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第32話

 少しとはいえ戻ってきた元気は、すっかりどこかへ消し飛んでしまった。

 起きて、ぼーっとして、寝て。起きて、食べて、寝て、と生産性のない日々を繰り返す毎日だ。


 枯木の空洞の外で動き回る狼に視線をなげ、すぐに逸らした。



 今まで遭遇してきた魔獣とは異なり、理性と知性を宿した魔獣たち。

 懐いてくれているのが嬉しくないわけではない。ただ、その姿はどうしてか小さな神獣たちにかぶる。


 切なげな鳴き声を耳を塞いで遮断した。


 絆されて懐に入れてしまえば、いつか二の舞になりかねない。

 そんなことになるくらいならばひとりでいる方がずっとましだ。


 不意に、鳴き声が低いうなり声に変わった。

 視線を上げ、背を向ける狼の向こう側に人影を認め、息を詰めた。


 ぼろぼろのローブを纏う、剣に手を掛けている人間がいる。


 逃げなければ。でもどうやって、どこに。

 今は逃げおおせたとしても、いつまでも逃げ続けることは不可能。

 捕まり、そして殺されるのだろう。


 視線を逸らして膝を抱えて丸くなる。

 もう疲れた。首が欲しいのなら、勝手にすればいい。


 威嚇の声が止まる。

 風に揺られる葉の音が、一層大きく響く。


「言葉はわかるか」


 低く、落ち着いた声が耳朶をついた。

 膝を抱えている腕を握りしめ、同じ姿勢のまま僅かに顔を背ける。


「俺はお前を殺しに来たわけじゃない。保護に来ただけで、売り渡すつもりもない」


 なぜそれを信じられると思うのか。口ではなんとでも言える。

 ここで安心して出て行って、さくっと首でも切り落とされることだってあり得る。

 ……いや、それならそれでいいのか? 人間、死ぬときは死ぬのだ。


「信じられないのも無理はないが」


 聞こえの良いことを言って、騙す算段なのだろう。

 鵜呑みにするほど馬鹿じゃない。

 ああ、胃が痛い。


「……また来る」


 草を踏む音が遠のく。


(来ないで、放っておいてよ)


 泣きたいのに、涙は出てこない。


「がう」


 短い鳴き声に視線を向けると、黒い狼はいつかと同じように背を向けて座っていた。

 乗れ、といっているのだろう。


 人に見つかった以上、ここに留まり続けることは得策とは言えない。

 それはわかっている。


(……なんで、そこまでしてくれるんだろう)


