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第22話

「おい。何してんだお前」

「あ」


 アンジュは手作業を止めて顔をめぐらせた。

 荷物を置いて近づいてきたカルロに、作業中のものを机の上に置いてそそくさとベッドに向かう。


 後ろから追いかけてきたカルロの手が、アンジュの頭を上から押すように掴んだ。


「なにしてんだ?」

「ちょっと暇つぶしを」


 のぞき込んでくるカルロから顔を背けながら冷や汗を流す。


「なあ。俺、言ったよな? 今日こそはちゃんと寝てろって言ったよな?」

「暇だったからつい」

「つい、じゃねえ。つい、じゃ。お前それで昨日もその前も調子崩して寝込んだだろうが」

「痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!」


 カルロの拳が頭を挟み込み、ぐりぐりと頭皮を躙る。

 しばらくして解放されたアンジュは、頭を押さえて床に泣きついた。


「今日もちゃんと休んでやってたのに」

「そういう問題じゃねえよばか。本調子じゃないのに無理して動くなって言ってんだばか」

「本調子じゃないというか、調子はいいんだよ。ただ、何の加減か急激に気分が悪くなることがあるだけで」

「それをな」


 ぐりぐりと、カルロの拳が再びアンジュの頭に押しつけられてすり動く。


「人は本調子じゃないって言うんだよっ!」

「痛い痛い痛い、いたたたたたたたたっ」


 ひー、と情けのない声を上げながらアンジュはしくしくと身体を震わせる。


 そんなんじゃないのに。本当に、何の前触れもなくすとんとおかしくなるからこちらだって困っているのに。

 でもそれをうまく言葉にできないから、端から見れば本調子ではないのに無理をしているということになってしまう。


 だとしても。


「頭ぐりぐりの刑はひどい……」

「お前が無理するからだ」


 抱え上げられて、ベッドに寝かされた。

 されるがままに布団を被せられたアンジュは、布団から顔を出して、後片付けをするカルロを見る。


「繕ってくれるのはありがたいが、それでお前が体調を崩してちゃ元も子もないだろ」

「…………面目ありません」


 この街に来て、かれこれ十日ほど経った。

 二、三日で出立する予定だったが、熱を出して倒れて以降、体調を考慮して街に留まっている。

 アンジュとしては、一応それなりに回復しているから構わないのだが、カルロの許可が下りない。

 そのため、カルロが依頼に行っている間は宿の中で過ごすしかない。


 引きこもりは願ってもないことなので構わないが、することがないのは苦痛だ。

 整理するほどの荷物はないけれども、広げて見ていたときに見つけた針と糸。

 女将さんが誤ったのかそれともあえて忍ばせたのかわからない。返す当てもない以上、これ幸いにとありがたく使わせてもらっていた。


「ただ、寝てばっかりも体力が落ちる」

「……それはまあ、そうだが。倒れてちゃな」

「大丈夫。半日なら倒れないらしいから」

「ほう」


 腕を組んで冷ややかに見下ろしてくるカルロに、アンジュは布団の端からそっと手を除かせて親指を立てた。


「ほんと前兆も前触れもないから、動けるときに動いておくべき。に一票。倒れたらその時はごめん」

「それが困るんだが? 街の中ならともかく、移動中だったら何もしてやれない」

「昨日もその前も、気分が悪くなってぱたっと倒れて寝たけど、それ以外特にできることがないというのが現状」


 カルロが渋面を作る。

 否定しないのはそれが事実だからだ。


「……三日。倒れなきゃ出るからな」

「じゃあそれまでに繕い物を」

「いいから今は横になってろっ!」


 起き上がろうとした身体を押さえつけられて、アンジュは口元をへの字に曲げた。

