5話 私の気持ち
『シリル。あの木は何て種類の木なんだ?』
知り合ってから4ヶ月。時々私の存在に気づくようになったアヴィンにそう聞かれて――私は答えられなかった。
「くそー!」
この惑星には木なんてあれ一本しかないから、あれは『木』で、これまでそうとしか考えてこなかった。私が「わからない……」と答えたときの、アヴィンの少しがっかりした――寂しそうな顔を思い出す。うぅ、なんだか種類を知らないことが恥ずかしいし、悔しい気がする。
ユルゲンさんにはもちろん聞いてみたけれど、「あれは木だ!」と言い切られてしまった。
そういうことで私は今、必死になってお母さんの本棚を漁っていた。
「ない……」
植物図鑑はあるけれど、木についてはあまり詳しく書いていなかった。アヴィンにこれまで貸した本。あれに載っているならアヴィンはそもそも私に聞かなかっただろう。
「だめだ……注文しよう」
この本棚にないなら取り寄せよう。他の惑星からの輸入は管理者でないとできないので、ユルゲンさんかお母さんの妹のデニス叔母さんに頼もう。
輸入品はすごく高いけれど、それを気にしちゃ負けだ。大丈夫!
「よし、そうと決まれば明日頼んでみよう!」
床に広げていた本を丁寧に本棚にしまって、お母さんの部屋を出た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
いつものようにアヴィンとキャシーさんの店に行って、今日も美しいキャシーさんに出迎えられる。
そして、アヴィンは
「シリル。これ」
とディスプレイとその横の黒い機械には向かわずに、テーブルの上に何かを広げた。
今日は、ど、どうしたんだろうと思いながら、アヴィンが広げたものをのぞき込むと、紙に木の写真がプリントアウトされていた。そこに書かれている文字を読む。
「『クスノキ』……?」
「恐らくこれじゃないか?」
紙をよく見えるように顔の前に持ってくる。
「う、うん! これだ!」
この葉っぱの形は間違いない。『クスノキ』と言う種類なのか……感激してアヴィンを見上げると、アヴィンは優しい目をしていた。
心臓の音を誤魔化すように口を開く。
「これ、どうしたの?」
「あぁ、宇宙ネットから取ってきた」
宇宙ネット――人の住む星々を繋ぐ通信網。
「あのー、宇宙ネットには管理者しかアクセスできないはずなんだけど……」
「そうだな」
私の前で、アヴィンは堂々と開き直っていた。
「アヴィン! まさかまたやったの!?」
私たちのことを横で見守っていたキャシーさんが怒りながらアヴィンに詰め寄っている。
「一度侵入されたのに、あんな緩い対策で防げると考えているとは、困った奴らだ」
「そういう問題じゃありません!」
「しかも管理者パスワードがあんなところに軽々しく置いてあるんだ。罠かと疑ったことに、一番時間を使った気がする」
キャシーさんは諦めたのか、はぁと肩を落とした。
このくらいで死刑にはならないけど、階層を落とされるくらいはすると思う。改めて「この人の植物に対するこだわりはすごいな」と思ってしまった。もちろん褒めてはいない。
そんなことを考えていると、急にアヴィンがこちらを見た。
「シリル。とにかくあの木は『クスノキ』だ!」
満天の笑顔でそう言った男に、私は「……ありがとう」と答えた。
このとき、心の方はとっくに気づいていた気持ちを、やっと頭で理解した。
この男にもう一生勝てない――
いや、勝ったことなど一度もないのだけれど、もう勝てはしないのだと、そのことを知った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
キャシーさんの店から、2層に続く階段までのわずかな距離を、今日もアヴィンと並んで植物について話しながら歩く。
「あ、それはね。実に含まれている栄養素が――」
「あれ、シリル! こんな時間にこんなところでどうしたの? 珍しいね!」
突然後ろからそんな声が聞こえて、振り返ると――3層の大通りに、今一番見つかってはいけない人が居た。
「友だちか?」
「う、うん」
アヴィンの問いかけに引きつりながら答える。見つかってしまった友人のサラは、私の隣にいるアヴィンのことを、それはそれは真剣な目で値踏みをしてから、私を見つめてどう猛な目で笑った。
「シリル。今から時間ある?」
「ない……かな」
全力で逃げたい。
「シリル明日仕事休みでしょ。えっ、まさかこれから――」
「時間、あります! あります!」
意味深に私とアヴィンを交互に見たサラに、必死になって否定する。サラは私の言葉に笑みを作ったあと、一緒にいた自分の友人(男たち)に「じゃね」と軽く手を振って、私の方にずんずん歩いてきた。
「じゃあ、これ借りますね? すみません」
サラがアヴィンに笑顔でそう言って、私の手をがっしり掴む。
「あぁ。暗いから気を付けろよ」
「ありがとうございますぅ!」
サラは猫なで声で答えたあと、私を見下ろした。
その目から、顔を背けつつ、何とか逃げる方法はないかと私は考えていた。
「じゃあ、シリルは座って待ってて。飲み物はいる?」
