メイド「様」の怖いもの
────さて。
この物語の中に、ただひとつ。明かされなかった事があることをご存知でしたか。
常々、マルガレータの傍にいた彼女の話。
果たして彼女は「彼女」なのでしょうか。
それとも「彼」?
いいえ、いいえ!
どちらも不正解でございます。
だからと言って、どちらも正解ということはございません。
──話を、戻しましょう。
これより語るのは「私」の話。
残念ながらこの物語は私でお終い。
ですがそう気を落とさずに。どうせ、この物語も貴方様の知らない何処か遠い世界の戯言なのですから。
私達の住まうこの世界には三つの種が存在しております。男と女と、そしてもうひとつ。
それを無性と呼びます。
この無性という種は残念な事に生殖器官がございません。そのせいでしょうか。彼等は生まれると同時に蔑まれる運命を背負う事になるのです。
私もその一人でした。
生まれはとうに覚えてはおりませんが、かなりの高位に位置した貴族だったとは思います。
なにせ、その家にいられたのも7歳までの事でしたから。言葉がはっきりと話せて、他人に迷惑をかけないような礼儀作法を一通り、ただ7歳に教えるにしてはあまりにも膨大な量を叩き込まれた私はあれよあれよという間に隣国へと売られてしまったのでした。
いえ、既に私の出生した国こそが隣国と称した方が良いのでしょう。
この王国へ売られてきた私は、他に売られてきた無性の子供と共に王国の陰の軍として武力を身につける事を求められました。その為に下等生物と蔑まれ、捨てられた私達は買われてきたのですから仕方ないもの。
もしそれができなければ……ああ、今思い出しても、先代団長のスパルタが瞼の裏に焼き付いて離れません。
武力、暗器の扱い、変装技術、隠密行動。私達に与えられたのは潜入捜査という任務を遂行するための力。
奇しくも、私にはその才能があったらしく、それが先代団長の目に止まった事により私の地位は殆ど確定したも同然でした。
先代団長直々に「アントニア」という名を頂き、流れるように私は姿の表さない王都国軍副団長、もとい陰の指揮官となったのです。
さて、そんな私はいつも悩みがございました。
そもそも何故王都国軍副団長が姿を表さないのか、分かりますか?
それは……あまりにも、我々の見た目が中性的だったから。
無性という種は悲しきかな、男にも女にもなれません。繁栄に必要な生殖器官が存在しませんからね。
なので姿も自ずとどちらとも取れる形を取ることが殆どなのです。稀にどちらかに偏った者も見受けられますけど。
私も同じように中性的な姿でしたから、そんな人間が兵士、ましてや副団長になるなど王都国軍の兵士達に何て言われるか分かったものではありません。
それ故に王都国軍副団長は姿なき者と称され、言伝で伝わる容姿も私の姿とは似ても似つかない程筋肉質な男だと広まることとなりました。
私が副団長の座について6年。
その間に先代団長は引退し、新たな団長の座には我々陰の存在に私が入隊した頃から先代団長の傍で私達の様子を見てきた息子のジルヴェスター・ケプラーが就くこととなりました。
まあどうでもいいんですけどね?
