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20.レオ、下町で輝く(前)

 すぐに落ち込むが、その割にすぐ平常のメンタルを取り戻せる異様な立ち直りの早さが、レオの欠点であり美点である。


 暴言封印の魔術を解かずに立ち去ってしまったレーナには困ったものであるが、まあ、それなら明日また頼めばいいことだし、今年の雪花祭バザーに、自分の居場所がないというのは大変悲しかったが、まあ、それなら違う方法で稼げばいいのだ。


(ここは一つ、盛大に荒稼ぎしてやって、「やっぱレオ兄ちゃんは違えや!」ってエミーリオ達に思ってもらわねえとな!)


 銅貨を数えて心を整えたレオは、そう意識を切り替えると早速に行動に移った。


 即ち、数時間だけ仮眠を取り、当初の予定通り明け方にもならぬ時分に、院を抜け出すことにしたのである。


 例年なら、エミーリオ達を起こして一緒に行くのが常だったが、彼らは「シミュレーション通りのソリューション」とやらを実行するため、今年については朝まで普通に睡眠を取るようだ。

 そんな彼らを起こすのは忍びないので、レオはこっそりと着替えて部屋を抜け出した。

 老兵は去るのみ、そして一人新天地を切り開くのである。


(しっかし、こっから稼ぐとなると、商品を今から用意することもできねえしなー。売り子が足りてない店を探して、バイトで雇ってもらうしかねえよな)


 レオの目的はあくまで金儲けだ。

 久々に物を売り、人様からゲンナマをせしめ、その芳しい儲けに鼻先を浸せれば満足なので、特に業種を選ぶつもりはなかった。


 雪花祭で多い露店、かつ、なるべくハンナ孤児院が提供する商品とバッティングしないものとなると――。


 そんなことをつらつら考えながら、夜露に湿った玄関口の石畳を歩いていると、


「レオノーラ様……!」


 背後から、慌てたような声が掛かった。


「……え、カイ?」


 なんと、レーナに寝落ちさせられていたはずの従者である。いや、どうやら早速二日酔いの症状が出ているのか、顔色も悪いしちょっとふらついている。


 着の身着のままといった様子の彼に、レオは目を瞬いた。


「どうした、ですか? ……というか、大丈夫、ですか? 薄着、風邪を引きます」

「それはこちらの台詞でございます、レオノーラ様! 一体このような時間に、お一人で、どこに向かおうと言うのです!」


 まるで夜遊びを咎める母親そのものである。


(――あ、いや、そうか、こいつ母親になりたいんだっけ)