 今日は日が昇りきってから作業を始めたため、時間はそれほど経っていない。けれども、心配してくれているのは分かるので大人しく横になることにした。

 苦労にさらに心労をこれ以上重ねるのは忍びない。…そういいつつ、自分の調子を見ながらやることやろうとしているあたり、自分でも頑固だと思う。


 肉体的精神的疲労のせいか、ここ最近どこかいらいらしている様子を見受ける。

 ……原因が私なのはわかっている。わかっているさそれくらい。


 ただ、前世含めて一回りは下の、本来ならまだ大人の庇護下にあるような子どもの世話になるという事実に焦りが消えない。

 焦ってもカルロに迷惑をかけている以上、できることをまずやれ、と思うのだが、落ち着かなくて動いて迷惑をかける。


 堂々巡りだ。


「……………………いっそのこと」

「ん? なにか言ったか?」

「カルロがすっかりお母さんだとか言ってないよ」

「言ってるじゃねえか。手のかかる妹分はいても、娘がいた覚えはない」

「手厳しい」


 けらけらと笑って見せて、アンジュは目を細めて、頭まで布団を被った。


 家族でもなんでもない、世話をすることが仕事ですらない赤の他人にここまで迷惑かけるくらいなら、いっそのこと、最初から、存在しなければ良かったのに。


 無力な自分が悔しくて、憎くて。

 目尻を伝う熱い物に、唇を噛みしめた。






 温かい日差しが降り注ぐ。カルロの背中ごしに、変わらぬ景色を見続けるのも飽きていたアンジュは小さくあくびを零す。

 移動を始めて早七日。生い茂っていた森は徐々に本数を減らしている。

 もう少し行けば草原にでるそうで、日暮れまでには草原を抜けたいそうだ。


 街には乗合馬車もあったが、酔いやすい人や子どもは断られるらしい。

 曰く、馬車を途中で止めるのは後続に迷惑がかかるし、かといって馬車の中で吐き戻されたら同乗者に迷惑だから。


 それを聞いて納得をせざるを得なかったアンジュは、道中のほとんどを大人しくカルロに背負われている。


「アンジュ、降りろ」

「はいさ」


 唐突に脚を止めたカルロがしゃがみ込む。

 その背中から飛び降りたアンジュは、肩にかけた鞄を握りしめて数歩下がった。


 道中、何度も出くわしたから、そういう時の対応は心得ている。


 草陰から飛び出してきた黒い獣を、カルロは容赦なく切りつけた。遅れて襲いかかる獣を流れる動作で屠る。

 身体のをカルロの切っ先が通る度に肝が冷える。


 心の中で悲鳴を上げながら、カルロの邪魔にならないよう、けれどもいつでも動けるように脚を開いて佇む。

 じっと見つめていたアンジュはあれ、と目を瞬いた。


 時間差で襲ってくる獣たち。

 その猛攻が止むことはなく、じわりじわりと、カルロとの距離があいている。


 これ、大丈夫なのだろうか。


 首を傾げたとき、不意に影が落ちた。

 後ろを見上げると視界いっぱいに黒が広がる。


「ひゃあああああああっ!?」


 予想よりも間近にそれがあったことに飛び上がり、自分の脚に躓いて転げた。

 一瞬遅れて、影の拳が宙を切る。


 遅れてきた風圧に全身が粟立った。

 カルロが戦っていた獣が狼のようなら、それは熊だ。

 赤い瞳がぎらりと煌めく。


 振り上げられた腕。

 焦ったカルロの声が聞こえる。逃げろと叫ぶ声がする。


 けれども身体が縛り付けられたように動かなくて。


 あ、これ死んだ。


 拳を振り下ろそうと二足歩行の獣が地面を踏み込む。

 ずどん、と音を立てて熊が横に転がった。


 一瞬遅れて、雄叫びとともにカルロの剣が黒い熊の脳天を貫いた。

 しばらく痙攣していた熊は、跡形もなく崩れ去った。

 かわりに、ころん、と黒く丸い石が転がる。


「大丈夫か!?」


 傍に膝をついたカルロがのぞき込んでくる。

