とぺ
僕が小さい頃作ったぬいぐるみがある。名前はとぺ。
顔を横切る黒い縫い目模様があって、肌は淡い青でどんな動物とも表現しがたいなりをしているパペット人形だ。
丸い瞳は黒一色でぐるぐると刺繍されている。肌よりも濃い色の服を纏っている。時々裾がほつれたりしているがそれも愛嬌。
とぺ。どうして僕がそんな名前をつけたかは全くわからない。けれどとぺが僕の友達だということは変わらない。
とぺは僕の一番の友達だ。見てくれがいまいちだろうと、気味が悪かろうと。
勝手に動き出したとしても。
とぺはパペット人形だ。人が手を入れて動かす操り人形の一種。
けれどとぺは、自分で動く。
ふよふよと浮かんで、漂って、何が楽しいのか、面白いのかわからないけれど、動いて、生きている。
どうあろうと、とぺは僕の友達だ。寂しいとき、いつも傍にいてくれる。悲しいとき、いつも黙って慰めてくれる。楽しいとき、一緒に笑ってくれる。
とぺは喋らない。口のところは手で動かしやすいようにぱかっと開くようになっている。僕が楽しいときはその口をぱくぱくさせていて、なんとなくその様子が笑っているように見えるんだ。
表情も豊かというわけではない。縫い付けられた表情から変化することなどできはしないのだ。だが、角度によってどう見えるのか、とぺはちゃんとわかっている。計算しながら振る舞っているのだ。とぺは賢い。
とぺが何故動くようになったのかはわからない。けれど、人形に呪いをかけるという風習はままあった。誰かが呪いをかけたのだろう。よくあることだ。僕は気にしなかった。
というより、僕はむしろ感謝していた。どこの誰とも知れない人がとぺに呪いをかけてくれたおかげで、僕はとぺと友達になることができた。感謝してもしたりない。とぺがいなければ、僕に友達なんて一生できなかっただろう。
だって僕は、
僕は、異端だから。
黒髪の呪い、というものを信じている人がいる。僕のいる村の多くがそういう人たちだ。
黒というのは呪いの色で、呪いは大抵人に災いをもたらす。呪いをもたらす存在をそう易々と受け入れられるわけがない。そうして生まれたのが"黒髪は呪われている"という考え方である。
昔は"黒人"と呼ばれた肌の黒い人もいて、その人たちのことも差別していたみたい。けれど今では黒人は希少人種で、見かけることすらないから"幻の人種"とまで言われている。
だから、僕のような黒髪に対する差別がより凶悪になっている……らしい。
僕は黒人がいた時代のことなんて知らない。黒人なんて見たこともない。みんなが僕にする"差別"というのが本当にひどいものなのか、比較する対象すら持たないんだ。どうやって判別すればいいんだろう?
体の弱かったお母さんは僕を生むと死んだ。お父さんは僕の黒髪を見るなり半狂乱で僕の首を絞めた。保護して育ててくれたお医者さんは診療所に火を着けられた。そのまま建物と一緒に死んだ。僕は住むところがなくなった。助かったけれど、僕はひとりぼっち。いや、とぺだけが傍にいた。
僕はお医者さんのお墓を作った。それからとぺと一緒にふらふら散歩して、しばらくして帰ってきたら、お墓が壊されていた。お墓を壊すなんて罰当たりなやつがいたもんだ、と僕は荒らされたお墓をもう一度整えて、もう荒らされないようにととぺを抱いてずっとお墓を見張った。
そうしてお墓で何日も過ごしていると村の人がやってきて石を投げてきた。お墓を壊すつもりかもしれない、と僕はお墓を庇って石に当たった。みんなはどんどん石を投げてくる。僕はずっとお墓を守っていたから、今度はお墓は壊れずに済んだ。とぺはじっと脇でそれを見ていた。とぺに当たってもいけないからね。とぺにも後ろにいてもらった。
村の人から石を投げられる日々。うわぁ、うわぁと言いながら、みんなは石を投げる。みんな笑っていた。みんな笑っていた。だから、楽しかったのかな。楽しいことは幸せなことだから、僕はこれでいいんだと思っていたけれど。
僕は幸せだよ。お医者さんのお墓ととぺは無事なんだから。
で、あるときからすっと、みんなが来なくなった。ちょうどその日から、とぺはひとりでに動くようになったんだ。
動くといっても、僕の傍にずっといるだけで、あまり目の届かないところにまでは行かない。
ただ、とぺはよく、花を持ってくるんだよね。たくさん花びらのついた赤い花。確か、菊っていうんだっけ。よくお墓に供えるやつ。