「サラ。私のことは気にしないで。すぐに帰――」
「わたしが、飲みたいの」
「同じのでお願いします……」と答えてから、私は静かに椅子に座った。この様子では、玄関に所有者以外は開けられない鍵が掛かっていそうだ。この家から逃げ出すことはできない。
サラが私の前にコップをどんと置く。
「はい。砂糖」
「ありがとう……」
サラから紅茶と砂糖を受け取って、カップの中にいつもより多めに砂糖を振り入れた。
サラが私の前に、審議官のように堂々と座る。
「……で?」
サラが口を大きく開いて言ったそのたった一言には、きっとすべての質問が含まれているんだろうな。
「……。あの人は――」
「よくやったわシリル。心配していたのよ?」
目の前の、癖のある長年の友人は本当に心配しているかのように少し涙ぐんでいる。サラは野次馬のように私をからかいたいのだと思うけれど、本当に少しくらいは心配する気持ちもあったことがわかって、申し訳なくなった。
「えっと、サラ、違う……アヴィンには送ってもらっていただけで、そういう関係じゃない」
「まだ、そういう関係じゃないってこと?」
『まだ』――まだとかそういうの以前に、私たちはそういう関係で毎日会っているわけじゃない。
「『まだ』とかじゃなくて、そもそもそういう関係じゃない……」
「さっきの彼に、彼女がいるの?」
「知らない。聞いてない」
目の前の友人は、私を見つめて「はぁー」と豪快にため息をついた。さっと目を逸らす。
「……会ってどのくらいなの?」
「うーん……4ヶ月?」
塔で会ったあの日を含めれば6ヶ月――もう半年なのか。
「シリル。1、2週間だったら私も許す……だけどそんなに経っていて、どうしてまだ聞いていないの!?」
呆れを通り越して、いつものように怒り始めてしまったサラを視界の端に留めつつ答える。
「えー、アヴィン女の子にモテそうだし、きっといるんだろうなって……」
「そのまま4ヶ月!?」
「え、あ、うんそうです」
「はぁー」と言う音が聞こえて、恐る恐る顔を上げると、椅子に思いっきりもたれ掛かって、投げやりに天井を見つめている友人の姿が見えた。
心底呆れている友人に、何か言わなければと慌てて口を開く。
「あっ、でも。アヴィンいつも首に何か着けてる。何かはわからないけど、細いチェーンが見える!」
アヴィンはそういうアクセサリーは付けなさそうなのに、何かを首から下げて大事にしまっている。汚れないように、あのチェーンの先に指輪でも付いているのかなと思っていた。
「それは、喜んで報告する方のことじゃねぇ!」
「あ、そうですよね。す、すみません」
ギロリとこちらを睨んだサラに、私は謝った。
カタカタと椅子を揺らす音がする。
「シリルー。どうすんのー? 2ヶ月後の花祭り……」
「叔母さんが服は用意してくれた。すごく可愛いんだよ」
薄い黄色色のワンピースで、私のサイズに合わせて作ってくれたからぴったりだった。すごく高かっただろうと思うけれど、叔母さんは気にしないでと、私の試着する姿を見て凄く喜んでくれていた。
「シリルが何もしないのを読んでの行動か……さすがは管理者……」
サラがそう呟くのが聞こえて「ハハ……」と誤魔化すように笑う。
「結局、当日頑張るってこと?」
サラが起き上がって、まっすぐ私を見つめた。
「……うん」
私は当日頑張って、誰かに拾ってもらうんだ。
半年前と何も変わっていないのに、前と同じような気持ちで宣言することができなかった。
「シリル。普通に素材は良いから――中身は変だけど――たぶん当日大丈夫だと思うよ? だけどさ、それで本当にいいの?」
サラとは何回かこの話をした。サラは私のことを本当に心配してくれている。
前は――半年前はそれで本当に良かった。だって、特に気になる人なんていなかったから。誰でも、私にとって大した差なんてなかった。
だけど、今は――
「サラ。アヴィンは3層階級なんだ……」
「だめなの? シリルそういうの気にする人だったっけ?」
「アヴィンか私のことどう思っているか知らないし、こんなこと考えても意味ないかもしれないけれど、アヴィンと結婚……できたとしたら、私も3層階級になる。そしたら、仕事を続けられない」
いつもは「危険手当が付くようなそんな危ない仕事辞めちゃいなよ」という友人が、このときだけは「仕事を辞めなよ」とは言わなかった。
「そっか……」
とだけサラは呟いて、なぜか私から少し目を逸らすように戸惑っていた。
私はあの仕事が大好きだ。そしてアヴィンにとって、あの仕事を辞めてしまった私にはもはや価値がない。
それよりは、そんな選択をするくらいだったら、アヴィンは私が結婚したかどうかなんてきっと気にしない。
だから、私は2層の誰かと結婚して、今まで通りに仕事を続けて、そして、そして――
頭に浮かぶのは、小さな酒場と優しい美女。
そして、ちっとも私のことなんて見てくれない、真剣な横顔のあの人。
「今と、何一つ変わらないといいなー」
軽く、せめて軽く聞こえるようにそう呟いてから、
(私、最低だ……)
下を向いた私の頬に、涙がこぼれた。