私はそれよりも気になることがあったのです。
それは──
────どうすれば筋肉がつくのかどうか、という事。
いえ、勿論毎日筋トレしてしていますよ。腹筋500、ダンベル上げ600、果てには走り込み王城完徹で!……さすがに人に見られたらいけないので木の上で行っていますが。
ここまでしているというのに、私の身体に変化はない。むしろウェストが以前より細くなり部下達から「更にお美しくなって貴方はどうしたいおつもりなのでしょうか?」と眉をひそめられた。
補佐であるエラに至っては完全に馬鹿にしたような目で見られてしまったほど。
「私だって……彼等のようになりたいと思っているのに……」
王城を囲む木々の隙間からとある場所を眺めてはため息をつく。視線の先には王都国軍の演習場があり、そこでは多くの兵士が打ち合いの練習をしていました。
その中には団長であるジルヴェスターもおり、どうやら一人の青年に対して筋がなっていないと怒鳴っているようで。かなり距離はあるのですが、読唇術を身に付けた陰の一人として読み解くのは造作もない事ですよ、団長。
ちなみにその少年、いえ息子ですね。
貴方も息子さんの口元はちゃんと見ないといけませんね。「この薄らハゲ」と有る事無い事呟いていますから。
にしても……
「「あぁ……いい筋肉だなぁ」」
……………………。
えっ。
私とは別の、子供のような小さな声に一瞬耳が馬鹿になったのかと思いました。
ですが聞き間違いでも、そして見間違いもありません。何せ私の横、それもかなり高い位置にあるこの木の枝に一人の少女がちょこんと綺麗に座って悩ましげに溜息をついているではありませんか。
いつの間に、と広い木の枝の下を覗いても梯子なんて一つも見当たらないし、何より少女のドレスが汚れているのは木の幹を登ってきたからに他ならない事が分かります。
そも、彼女は一体何者なのかと見ていると、その赤橙の髪を見て漸く気づきました。
絶世の美女、麗しき公爵夫人として名高い太陽の愛し子と称されるコルネリア=ロイス。
冷血の公爵、国の利益の為なら悪人を自ら切り捨てる紅き美丈夫イーヴォ=ロイス。
そしてその愛娘、朝焼けを齎す赤橙の少女────マルガレータ=ロイス。
あ、これもし私が誘拐したとか疑われたら確実にやばいやつですね。
……何故そんな子がこんなところに、それも相まってか一瞬声をかけるのも戸惑いました。が、このままではあらぬ弊害を受ける可能性がありましたので、失礼ながら、それでも恐る恐る声をかけてみる事にしました。
「……あの、申し訳ないのですが、」
「え、あら!? 貴方、置物ではなかったの!」
酷い言われようですね!?
と、ともかく、私の事を認識してくれたのは嬉しいのですが……なんだか、若干複雑な気分になってしまいました。まさか置物と言われるとは……。
「ごめんなさいまし、私自分の世界に入ってしまうと人の事を置物のように見てしまうもので、貴方の事も私の方を見る事もなくぴくりとも動かなかったので、もしかしたら本当に置物なのかと……」
慌てたように少女は、マルガレータは私の様子に心配してフォローをくれました。優しいですね。
でも、確か私は彼女と言葉が被っていた筈なのですがその時にも気付かなかったのかと悲しくなり、同時にマルガレータの言葉も思い出しました。
「……ん?あの、そう言えば先程筋肉がどうとか言っておりませんでしたか?」
ぴしり。
その瞬間の空気が、一瞬にして凍りついたような気配を感じました。それが幼い相手の据わった目が原因だという事は直ぐに理解したのです。
「……聞いた、の」
「────、」
どうやら私は、彼女の地雷を踏んでしまったようで。
少女とは思えない目力の強さに、にじり寄ってくるマルガレータから目を離せません。静かに、然し僅かに震えた手が私の両肩を掴み、
「お父様には、言わないで……!」
ぶわりと双眸に大粒の雫を零すまで、数秒もかかりませんでした。
***
マルガレータ様と出会った事により、私は彼女の嗜好、そしてそのお転婆ぶりに驚かされました。
何を隠そう、彼女がここに通っている理由は兵士達の演習……もとい、その際に見られる上半身裸の姿を見るためだというのです。
ええ、そうです。俗に言う男性の胸筋や腹筋をその目に焼き付けるために。
本日もマルガレータは楽しそうに私のいる木の上に登って来ては彼等の姿を堪能中。
「ああ、素敵……お父様に我儘を言った甲斐がありましたわ」
イーヴォ公爵には国に命を捧げる兵達の姿を見て勉強したいと言って無理に連れてきて貰ったそうです。公爵、貴方の娘は国の為に覚悟している兵ではなくその肉体を勉強しています。
その娘に騙されていると未だ知らぬイーヴォ公爵ですが、よく奥方であるコルネリア夫人と口喧嘩をしながらマルガレータを探している様子を見かけております。
「全く、あの子はいつになったら大人しくできるのかしら?貴方のように野蛮で脳筋な男に似てしまっては、きっと私のような物好きにしか好かれないでしょうに」
「いいや、あの子はお前に似たのだ。きっと何処かでその美貌と愛くるしさを振りまいては俺のような男が寄ってくるだろう。そう、まさしくお前がそうだったように!」
目で相手を射殺すが如く。二人の間に流れる不穏な空気に、何時ものように木の上からマルガレータと眺めていた私はこそりと耳打ちをしました。
「御二方は仲が悪いのでしょうか?随分と剣呑な雰囲気だと思うのですが……」
「そうかしら。私にはお互いの事しか眼中にないように見えるのだけれど」
そうは見えない。全く、全然!
