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45.レオ、茶会に出る(後)

「え……? 皇子、殿下をこの場に、ですか……?」


 だいぶ皇后とも打ち解けた手ごたえを得て、ようやく徐々に紅茶染めに話を移していこうとしていた矢先、バルタザールから、この場に皇子も招いてよいかと問われ、レオは目を瞬かせた。


 よいか悪いかと問われれば、それは勿論会いたくなどない。向こうだって同じだろう。

 しかし、この場できっぱり「嫌です!」と答えて、せっかく温まってきた場の雰囲気を壊したくなかったので、レオはしぶしぶ頷いた。


 皇子はあれからも何度かレオの部屋を訪ねてきていたが、都度カイに追い払ってもらっていたので、会うのはこれが一週間ぶりである。


 きっと相手は、レオが婚約者になってしまうのではないかとやきもきしているものと思われるので、ここはひとつ、開口一番そんな心配必要ない、こちらだって願い下げだと言い放ってやろうと、レオは内心でぐるぐる肩を回した。


 が、しかし。


「――ようこそ城へおいでくださいました。歓迎いたします」


 ややあって、謁見室にやってきた皇子を見て、思わずレオは絶句してしまった。


 精霊祭当日とあって、アルベルトは白を基調としたチュニックにサーコートという、いかにも皇子っぽい出で立ちをしている。

 淡い金髪、透き通るようなアイスブルーの瞳、整った相貌。

 外見だけ取れば、今日も今日とてイケメンきわまりない姿に違いないのだが、


(……なんか、すっげえ弱ってねえ……?)


 いつも彼を包みこんでいる、金貨もかくやといった、キラキラした輝きが、まったく感じられなかったのである。


(なんだろ……顔色が悪いわけじゃねえし、やつれてるわけでもねえんだけど……なんか、こう……)


 五感を通してではなく感じられる、この奇妙な陰りを、レオはどう説明していいかわからなかった。


 アルベルトは如才なく、侯爵夫妻に口上を述べている。

 握手をすべく、彼が優雅な仕草で腕を差し出した時、そこにきらりと光る腕輪を見てレオははっとした。


 心ときめく金の輝きを目にしたからではない。

 なぜか――皇子が、手枷を嵌められているように見えたからである。


(ん……!? んんん!?)


 レオは思わず目を擦った。

 いや、やはり腕輪だ。


 美しい金の腕輪を、まさか手枷扱いするなど、ちょっと自分の感性を疑ってしまう。

 ちゃんとカー様にときめく自分のままだよな、と、ついドレスの下に隠し持っていた金貨を引っ張り出して、レオは小さく頷いた。

 大丈夫。カー様は相変わらず好ましい。


 と、金貨を握りだしたレオを見て何を思ったか、皇子はつらそうに目を細めると、


「レオノーラ……なぜ……」


 と呟いた。

 なぜ、の後は何が続くのだろうか。


 とそこに、


「陛下……、これはあまりに、厳しすぎませぬか」


 握手を終えたクラウスが顔を顰めてそう告げた。

 彼は、先程皇子と触れあった己の右手を見つめ、痛ましそうに眉を寄せている。


「本人どころか、一瞬触れた他人の魔力すら奪う、強力な封じの腕輪……。こんなものを始終付けさせていては、魔力が枯渇するどころか、生命すらも危ぶまれましょう」


(えっ!?)


 封じの腕輪、枯渇、生命の危機。

 思いもよらぬ単語を次々と聞かされ、レオは目を丸くしてクラウスを見上げた。


(なになに、どういうこと!?)


 それは、あのちょっと不穏な感じのする金の腕輪のことだろうか。

 しかし、なぜ皇子が魔力封じなど。

 それに、生命の危機とはこれいかに。


「申し訳ございません、ハーケンベルグ卿。あなたの魔力まで奪ってしまいましたか」

「そのようなつもりで申し上げたのではない、皇子殿下」


 話についていけていないレオをよそに、クラウスは皇子の謝罪をそう打ち切ると、険しい顔で皇帝に向き直った。


「陛下、皇子を魔力封じのうえ謹慎に処したとは聞いておりましたが、これはあまりに苛烈です。しかも、今日は精霊祭。家族と共に春を寿ぐ日です。それに免じて、せめて今日くらいは、この魔力封じを解かれてはいかがか」


 ハーケンベルグ侯は、バルタザールよりもずっと年嵩で、戦場での功績も大きい。

 このように、皇帝に堂々と申し入れができる希少な臣下の一人であった。


 しかしバルタザールは目を細め、不穏に口の端を引き上げただけだった。


「――ふ、クラウス。何を言う。新しい季節を迎える今日の日だからこそ、古き因習、古き罪に、きっぱりと引導を渡そうとしているのではないか」

「……なんですと?」

「わからぬか」


 意図を掴みかねて、声音を潜ませたクラウスに、バルタザールはきっぱりと告げた。


「俺はこの日、この場において、第一皇子アルベルトの処遇を決めようと考えている。皇族でありながら、その地位を危ぶませた、この愚かな息子の、な」

「…………!」


 クラウス、いや、その場にいた全員が息を飲む。

 レオもまた、呆然としながら皇帝の言葉を聞いていた。


(お、皇子の処遇を決める……? 処分するってことか……?)


 なんとも穏やかでない言葉だ。

 レオがその単語で思い浮かべるのは、年末のたたき売りだとか、賞味期限切れ商品の廃棄だとかであるが、この場合は、もちろんそういうことではないのだろう。


(処分って……つまり、処刑……?)


