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第28話

 ペロプスを剥ぎ取られ、首飾りは奪われ。

 取り返そうとしたら殴られ、無理矢理に目を失った子の合わない衣装を着させられた。


 彼女はどこかに連れ出され、遠くで、断末魔のような悲鳴を聞いた気がした。


 一言では言い表せない、激しい感情が腹の底にわだかまる。

 しくしくと痛む腹を抱えて、硬く目を閉ざして蹲った。


 大丈夫。だいじょうぶ。

 生きてさえいれば、きっと、悪いようにはならない。


「大変だっ! 追っ手が来たぞ!」


 飛び込んできた青年の後方で、喧騒が響く。


「馬鹿な! 早すぎる!!」

「見つかる前にずらかるぞ」


 体に触れた厳つい手にびしっと体を強ばらせた。

 ついで襲った腹部の圧迫感と浮遊感に喉の奥がつまる。

 焼けつく胸の痛みに口元を押さえて咳き込んだ。


「うわっ、なんだこいつ、病もちか!?」


 思わずと言った様子で地面に投げ出され、アンジュは声もなく呻く。


 今にも、暴れ回って泣き叫んで、力があれば破壊して回りたい衝動を抑え込むように自分を抱きしめた。

 くしゃくしゃに歪んだ瞳が紫がかる。

 体のあちらこちらが痛くて、再び閉ざした瞼の下にじわじわと熱が広がった。


「ど、どうしましょう」

「お前が持て」

「えぇっ!?」

「いいから持て! 渡してしまえばこっちのもんだ!」


 被せられた肌触りの悪い袋。乱雑に持ち上げられ、ぐらぐらと揺れるそれに小さくえずいた。

 ぱたぱたと反響していた音はやがて草を踏みしめる音へと変わる。


 途中、袋から出されたアンジュは、外の爽やかな空気を貪るけれど、休む間もなく担がれて吐き気を飲み込んだ。


 ――ふふ、ふふふふふふふふふ。


 嘲笑う声が耳の奥で聞こえる。


「伯爵様!」

「おぉ、君たちは! よくやってくれた」


 うっすらと開いた視界に映るのは、自分と同じ青い瞳を持った人間。

 じっと見つめてくるその瞳には、喜びも憐れみも何もない。


 ぼんやりとする頭で見つめていると、ふいに、男が破顔した。


「アンジェリカ。よくぞ無事だった」


 今では誰も呼ばなくなったその名で呼ばれて、怖気が走った。

 咄嗟に突き放そうとするより早く抱きしめられて全身が強ばる。


 いくら同じ髪や目の色をしているとは言え、顔形も背格好も違うはずなのに。


「無事で良かった」


 あたかも知り合いであったかのように振る舞う男が、おかしく思えた。

 明らかに質の良い身なり。護衛と思しき帯剣している人。

 貴族であることは明白。だが、いくら記憶を遡っても、知り合いに目の前の男はいない。


 違う、と言いたいのに声が出てこない。

 本当によかったと、抱きしめるその存在が気持ち悪い。


 助けて、と希おうとして、けれども思い浮かんだ顔に唇を噛みしめた。


「さあ、家へ帰ろう」


 馬車に乗り込んで去って行く一団を、木々の隙間から白い梟が見つめている。

 悔しそうに目を細めた梟は喉の奥で唸るように鳴いた。





 馬車でも寝付けず、豪華な部屋に寝かされて、身体を洗われ、医師の診察を受けて薬を飲まされて。

 ようやく一人なれたアンジュは肩の力を抜いた。

 考えることもなにすることも放棄して、ぼんやりと天井を見つめ、うとうとする。


 声がする。

 恐ろしい声が。

 身をよだつ声が。

 捕らえようと。飲み込もうと。取り込もうとする声が。

 

 本能的な恐怖に突き動かされるようにして、逃げる。

 逃げても逃げても追いかけてきて。


 ――つか、……まえ…たあ……!


 ねっとりと、嘲笑しながらそれは告げる。


 なだれ込んでくる悪意や害意の数々。

 そして、負の感情。


 怒りが身を焦がす。

 悲しみが身をしぼませ。

 嘆きに身を投げ。

 後悔が身を食らう。


(違う。違う、違うちがうちがうちがう)


 これは私のものじゃない。

 それは私の感情ではない。

 たとえ私にもそういう感情が生じるとしても。

 なだれ込んでくるこれが、私のものではない。


 ――いいえ。すべて、貴方に向けられたものさ。


 自分勝手で、わがままで、なんて面倒な子。手のかかるそこにいるのも迷惑なの。

 腹立たしい。なんで貴方なんかを相手にしなければならないのか。


 ――彼だって、そう思っているわ。


 目を塞いで、耳を塞いで、我が身を守るように蹲る。


(うるさい。そういうのは本人の口から聞く。お前の言うことなんか知らない)