 なんとなく思い浮かんだ比喩が、そのまま彼にとっては事実であることが思い出され、レオは無意識に顔を引き攣らせた。


「え……、あの、いえ、その、少し、夜風に……」

「嘘を仰らないでください! そんな風に、わざわざ男装して髪まで隠し、大きな鞄まで背負って夜風に当たりに行く人が、どこにいるというのですか!」


 ごもっともなツッコミだ。

 男物のシャツとズボン、新聞小僧のようなハンチング帽に帆布鞄がドレスコードの散歩など、聞いたこともない。


 素直な弟分相手には、言い訳もろくに思い付かないタイプのレオは、早々に白旗を掲げることにした。


「……すみません。私、市場、行こうとしていました」

「市場へ……?」


 吐き気をこらえているようであるカイが、口許を手で覆いながら、戸惑ったように見てくる。

 咄嗟にレオはカイの背中を撫でてやったが、彼はそれを掴み、咎めるように言った。


「雪花祭をご覧になりたいのですか? ですが、それなら、こんな時間に行かずとも――」

「いいえ、雪花祭、見たいのでは、ありません」


 見たいのではない、参加したいのだ。

 カイが「え……?」と瞳を揺らしたのを真っ直ぐ見つめ、レオは堂々と言葉を紡いだ。


「私は、確かめたいのです。人々の、暮らし。食料の、流通。物価。全てのことを、この目で」

「確かめる……?」


 そう、とレオは頷く。


 リヒエルトっ子のライフスタイルが三か月前、または前年同月と変わっていないか。食品の、カテゴリーごとの流通量は。物価は。

 それらを総合的に把握しなくては、効果的なセールストークの考案も、適正な値付けもできない。

 つまり、ハンナ孤児院でレオが常に唱えてきた、4P戦略が成り立たないのである。


 事前準備を疎かにせず、最善を尽くすこと。

 レーナのような具体的で堅固な計画性こそないが、レオはいつもそれを信条に掲げてきた。

 それこそが、金を儲けようとする人間の、唯一にして最大とも言うべき責務だと、そう信じてきたのだ。


「夜明け前、皆、準備中です。隠す余裕ありません。だから、そこを見る。そして、それは、私が、絶対にしなくてはならないこと」

「レオノーラ様……」


 カイは一時(いっとき)吐き気も忘れ、呆然としてこの幼い主人を見つめた。

 少女の真意に、思い当たるところがあったからだ。


(もしや……ハーラルトの禍で、市民が苦しんではいまいかと気に病んで……?)


 いや、そうとしか思えない。カイの主人はいつもそういう人物であった。


 ハーラルトの禍。

 学院では少女がそれを食い止めたことしか噂されないが、しかしその余波は、実際のところ市民をゆっくりと蝕みつつある。カイはこの下町行きで、うっすらとそれを感じ取っていた。


 ここ最近続く、異様な程の陽気。馬車から見えた、手入れのされていない教会の数々。祭も近いというのに活気がないというハンナからの手紙。


 断片的なそれらの情報を、カイはこのように繋ぎ合わせていた。


 即ち、ハーラルトの禍で人々からの信用を失った教会が、寄付や祈りなどを欠いて徐々に困窮を極め、精霊への祈祷を滞らせてしまった結果、その歪みが異常気象や沈鬱な町の雰囲気として現れてしまっているのではないか、と―――。


 表現力を鍛えるために隅々まで読んでいる新聞には、南の教会が暴徒化した市民によって焼き打ちにあったという事件が載っていた。

 この辺りはそれほどではないにせよ、やはり市民感情が荒廃しているというのは間違いないはずなのだ。

 もしかしたら、馬車の連結部分を腐らせるほどに水が酸性を帯びてしまったのも、精霊が荒れていることを示す現象なのかもしれない。


 カイですら気付いたこれらの事実。

 一枚の絵画から真実を見出す主人だったら、とうの昔に勘付いていただろう。


 だからこそ、その真実を見通す紫の瞳で町の様子を観察し、人々の生活に憂いの影がないかを、確認しようとしているのだ。ハーラルトの陰謀を明らかにし、現状を引き起こしてしまった者の責任として。


(でも、そんなのって……!)


 カイからしてみれば、少女にそれを助けてやる義理はないはずだった。


 禍を起こしたのは少女ではない、ハーラルトだ。そして、勝手に教会に失望して悪意を向け、世の中を荒廃させたのは市民自身だ。

 にもかかわらず、それを自らの責任として抱え込み、救いの手を伸ばそうとするとは。


(本当に、この方は、どこまで……)


 カイは唇を噛んだ。

 とても、十二歳の少女の発想とは思えなかった。

 その器の大きさ、視野の広さたるや、もはや王者のそれである。


「カイ」


 と、少女が手を伸ばし、そっとカイの両手を取った。

 ほっそりとした白い手が、ぎゅっと力を込めてくる。肌は滑らかで、温かかった。


「私、このために、来たのです。お願い。止めないで」

「レオノーラ様……」


 熱く胸に込み上げるものを感じて、カイは言葉を詰まらせた。

 このような真摯な想いを、しかも主人たっての願いを、撥ね退けては従者ではない。


 素早く頭を巡らせる。


(護衛は十人近く付けているし、念の為もう一つ手も打ってある。昼過ぎには、昨日の御者が新たに馬車を用意してくれるから、それまでの、……十時間くらいか。僕がぴったりとくっついていれば、けして不可能なことでは――ないはず)


