最終話 花祭り
サラの家で思いっきり泣いてしまって、心が少し整理できた。
アヴィンに2回目に会ったとき、この頼み事は「まずは半年」と言っていた。花祭りのあとも、アヴィンが私が塔で撮ってくる映像を見たいと言ってくれるのかはわからないから、せめて後悔はしないように、アヴィンの頼まれごとは一生懸命こなした。
アヴィンには気づかれないように注意したつもりだけど、アヴィンは私の気持ちに気づいているのかな……
花祭りが近づくにつれて、キャシーさんは何かを言いたげに、心配そうな表情で私のことを見るようになった。キャシーさんは私の気持ちなんてとうの昔に気づいているから、心配させてしまっているのだと思う。
アヴィンに気づかれていないといいな。そう願いながら、花祭りの前日の今日も、いつもと同じようにアヴィンと夜道を歩く。
なぜか今日はずっと無言だけれど、たまにはそんな日もある。
「シリル」
「ん?」
アヴィンの声に少し顔を上げた。
「明日は花祭りだろ」
「そうだね。アヴィンは出るの?」
「俺は出ない」
そっかと呟きながら、明日、アヴィンが誰か別の女の子に花を渡す姿なんて見なくていいのだと分かって――すごく、すごく安心した。
そして、安心して、唇を噛んでいると、突然目の前に影ができた。
見上げると、暗くて表情は良く見えないけれど、アヴィンが私の前に立ってこちらをまっすぐ見下ろしていた。
期待するように胸がなる。ほんとうに、どうしようもない私の心。
「シリル」
「なに?」
「半年間ありがとう」
お別れの挨拶なんだろうか。そう聞きたくなって、確認したくなって涙を堪えて下を向いた。
今、言わなくていいのかもしれない。だけど、今日で終わりかもしれないから、余計に私はちゃんとアヴィンに伝えなければいけないと思った。
「アヴィン。あのさ……半年前のあの日、塔の上で警備ロボットを呼んだのは私なの」
アヴィンは何も言わない。私が目を逸らしているから、アヴィンの表情もわからない。
「だから、私にありがとうを言う必要なんてない。今まで黙っていてごめんなさい!」
「そうか……わかった」
私の向こうからアヴィンの静かな声が聞こえた。
「それはわかったが、シリル。何を気にしているんだ? あのとき、俺たちは別に知り合いじゃなかった。警備兵を呼ぶのは当たり前だろう?」
アヴィンのその言葉に驚いてアヴィンを見上げる。
「それより、シリル。脅してすまなかった。その……俺は生きていたから、余計に俺はどうしても。どうしても――塔の中をもっと見ていたかったんだ」
そう言ったあと、アヴィンが優しく私を見下ろした。
「だからシリル。俺の願いを聞いてくれてありがとう」
そして、アヴィンの残酷な言葉が続いた。
「明日、俺は、邪魔をしない」
「う、うん! 気にしないで。どういたしまして!」
気合いと根性で、笑顔で言ってから、逃げるように2層の階段に上って、振り返ってアヴィンに手を振った。アヴィンも、こちらに手を挙げて答えてくれる。
2層へと続く階段を上りきった。
『邪魔をしない』
その言葉をひどいと思ってしまう私は、何て身勝手なんだろう。
立っていられなくなって、私は通路にしゃがみ込んだ。
思い返せば、私は半年前のあの日――もうだめだったんだ。
私の大切なものを見上げて、きれいな涙を流す男性。
私の心はどうしようもなくあの瞬間に捕らえられてしまっていて、私はこの半年間、あの人のことしか考えていない。
「決めた。明日、花は受け取らない」
明日、私に花を贈ってくれる変わった趣味の優しい王子様が本当にいるのかわからないけれど、私はその王子様から花は受け取らない。
私は、心はあの人に捕らえられながら、王子様を騙して暮らすようなことはしたくはない。そんなひどいことを、誰かにしたくはない。
花祭りという場所で、王子様から渡される綺麗な花を、きっぱり断ることができたら、きっと何かが吹っ切れるだろう。応援してくれているサラと叔母さんには申し訳ないけれど、二人は説明したらわかってくれる、と思う。
