第27話
泣きすする声が、暗く土臭いなかに響く。
うっすらと開けた視界には女性と子どもが沢山いて、その向こう側に格子が見える。
「ろう、や…?」
壁に手をついてなんとか身体を起こす。
背中を壁に預け、宙をやや仰ぎながら肩で息をする。
彼女たちは恐らくあの村の者たちだろう。男の姿が見えないのは殺されたからなのか。
いや、だが昼間だったことを考えると、働きに出ていた可能性もある。
村というからには、狩猟の役を担うものたちがいたはずだ。
だが、カルロの姿が部屋になかったのはどういうことなのだろう。
あの場にいなかったことは幸いだが、捕まって迷惑をかけることは災いだ。
奴隷とか人身売買は表だって行われていない。
ただ慰み者にするためだけならば子どもは攫わない。だから恐らくそういう伝手があると考えていいはず。
これは非合法で行われているのか、非合法のなかでも権力ゆえに黙認されているのか。
あるいはそこまで捜査が行き届いていないのか。
どれにしても、現状の行きつく先はろくでもないもので間違いはない。
「どうして、私がこんな目に……」
「あなた……ごめんなさいあなた……」
「ママ、ぼく、どうなっちゃうの? しんじゃうの?」
「大丈夫よ。貴方だけは、ママが守るからね……」
嘆き。悲しみ。怒り。悔い。
口を開けば聞くに堪えないことばかり。
アンジェリカは眉間にしわを寄せた。
耳を塞いでも完全に音を遮断することができず、嘆く言葉が頭に届く。
唇を噛みしめて耐え忍んでいた頭に、がん、と衝撃が走った。
「お前のせいだ! お前があいつらを呼んだんだろっ!?」
取るに足りない言いがかり。普段であれば腹は立てれど聞き流したであろう。
けれどもアンジュとて精神的な余裕がない。
容易に不機嫌率は臨界点突破した。
「あ゛?」
しゃくり上げるように見上げて睨みつければ、ひるんだ様子で少年が後退る。
アンジェリカは壁に手をつきながら、その場に立ち上がった。
自分よりも背の高いその少年によろめきながら近づき、胸ぐらを掴んで引っ張った。
「うじうじぐだぐだぴーちくぱーちくめそめそと嘆くしか能のない馬鹿が、今度は他人様に責任転嫁か。ふざけるのも大概にしろ」
「っ……お前のせい以外に、何があるんだよ!!」
腕を掴み上げ引き剥がした少年の力の強さに顔をしかめる。
切羽詰まった少年がそれに気づくことはなく、
身体を支えきれなかったアンジェリカはなす術もなく地面に身体をこすった。
肘や足、そして掴まれた腕に痛みが流れる。
不意に、せりあがってきたものに口元を押さえた。
堪えきれなかった酸っぱさが、鼻の奥からつんと抜け、それを自覚したときには吐き戻していた。
短い悲鳴と、罵る声に重なるように、ひりひりと痛む喉に乾いた咳がこぼれた。
吐く物がないから液状のものだけだが、締まるような苦しさに胸を押さえた。
「ちょっと、あなた大丈夫!?」
のぞき込む青い瞳に宿る気遣いに、アンジェリカはわずかに首を上下に動かす。
「……んで、なんでそんなやつを庇うんだよっ。それでそいつが死んだって、誰も悲しまねえ!」
「アルファン!!」
「そんなに、この先を、生きることが、怖いなら……、今ここで、自害でも何でもすればいい」
横目でにらみつけて、アンジェリカは瞳を瞼の下に隠す。
あまりの言い草に誰もが絶句して二の句が継げないなか、アンジュは途切れ途切れに、思いを紡ぐ。
「生き残らなきゃいけないんだ。カルロが来るまで、生きなきゃいけないの」
本音を言うならば、恐ろしい。ただ、生きるか死ぬかはどちらでもいい。
なるようになるけれど、カルロのことがあるから、生きることにしがみつかなければならない。
生きるという思いを抱いていなければ、自分のことだから、曖昧なままに流されて運悪く死ぬ。
それによりカルロが迷惑を被ることを考えると、彼に助けられる身としては、そこは譲ってはいけないものだ。
「邪魔しないでよ……あの子が、きっと……。カルロは、来るから……生き残る、邪魔しないで……」
「あなた、すごい熱じゃない!」
わたわたと、慌てふためく少女の気配がする。
「くっそ……くだらない、ことに……体力使った……」
「なんだと!?」
「アルファンは向こう行ってて! あなたも、そういうの一言余計、っていうんだからね!」
「ベル、だけどっ!」
言い募ろうとする少年に、少女はぴしゃりと言いのけた。
「だけどもでももだってもないっ! この子には連れの人がいるし、おじさんたちも狩りに出てたし、大丈夫だって信じなくてどうするの!」
眦をつり上げる少女の言い分はもっともだ。
襲撃があったのは昼間。普通、朝方や日暮れ時の気づかれにくい時間帯を選ぶ。
狩りが順調にいけば早く帰ってくることもあるし、昼間となれば応援を呼びに行きやすい。
希望を身に出し始めた人たちに、少女は胸元を握りしめながら微笑んだ。
「それに、ロイスがいないんだ。ここに、ロイスだけがいないんだ」
辺りを見渡した者たちが、初めてその事実に気づいたようにざわついた。
「ほんとだ。ロイスがいない」
「多分、うまく逃げたんだよ。私はそう信じてる。ひょろっちくて、泣き虫で、弱虫だけど、私たちを見捨てるような子じゃない」
