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2話 再会


 意識を失った男が警備ロボットに引きずられて作業用のエレベーターに回収されて見えなくなってからやっと、ガラスに張り付くように中をのぞき込んでいた自分に気がついて、私はガラスから一歩後ろに下がった。


 揺れはとうに収まっていた。


「ぉ……ぃ」

さっきから何か音が聞こえている。

「シリル!! 聞こえていたら返事をしろ!」

「は、はい! 聞こえています。すみません」

自分の名前が聞こえて、右ポケットから通信端末を慌てて取り出して答える。

「レジスタンスどもは全員捕らえた。作業はいいから一度こちらに戻ってこい」

「はい……」

通信端末をポケットにしまって、通路に投げ捨ててあったワイパーと掃除機を拾い上げた。


 男の人が泣いているのなんて、初めて見た。

 頭に焼き付いたまま離れないさっきの光景に心は捕らえられながら、私は何とか塔の梯子を下りて待機所まで戻った。



「シリル。遅かったね。大丈夫だった?」

「あ、はい大丈夫です」

心配してくれている仲間たちに答えながら、私は待機所の空いている席に座った。

 しばらくうつむいて、自分の手を見つめる。

「いやー、あんなに揺れて、久しぶりに死ぬかと思ったね」

「レジスタンスたちも迷惑だな」

そんなことを話す仲間たちの声が聞こえた。


 扉が開く音が耳に届く。

「お、集まったな。お前たち今日はもう帰ってもいいが、まだ外は危険かもしれんからもう少し待った方がいいだろう」

ユルゲンさんの声に顔を上げた。

「あの、レジスタンスの人たちは……これからどうなるんですか?」


「ん? そりゃあ、塔に対する攻撃は死刑だ」


 惑星リームヘルムでは常識の、当たり前のユルゲンさんのその言葉を理解するのに、なぜかずいぶん時間がかかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 あの男の人は泣いていた。

 木を見上げて、土に触って、泣いていた。


 どうしてだろう?


 いや、その理由は分かっている――

 だって、私もそうだから。

 きっとこの惑星で私が一番よくわかっている。


「ただいま……」

いつの間にか、第2層にあるだれもいない家に着いていた。電気を付けて、一人では広すぎるリビングの椅子にちょこんと座る。


 私の両親は去年事故で亡くなった。娘の私が嫌になるくらい、いつもでたってもラブラブだった私の両親は、貯めていたお金で娘を放ったらかして二人で惑星間旅行に出かけてしまった。


 塔の清掃員だったお父さん。元管理者のお母さん。


 私の両親はずっと、大地に生きる植物たちの姿を直接自分の目で見たがっていた。

 私は両親が旅行に行ってしまったあと、「大人二人だけで楽しむとはどういうことだ」と怒りながら、一人家で、両親がきっと呆れるくらい撮ってくるだろう映像を楽しみに待っていた。

 両親は、念願だったその旅行の帰り道で事故に遭った。詳しい原因は結局分からず、デブリと衝突した可能性が高いと事故は処理された。宇宙空間ではよくあることだ。


 事故は『帰り道』だったと聞いた。

 両親が撮った映像は私にまで届かなかったし、二人がどんな死に方をして、今どこにいるのかもわからないけれど、両親の長年の夢がちゃんと叶ったことだけはわかった。


 この家で、広い家で一人ぼっちで泣きわめきながら、それだけが私の唯一の救いだった。



「私が、警備の人たちを呼ばなかったら、もう少し長い時間、あの男の人はあの景色を見ることができたのかな……」

私はあの男の人が、下に居た他のレジスタンスの人と同じように、木に何かをするんじゃないかと思った。だから私は、大切な木を守るために警備の人たちを呼んだ。


 だけど、あの男の人は大切そうに、目の前にあるのに触れもせずに、ただ木を見上げて泣いていた。


 私の行動は間違ってはいない。塔の清掃員として、この惑星の住人として間違ってはいない。

 だけど最低のことをしたのかもしれない。

 今日見たあの男の人のとは違う、言い訳のような汚い涙が頬を流れていくのがわかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 私はあの男の人の人生最期の日に、最低な行いをした。


