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第29話

鬱々してるので注意。

前半すっ飛ばしても、問題ないです。

「第二皇子との婚約者が決まりました」


 現実検討能力は故障中ですか。


 声があったら確実にそう呟いていた。


 どう考えてもおかしい。

 教養に関する指導は行われてるとは言え、不十分。

 声は出ないので筆談でしか会話できない。

 綺麗な肌が求められる貴族にも関わらず怪我の痕がある。

 盗賊に捕まっていた、それだけで事実はともかく女性的に瑕疵がある。


 総合的評価が不良物件から上がることのない小娘と王族との婚約とは、正気の沙汰ではない。

 あれか、私の風評を落として共通の敵とすることで国民の支持を得ようとしてるのか。なにその地獄。やめてくれ。地獄は地獄でも、私は門番のところに常駐したい。


 どんな意見を紙に書いて表明しようが侮蔑の鞭が飛んでくるので、胸の中に大人しく押し込める。


「お前のような娘に、王族が婚約していただける名誉を光栄に思いなさい」


 ぱしんっ。


 飛んできた鞭が腕を叩いた。


 前言撤回。侮蔑の鞭(物理)は彼女の機嫌次第。

 存在を認めたくないなら、教師やめればいのに。

 

 ただ当たるものが欲しくて、ちょうどいい人材が転がっているから当たられていることを、アンジェリカは正しく理解している。

 抗おうものなら髪を掴まれ引きずり回されたり鞭ではないものが飛んでくるだけであることも経験済みだ。


 窓は十分に開かず、部屋の扉も常に施錠される。

 軟禁状態で逃げ出す余地もない。できることは、心を閉ざして、言うことを聞いて、虎視眈々と脱出の機会を窺い続ける事だけ。


 もっとも、意味不明な婚約のせいで脱出の機会があるかどうかすら危うい。


 そんなことを思う間にも、鞭が服の下に赤い筋を描いていく。


 帰りたい。どこ、と言われると困るけど、強いて言うなら土に還りたい。むしろ還らせてください。

 心配事が片付くまでは簡単に還れないのはわかってるけど還りたい。


 世の中の理不尽の権化になにかを期待するのは無駄だから、現状改善は期待値ゼロ。

 カルロのことがあるから割を食っているけど、そうでないほうが、幸せだったのではなかろうか。

 当時、ものすごく頑張ってくれていたカルロには悪いけど。


 寝て起きたら全部終わってましたとか、ないかなあ。ないよなあ。


 しょうもない夢と希望を脳裏に浮かべては沈めてを繰り返す。


「価値を与えてやってることを理解しているのかと聞いているのです、この化け物が!」


 一際大きな音を響かせて、服が裂けた。


 罵声によって引き戻された現実に、吐きたくなるため息を飲み込んだ。


 鞭で打たれても痛いと感じられない状態ってかなりやばいよなー、精神面。

 なんでわたしこんなところにいるんだろう。


 きーきーと喚くだけ喚き、鼻をならして部屋を出て行く様子を眺める。


 静寂が戻った自室。躾のために床に転がされたままの体勢で、アンジェリカは思考を停止させた。

 微動だにせず空虚を見つめていた彼女は、やがて深く息を吐き出す。

 

 早く終わればいいのに。一分でも一秒でも早く、この命が尽きてしまえば。


 左腕がうずいた。前腕に走る裂傷を覆うように亀甲と蛇の紋章が刻まれている。その周辺がぞわぞわと触覚を刺激する。


(……まだ……生きろっていうの、お前たちは……)


 落ち込み、厭世的な思考が悪化する度に、叱咤するようにそこは痛む。


(いつになったら、そこに行くことを許してくれるの)


 カルロのことが片付けば、だろうか。

 そうだったら嬉しいが、その先も生きろと言うのなら御免被りたい。


 ――。


 不意に、口元を押さえ激しく咳き込む。

 乱れた呼吸を落ち着かせるように深呼吸を行い、祈るように瞼を閉ざした。


 セツとギンカはもういない。いなくなってしまった。

 森へ帰してやればよかった。追い返してやれば良かった。縋るのではなかった。


 その後悔が、なによりも心に重くのしかかっている。

 その後悔が、いつまでも心を蝕みながらも、彼女を現実に繋ぎ止めている。


 沈んでいく意識のなかでアンジェリカは希う。

 傷が悪化しますように、と。






 願い虚しく、生憎なことにも体は丈夫かつ誰かが手当てをしてくれたらしい。


 目を覚ましてから暗闇の中で過ごすことしばらく。仄かに明るくなった外の光を頼りに、アンジェリカは腕を持ち上げる。

 丁寧に包帯が巻かれている。恐らく薬も塗ってあるのだろう。

 意識を失っていることの事だから、抗うこともできずこうして手当てをされてしまう。毎度のことながら本当に残念である。


 あるわけがないものを探して、手が胸元を彷徨う。

 空っぽのままの手のひらに我に返り、ぱたりと布団に落とした。


(どうして)


