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3話 酒場と美女


「ひどい……ひどすぎる。あんな脅し方ができるなんて、人間じゃない……」

女性は20歳のその日にすべてがかかっているけれど、男性の方は20歳に結婚しなくても問題はない。それどころか、20歳に結婚したら『まだ若すぎる』と周りから注意されるほどだ。

 だからあの男は、その脅しが私に対してどれほど残酷なことかなんて、きっと分かっていない。


 いつもよりとぼとぼと塔の梯子を上る。


 でも、頼みをちゃんと聞きさえすれば、そんなことはしないと約束してもらえた。

 周囲にだれもいないのを確認してから、ポケットに入れていたピアスを取り出す。

「これを耳に付けるだけでいいんだよね?」

ピアスなんて普段付けないので手間取ってしまったが、右耳に何とかピアスを付けた。塔のガラスにうっすらと映る自分の姿を確認する。さらさらと勝手に落ちてきて邪魔な髪は、いつも後ろで一つに括っているので、ピアスに取り付けられたカメラが髪で隠れてしまうなんてことはない。

「大丈夫だね。別に重くないし、いつも通り仕事をしよう」

「おー」と一人で気合いを入れて、ピアスのことをあまり気にしないようにして、今日も大切な植物たちのために塔のガラスの掃除に励んだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 今日も頑張って働いた。塔の下に下りる前にピアスを外そう。

 ちゃんと撮れているのかよく分からないけれど、壊さないようにゆっくりピアスを取って、ポケットにしまった。


 まっすぐ家に帰りたいけれど、そんなことをすると私の人生が終わってしまうので、男と待ち合わせをしている場所に向かう。いつもの2層へ繋がっている出入り口ではなく、3層の大通りへと繋がっている正面出口から塔を出た。

 大通りに下り立つと、仕事帰りの大勢の人が今日はどこで食べようかと、大通りにたくさん並んでいる飲食店をのぞき込んでいるのが見えた。他の惑星では違うらしいのだけれど、この惑星では水をたくさん使う炊事は、許可制になっている。だから、食事は必ず外で食べるのだけれど、私は毎日毎日どこで何を食べるのかを選ぶのに疲れてしまって、いつも2層で一番大きな飲食店の『本日のメニュー』を食べていた。


 3層は一番人口が多いから、その大通りは特に賑わっている。ちらほら白いコートを着た管理者の人たちも見えるし、2層の人が遊びに来ても怒られる訳じゃないけれど、やはりちょっと治安のこととかが気になってしまって、2層の女の子たちはあまりふらふらと出歩く場所ではなかった。

「えっと……3層のコーク通りってどこだろう……」

目立たないように大通りの隅に寄って、3層の大通りから蜘蛛の巣のように枝分かれしている脇道の通り名を見ながら歩く。


 コーク、コーク……ひたすら心の中で念じながら歩いた10分後、小さな通りの入り口にやっと『コーク』と書かれた看板を見つけて立ち止まる。

「シリル」

声が聞こえたので振り向くと、大通りからはちょうど見えない位置にあの男――アヴィンが隠れるように立っていた。

「撮ってきたか?」

「えっと……これ……」

そう言いながらポケットからピアスを取り出してアヴィンの前に差し出す。アヴィンは私の手からピアスをさっと摘まみ取ったあと、それを握りしめて後ろを向いた。

「近くの店で確認する。付いてこい」

アヴィンはそう言って、一人でコーク通りの奥に歩いて行ってしまった。


 私は……そんな命令をする男にもちろん付いていくしかない。

 すたすたと先を歩く男は、私が付いてきていることを確認すらしない。うう……ひどい。


 アヴィンはこぢんまりとして、少し派手な――明らかに私が行ってはいけない系の酒場の前で立ち止まった。何も言わずにアヴィンが酒場の扉を開ける。

「アヴィン。遅かったわね」

チリンチリンという鈴の音と、女性の声が聞こえてきた。女性の声に少し安心して、アヴィンが開いた扉に、ゆっくりと入る。

 店の中は、3人くらいしか座れないカウンターに、テーブルが一つあるだけだ。カウンターの向こうにたくさんの瓶が並んでいる。アヴィンが私を連れてきたのは、隠れ家のような酒場だった。

 幸いまだ時間が早いからか、店の中にはお客さんはいない。アヴィンは壁に掛かっているディスプレイの前で、さっそくしゃがんでごそごそと何かの準備を始めた。


 うーん、どうしよう。店の入り口で突っ立っていると、カウンターの奥から女性が出てきた。

「シリルちゃんよね? いらっしゃい」

そう声を発して微笑んだ女性を見上げる。うわー、すごい……きれいな人。

 背が高くて、胸が大きくて、少し波打つボリュームのある豪華な茶色の髪が背中に広がって居る。そんなどこを見てもボリュームがある人なのに、顔だけがびっくりするぐらい小さかった。

