15.レオ、レーナに衝撃を与える(前)
『よーし、それじゃ始めるぞ、「守銭奴検定」!』
『イェーイ!』
『ヒューヒュー!』
久々に大好きなレオ兄ちゃんと夜を過ごせることに、子ども達は大盛り上がりだった。
普段だったらとっくに寝ている時間であったし、翌朝には雪花祭も控えていたが、彼らの興奮は今や最高潮にある。
エミーリオは両手を突き上げ、アンネは枕をぎゅうっと抱きしめ、マルセルはくるくるとその場に回った。
レオ達が孤児院に到着したのは昼過ぎだったが、そこからの時間はあっという間だった。
子ども達と話している間にすぐ夕飯時になり、共に内職を手伝っている内に夜が更け、湯を借りて、寝る場所を整えてもらって、今に至る。
途中までは、なんとかレーナと話せないかと意識していたのだが、あまりに子どもたちの構って攻撃に晒され、気付けばこんな時間になっていたのだ。
一方カイは夕方ごろからずっと、なんとか主人を諭して寮に戻れないかと努力していたが、そんな彼にとっては不運、レオにとっては大変幸運なことに、なんと馬車が故障してしまった。
なんでも、部品の一部が老朽化していたとかで、突然馬と車を繋ぐ部分が壊れてしまったのである。
鍛冶屋を頼ろうにも安息日。
侯爵令嬢を馬に乗せて夜道を帰るわけにもいかず、孤児院側からの強い申し入れもあって、一晩泊まる運びとなったわけであった。
カイはしばらく青褪めていたが、泊まり自体は想定の範囲内だったらしい。
「レオノーラ様の従者たるもの、これしきのこと想定できずどうします」
と大変頼りになる一言と共に、ちゃきちゃきとカーディガンや毛布を取り出し、隙間風の入り込む孤児院でも寒くないよう万端整えてくれた。
おかげで今のレオは、借り物の古い寝間着の上に、ゴージャスなカーディガンを羽織るという、わけのわからない格好をしている。
まがりなりにも「姫君」であるレオに貸されたのは、普段ハンナが寝ている寝室。先程の説教部屋だ。
そこに、特別に許可をもぎ取ったエミーリオ達三人が乗り込み――どうやらそこまでには相当なサバイバルがあったらしいが、レオは知らない――、すぐ隣の物置き部屋には、何かあった時すぐ対応できるようにと、腕の立つブルーノと頭の回るレーナ、そしてカイが寝ることになった。
そのカイは、馬車の故障が、万が一にも事件ではないかを検証するために、先程から席を外している。
おかげでレオは存分に、子ども達にいつもの調子で話しかけているというわけだった。
驚くべきことに、とかくレオの真似をしたがる子ども達は、エランド語も少しだけ話せるようになったのだという。
なんでも、ブルーノにスピーキングを教わり、レーナに文法等の指導をしてもらっているそうだ。
実践と体系立った知識。
帝国学院にも引けを取らない学習環境のもと、幼く柔軟な子ども達の脳は、スポンジのように言語を吸収しつつあった。
『いよーし、じゃあ行くぞ。まずはサービス問題だ』
というわけでレオは、遠慮なくエランド語で話しかける。
弟分達がエランド語に堪能になってくれれば、働き口の選択肢も広がるし、言うこと無しなのである。
『第一問。俺が大切にしている金貨の正式名称は――』
『はい! カールハインツライムントきんか!』
『そう、カールハインツライムント金貨ですが、その製造を命じたのは――』
『はい! カールハインツ二世!』
食い気味のエミーリオやアンネが、勢いよく挙手しては、引っ掛けにはまって撃沈していく。
レオはにやりと笑うと、
『カールハインツ二世。では、現在の形にデザインを改めたのは誰でしょう?』
と意地悪く問題を締めくくった。
お手付きは一回休みというのがこの検定のルールだ。
歯がみするエミーリオ達をよそに、この中では一番エランド語の理解が遅いマルセルが、ひとしきり唸った後に答えた。
『らいむんと、三さい!』
『自己紹介かよ! ライムント三世、な』
レオは笑いながらマルセルの頭を撫でる。
マルセルは幼い頬をぷうっと膨らませたが、満更でもないように「えへへっ」と笑ってそれを受け入れた。
「……なんなんだよ、あの呑気なクイズは……」
一方、薄い壁越しにそれを聞き取り、呆れたように呟いたのは勿論レーナである。
隣の部屋では弾けるような笑い声とともに、「ハンスが銅貨三枚を持って林檎を買いに行きました。さあ、今日の相場ではいくつ買えるでしょう。ちなみにハンスは市場班歴五年です」だとか「財布は銅貨のことをどう思っているでしょう」だとか、謎の問答が続いている。
子ども相手に出されたクイズでも、つい本気で答えてしまう大人げないタイプの人間であるレーナは、思わず素早く試算して、「……三十三個?」と呟いてしまったが、正解はハードネゴシエーションの末に五十個、オレンジ五つのおまけ付きらしい。