「ベルの言う通りよ。アルファン、苛立つ気持ちも分かるけれど、今はロイスを、お父さんたちを信じて待ちましょう」
「……………………わかった」
大人たちにまでそう言われ、渋々といった様子で少年が引き下がった。
成り行きに耳を傾けていたアンジュはそっと息をついた。
重い瞼を押し上げると、啖呵を切っていた少女の周りに集まる子どもが見えた。
毅然としてる人がいるだけで、子どもはそれだけで安心できる。
親がいるなら親がいいのだろうが、気の置けない相手というのもそうなのだろう。
子どもに囲まれて笑みを浮かべる少女。
その赤い髪に現れているかのごとく、子どもらしくない情のたくましさ。
それがとても印象的で、アンジュは目元を和めた。
――不意に、喉の奥がつまった。口元を押さえ、けほりと軽く咳き込んだ。
鼻についた鉄臭さに、視線を落とせば手のひらを赤く汚すものがある。
ぐっと手のひらを握り込んで、ペロプスの中に腕を引っ込めた。
衣服の中に口元を隠して、再び咳き込む。
視界を閉ざせば、慌てふためく顔が思い浮かぶ。
それにくすりと小さな笑みを零し、すぐに口角を下げた。
胸に下がる首飾りを握りしめる。
お守りの礼だと言って貰った物だ。
一見すると質素だ。よく見ると細かい意匠が施されていて、恐らくなかなか良い値がするのだろう。
感謝より先に思わず金銭感覚を疑ってしまい、しばらくカルロが拗ねていたのは懐かしい記憶だ。
祈るようにアンジェリカは視界を閉ざした。
一体、こんな生活がいつまで続くのだろう。
もういいだろう。もう、終わらせて欲しい。
これ以上、彼の人生を縛り付けないで欲しい。
あと何度、彼は恐れればいいのだろう。
あと何度、私の存在に己の命を賭せばいいのだろう。
あと何度朝が来たら、あの子はアンジェリカという軛から逃れられて、自由に生きていけるのだろう――。
うとうとしていると、唐突に辺りが騒がしくなった。
乱暴に腕を引かれて否が応でも意識が覚醒する。
「いたい……っ」
「ぐずぐずするな! さっさと来い!」
落ちた怒声にびくりと身体をすくませた。
掴まれる腕に引きずられるように、なんとか足を動かす。
「待って! その子は」
「うるせぇ! てめぇらはそこで大人しくしてろ!!」
しばしして、格子が音を立ててしまった。
牢の中を見つめると、不安げな顔をしているのは赤い髪の少女とその周りの子どもたちだけ。
大人たちは視線を合わさないように顔を背け、子どもを隠すように抱いている。
少し考えれば当たり前のなんの感慨も湧かなかった。
彼女たちがアンジュに興味がないように、アンジュもまた、彼女たちに興味がない。
ただ、唯一案じてくれた少女については思うところがあるけれども、所詮は他人だとぼんやりした頭で区切りをつける。
連れて行かれた先にもう一つ、牢があった。
身なりの良さそうな子どもたちばかり。恐らく、貴族の子どもたちだろう。
彼らの前を通り過ぎ、更にその奥。
目から血を流して呻いている女の子がいた。
「連れてきやした。ほら、こいつなら同じ金髪碧眼。村の子どもなんで、いなくなったところでばれやしないですぜ」
「…………まぁ、いいだろう。条件は金髪碧眼の娘だからな。少々小さいが、まあ平民育ちだからと言えば年齢の誤差はごまかせる」
アンジュはぼんやりと目の前の盗賊たちを見つめた。
言葉は耳に入ってきていても、それを理解するほど頭が回らない。
「そのまま腕を押さえてろ」
頭目だろうか。偉ぶるその男の指示で押さえられた腕に、ざくりと、短刀が突き立てられた。
「うっ、くぅぅ……っ」
引き抜かれた腕から血しぶきが舞う。
「『~~~~~~~~~~~~』」
聞き慣れない言葉とともに、ふっと身体の中をなにかが突き抜ける。
「いいか、娘。このことを、誰かに言えばお前は死ぬ。まあ、念には念を入れて話せないようにしたから、無理だろうが」
なんのこと、と言おうとして、けれども音にならない言葉に目をわずかに見開いた。
喉に力を込めるけれども、吐息だけがこぼれ落ちる。
その様子に、男は見下しながら笑う。
「黙っていれば豪華な生活を手に入れられるんだ。はっ、羨ましいぜ」
「契約紋が見当たらないようですが、大丈夫ですかね?」
「ああ?」
腕をひねり上げられた。
痛みに喉を仰け反らせるも、呻きは吐息に隠れて消える。
睨むように見上げたアンジュは息を飲んだ。
契約をしたらしい男の鎖骨下に浮かぶ紋様がある。
カルロの胸元にも、形は違えど似たようなものがあった。
それが何か聞いても答えてはくれなかったから、それ以上聞くことはしなかったけれど。
できることなら、こんな形で知りたくはなかった。
「俺には契約紋があるし、効果は反映されているから問題ないだろ」
「ならいいのですが」
「あれだろ。一応“契約主”はその娘、というか“ご令嬢”だからな。お貴族様のほうには何もないんだろうよ」
契約されたことはあっても、自分が契約の主になることはまずないからな。
げらげらと笑う男たちの声に顔をしかめて、アンジュは口を開いた。
言葉が空気に隠れる。
こみ上げて視界をにじませる物を飲み込んでアンジュは身体を震わせた。




