが、そう言われると反論はできない。


 その流れで毛布にくるまれながらアンジェリカじっとしていた。頭が振動に合わせて小さく揺れる。

 最初はぎこちなかった動きは解消されたが、恐る恐ると言った手つきは変わらない。


「――ニクス」


 カルロがぽつりと零した。頭を乾かしていた手が止まる。

 首を廻らせれば、口元を押さえて視線を彷徨わせている。


 考え事でもしていたのだろう。それがついぽろっと口から零れ出ることはよくある話。


 アンジェリカは正面を向いて、自分でわしわしと頭を拭く。


「名前がないのか、それとも言いたくないのかはわからない。けど、呼び名がないのは困るからな。お前さえよければ、便宜上そう呼ぼうと思うんだが、どうだ」


 ぴたりと、手を止めた。


(え、カルロが考えたの……? セツをしろへびとか、ギンカをしろかめとか、リクハをしろふくろうとか言ってたあのカルロが?)


 まじまじと見上げる。


「嫌ならそう言え。また考える」


 視線を外し、歯切れの悪い提案。それに小さく首を横に振った。

 安堵の息が聞こえた。わしゃわしゃと、再び頭が揺れる。


 アンジュであるとばれなければそれでいい。ばれてしまう前にきちんと自立して、それで引きこもれる場所を確保。

 あとはまあ、そこで暮らしていけるだけの資金源があればなんでもいい。


 ぶっちゃけ引きこもれるならなんでもいいんだよ。紙とペンさえあれば生きていけるから。今まで趣味に興じる余裕はなかったけど。その時間を確保しようものなら入り浸って出てこなくなるからまだできないけど。


 引きこもりたい。ごろごろしたい。惰眠貪りたい。どこかにいい場所と金が転がってないかな。


「よし、あらかた乾いたな」


 頭を乾かしていた布を置き、少し待っていろ、とカルロが浴室を後にする。

 しばらくして、鞄を片手に戻ってきた。見覚えしかないそれにどくりと鼓動が跳ね上がる。


「一応着られ……身に纏える……服? らしきものがこの中に」


 鞄から引っ張り出されたその布も、勿論知っている。

 まだカルロの手元に残っていたという事実に激しく心が揺れる。


「えぇっと、ちょっと待ってな。確か、こことここを………」


 くるまった毛布の下で、硬く拳を握りしめた。

 どうして、と掴みかかりたくなる衝動を飲み込んで、音を立てずに息を吐いた。

 拳を開き、代わりに頬の内側を噛む。


 かつて愛用していたペロプスを纏い、まだ肌寒いからと、これまた当時使用していたうわかけを調整して羽織る。


「靴は……流石に小さいか」

「兄ー、大姫ー、どこなのだー?」

「どうした、リクハ」


 リクハの声にカルロが叫び返す。ぱたぱたと廊下を走る音が響く。

 浴室にひょっこりと顔を覗かせたリクハが、目を瞬いた。


「あ、こんなところにいたのだ。なかなか戻ってこないから気になったのだ。ところで、なんで二人とも入浴してたのだ?」


 リクハの素朴な疑問に、アンジェリカはすっと視線を逸らした。










 昼食。


 じっと、橙色の瞳を見つめ還す。

 三拍後、直視することに耐えきれず顔を背けて視線を下げた。


「ふふん、リクハの勝ちなのだ。さあ、食べるのだニクス」


 目の前に差し出された匙。それにはリクハが作ったスープが入っている。


 朝食担当もリクハだったが、それを後から全部吐き戻したと聞いた彼は泣いた。誰かが作ったものがだめなのだろう、と予測を立てたカルロに対し、『リクハは神獣なのだ、人の形はとってるけど神獣なのだ』と怒って泣くという器用なことをしてのけた。


 思わず他人事のように感心していると、なにを思ったのか、にらめっこで負けたらリクハ自ら食べさせるという勝負の話になった。解せない。


 なんにしても、真っ正面から見るリクハの顔に耐えきれるわけがない。

 目の保養が過ぎて目が腐る。その美貌の一端を担うくりっとした目に私を写すのやめてくださいお願いします心臓が持たないのと恐れ多すぎて平伏したいしていいかな。うん、しよう。


 椅子から降りて、リクハに向かって土下座した。


「ええぇぇぇっ!? 待つのだ待つのだ! リクハは頭を下げて欲しいわけじゃないのだっ!」


 ごめんなさい直視できません無理です可愛いのと健気なのとで無理です。私にではなくカルロに発揮してくださいそれを見られただけで満足です。ありがとうございます。


「謝ってるのだ? 感謝してるのだ? どっちなのだ⁉」


 性癖の具現を前に正常に平常心を失うアンジェリカも、へりくだるアンジェリカに慌てふためくリクハも。


 心の内を知らぬがばかりに、痛ましいものを見るような目をするカルロに気がつくことはなかった。




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