 魔王だと、魔獣を従えていると、あの時の人間はいっていたが、そんなこと知らない。

 従えた覚えはないし、そんなつもりもない。

 だからこれは、無意識でそう支配しているということがない限り、彼らの意志によるもの。


 どうしてみんな、生きろというのだろう。

 生きていることに、一体どれほどの価値があるというのだろう。

 どうして、生きていることしか知らないのに、生きることは死よりも尊いと信じているのだろう。

 生きているという体験でしか語れないことならば、それは、ただ視野が狭いだけではないのだろうか。


 その答えは、自我を保ったまま死後の世界を体験することでしか得られない。


 自分の中で生きることも死ぬことも等価値。どうなろうとどちらでもいい。

 でも、生きろという神獣(ひと)がいて、生かそうとする魔獣(ひと)がいる。

 その心根には答えるべきだろう。


 重い体を叱咤して枯木から這い出ると、狼の背に手を伸ばした。












 落ちている木の実を見つけ、しゃがみ込んだ。

 間もないのか虫に食われた様子もなく、表面も綺麗な実だ。

 服の裾で実を拭い、かじりつく。


 あれから数日。すぐに生活圏を移動させたのもあり、会うことなく平穏に過ごせてはいる。

 もっとも、いつばったりと出会ってしまうか気が気でないのも事実だ。

 黒い狼は現在お出かけ中。小腹が空いたので、現在の住処である洞穴からほど近いところで、ひとり食料採取中だ。


 しゃくしゃくとした食感。まあ、食べられなくはないだろう。

 落ちるにはまだ時期が早いはずだが、魔獣がいる森だ。食べようとした鳥が落としたのだろう。


 他になにかないかと立ち上がった時、頭上で木々が不自然に揺れる音がした。

 見上げるのと、降ってくる人間と目があうのは同時。


「あ、やばっ」


 予想外の遭遇に体が強ばり、思考が停止する。

 男は近くの枝をつかみ、落下の勢いを利用して着地点をずらす。

 危なげなく無事に地面に足をつけた男は後ろを振り返り、安堵したように息を吐いた。


 アンジェリカは視線を上から前方にゆっくりと移し、ぺたりと座り込んだ。

 驚きと恐怖に四肢を絡め取られる。


 唐突に、頭が揺れた。

 とさりと音を立てて、目の前に綺麗な木の実が転がる。


 木の実を見て、上を見て。頭を押さえた手に、こぶが触れた。


 小さく笑う声がした。口元を押さえて、黒髪の男が肩を震わせている。

 ぼろぼろのローブを見るからに、先日あった人間のようだ。


 その様子を無感動に眺めていると、彼は咳払いをしてその場に腰を下ろした。


「驚かせて悪かった。ぶつけた所は大丈夫か」


 ごく自然に謝罪と心配をうけ、アンジェリカは我に返る。

 これ以上の関わり合いはごめんだ。


 立とうとして、しかし上手く力が入らず、アンジェリカは再びへたり込む。

 逃げられない。軽い絶望を覚えながら視線に警戒を滲ませた。


 しかし、彼はまったく気にしていない様子でその場に腰を下ろす。自らもいだ果実をふいて豪快にかじりついた。


「近いうちに、この森に討伐部隊が入る。早ければすでに入ってるだろう」


 木の実を食べる横顔をじっとみつめる。


「奴らはお前を見つけ次第、殺しにかかる」


 びくりと肩が跳ねた。

 だからどうしろと。自分についてこいと、そう言いたいのか。


 男の視線が向けられた。


「その紫の目は、魔王にしか現れない目の色だと知っているか?」


 その問いに、逡巡したのちに、小さく頷いた。

 いつからか変わっていた目の色。それ以来、化け物、魔王と言われているから、好ましいものではないと嫌でも理解せざるを得ない。


「なら、どのような人がどのようにして魔王になるかは?」


 静かに首を横に振った。

 魔王という存在があることは、そういう物として受け入れている。

 だが、現実自分がそうであるとは信用していない。

 目の色が変わったことは確かに不思議ではあるが、私は私だ。


 それ故に、紫色の目を持つ人への最大の蔑称だと認識していたが、そうではないようだ。


「ずっと昔、神様がまだ世界に顕現していたころの話だ。その神の声を聞き、神をその身に下ろし顕現させる者がいた。それを巫覡(ふげき)というんだ」


 巫覡。ということは男女関係なくそういう人がいたということか。

 女性であれば(めかんなぎ)、男性であれば(おかんなぎ)とでも呼ぶのだろう。


「普段は(かんなぎ)と呼んでいる。その巫が魔に染まり、堕ちて、災厄の権化と成り果てた者を魔王と呼んでいる」


 その話がどこまで本当かはさておいて。

 光か闇かでいえば、神は光だ。

 その大きな光をその身に降ろせる者もまた、大きな光を持っている。


 そして、光の裏には闇がある。光が強ければ強いほど、潜む闇も大きい。

 強い光が転じれば、強い闇となる。そういうことなのだろう。


 その手の話は好きだが、自分に関わることとなるとあまり気は乗らない。

 すぐには折り合いがつきそうにもなく、両手に持っていた木の実へ視線を落とした。


「紫の目は魔王化の兆候だ。逆を言えば、お前は神の声を聞き降ろす者ということだ。俺たちは巫と呼んでいるが、神獣たちは神の子と呼んでいる。会ったことないか?」


 会ったことはあっても、そう呼ばれたことはない。

 あぁいや、夢で、と思ったけど、あれは大姫と呼ばれただけで、神の子ではない。


 こくん、と首を縦に振った。

 なるほどな、と呟き、彼は腰に差している短剣で地面を掘り返し、木の実の種を投げ入れる。

 そして新しいものにかじりついた。


「問題は、その事実が一般に知られてないってことだ。葬り去られた事実とも言うが。ずっと昔に封じられたらしい神様がこの一年くらいで目覚めていてな。直々に保護してくれと頼まれているんだ」


 …………あの子ども。まさか、迎えに来たって、そういう……?

 でも、見るなり魔王って罵られていたから神様とは関係ない。ということはまた別件か。


「信じられないのも無理はないけどな。俺だってそれに関連した経験がなければ、信じてなかっただろうし」


 以降、口を閉ざした彼は無言で木の実を腹に収めていく。

 敵意も害意も悪意もなく、ただ気ままに空腹を満たす男の様子に、警戒しているのが少し馬鹿らしくなった。


 抜けた腰はそのまま散歩に出ているらしく、まだ立てそうにない。仕方がないので食べかけの実に小さくかじりついた。


 仮に男の言うことが事実だとして、この男に頼るべきか頼らざるべきか、正直なところわからない。

 現時点において、ある程度の信用には値すると判断はできるが、それはあくまでこの男に対してのみ。

 ほかの人間はそうはいかない。あの視線と侮蔑にさらされるのは気が重い。

 せめて、対抗できるだけの力があればいいのだが、生憎とそんな力もない。


 ここでの生活と彼について行った場合の生活を天秤にかければ、どちらに傾くかなんて考えるまでもなかった。


 魔獣がなんだ。死ぬときは死ぬのだ。ならば、少しでも居心地の良いところを選んでも、罰は当たるまい。


 地面をする音と、金属音に顔を上げた。

 片膝をついて腰の剣に手を掛けている男は、正面を険しい目で見据えている。


 アンジェリカが顔を向けるのと、木陰からなにかが飛び出してくるのは同時。

 迫る牙に、咄嗟に左腕を掲げた。ごきり、と嫌な音が耳朶をつく。

 受け身をとる間もなく押し倒され、右肩から頭にかけて地面にしたたかに打ちつけた。


 犬がひるんだような、甲高い悲鳴が響く。


 本日二度目の頭部殴打に、厄日かとうんざりしつつ、肘をついて起き上がり。

 頭を押さえ、左腕をみて、動きを止めた。


 左腕が、関節のない所から変に曲がっている。

 骨が砕かれたのだ。それも当然。しかし。


 ――ひとつとして痛みを感じないのは、どうしてなのだろう。


「大丈夫か!?」


 焦りを隠せないかけ声からしばし、腕に液体がかかる。

 在らぬ方へ曲がっていた腕は瞬く間に整復される。手を握ろうとして、厳しい声音に動きを止める。


「動かすな。応急処置でしかない」


 男は空になった短剣の鞘を腰から抜いて腕に添え、手早く固定する。

 男の視線を追いかけて初めて、アンジェリカは襲ってきたものの正体を知った。


(なんで……?)


 左目に短剣を突き刺したまま、よろめいて立ち上がる黒狼がいた。

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