レーナは思わず、
「ふざけんな!」
と叫びだした。オレンジはどこから出てきたと言いたい。
ちなみにもう一問については、「財布は銅貨のことをかけがえのない家族と見なしていて、いつかこの財布を飛び出してもやがては戻って来てほしいと思っている」というエミーリオの回答が採用されていた。
家族が家にいるかどうかを把握していない親はいない。
だから、レオは日夜、家長になった気持ちで銅貨の出欠を確認するのだそうである。どうでもよかった。
他にも、「先に出かけた弟を、兄が馬車で追いかける」といった文章題では、兄が路銀をけちって途中下車するなど番狂わせが続き、盛大に答えを外しつづけたレーナは、やがてエランド語に切り替えて素の口調で罵りだした。
『もうっ、まともな問題はないの!? 守銭奴検定!』
『外したからといって落ち込むな。あれで、エミーリオたちは有段者だ。いきなり狙うと怪我するぞ』
『既にあちこち痛いわよ! っていうか段まであるわけ!?』
おかしい、自分はこんなにツッコミをする側の人間ではなかったはずなのに。
ブルーノやエミーリオ、そしてレオの奴が関わると、いつの間にかこんな感じだ。
『……レオったら、自分の置かれてる状況、わかってるわけ?』
レーナは息を吐いて自分を落ち着かせると、盛大に眉を寄せ、ついでに足元に投げ出していた毛布を引き寄せた。
『何度学院に助けに行っても、堅固すぎる守りに跳ね返されてばかり。さては処刑を前に監禁でもされているのかと思いきや、孤児院にはのほほんと寄付をしてくるし、ハンナさんを介して事情を聞き出そうにも頓珍漢な返事ばかり寄越してくるし。あげく予告もなしに呑気な顔してやって来るし、何考えてんのよ、あいつ』
ぶちぶちと文句を垂れていると、ブルーノが静かに答えた。
『まあ、金のことだろうな』
なんと冷静かつ的確な返答である。
『おまえだって、さりげなくレオと二人きりになるのを避けてただろう。あいつはしきりと、おまえに話しかけたがってたのに。いざ本人が目の前にやってきたとなると、体を戻せと言われるのが嫌になったんじゃないのか』
『…………別に』
レーナがその指摘を否定するには、少々の間があった。
『単に、レオを取り囲む子どもたちの熱気がすごすぎて、近付けなかっただけよ。ちゃんと足止めはしたでしょ』
『ほう』
ブルーノは相変わらず淡々としている。
なんとなく決まりの悪さを覚えたレーナはむっとして言葉を重ねた。
『だいたい、私がいつまでも、こんなしみったれた状況に甘んじてたい訳ないでしょ? 男の体は嫌いじゃないけど、ここは狭いし、汚いし、子どもたちはクソ生意気だし』
『そしてこのままだと、そのクソ生意気な子どもたちと、楽しい雪花祭や精霊祭に、参加せざるをえないしな』
揶揄するように言われて、レーナは黙り込んだ。
レオの代わりとして過ごしはじめて、三ヶ月。
それは、最初は馬鹿にしかしていなかった孤児院の子どもたちが、実に才能に溢れ、自分よりよほど人間的に豊かな生活を送っていることを突きつけられた三ヶ月でもあった。
造花作りにマッチ売り、窓磨きに床掃除。
したこともなかった「労働」とやらは、やはり面白くもなんともない肉体負荷にすぎなかったが、不思議なことに、その後に食べるパンは今まで食べたどんなものより美味しく感じられた。
町を歩くだけで蔑みの視線を向けられることなど、今までは考えられなかったし腹が立ったが、だからこそ、いけすかない大人を打ちのめした時には、これまでに感じたことのないような爽快感があった。
膨大な魔力と、異常なまでの美貌を取り去った時、人生は忌々しいほどに大変で、――同時に、驚くほどに鮮やかだということを、彼女は知ったのである。
そしてこの一ヶ月くらいは、レーナはブルーノやエミーリオたちと共に、いかにして雪花祭の内職販売や、精霊祭の朝市で勝利をもぎ取るかの作戦を練っていた。
レオとは異なり、儲けや金にさほどの興味は無いが、戦略を練るということ自体には少々の面白みがあった。
エミーリオたちも、最初こそ「レオ兄ちゃんの偽物野郎」としか自分を呼ばなかったが、この頃ではふとした時に、「おい、レーナ」とそっぽを向きながら呼んでくる。
自分もまた、むくつけき男や鼻を垂らした子どもに名を呼ばれるなんて真っ平だと思っていたのに、気付けば、それに顔をしかめて返事をしていた。
(きっと、崇高な私の魂が、無意識下にそういった苦行を鍛錬として受け入れているのね)
そうとしか考えられない現象だった。