 しばしの逡巡のうえ、カイはとうとう頷いた。


「わかりました」

「よかった!」

「ただし、私も一緒です」


 そればかりは譲れない。

 ついでに、馬車が用意される昼までには孤児院に戻ることを条件として掲げると、少女は困ったように眉を下げたが、結局受け入れてくれた。


 カイはよろよろと院に戻り、素早く着替えて上着を羽織る。ついでにハンナに書き置きを残すと、主人に付いて院の玄関を出た。




***




(うひょー! ひっさしぶりだぜ、夜明け前の東市!)


 レオはきょろきょろと周囲に視線を彷徨わせながら、込み上げる興奮を、胸を押さえることで必死に抑え込んだ。


 鶏も未だ鳴かぬ時分。


 にもかかわらず、雪花祭を前にした市場は、長靴を履いた花屋の女将や、得物を手にした肉屋の主人、戦闘カラーのエプロンを身に付けた売り子たちが、足早に行き交いながら準備を進めている。


 これだけ朝早くから集っているのは、今日この日限りバザーを開く素人などではなく、店舗を構えるプロの皆さんだ。彼らの表情は心地よい緊張に張り詰め、儲けという陽光が差し込むその瞬間を、今か今かと待ち受けているかのようだった。


 リヒエルトはさすが帝国の首都だけあって巨大で、王宮のある「皇地」と呼ばれる聖なる土地を中心に、貴族の住まう「貴地」、平民の住まう「平地」が緩やかに互いを侵食し合うようにしながらぐるりとそれを取り囲む。

 そしてそれを更に外れ、円周の端に引っ掛かるようにして存在するのが、いわゆる下町と呼ばれる場所であり、ハンナ孤児院のある東の辺りは、ざっくりと「東地区」と呼ばれていた。その東地区に位置する市場の名は、そのまま「東市」である。


 東地区ともなると、大穀倉地帯を持つクリングベイル領にほど近いため、必然市場で扱われる商品にはパンや植物、果物の類が多い。

 それに、牧草地ということで、乳製品や食肉が少々といったところか。


 海に近い南の市では鮮魚の類が豊富で、畜産業の盛んな西の市では皮革類、織物業が盛んな地域と交流の深い北の市では、やはり衣類が多く扱われると聞く。

 が、レオはやはり東市がナンバーワンだと思っていた。

 他の三つに比べて貴族と市民の垣根が低く、人の出入りが貴賎問わず活発なのと、特産物のほとんどが日配品――賞味期限の短い商品であるだけに、商売のサイクルが短くて刺激的だからだ。


(ああ……感じる……芳しい金の匂いを感じるぜ……!)


 金銀に溢れた学院やハーケンベルグ邸に漂うそれを、香水や花のような芳香とするならば、こちらに漂うのは、肉が焼けるような、粗野ながら本能に訴えかける匂いとでも言おうか。

 ここには、低価値だけれども飾らない、愛嬌のある銅貨の匂いがむんむんと立ち込めている。カネが、勢いよく人と人との間を行き来するその瞬間を、わくわくしながら待っているのだ。

 すっかり久々となってしまった、けれど変わらず好ましいカネの気配に、レオの金覚はさっきから高鳴りっぱなしだった。


「卵が……小銅貨五枚、牛乳が……六枚、白パンが……」


 目をハートにさせながら、あたかも大好きな人の今日の服装をチェックするかのように、いそいそと価格を確認する。卵、牛乳、白パンといった、人々が毎日購入して相場が動きにくい三点は、まず押さえなくてはならない「白スリー」(レオ命名)だ。