……と、言うわけにもいかず、二人が離れていくのを見定めてからまた二人して演習場を眺める事に徹する。しばらくそんなことが続けば、いつの間にか私はマルガレータという少女に自分の身の上をぽつりぽつりと吐き出していたのです。
今現在に至るまでの私の話を終え、そこでようやく自分の失態に気づきました。
ああ、私が無性である事を何故彼女に伝えてしまったのか!これでは蔑んでくれと言っているようなものではないかと頭を抱えたくなりました。斯くなる上は少女の記憶操作しかありません。
一人の公爵令嬢にそんな残忍な事をしたくはありませんが、致しかない。何せ我々の存在は王国側がかねてより秘匿してきた事実。
一人の娘より王国を優先することこそがこの国の兵、そして影の使命でもあります。
そっと、袖に隠した記憶操作の術式を見えないところで取り出して少女の様子を伺っていましたが、すぐにその考えも失せてしまいました。
彼女は、マルガレータは……
「凄いわ、貴方。それなら女性にも男性にもなれるという事でしょう! ああ、羨ましいわ……私もそうだったら、男性にすぐそばに近寄れるというのに……」
「……何を、言っているのですか。私達無性は下等生物。羨まれる事など何一つ──」
「おかしな事を言うわね。下等生物なんて周囲が勝手に決めた事じゃない。それを言うなら誰からも理解を得ない嗜好を持つ私だって同じでしょう?」
誰にも理解されない。
私が自分の性を知られたら侮蔑されるのと同じく、彼女もまたその嗜好を周りに知られたらどんな罵倒を受けるか分かりません。貴族なのだから、尚更。
……ああ、そういう、ことでしたか。
彼女と私は違うようでよく似ている。
人に知られたくない秘密を持ちながら、それを公にできぬまま歪に生きている私達。
……ならば、一人でも理解者はいた方がいいのではないでしょうか。彼女が私の悩みをおかしな事だと笑い飛ばしたように、────私も同じように彼女を受け入れましょう。
「……マルガレータ様」
「はい、なんでしょ……あっ!」
途端に顔を真っ青にさせるマルガレータに笑みがこぼれます。当然の事でしょう。何せ今まで彼女の口から自分のことを話した事は一度もないのです。ええ、全て私自ら察したこと。
正体が知られていないと安心しきっていた彼女は怯え、懇願するように此方を見つめてきます。
そんな事しなくとも、私は、
「ご安心ください、お嬢様。私は貴女のことを周りに言いふらす事などございません。ただひとつだけ、私個人の願いを叶えてくださればと」
「……何かしら」
素性を知られたからか、さらなる弱みを見せまいと気丈に振る舞う貴族たる彼女へ、穏やかに微笑み返す。
「どうか私を、」
────貴女のお付きにしてくださいませんか。
はい、そこからはもう早いもので。
マルガレータ様と共に御両親へ突撃紛いの挨拶と簡易の忠誠を誓い、お付きの許可を貰った後に陰の集合、エラへ副団長の引き継ぎ、陰の配置替えの完了。
そして最後にジルヴェスター団長の元へ向かえば──
「今までお世話になりました。今日を持ちまして私は副団長の座を降ります」
「……はっ?」
「それでは私はこれにて失礼します。あっ、後の事はエラに引き継ぎましたので今後についてはあいつに聞いてください。では!」
「おまっ! はあ!? おいちょっと待てアントニア……足速いなあいつ!?」
こんな所で捕まってる暇など無いのですよ、私は。
私にはお嬢様が待っているのですから。
私を理解し、私が理解する。
我が親愛なるマルガレータお嬢様が!