そう心に決めてからあふれ出した涙は――心を洗い流すような澄んだ涙だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
花祭り――植物の育たない惑星リームヘルムで、入植直後から始まったお祭り。
この日だけは、3層の大通りから広場にかけて、たくさんの店が競い合うように、色とりどりの造花を店や道をいっぱいに飾る。
このお祭りを始めた人たちは、一体どんな気持ちでこの祭りを始めたのかな。
そして広場を見渡せばたくさんの女の子たちが、男性から誓いの言葉と花を受け取り、その女の子のために選んだのだろう世界で一番似合う色の花を、左耳の上に優しく挿してもらっている。
そしてまるで『花』のように――まぶしいくらいの満開の笑顔で、競い合うように笑っているんだ。
私は広場の入り口に突っ立って、同い年の友人たちの咲き誇るような笑顔を見つめていた。
今日の私の服装は叔母さんが選んで、着付けまで手伝ってくれた薄い黄色のワンピース。そして、今日はさらさらとした叔母さん自慢の薄い茶色の髪を、肩に下ろしている。
「シリルは今日、何色の花をもらってくるのかしら」と、亡くなったお母さんに代わって私の心配をしてくれていた叔母さんには申し訳ないけれど、どうしようもなく胸が苦しくて、「……帰ろう」と私はきびすを返した。
「シリルさん! いた!」
そんな声が後ろから聞こえてきて、歩みを止める。あの人は――今日は白いコートを着ていなくて自信がないけれど、塔の中で働いている管理者の人だと思う。
走ってこちらにやってきて、私の目の前で立ち止まった男性をまっすぐ見上げる。
「あの、これ! 受け取ってください」
目の前に差し出されたピンク色の綺麗な一輪の花。もしかして本物じゃないかなと、そう疑ってしまうような生き生きとした花だった。
必死な表情で私の言葉を待っている男性を見上げる。この男性はどんな気持ちでこの花を選んだのだろうか――
「ごめんなさい!」
心優しい王子様ごめんなさい。
私はこんな場所に来るんじゃなかった。
「好きな人がいるんです。ごめんなさい」
せめてきっぱりと断って、私は逃げるように広場を離れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大通りから細い通路に入った。
今私がいるのが、どこかもわからないけれど、視界には誰の姿もない。
もう泣いてもいいかな。
どさっと壁にもたれ掛かって、ぼーっと赤茶色の空を眺める。これまで散々泣いたからだろうか。もう涙は出てこなかった。
どれくらいそうしていただろう。ふと右側から足音が聞こえてそちらに顔を向けると――
「シリル」
アヴィンの顔が見えた。
「何があった」
アヴィンがそのままこちらにやってきて私の両肩を掴む。走ってきたのだろうか、アヴィンの息は少し切れていた。
「えっと……」
何て言おう。私はどう誤魔化そう。
すぐ近くにあるアヴィンの顔から目を逸らす。
「あの男に何を言われた」
アヴィンの言葉に驚いて、アヴィンの顔をまっすぐ見上げる。
「見てたの?」
「あ、まぁ……」
今度はアヴィンから歯切れの悪い返事が返ってきた。
私がいた広場の入り口は、大通りからよく見えてしまう。アヴィンに運悪く目撃されてしまったのだろう。
「ひどいことは言われていないよ。ただ、私が断っただけ……」
「断ったのか!?」
アヴィンはそうひどく驚いてから、「どうして?」と真剣な表情で聞いてきた。
さすがにちょっとムカッと来た。何なのこの男は。
「好きじゃなかったから」
「管理者なのに?」
「私は管理者になりたいわけじゃない」
階級が上の男性と結婚すると、女性の階級も上がる。だから頑張って、上の階級の男性を狙う女性も多い。
今回は逆だから、私は苦しんでいるのに……私の勝手な悩みかもしれないけれど、何なんだこの男は!