 比較しやすいよう、頭の中で即座に重量当たり額に換算し、三か月前で止まっていた脳内グラフに連結させる。

 ちょっとだけパンが高くなってきたようだ。


 他にもざっと見て回る。

 雪花祭の目玉であるはずのトルペの花が、押し並べて高かった。例年の倍近いくらいだ。蕾も小さく、発育があまり良くないように見える。

 葉物野菜もおおむね高いようなので、もしかしたら、水不足の懸念があるのかもしれなかった。


 レオは脳内メモに、「水モノ注意」と書き加えた。バイトをするなら、商品が品薄の業態は避けた方がよい。


 ついで街頭インタビュー。

 要は、「儲かりまっか?」「相場どうです?」「今後の見通しは?」といったことを、何気ない会話に混ぜて聞き出すのだが、これが意外に難しいのだ。


 開店準備に追われてピリピリしているプロの皆さんを刺激しないよう、絶妙な間合いを突いて尋ねるのだが――なぜか皆、振り向くところまでは普通なのに、顔を見た途端ぽかんとして会話が成り立たなくなってしまう。


 もしや、邪魔な髪を雑に帽子に詰め込んでいるのが、さすがにダサすぎただろうか、とか、一応自分としては少年で通る範囲だと思っているのに、なりきれてなくてカマみたいになっているのだろうか、とか、様々な可能性が考えられた。

 自分のインタビュースキルがいつの間にか落ちていた、という可能性については――考えたくない。


 仕方なく、カイにコツを教えて代わってもらおうと、久々に従者の方を振り向いたその時。


「カ、カイ……!?」


 レオはぎょっと目を見開いた。

 二日酔いの従者の顔が、紙のように真っ白だったからだ。


「だ、大丈夫ですか!?」

「申し、訳、ございません……」


 真面目な従者は、体調が悪いにもかかわらず言いだせず、このハイスピードなマーケットウォッチに付いて来ようとして二日酔いを悪化させたようだ。

 口許を覆い、ふらりふらりと横に揺れている。


「吐き気ですか!? 吐いたら、楽です。ほら!」


 これで介抱は慣れている方だ。

 ひとまず吐いてしまえと手を差し出すと、従者はぎょっとしたように首を振った。なんでも、既にこっそりと二度ほど戻して、今は吐き気だけの状態とのことである。


(ご、ごめんよカイ……! 俺が、価格調査に夢中になってたばっかりに……!)


 弟分のゲロ離脱――ハンナ孤児院では、戻すためにトイレに一人向かうことをこう呼ぶ――にも気付かないなんて、兄貴分失格である。

 レオは青褪めて、事態の回収に乗り出した。


 とにかく水分補給、そして、消化の良い物を少々胃に収めさせるのだ。


 レオはすかさず、八百屋のおっちゃんに頼んで水とレモンを分けてもらい、ついでに屋台の兄ちゃんに蜂蜜と塩を分けてもらうと、それを混ぜ合わせて即席酔いざまし飲料を作った。弱った時の水分補給には、少し糖分と塩分が入っていた方が良いのである。

 また、レオの個人的経験に照らせば、レモンの酸味は二日酔いの症状を和らげてくれる。


 カイは恐縮しながらそれを飲み、少し体調を落ち着けたようだった。


(あとは……パン粥か何か……)


 本当なら果物がよいが、さすがに八百屋のおっちゃんに再度頼むのは気が引けるし、まだ市が開いているわけではないので、ごりごりと値切って買い取るわけにもいかない――ここでレオに、ひとまず言い値で買うという選択肢はなかった――。


 どこか、タダでパンを恵んでくれるところはないだろうかと、周囲を鷹の目モードで見まわした、その時。


「…………!」


 はたしてそれは精霊の慈悲か、運命か。


 プロ集団に混じって、明らかに場所慣れしていない、金茶色の髪の女性が、ぎしぎしと台車を押しながら大量のパンを運び込むのを、レオは見つけた。

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[一言] とても面白いです。レオがいろんな人から勘違いで好かれているのは、レオがそもそもいい人だからっていうのがまたすばらしいです。
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