 放心していたアンジュはゆっくりと自我を取り戻し、首を縦に振った。


「………………………ねえ、カルロ」

「どこか痛むのか?」

「……あのドジっ子属性誰得?」

「は?」

「人を襲い、厄災をもたらす魔獣のドジっ子、需要あるの!?」

「大丈夫か? 頭打ったんじゃないのか?」


 外傷がないか頭や手足を見るカルロを眺める。

 触れたところから伝わる体温。


 死んで見ている夢なのか、現実なのか。

 混乱していた頭が徐々に現実を把握する。

 同時に、遅れてきた恐怖に身体が震えた。


 目頭の奥が熱い。

 こみ上げる泣きたい衝動を、ぐっと飲み込んだ。


 消えれば良いと思いながら、いざそれを目の前にして恐れるのだから、本当に都合のいい。


 不意に、カルロが鞄の中になにかをねじ込んだ。


 視線を向けて中をのぞき込もうとした手を、上から押さえつけられる。

 歩いてきた方角を横目で睨んでいるカルロ。

 何があるのかと横を向こうとしたが、カルロの身体に顔を押しつけられて動かせない。


 どういう状況なのか理解できず混乱した頭に、おーい、と叫ぶ声が届く。


「お前ら大丈夫か!?」

「え、ちょっと待ってなに。この魔石の量」

「凄いですねえ。これ、君一人で倒したのですか?」


 男性が一人と女性二人の声だ。

 まだ動悸はするが、身を苛むほどの恐怖はすでに過ぎ去っている。

 顔を上げたいけれども、頭を押さえる手が緩むことはなく、大人しくされるがままになる。


 とくとくと、聞こえる拍動が心地よい。


「だったらなんだ」


 今までにないほど冷ややかな声。カルロの腕の中でぼーっとしていたアンジュは大きく目を見開いた。


「っ、心配してる人に対して、態度の悪いガキだな」

「文句があるなら構わなければいいだけの話だろ」


 初めて目にする慳貪なカルロの態度。自分に対する物とまったく違う。

 密着したままなんとか顔を上げる。硬い顔をしているカルロに、人を警戒しているその姿に眦を下げた。


 生き抜くための処世術だったのだろう。人のことを言えた義理ではないが、敵を作りやすく味方を得にくいその態度で大変だっただろうに。


 そんな生き方を選ばせてしまった自分という存在が本当に申し訳ない。


 抱え上げられて、慌てて首に手を回した。

 声をかけてくれた人たちには目もくれず、魔石へと手を伸ばすカルロの頭に、手のひらを叩き落とした。


 ぺしん、と可愛い音が響く。


「……は?」


 魔石に手を伸ばした状態でカルロが硬直する。

 その腕から抜け出して、アンジュは声をかけてくれた人たちに向き直る。


 腰に佩いた剣や手に持っている杖。

 恐らく彼らも冒険者なのだろう。


「お兄ちゃんが失礼な態度をとってごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げた。


「…………おい。なんで謝る」


 不服そうな顔をしているカルロの方を振り返って、両手で頬を挟み込んだ。


 カルロのことを私はなにも知らない。だから偉そうなことはあまり言いたくない。

 けど、今の態度は、いつかカルロを傷つける。それは嫌だ。というか申し訳なさすぎて忍びない。


 しっかりとカルロの瞳を見つめた。


「だめだよ、カルロ。全部自分に返ってくるから」

「なんだよそれ」

「返ってくるの。いいことも、悪いことも。いつかの未来、どこかの今で、巡り巡って自分に返ってくる」


 真剣な眼差しに、カルロは眉間にしわを寄せた。

 

「だから、誰これ構わず良い顔しろって?」

「その逆。誰これ構わず喧嘩売るような態度は、誰もカルロを助けてくれなくなる。心の中で何を思ってても、せめて面の皮を厚くして取り繕うくらいできるようになったほうがいいと思う」