 唇が静かに動く。


 どうして。その後に続く思いを、飲み込んだ。

 ただでさえ、彼にはとてつもない迷惑を掛けて生きてきたのだ。

 期待するべきではない。望みが叶う道理もない。

 叶わない現実に恨みを抱くのは、身勝手が過ぎる。


 そんなものより、今私がしなければならないことは、死んでもカルロに害がないと確証が得られるまで生き伸びること。

 せめてあと三年。カルロが費やしてくれた期間と同じくらいの間、耐え忍んだところで償いにもならないことはわかっている。


 それでも、終わりが見えないこの生活に耐えるには、よすがが必要なのだ。


(……今頃、なにしてるのかな)


 元気に、貴族というしがらみもなく生きていてくれたらいい。

 情報を集めようとすればきっと手に入るだろう。

 世話をしてくれる人の誰かを懐柔すればできることも増えるのだろう。

 でも、そんな意志もなければ、気力も精神力もない。


 ――…………。


(これ以上、精神的に落ちるのもまずいか)

 

 その帰結を最後に、アンジュは再び思考を手放した。


















 日差しが眩しくて、ゆっくりと目を開く。

 ぼーっと空を見つめ、辺りが橙色に染まり始めたころ、ようやく体を起こした。


 少し前に雨が降ったのだろう。わずかに湿った土から特有の匂いが香る。それに混ざり、上品な紅茶の香りが鼻腔をくすぐった。

 虚空を眺めながら緩慢に思考を再開させる。


(街道から外れた森の中。ようは野垂れ死ねと)


 婚約から四年。始めは言われるがまま送っていた手紙も、半年もしないうちに書けと言われなくなった。

 その頃にはおざなりであれど行われていた教養指導もなくなり、ただいるだけの存在となること数ヶ月。

 お暇をいただきたいと願ったが、顔を真っ赤にした伯爵にしばかれた。それから三年ほど続いた監禁生活は先日、ようやく終わりを迎えた。


 急にやってきた伯爵の指示で小綺麗にされ、連れて行かれた部屋。そこにいた男から、侮蔑の言葉と紅茶を頭から浴びた。

 その後、身ぐるみを剥がされ、端切れのような服だけで馬車に乗せられ置いて行かれた現在。


 意味もわからなければ理由もわからない。わかりたいとも思えない。


(生き延びるのは無理かなあ)


 世の中にはどうにもならないことがある。

 これはそういう類の物。

 魔獣に一切遭遇せず、街なり村なりにたどり着く、人に会える確率はゼロに等しい。

 仮に会えたとしても、化け物と言われ刃物でも向けられたら終わりだ。


(もういいよねえ。さすがに、心が折れた)


 だいたいの契約は、契約者が死亡すればその時点で無効になる。


 例えば、リクハが来ないかな、とか思ったことがある。

 けれども現実、誰も来ていない。

 リスクを冒して接触するほどの理由が、彼にはない。


 別れてからもう五年だ。いい加減、もう良いだろう。

 契約は無事に満了した。あるいは契約者の死亡をもって無効となった。


 だから、このまま死んでも迷惑はかからない。

 再び地面に倒れ込み、四肢を投げ出した。目を閉じて、深く深く息を吐き出した。


 とくとくと、鼓動が聞こえる。

 さわさわと、木々が囁きあう。

 ひゅうひゅうと、風のざわめきが吹き抜ける。


 アンジェリカは瞼を震わせ、薄く目を開いた。


(……………………迷惑はかからないと、思いたいのに)


 ほんの少し、残っている悲観的な思考が主張する。

 その予測があっていればいい。でも違ったときはどうするのか。取り返しはつかないことであるのに、と。


 浸かれたようにため息をはき、ゆっくりと立ち上がった。


(いきたくない……けど……やらなきゃ……)