 クラウスは先程、皇子は、生命すら危機に晒す程強力な、封じの腕輪を嵌めているのだと言っていた。

 つまり、皇子は、その魔力を取り上げられようとしているということだ。


 そんな。

 一体なぜ。


 混乱するレオに、まるで説明するようにバルタザールが続けた。


「この愚かな息子は、複雑な陣式を作り上げ、民が自由に水を召喚する端緒を付けた。これを契機に陣の開発は飛躍的に進み、水の召喚以外にも、様々なことが陣で叶えられていくだろう。魔力は、皇族の権力の源泉。にもかかわらず、こやつはそれを民にいたずらに解放し、この帝国の権力構造を危うくした」


 レオは大きく目を見開く。

 皇子が陣の成形に手を貸すということに、そんなリスクがあったなど、思いもしなかった。


(――……いや)


 だがレオは即座に首を振った。


 いや、気付くべきだった。

 確かに思い返せば、皇子が気乗りしない様子であったことは、たびたび見かけられたのだから。

 レオはそれを、単なる怠惰だと思い、どやしつけることしかしなかったが。


 バルタザールの宣告は続く。


「すぐにこの帝国が崩れることはあるまい。皇族の膨大な魔力が、即座に陣に取って替わられることもなかろう。だが、煽りを食うのは、魔力に乏しい中位以下の貴族たちだ。例えば、リヒエルトの治水を担っていたハグマイヤー卿。確かにあれの仕事は遅かったが、だがあやつも帝国に忠誠を捧げてきた臣下。その仕事が陣に取って替わられ、己が不要であると突き付けられるのは、どのような心持ちであろうな?」


 彼はゆっくりと立ち上がると、テーブルの近くに佇んだままだった息子の右腕を取った。


「だから、息子にも理解してもらおうと思ってな。魔力が奪われ、特権階級の座を追われる者の、心持ちを」


 アルベルトはぐっと眉を寄せる。

 しかし彼は口を引き結び、何も言い返さなかった。


(そんな……)


 一方、レオは呆然としていた。


 特権階級の座を追われる――つまり、継承権を破棄される。

 それほどの罰を、皇子が受けていようとは、レオは思いもしなかったのだ。


 だって彼は、陣を描いてくれたとき何も言わなかった。

 金貨を返せと言ってきた時でさえ、その理由を説明しようとはしなかった。

 やめてくれ、何をしてくれると、こちらを責めることすらしなかった。


 陣構想に夢中になったのも、勇み足で湖に陣を置いてきたのも――レオなのに。


(もしかして……金貨を返せって言ってきたのも、皇子の座を追われるってわかってたから? 平民として暮らすための、初期投資に充てるために……?)


 そうとしか考えられない。

 レオは、なぜか「婚約」だなんて発想に結び付け、一人皇子のことを気色悪がっていた自分のことを、思い切り殴ってやりたかった。

 気色悪いのは自分のその発想の方だ。

 皇子はただ、陣ビジネスのケツを持とうとしてくれていただけなのに。


 皇子は金貨の取り立て屋などではなかった。

 ただ、陣ビジネスに魅了され、皇子の座まで(なげう)ってその利益を手にしようとした、熱い(おとこ)だった。


 胸の奥が熱くなる感覚を覚え、レオは思わず椅子を蹴って立ち上がると、皇帝に向かって叫んでいた。


「どうか、おやめ、ください……! 悪いのは、全てオ……っ、私、なのです!」


 もちろん、陣を作ってくれとレオが直接頼んだわけではない。

 しかし、レオが急かさなければ。焦らなければ。

 頭のいい皇子はもっと他の方法を考えて、ブレイクスルーに辿り着いていたかもしれないのに。


 レオは無意識に金貨を握り締め、祈るように告げたが、皇帝は顎を撫でただけだった。


「皇子は、責は全て自分にあると申しておる。だから、レオノーラ。おまえを罰するつもりはない。むしろ俺は、おまえのことを評価しないでもないのだ」

「え……?」


 思わぬ言葉に、レオは眉を寄せる。

 真意を掴み損ねて、怪訝な表情を浮かべるレオの前で、バルタザールは妃に手を振った。


「アレクシア、ポットを」

「――……!」


 皇后の、息子と同じアイスブルーの瞳が、大きく見開かれる。

 しかしアレクシアは、瞬時に何かを悟ったような表情を浮かべると、次にはゆったりと笑みを浮かべ、


「――かしこまりました」


 夫に頷いてみせた。

 

「父上、母上。一体なにを……」


 それに焦ったような表情を浮かべたのは、アルベルトである。

 彼は父帝の腕を振り払い、母アレクシアに素早く向き直った。


「母上、おやめください! 彼女に何をするつもりなのですか!」

「まあ、怖い声だこと。茶会の主にふさわしいことをするだけよ」


 剣呑な叫びを軽くいなして、アレクシアは艶やかに笑った。

 その間にも、優雅に手を動かし、――紅茶をカップに注ぎ入れて。


 オレンジがかった、透き通った赤い液を、一滴もこぼさずに注ぎ終えると、彼女はそのカップをゆっくりとテーブルの上に差し出した。


 そうして。


「お茶をどうぞ。レオノーラ」


 真っ直ぐにレオの目を見つめ。

 皇后は、紅茶を勧めた。

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