とぺはどこからともなく菊を持ってくると、僕をちょんちょんとつついて、花を差し出す。お墓に供えたいのかな、と思って、僕はお墓の前にその花を横たえて手を合わす。だんだん習慣になってきた。
とぺはやたら熱心で、毎日摘んでくる。真面目なやつなんだなぁ。友達として鼻が高い。
そうやって、僕らは二人で過ごしてきた。ずっとずっと、そんな日々が続いた。きっと、これからも続いていく。
それにしても。
誰も来ないなぁ。
どれくらいのときが過ぎたのかわからない。
久々に人が来た。
真っ赤な髪の男の人だった。
その赤は鮮烈だった。目を閉じても見える気がする。ちょうど……そう、お医者さんの家を焼いた炎みたいな。
その人はじっと僕を見つめた。
次に墓前の花を。
次にお墓を。
最後に、僕の腕の中にいたとぺを見て、くくっと笑った。
「なあ、黒髪の坊主。その花は何だ?」
「菊」
即答した僕に赤髪はそうじゃなくて、と続けた。
「何のための花だ?」
「弔い花」
「ほほう」
感心した風の声をこぼすと、赤髪は次の問いに移る。
「腕の中のそいつは?」
「とぺ。僕の友達」
赤髪はまたしても笑う。
「はは、お前さん、随分いい友達を持ったもんだな」
とぺを褒められて、ちょっと嬉しく思った。
が。
「人殺しの人形が友達とは実に羨ましい」
「……人殺し?」
聞き慣れない言葉。
聞き捨てならない言葉。
とぺが、人殺し?
「どういうこと?」
「なんだ、お前さん、不思議に思わなかったのか? 何故村人が誰も来ないのか。そりゃ村人がみんないなくなったからさ。どこにいなくなったかって言やぁ」
赤髪は人差し指でぴっと空を示す。
「お天道さんのとこだよ。まあ、死んだ人間がどこに行くかなんて定かじゃねぇが。まあ、厳密に言うと、村人は全員死んだが、ここにいる」
またしても意味がわからない。何故この人は難しい話し方をするのだろうか。
けれどわからないのは嫌なので、黙って続きを聞く。
「その花、どこに咲いてるかわかるか?」
「知らない。とぺがいつも採ってくるから」
「村中さ」
信じられなきゃ、見てみ、と赤髪は村の方に行く。お墓を離れるのは不安だったが、腕の中でとぺがうごうごと僕に進むよう促したので、行ってみる。
境界代わりに置かれた門を久しぶりにくぐるとそこは。
一面の赤い花畑。菊がさわさわと風に揺れる。
同じ赤でも鮮烈すぎる赤髪はすぐにわかった。彼は言う。
「この菊は、全部村人の血でできた。わかるか? そういう呪いで、そいつが殺した」
そいつ──とぺを指す。とぺが呪い殺したとか、全然実感が湧かないけれど、とぺは否定する様子もない。だから、赤髪の言うことは間違いではないのだろう。
「でもなんで?」
どうしてとぺは村の人を呪ったのだろう? 花を咲かせたのだろう? その花を僕に差し出したのだろう?
疑問は考えれば増えるばかり。首を傾げる僕を見て、赤髪はふぅ、と深く息を吐いた。
「お前さんはさしずめその黒髪のせいで迫害されていたんだろう? それを見かねた友達が、お前さんを傷つけるやつを追い払っただけだ。随分と友達甲斐のあるやつじゃん」
とぺは僕のためにやってくれたらしい。最高の友達だ。
「で、花だが。この花の名前は何だ?」
赤髪が赤い花を千切り、僕に向ける。
「菊」
「……そいつは半途な呪いのせいで口が聞けないらしいな。だから話せないが、せめて友達としてお前の話を"きく"──人形なりの言葉遊びだよ」
ああ、なるほど。
だから毎日、とぺは花を摘んできたのか。
だから僕に渡したのか。
だからいつも、ただ傍にいてくれるのか。
とぺ、君は本当に
最高の友達だよ。
僕はそれから毎日、とぺに話を聞いてもらった。赤髪はいつの間にか立ち去っていたけれど、気にしなかった。
とぺは黙って傍でずっと、話を聞いてくれた。
僕はずっとずっと話し続ける。
とぺはじっと動かず、話を聞いてくれている。
「憐れなやつだな、あの坊主も。思いを伝えて満足した人形の魂はあのときに逝ったっていうのに、聞いてくれていると信じて、ずっと話しかけてやがる。
憐れだなぁ。黒髪には呪いが効かない。だから坊主が死ななかっただけで、これからもきっと死ねない。
ひとりぼっちなのに気づかずに、あいつはずっと生きるんだなぁ。
憐れだなぁ」
赤髪の青年は呟きながら、赤い菊園を抜けて行った。