 取り繕うことも、偽るという観点から見ればいいとは言えない。

 皆が皆、正直に生きていけるなら違うのだろうが、そうはならないのが現実で、正直者が馬鹿を見るのが人間だ。


「私がどうこう言っても、これからどう生きていくかはカルロ次第だけどね」

「だったら」

「ただ!」


 カルロの言葉を塞ぐように叫んだ。

 叫んで、ついむきになった情けなさに逡巡する。

 ここで譲ってしまったら、そこでくじける。


 そうしてでも譲るべきか。

 でも、それでも、自分の意志の表明くらいはしたい。

 自分の言葉を待っているカルロに視線を合わせられなくて、目を伏せた。


「……ただ、せめて少しでも、カルロが生きやすくなるのならそれがいいって、私は思うし、そう願ってる。……ごめんなさい、偉そうなこと言って」


 カルロから手を離して逃げるように近くに落ちている魔石の前にしゃがむ。


 もうちょっと、言い様があったかな。

 カルロくらいのお年頃の時って、何を言ってもするっとは受け入れられない時期だ。

 親に言われる寄りかは多少なりとも響くかもしれないが、いや、庇護対象からあんな偉そうなこと言われたら、腹立つか。


 のそのそと魔石を拾いながらひとりしおれる。

 忍び笑う声が耳朶をついた。


「噂の最年少Bランクも、妹の前じゃ形無しだな」


 不機嫌そうな面持ちでカルロが顔を背ける。

 無言で魔石を拾って回るカルロとは別の場所から、冒険者たちも魔石を拾い集めた。

 二人でやるよりも遙かに早い時間で集め終え、アンジュは三人に向かって頭を下げた。


「手伝ってくださり、ありがとうございます」

「いいのいいの。貴方が頑張っていたから、手伝いたくなっただけよ」


 頭に置かれた手に、鳥肌が立つ。

 逃げそうになった身体を押しとどめて、顔に笑顔を貼り付けた。


 撫でられるのはあまり好きではないのだが。

 潔癖症というわけではないが、なんというかこう、尻込みしてしまう。

 いつまでたっても慣れません。


 ひぃ、と胸の中で悲鳴を上げていたアンジュは、離れていく手に安堵を覚えた。

 カルロはずっとなにかを考え込んでいるようで、あれからずっと無言だ。


 魔石を入れた巾着を腰にくくりつける様子を眺めながら、アンジュは眦を落とした。

 カルロがごめんなさい、と謝ろうとして、けれども今それを告げるのは、考えているカルロに失礼か。

 どうするのか決めるまで、他人が口出ししていいことではないだろう。


 言葉を飲み込んで、改めて感謝を述べてアンジュはカルロの傍へ駆け寄った。

 屈んだカルロの首に手を回す。


「じゃあ、私たちも戻りましょう」

「そうだな」


 踵を返した冒険者たちの背中を肩越しに見つめて、アンジュは目を伏せた。

 そのまま進むと思ったカルロはしかし、くるりと反転する。


「おい」


 ひゅん、となにかが宙を切った

 振り返った、腰に剣を佩いている男の手に一際大きい魔石が収まる。


「……………………悪かった」


 どこか決まりが悪そうに、それだけ告げると、カルロは背中を向けて足早に歩く。

 その後頭部をまじまじと見つめて、へにゃりと頬を緩ませた。


 カルロは凄いなあ。


 称賛の意味をこめて、目の前の頭を軽く叩く。


 首を伸ばして後ろを顧みると、気づいた女性二人が手のひらを振る。

 ぺこりと小さく頭を下げた。


 前を向いたアンジュはカルロの頭に軽く手のひらを置いて、何度も往復させる。


「…やめろ」

「はい、ごめんなさい」

「……別に、お前が謝る必要ないだろ」

「はい、ごめんなさい」

「………………好きにしろ」


 それになんて答えていいのかわからなくて。

 溢れて止まらない情動に、背中にしっかりとしがみついてぶらぶらと足を揺らした。



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