 知らない。聞かない。

 嫌いなら嫌いでいい。ただ、それはちゃんとカルロの口から聞く。

 他の誰かの、本当かどうかも判断つかないようなことなんて信用に値しない。


 でも。


 ほんの少し、ちょっと、半分くらい、そうかもしれないと思う心があって。

 会うのが恐ろしくて。


 愚かな感情に、髪の毛を握りこむようにして頭を抱えた。














 処刑台の上。

 そこに、後ろ手で縛られた女性というには幼い少女が兵に引っ立てられて立つ。


 美しかった金色の髪は見る影もない。

 身体も痩せ細り、落ちくぼんだ眼窩に浮かぶ青い目は光を宿していない。


 首に縄をかけられた少女は、号令とともに、その身体が宙に浮いた。

 振り子のように身体が揺れる。


 激しい渇望が身を襲う。

 なんで、手を取ってくれなかった。

 どうして、伸ばした手を拒絶した。


 なんで、どうして。


 ――お前のイない世界ニ、なンノ価値ガあル。


「――っ!?」


 跳ね起きたカルロは、辺りを見渡して、片手で顔を覆った。

 深く息を吐き出して、布団から出る。


 まだ灯りはほの暗いが、起きるひとも出てくるころだ。


 ここのところ、眠りが浅い。

 ずっと嫌な夢を見ては、飛び起きることを繰り返している。


「契約は、満了したってのに……」


 あの日。攫われた村の人たちを助け出したそのあとで。

 アンジュがいそうな方へ向かったその先で、彼女に渡した首飾りを持っていた男を脅して吐かせて、入れ替えられたことを知った。


 山を越え、国境を越えたその先の国で、ようやく依頼人と落ち合う予定だった。

 だが、向こうは向こうでなにやら問題を抱えていたみたいで、国境を渡ってきた依頼人に再会し初めて知った。


 その国の、とある貴族からアンジェリカを保護していると連絡があったと。

 だがその時たしかにカルロとともにアンジュは――アンジェリカはいた。


 その真相を探るために、伯爵から攫われたと連絡を受けた際に、動いて見せたらしい。

 まさかそこに当の本人がいて、しかも伯爵が身代わりに立てたであろう子と当の本人が入れ替わるとは予想だにしていなかったと。


 井戸のそばで、水を頭から被った。

 胸元に刻まれていた契約紋があったところを指でなぞる。


 入れ替えられた伯爵令嬢はたしかにアンジェリカだったらしく。

 後日、国境を越えた街で顔を合わせたときに契約満了を告げられた。


 その伯爵家はどうやら彼のなくなった妻、すなわちアンジェリカの母の出身らしい。

 いろいろと気になることはあった。だが、契約満了を告げた以上、君には関係ないと言われてしまえば何も言えなかった。


 それからおよそ一ヶ月。

 考えていないわけではなかったが、いざ肩の荷が下りた現状、どうしていいか分からない。

 ただ、なんとなく依頼を受けて、魔獣を倒している。


 なにかが、足りない。いや、そのなにかなんて彼女以外にいない。

 思いのほかあの生活に慣れきっていて、それが当たり前になっていたのだと、いなくなって初めて気がついた。


「…………毎朝のことながら、馬鹿みてえ」


 同じように落ち込んでは凹んで、自分の馬鹿さ加減に辟易する。

 どこかに行く気にはなれなくて無為に過ごしていたけれど、離れた方がいいかもしれない。


 部屋に戻ったカルロは、鞄に頭を突っ込んでじたばたと足掻いている白い塊に目を向けた。

 それは彼女が使っていた鞄だ。唯一盗賊の手から逃れた男の子からそれを受け取ったはいいものの、それ以上、手をつけられないでいる鞄。


 ばたつかせている足を掴んで、引き上げた。

 ぷらん、と白い梟が揺れる。


「なにやってんだ、お前」


 見下ろした鞄の中に白蛇と白い亀の姿は見えない。

 それに初めて気がついて、沸き起こる感傷に首を横に振った。


「お前もどこへなりとも行け。森に帰るも、アンジュの……あいつのところにいくも好きにしろ」


 ぽすん、とベッドの上に降ろして鞄の紐を掴んで肩にかける。


「どうにかして入ってこられるなら、見つからないようにも出られるだろ。人に見つかる前にさっさと行くんだぞ」


 扉の方へ足を向けた。

 羽ばたいた音がしたけれど、振り返るつもりはない。


 扉を開けようとして、しかしずしりと重くなった鞄に視線を落とした。


 鞄をわし掴んで、両翼を広げて梟がふるふると震えている。

 ずり落ちた梟にぎょっと目を剥いて咄嗟に手を差し出した。