 あれからもう2ヶ月経った。

 私は、忘れるべきなのだろうか。それとも、一生抱えていくべきなのだろうか。


 今日もとぼとぼと家に向かって、2層の閑静な裏通りを歩いていた。


「よう」

男性の声が聞こえて、のろのろと顔を上げる。私に話しかけたのではないと思うけど、念のため上げておこう……その程度の気持ちで顔を上げたのに、目に入った男の人の顔を見て時が止まる。


 少し赤みの入った茶色の髪に、端正な顔。

 使い古したジーンズにベストを着て、腕まくりをした、よく3層で見かけるような服装の私より少し年上に見えるその男性は――『あの』男の人だった。


「どうして……どうして生きているの!」

「ひっでーな……」

男性はそう言って、私の言葉に少し傷ついた顔をした。

「えっと、違う……あ、あの。レジスタンスの人たちは全員死んだって聞いていたから……その……」

突然のことに戸惑いつつも死んだと思っていた男性を見上げる。

「あぁ、俺はあいつらの襲撃に便乗したけど、あいつらの仲間じゃなかったから。俺も一緒に死刑にすると、この惑星の同時死刑人数の新記録を出すってことで、ぎりぎり俺だけが最下層送りで済んだ」

目の前の男性はそう言ってから「あいつらが8人グループじゃなかったら、俺も一緒に死んでいた!」と明るく笑った。


 笑い事じゃないことを明るく笑って言う男にあっけにとられる。

 でもそうか、この人はレジスタンスじゃなかったのか。便乗って言うことは、ただ、本当に木を見たかっただけなのかな? それだけのことで死刑にならずに、最下層送りで済んで本当に良かった――


 ん、待って……

「ど、どうして第5層の人がこんなところにいるの!?」

今私たちがいるのは2層階級以上の人しか入れない高さにある住宅街だ。男は私の言葉に、やっと気がついてくれたと言わんばかりに笑った。

「俺は、今は3層階級だ」

「えっ? 最下層に送られたんじゃないの……?」

何か私の聞き間違いかと慌てていると、男はそんな私の様子を楽しむような顔で口を開いた。

「あぁ、最下層に送られて、3層に戻ってくるのに2ヶ月かかった」

「戻る……?」

「5層から4層へは警備が緩いから、首の認識チップにちょちょいと細工すれば難なく行ける。4層から3層は――管理者の好みを把握するのに少し時間がかかった」

男は自慢気にそう言った。


 私たちの首には所属する階層を識別するための認識チップが生まれたときから埋めこまれている。もし、所属する階層以上の高さに移動しようとすると、周囲を巡回している監視ロボットに見つかって警備ロボットが跳んでくる。


 所属する階層はそう簡単には変わらないはずだ。私は今までそう信じていた。

「そんなことができるの……? そんなに簡単に移動できるの?」

「もちろんセカンダリ(2層階級)にはそう簡単には移動できない。だが、アドミン(管理者)は3層以下の平民が何層に居るかなんて、そんな細かいことは気にしていない。合計して、数が大体あってりゃいいんだ」