***
こんにちは。
はい、アントニア改めましてニアと呼ばれるようになったお付きのメイドです。
……何故メイド?というそこの貴方。いいですか、無性である事を隠さなければいけない私はどちらかの性に固定する必要があります。そして今までは副団長として男に固定をしていました。
ですが、お嬢様のお傍にいる為には男では常日頃からつきまと……失礼、一緒にはいられません。
なので私は公爵家に入ると同時に「アントニア」の名を捨て、ただのニアとしてメイドになる事を選択いたしました。
そうして、現在。
「筋肉が……足りない!」
「左様でございますか、お嬢様」
ベッドの上でごねるマルガレータ様の手元には此処数年の魔術師の努力により生み出された「姿見写し」によって撮られた写真があります。それら全てには私が隠し撮りした兵達の姿が写っておりますが……近年では、その屈強な身体の持ち主達ははなりを潜め、王都国軍で見られるのはすらりとした美しい面を持つ青年達──所謂、細マッチョ、という者が多く見られるようになりました。
別に国王陛下の新たな方針とか、王妃の采配とかではありません。詰まる所、世代交代というものでしょう。
ですがそんな細マッチョなど、お嬢様のお眼鏡に叶うものではなかったようで。
「ああ、こんな事なら婚約者になんてならなければよかった……折角、いつでも視察を口実に国軍に顔パスで入れると思ったから婚約の話を受けたのに……」
「…………」
悩ましげにため息を吐くマルガレータ様の横顔に、無性に胸が痛みます。私は既に筋肉への執着もなく、彼女の気持ちに賛同する事はできません。
ああ、でも。
「お嬢様」
「なあに、ニア」
「つまりお嬢様は婚約破棄をして、尚且つ筋肉が常日頃から観察できるところへ行きたい、という事で間違いはございませんか?」
「──なっ」
慌てたように顔をあげる様子に、思わず笑みが溢れます。ああ、外では貴族として振る舞う高貴なお姿も麗しいですが、やはり身内にしか見せない表情も愛おしい。
「そんな、そんな馬鹿なこと──」
「そうですね、場所としては魔物との最前線区である第三都市か、はたまた国境付近の第二都市が望ましいでしょう。
上手く侍女として潜り込めたならきっと触る事も可能と、」
「触る!? なにその贅沢!」
途端に目を輝かせたマルガレータ様。ですがすぐにその顔を暗雲に曇らせてしまう。
「……いいえ、そんな話はよしましょう。私の婚約相手はかの第二王子。此方からの破棄など……」
「ならば此方からではなく、向こうからさせてしまえばいいのです」
既にあてはあるのですよ、お嬢様。
王子の好みに合い、そしてあの王子の手綱の操作を上手いこと出来そうな御令嬢が。
ああ、でも確か彼女は男爵令嬢ですから、まず出会わせるのが難しいでしょう。まあ、そこは陰を駆使してでも辻褄を合わせるように仕向けたらいいだけです。
マルガレータ様も私の企みに気づいたご様子。しばらく目を瞬かせた後、まるで天使のように微笑みました。
「……いいのかしら。任せてしまって?」
「構いません。それが私の仕事ですから」
そう、これが私の仕事。
お嬢様がより良く暮らせように、より幸せになられるように立ち回るよう動くのが私なのだから。
***
私は此処まで来るのに多くの犠牲を払いました。
仲間を捨て、地位を捨て、影の栄光を捨て。それでも私は此処まで来ることができたのです。
「ニア! ねえニア、聞いて!」
「はい、お嬢様」
「今日私ね、初めて腹筋を触ったの! 腹筋よ、腹筋! 本物の、綺麗に割れてるシックスパック!
溝も深くてなぞりがいがあって……! ああ、夢みたい!」
うっとりと、まるで恋する乙女のような表情を浮かべるマルガレータ様。
彼女が言っているのはきっとゴルド様の事でしょう。確かあの方、今日の午後に無防備に寝ているところをお嬢様に撫でくりまわされていましたから。
でもまあ、そんなこと顔に出すわけでもありません。
「それはそれは、良うございました」
本当に、心から。
こうして勝ち得た幸せを共に過ごせる事こそ、無性として蔑められてきた人生の中でも大きな勝利と言っても、過言ではないのです。
「私の怖いもの……?それは勿論、お嬢様を失うことでしょう」
ニア(アントニア)
元・王都国軍副団長。元・陰の指揮官。
それら全てを捨て去ってマルガレータの元へ下った者。無性であり下等生物として裏の世界で生きるしかなかった者はマルガレータという太陽を得た。
だからこそ「彼女」は願う。
願わくば、我が愛するお嬢様が幸せになれますようにと。