 自分を甘やかした時の後悔はもういらない。

 体を引きずるようにして、あてどなく森を歩く。


 薄暗くなり、視界もままならなくなってきた頃、小さな洞穴を見つけた。

 崖に面したところにぽっかりとあく、小柄な子どもであれば通れるであろう穴だ。

 魔物の巣である可能性も脳裏をよぎったが、どこで遭遇しようと為す術もないことは変わらない。


 そう結論付け、その洞穴に体をねじ込んだ。

 ぺたぺたと手足をついて、少しばかり中に進む。

 片手を壁につけて両手を広げてももう片方の手は宙を彷徨う。

 思ったより、幅も高さもあるらしい。

 

 もとは洞窟だったが、土砂崩れかなにかで入り口が大きく塞がれたのだろう。

 生き物の気配がないことにほっと息をつき、洞窟の壁に背中を預けるように座り込んだ。

 膝を抱き寄せて、顔を埋める。


 生きるためにやらなければならないこと、その一。保温。

 洞窟のおかげで雨風はしのげるが、それでも夜の森は冷える。

 今はまだ寒くないけれども、今後のことを考えればなにかしらの保温手段の確保は必要。


 その二。水分と食料の確保。

 もともとまともに摂取できていないため、体の衰弱は明らか。

 食料はなんとかなるだろうが、水分は急ぐ必要がある。


 その三。火の確保。

 保温と食料にも通じることではあるが、ある程度目処が立ってから取り組むべきことである。


 どうしてこうも、生きることに手がかかるのか。

 飲まず食わずでも生きられ、面倒なしがらみもない。

 そんな世界だったら、ここまで煩わしいこともないだろうに。


 ゆらゆらと思考がたゆたう。

 かつん、と硬い物がぶつかり合う音がした。


 首を巡らせ、そこにあるものに目を見張った。

 暗闇の奥にくっきりと姿を映す白い動物が二匹。


(セツ……ギンカ……?)


 呆然とするアンジェリカに二匹は背を向ける。

 咄嗟に立ち上がり、洞窟の奥へとまろびそうになりながら走る。


(待って、待ってよ!)


 二匹との距離は開いていくばかり。

 くっきりしていた二匹の輪郭がぼやけ、闇に溶けていく。


 走っているとは言えない速さで足を動かしていたアンジェリカは、さらに速度を落とした。

 震える足で引きずるように数本歩き、かくりと座り込んだ。


 同時に、遠のいていた二人の歩みが止まった。

 振り返った二匹のぼやけた輪郭が、大きく形を変える。


「大姫、早う」

「長くはもたないのお」


 低く静かな声と、それよりは高くのんびりとした声。

 呆然としている合間に、判然としない輪郭が消えた。


 ぴちゃりと、水音が響く。

 ずるずると這いずる音が後ろを彷徨う。


 緩慢に首を巡らせて、息を飲んだ。

 暗闇の中で、闇が蠢く。

 音が止み、静寂が戻る。


 辺りを見渡し、どこかへ逃げたのだろうかと気を緩めたとき。

 眼前に、赤い眼が浮かび上がった。


(――っ!)


 はっと目を見開いた。

 肩で息をつき、ゆっくりと辺りを見渡す。


 一寸先も見えない暗闇の中、入り口があった方へと手を伸ばす。

 すぐに壁に手が触れ、胸をなで下ろした。

 最初に腰を落ち着けた場所から変わっていないようだ。


(ゆめ……?)


 深く息を吐いて壁に背中を預け、足を投げ出した。


(セツとギンカの夢、初めて見た)


 あの声は二人のものだったのだろうか。

 人の形をとっていたけれど、そもそもそんなことができたのか。


 頭を振りかぶった。

 夢は夢だ。あの姿も声も、自分が抱いていた妄想の産物。


 洞窟の奥へと視線を向ける。


 早く。長くは持たない。

 そう告げられた直後、後ろを這いずっていたなにか。

 目の前に浮かぶ、赤い目。


 入り口の方を振り返る。なにかが近づいてくるような、不自然な音はしない。

 けれども、心臓を鷲づかみにしたあの恐怖が、脳裏にこびりついて離れなかった。


 夢は夢だ。それはわかっている。それでも、胸を締め付ける恐怖はいかんともしがたい。

 おもむろに立ち上がり、壁伝いに奥へと足を踏み出した。


 時折後ろを振り返っては安堵の息をつき、深く潜っていく。


 いつまでも続く暗闇にくじけ始めた頃。

 ほんのりと見えた光に、我知らず目を輝かせた。




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