 すーっと滑空した梟は、伸ばされた腕に見向きもせず、所定の位置――カルロの肩に落ち着く。


「……………………お前な」


 落ちなくて良かったと思うべきか、マイペースだと呆れるべきか。

 わしっと肩の梟を両手で掴んで目の前に持ち上げた。


 不思議そうに首を傾げる。

 先ほどと同じようにベッドに降ろそうとして。


 ふと、思い出した。

 顔に埋めてほくほくと笑う彼女のことを。


 寝付きも悪ければ目覚めも悪く、今朝見た夢はいつもより鮮明で。

 だから、余計に感傷的になっていたのもある。


「……………………」


 もふ、と彼女がいつもしていたように、梟のお腹に顔を埋めた。


 肌触りは悪くはない。とくとくと、脈打つ音が聞こえる。

 規則正しく動いていたお腹がふくれあがった。


 ふすんと胸を張り、どうだ気持ちいいだろう、とでも言うような。

 その姿が、どうしてかアンジュが大丈夫と親指を立てるときの姿と重なって。


「お前、一緒に来るか?」


 そう、気づいたときには聞いていた。

 自分の波源に我に返り、撤回するよりも早く、梟はカルロの手をすり抜けた。


 足下の方から腕に飛び上がり、その拍子に鞄の蓋を開けた梟は。

 ずぼっと。勢いよく鞄の中へとその身体を収めた。


 鞄ごと目の前に持ち上げると、先ほどと同じようにどうだ、と胸を張っている。


「ふはっ……!」


 じんわりと、胸が温かくて。それでいて、苦しい。

 鞄をベッドの上に置いて、目線を合わせるようにカルロはしゃがんだ。

 一瞬躊躇ったものの、そっと手を置いて頭を撫でた。


「よろしく頼むな。――リクハ」


 初めてカルロに名前を呼ばれたリクハは翼を広げようとして、鞄の縁で広げられず、じたばたと動く。

 それにカルロは呆れたように笑った。

 リクハは大人しくなると。ぐるりと首を巡らせる。


 拗ねたのだろうか。

 仕草の一つ一つが彼女と重なって、切なげにカルロは目を細めた。

 頭をなで回して、鞄の蓋をかける。


 宿を出て、街の外へと出た。

 カルロはある程度進んだところで、足を留めて街を振り返る。正しくは、街がある向こう側を。

 静かに遠くを見つめていると、もぞりと鞄が動いく。

 落ち着かせるように手を置いてカルロは踵を返した。









 声が出ないという事実に、嫌な顔をされた。

 腕にある傷にも、これだから平民はと、蔑まれた。


 一年でやれと言われて、朝から晩まで、マナーというマナーをたたき込む授業の数々。

 できないときには鞭が飛んできたり、物覚えが悪いと言葉の暴力が飛んだり、恥ずかしいから出せないと部屋に閉じ込められている。


 引きこもりたいと常々思っているけれど、これじゃない。そうじゃない。


 その精神的負荷に耐えられているのは、いつのまにかちゃっかりこっそり居座っているセツとギンカのおかげだ。

 大丈夫、と唇だけ動かして、寝静まった頃にひょっこりと顔を見せる彼らに微笑みかける。


 リクハは自分よりもカルロに懐いていたから、きっとそちらにいるのだろう。


 貴族に連れて行かれた後のことをあまり覚えていない。

 高熱を出して寝込んで、熱が下がった後も煩わしい“声”から意識をそらすのに必死で何があったのかも覚えていない。


 ただ、奪われたはずの首飾りがいつの間にか戻ってきていた。

 セツとギンカと首飾り。それだけが、アンジェリカの拠り所だ。


 何がどうなったのか聞くことは許されていない。

 聞いたところで返ってくるのは侮蔑と嘲り。


 入れ替えられた少女は、そのことを知ったカルロは、どうなったのだろう。


 無事だといいな。リクハがいると仮定したら大丈夫だろうか。

 あの鞄がカルロのもとに渡っているならいい。

 自分で使うも、完成品を売って金にするも、研究成果を公表するもカルロ次第。


 いつか、面倒を見てくれたカルロのためにと思ったからあそこまで、細かく研究を重ねた。

 ポーションの類は市場を考えても結構な金にはなるはずだ。


 もっとも、どれもカルロが無事で鞄が手に渡っているという前提の話だけれど。


 どうか、カルロが無事でありますように。

 幸福が訪れていますように。


 祈るように、首飾りを握りしめる。

 ちろちろと舌で頬をくすぐるセツに目元を和め、かぶかぶと指を噛むギンカに口元を緩ませる。


 二匹をやんわりと抱き、憎いほどに肌触りの良いベッドの中で目を閉ざした。




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