「もー、あの子ったら女の子を放ったらかしにして……」

美女がアヴィンを横目で見ながら呆れたような声を発した。

「シリルちゃん。晩ご飯の用意はしているから、食べていって。気にしなくてもアヴィンのおごりよ。準備をするから、席で座っていてね」

呆けたように美女を見上げていた私に、美女はウインクをしながらそう言って、再びカウンターの奥に消えた。

 「座っていて」と言われたけれど、ど、どこに座ろう。店内を見渡して、美女を眺めながらお酒を飲むためにあるのだろうカウンターはやめて、真ん中にあるテーブルの椅子に姿勢良く座った。


 アヴィンは床に置かれた黒い機械から出たコードを、ディスプレイに取り付けていた。取り付けが終わったのか、アヴィンが立ち上がってほこりを落とすかのように2回手を叩いたあと、ディスプレイの電源を入れる。

 ディスプレイに現れたのは黒い画面だ。アヴィンはそれを見つめてから、黒い機械の前に再び移動して、何かの操作をしていた。


 画面が切り替わった。

 現れたのは……ガラス反射する、私だ。あんなに小さなピアスなのに、呆れるくらい鮮明に写っている。

 そして画面の中の私が、「おー」といつも通り気合いを入れているのが見えた。


 明日からは絶対に余計なことはしない。少し赤くなって、画面から目を逸らして下を向いたあと、固く誓った。


「あれが、シリルちゃんが撮ってきてくれた塔の中?」

横から声が聞こえて顔を上げると、美女がトレイに夕食を乗せて隣に立っていた。その美女が見ている方――ディスプレイに同じように顔を向ける。

 ディスプレイに映っているのは、今日私が見た景色だ。塔のガラスと、その向こうに見える植物の生産層。そんな私にとってはいつもと同じ景色を、アヴィンは呼吸を止めて、何かを噛みしめるような表情で見ていた。


 また、泣くのかな……


 そう考えてしまったことに気がついて――まるで期待していたかのような自分に気がついて、アヴィンのきれいな横顔から慌てて目を逸らした。

「巻き込んでしまって、ごめんなさいね……でも、ありがとう」

目を逸らした私の耳に、美女の優しい声が届いた。



「シリルちゃん。お口に合うかしら? そういえば、私としたことがまだ名乗ってなかったわね。私はキャシーよ。よろしくね」

「キャシーさんありがとうございます。すごくおいしいです!」

私がキャシーさんを見上げながら笑顔でそう言うと、キャシーさんも嬉しそうに微笑んだ。キャシーさんが持ってきてくれた夕食は、仕切りのある丸いお皿にたくさんの料理が少しずつ乗ったすごく手の込んだものだ。味も見た目と同じくらい繊細でおいしい。

「キャシーさん。あの……この料理この近くのお店のものですか?」

あまり高くないお店だったら、勇気を出して行ってみようとキャシーさんを見上げる。

「それ、私が作ったの。このお店で出しているのよ」

「えっと……男性がこれを食べるんですか?」

ここは明らかに酒場だ。驚いてそう聞くと、キャシーさんはふふふと微笑んだ。

「この店、一人で来る女性のお客様も多いの。管理者の方もときどき来られるわ」

小さな顔を傾けてにっこりと微笑む美女を見上げる。

 美女を眺めるのに性別はいらないのかもしれない。それに加えて、こんなに美味しい料理が出てくるのだったら、常連さんは多いだろう。

「本当においしいです!」

「ふふ、ありがとう」

美女と笑い合ってから、アヴィンに目を移すと、アヴィンは椅子に座って黙々と画面を見つめている。今映っているのは、私が梯子を上って階を移動するところだ。恥ずかしいし、塔の中が映るシーンまで飛ばしてもいいと思うのだけれどアヴィンは真剣な表情だった。



 結局、アヴィンは私の食事が終わってもずっとそのままだった。まさか、今日の私の一日の仕事を、一度も映像を飛ばさずに見続けるつもりなのだろうか。

「キャシーさん。食事ありがとうございます。私が今まで食べた中で一番美味しかったです」

「あら、いやだ。シリルちゃん上手ね。明日からデザート出しちゃう」

わーい、やったーと喜んでからアヴィンに目を移す。

「アヴィンはあのままずっと見続けるつもりでしょうか?」

「そうじゃないかしら? あの子今日一日中ずっと楽しみにしていたし、余計な仕事も断っていたから」

当たり前のようにそんなことを言う美女を見上げる。


 アヴィンはキャシーさんのこと知り合いって言っていたけれど、

「えっと、キャシーさんはアヴィンの……ご家族ですか?」

キャシーさんの方が年上に見えるからお姉さんかなと思って聞いてみると、キャシーさんは何かを含むような笑みで私を見下ろした。

「私はアヴィンにとって、ただの近所のお姉さんよ。恋人(・・)でもないし、家族でもないわ」

なぜか『恋人』という単語を強調されるように言われてから、「だから、私のことはまったく気にしないで!」とウインクされた。

 えっと、私とアヴィンはそう言う関係ではありません。脅している人と脅されている人の関係です。


 キャシーさんの言葉に誤魔化すように笑ってから、さて私はこれからどうしようと、私の存在を完全に忘れているアヴィンを見つめる。明日、ここでデザートを食べるためには、アヴィンから明日の仕事のときに付けるピアスを受け取らないといけない。