そういうものなのか……3層にはたまに食事のときに出かけるくらいで、そんなことまったく知らなかった。


 この人が生きていて、今は3層階級である理由はわかった。

 今日はどうしてここに居るんだろう? ふとその理由を聞こうとして、再び自分が居る場所を思い出す。

「ちょっと待って、ここ2層だよ! 3層の人がどうしているの!?」

驚く私に、目の前の男の人は笑顔で一歩こちらに近づいた。狭い通路で慌てて一歩下がった私の背中が、壁にぶつかる。

 男の人は少しかがんで私の顔をのぞき込んできた。


「巡回ロボットは決まったアルゴリズムで動いている。それを解析すれば、移動ルートは大体分かる」

男はそう言ってから、「知らなかっただろう?」と、私を追い詰めるように言って――笑った。

 端正な顔が目の前にある。そんなことにまったく慣れていない私は、その顔を見て、慌てて視線を逸らした。


「なぁ、頼みがあるんだ……」

色を含んだ声が、耳のすぐ近くから聞こえる。

「そんなに難しいことじゃない」

真っ赤になってあたふたしていた私は、慣れないこの状況に、少し正気を取り戻した。


 今、私は人の滅多に通らない通路に、男の人と二人っきりでいる。

 目の前の男の人の頼み事……断ったらどうなるんだろう……


 そう考えると足がどうしようもなく震えてきた。

 私、殺されちゃうのかな……


 怖いよ。お父さん。お母さん――


「私が断ったら……どうするの……」

私の声はひどく震えていた。

 そのとき男が勢いよく私から離れた。少し驚いた顔をしたあと、上を向いてがりがりと頭を掻いた。

「悪い。怖がらせるつもりはなかった。俺の頼みっていうのは――」

男は焦った様子で胸ポケットからがさがさと何かを取り出した。そして右手に握ったそれを、ゆっくりと私に見せる。

 これは……ピアス? 暗くて色はよくわからない。

「このピアスに小さなカメラが埋め込まれている。これを付けてあの景色を撮ってきて欲しい」

「頼む」と男の人は真剣な表情で私に向かって頭を下げた。


 『あの景色』?

 その言葉の示すものは確認するまでもない。

 塔の中だ。


「これを耳に付けるだけでいいの?」

私の言葉に男は勢いよく顔を上げて、必死な表情で口を開く。

「あぁ、こいつは1日分の映像を記録できる。仕事中に耳に付けてくれるだけでいい。ただ、こいつにオンオフする機能はないから、見せたくないものがあるときはポケットにでも入れてくれ」

「1日分?」

「その大きさに収めるにはそれが限度だった。だから毎日俺がデータの回収に行く」

耳に付けるだけでいいのだったら、やぶさかではなかったけれど、その言葉に顔をしかめた。

「えっと、いつまで……」

「あー、まずは半年かな」

半年――

「あのー……もし断ったらどうなるの……? その……もし、だよ?」

私の言葉に、端正な顔をした男は意地悪く笑った。そして、血も涙もない言葉を発する。


「断ったら、来年の花祭りでお前につきまとってやる」


 花祭り――来年私は20歳になって、結婚できる年齢になる。

 この惑星リームヘルムでは、花祭りのその日に、男性が20歳になった女性に対して、結婚を申し込むのが通例だ。

 その日に申し込まれなかった女性は、20歳の祭りで何も起こらないまま次の年を迎えてしまった女性を待つ未来は――


 残酷だ。

 足が再び震え出すほど、残酷だ。


 ただでさえ私は日中町の中にはいないので、友人からは「死に物狂いで今からアプローチをしろ」と言われている。もちろん何もしていないけれど、男性の好みは色々あるそうだし、この町には男性の方が多いから、いざとなったら、当日手当たり次第に泣きついたら、誰か一人くらいは拾ってくれるだろうと考えている。


 だけど、そんなわずかばかりの期待も、祭りの当日、私の側にずっと3層階級の男がつきまとっていたら叶うはずがない。きっと2層階級の男性は、そんな私のことを見て、もう『手が付いている』と考えるだろう。

 別の男がいても、私に結婚を申し込んでくれるような、そんな変わった趣味の心の広い王子様には心当たりはなかった。


「それだけは、やめて。お願い!」

懇願する私に対して、男は爽やかに笑った。

「俺はアヴィン。これからよろしくなシリル」


 笑顔で無慈悲なくらい的確に私の弱みを突いてくる男に対して、私に許されているのは「はい」の言葉だけだった。



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