目の前の鈍い男をにらみつけると、アヴィンは私から目を逸らして、ポケットから何かを取り出した。
「これ」
アヴィンが取り出したのは、いつものあの『ピアス』だ。
私が結婚しないとわかった途端に、さっそく仕事の話か。呆れたけれど、まだあの日々が続くんだと、少しほっとしてピアスを受け取ろうと手を伸ばす。
その手をアヴィンの空いた方の手で、しっかり掴まれた。
「な、なに?」
アヴィンは左手で私の手を掴みながら、ピアスを摘まんだ右手を、私によく見えるように顔の目の前に持ってきた。
私の目の前で、ピアスが揺れている。
目の前にあるピアスには、小さな、小さな――『花』が付いていた。
「あそこに咲いていた花。カスミソウと言うらしい。シリルが貸してくれた本に載っていた」
知ってる。もちろん知ってる。あの木の周りに咲いている小さな小さな白い花。
花をよく見るために、ピアスに顔を近づける。
ピアスは銀色だったけれど、そんな色の違いは気にならなかった。
今、目の前にいるこの人は、私と同じものを頭に思い浮かべている。
「シリル。受け取ってくれるか?」
「うん」
自然にあふれてきた笑顔で私が頷くと、アヴィンは私を見つめてどこか見覚えのある優しい笑顔で笑った。アヴィンが私の右耳にピアスを付けてくれるのを、こそばゆい気持ちで待ちながら、あの笑顔はどこで見たのだったかなとここ半年の記憶をさかのぼるように思い出す。
「あぁ塔の上で初めて会ったときだ」と、やっと思い出した瞬間――
私の耳にピアスを付け終えたアヴィンの端正な顔が近づいてきて、優しく口づけられた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
自分でも分かるくらい真っ赤になってアヴィンを見上げていると、アヴィンは人の真剣な顔を見て笑った。むぅ……
赤くなってうつむいていると、アヴィンの声が耳のすぐ近くから聞こえた。
「シリル。顔を上げてくれ」
「な、なに?」
顔を上げてアヴィンを見つめる。目の前に真剣な表情のアヴィンが見えた。
「シリル。俺はお前と結婚はしてやれない」
えっ? と呆然としてアヴィンを見上げる。ま、まさかこのピアスは、塔の映像を撮ってくるという契約の意味なのだろうか。
アヴィンならあり得る――というかどうして気がつかなかったんだと震えていると、アヴィンにぎゅっと抱きしめられた。
呼吸とともに、私の思考が止まる。
アヴィンが体を離してから、やっと呼吸が正常に戻って、もうこれ以上騙されないぞと我に返ってアヴィンを睨むように見つめる。私から体を離したアヴィンは、ごそごそと自分の首のあたりを触って、何かを取り出した。
私によく見えるように、目の前に差し出されたものをのぞき込む。
銀色のチェーンに、小さなガラスのボトルのようなものが付いている。
何だろうこれ。アヴィンの手から小さなボトルを受け取って、自分の目の前で振ってみて中に入っているものの正体がわかった。
「これ、土、だ……」
どうしたの? とアヴィンに聞くと、アヴィンは優しく笑った。
「もし俺が生きていたとしたら、何か持ち帰ってやろうと靴の裏に仕込んでいた。シリル、土だけじゃない。中をよく見てみろ」
アヴィンにそう言われて、もう一度ボトルを振ってみる。何か緑色の平たい三角形のものが見える。
「緑の何かが入っている……これは、何?」
「それは、アレチヌスビトハギだ。母星では、服によく付くから『ひっつき虫』と呼ばれていたそうだ。俺のズボンに付いていた」
「植物なの?」
「そうだ。と言っても、長持ちさせるために加工したから、もう生きてはいないがな」
へーと答えながら、よく見るために目の前のボトルをふらふらと揺する。
「シリルそれも贈ろう。ボトルの中のものを取り出したかったら、俺に言ってくれ」
私にくれる? これを?
「そんなに大事なものいらない!」
慌ててそう言ってから、「受け取れ」「いいって」とアヴィンとしばらく押し問答をする。
「シリル!」
手を掴まれて、アヴィンにまっすぐ見つめられた。
「はい……」
「シリル。俺は3層階級だ。俺と結婚するとお前も3層階級になる。だから俺はお前と結婚はしてやれない」
「う、うん」
「これから、不安に思わせてしまうことがあるかもしれない。だからせめて、これを贈りたい。受け取ってくれ」
アヴィンはそう言って、私の返事も聞かずに銀色のチェーンを私の首に掛けた。
胸元にある、土の入った――この人が命を賭けてまで見たかった場所で、取ってきたものを見つめる。
「私が3層階級になったら、塔の中、撮ってきてもらえないからね……」
胸が詰まって、照れ隠しのように私がそう言うと、アヴィンは「それもある」と頷いていた。
「それも……? それもってどういう意味?」
「あ、まぁ……」
「ねえ、アヴィン。どういう意味?」
そのときはアヴィンは、他にどんな理由があるのかを私に頑なに教えてくれなかった。
きっと、これほどまでに口を開かないのは、私が怒るような理由なのだと、一人で怒って――そして私はいつの間にかそのことを忘れてしまった。
それから、数年後、
私たちの間に男の子が生まれたときに、その答えが分かった。
「シリル、ありがとう。これで、この子は――命を賭けなくても塔の中を見られる」
こんなことを言うとアヴィンに怒られてしまうから言わないけれど、私たちの子どもの頬に優しく触れながら、静かに泣いているアヴィンを見て私は嬉しかった。
アヴィンにとって今がそれほど心の動くことなのだと、私が一目ぼれしてしまった瞬間を思い出して――私はすごく幸せな気分になった。