 私と同じようにアヴィンを見つめていたキャシーさんが口を開いた。

「アヴィン。シリルちゃんの食事は終わったし、暗いからもう帰ってもらうわ。送ってきなさい」

アヴィンは予想通り、聞こえてもいないのかこちらを見もしない。私は一人席から立ち上がった。

「あ、いいです。まだ人も多いですし、一人で帰れます」

「だめよ! 女の子に何かあったらどうするの?」

キャシーさんはそうぷんぷん怒りながら、ディスプレイを遮るようにアヴィンの真正面に回って、しゃがんでアヴィンの顔をのぞき込んだ。

「アヴィン! 明日も撮ってきてもらうんでしょ! ちゃんと自分のやるべきことはしなさい!」

アヴィンはそう言われてから、やっとキャシーさんに気がついたようにため息をついてから立ち上がった。黒い機械の前に移動して映像を止めてから、こちらを振り返る。

「行くか」

「いいって、別に大丈夫だよ!」

「そうは言っても、あいつがああ言っているから。店を貸してもらえなくなるのは困る」

アヴィンはそう言ってから、とっとと帰れと言うかのように先に店を出てしまった。

「キャシーさん。ありがとうございます」

微笑む美女に礼を言ってから慌ててアヴィンのあとに続いた。



 アヴィンの少し後ろを早歩きで付いていく。

 アヴィンは、私が今日撮ってきた映像――私が見ていた景色を、固唾を呑んで見てくれていた。嬉しいような、少しくすぐったいような気持ちになる。

 真剣に見ているところを邪魔して申し訳ない気分になりながら、邪魔者はせめて早く帰るために無言で歩く。

「なぁ」

そんなときアヴィンの声が耳に届いて、驚いてアヴィンを見上げた。

「シリル。どうしてあそこの植物は浮いているんだ? どうして『あの木』のように土に埋まっていないんだ」

あの木、そう言うときのアヴィンの言葉には心がこもっているように感じた。


 今、私の横にいる人は、きっと私と同じものを心に思い浮かべている。


 両親が事故で亡くなって、塔の清掃員という仕事を選んで働き始めたあの日――他の人たちは別に植物が大好きであの仕事を選んだ訳じゃないと知って、私は驚くと同時に、ひどく傷ついた。


 誰かと話をしたくて。でも誰にも話せない。

 塔で働き始めてから2年。もう諦めていたから、余計に嬉しかった。

 すごく嬉しかった。


「もともと、植物に必要なのは水と光と、ある特定の栄養素だけで、植物が生長するのに土は絶対に必要ってわけじゃないんだ。でも大きな植物は、何かで支えないと倒れちゃうから、そういうものには土が使われるときもある。塔のあの木のある浄化層1階に土があるのは、木を支えるためって意味もあるけど、土にゆっくり水を通して、水をきれいにする役目もあるんだ。

 それで今朝一番に見た生産層第12階のあの植物――『レタス』のような葉っぱを食べる植物は、背が高くないから土は一切使わずにあんな感じに紐でぶら下げて、水蒸気で水を与えて育てるんだ。普通に土を使って育てるよりも、水が9割節約できて、しかも衛生的なんだって!」

笑顔で一息でそう言ってから、少し我に返ってアヴィンを見上げる。暗いからアヴィンの顔がよく見えない。

 夜風が優しく頬に当たって唾を飲み込んだときに、アヴィンが口を開いた。

「へー、面白いな。そう言う話はどこかに書いてあるのか?」

「私は、お母さんに教えてもらったんだ。本もあるよ!」

アヴィンからそんな言葉が返ってきたのが嬉しくて、嬉しくて、そう言ってから『アヴィンは文字が読めるのだろか』ということに気がついた。


 ヘリウムの採掘の仕事だけしかしない3層以下の人たちの中には文字が読めない人が多い。

 もしアヴィンが読めなかったら――読めなかったら……

 私が読んであげればいい!

 あの本にはいろんな植物が載っていて、絵も多い。アヴィンはきっと、まばたきを忘れたかのように見てくれるだろう。

「探してまた持ってくるよ!」

「あぁ、心配しなくても俺は字が読める。持ってきてくれ」

アヴィンはそう言ってから、立ち止まって、左側にある細い階段を見上げた。

「そこの階段を上ると2層だ。お前の家のすぐ近くに出られるが、俺はそこまでは行けないからな」

前は監視ロボットの目をかいくぐって2層まで上ってきていたけれど、そう何回もできることじゃないのかな? というかどうして私の家の場所を知っているんだ。

 そんなことを考えていると、「明日もこれを頼む」と、アヴィンはピアスを取りだした。今日付けていたのは違う流線型のピアスだ。ピアスを両手を差し出すように受け取って、大事にポケットにしまう。

「わかった」

アヴィンに頷いて『また明日』と心の中で呟いてから、目の前の階段を上った。

「シリル。ありがとう」

数段上ってから振り向いた私に、そう言ったアヴィンの顔は、暗くてよく見えなかった。


 何だか、損をした気分になった。



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