この三カ月で、レーナはこれまでに会った何十倍もの人間に触れた。
下町を制圧もしてみたし、びっくりするくらいの人数から恨みも買った。
代わりに、心からの笑顔みたいなものも、数多く目にした。
バカみたいなこともしたし、無茶もやった。というか、大概がバカか無茶なことだった。
そうやって、憎まれ口を叩いたり叩かれたりしながら、孤児院の子どもたちの人となりに触れ――あくまで戦力を把握するためだ――、連日遅くまで話し合い――あくまで作戦を洗練化するためだ――、あくまで、自分の才能を見せつける場としてだが、雪花祭や精霊祭の日を待っていたのだ。
それを前に体を戻し、自分はここから去るというのは。
『……つまんないわよ』
部屋に一つだけ灯した、ランプの光が揺れるのを見ながら、レーナはぽつりと呟いた。
『つまらない? なら今から夜遊びに出かけるか?』
『文脈読みなさいよ無表情野郎。だいたい、あなたの言う遊びって、いつも殴り合いだったりシマ争いだったり、穏やかだった試しがないじゃない。今は気分じゃないわ』
言い換えれば、気分が乗ったらレーナもその類の遊びに手を出すのである。
彼女自身は、この三カ月で自分という人間が丸くなっちまったのではないかと内心危惧していたが、なんということはない、充分今でもとんがっていた。
レオというストッパーを欠いた今、二人の暴走会話はどこまでも続く。
『だが、どうも今日孤児院を狙っていたのは、普段と年齢層が違う敵のようでな。ひとまずレオとの時間を優先しようと思って、おまえの作った奇妙な薬を撒いて転がしといたんだが』
『やだもう。人の作った嗅ぎ薬、勝手に使わないでよね』
敵と判断した者を当然のように気絶させ、あまつ放置するブルーノも大概だが、それよりも自作の薬品を勝手に持ち出されたことに顔を顰めるレーナも、やはりレーナだ。
とそこに、
「失礼します……」
遠慮がちなノックとともに、カイが部屋に入ってきた。
どうやら検証が終わったようである。
レーナたちは口を噤み、さりげなく壁を叩いてカイが戻ってきたことをレオに告げた。
「本日はお世話になってしまい、恐縮です」
カイはしきりにブルーノ達にと頭を下げながら、用意された寝床に恐縮しきりといった態で腰を下ろす。
侯爵令嬢つき従者とは思えぬ腰の低さであるが、それは、尊敬する主人が徹底的に孤児院の子ども達に混じって一日を過ごそうとしているのだから、自分もそれに倣おうという、彼なりの決意の表れであった。
「オウ、全然問題ないデスね」
「どうだった? 馬車の方」
ブルーノは一度演技してしまった手前、例の胡散臭い口調でそれに応じ、レーナはといえば、遠慮会釈なくフランクに話しかける。
魔術のせいで丁寧な言葉を話せない、というのもあるが、彼女の性格として、仮に自由に話せたとしても敬語を使うかは微妙なところだ。
「ああ、ご心配をお掛けしました。それが……」
尋ねられたカイが、顔を曇らせる。
そこには、隠しきれない不安の色が浮かんでいた。
「連結部分は、特に削られたり、切りつけられたりしていたわけではなく、自然に腐り落ちているようなのです。鉄を使っているので、錆びることはままあるのですが、私が乗ってきた時には、特にそんな問題は無かったと思ったので、それが気になって……」
はたして自分の見過ごしなのか、誰かが予想も付かない方法で馬車を傷付けたのか、と、カイは悩んでいるのだった。
『鉄は、酸に弱いものね』
「え?」
ぼそりと呟いたレーナに、カイが目を瞬かせる。
今なんて、と首を傾げた彼に、レーナはいけしゃあしゃあと、
「下町は水質が悪くてなあ。御者が孤児院の前で洗車した時に、その水が連結部を腐らせちまったのかもなあ」
と肩を竦めた。
そんな恐ろしい水はもはや水ではない。ただの高濃度の硫酸である。
錆を偽装するための赤茶の絵具は、この物置の奥に置いてある。
レーナはさりげなく体で部屋の奥を隠しながら、しれっと「不幸だったな」とカイを慰めた。
「はい……。泊まること自体は、レオノーラ様ご自身も以前から強く希望されていたので、半ば覚悟はしていたのですが、このようなことが起こるというのが、なんとも不吉で……。また、レオノーラ様を狙うよからぬ輩が、動いているだとかでなければよいのですが……」
「……よからぬ輩?」
思いがけないカイの言葉に、レーナは片方の眉を引き上げた。
「それってどういうことだ?」
しかも、「また」とは。あの向こう見ずな守銭奴は、さては皇族に喧嘩を売っただけでなく、よからぬ輩とやらに狙われるような真似をしでかしたのだろうか。
(何それ、借金取りとか?)
カイは、「まずいことを言ってしまった」というように顔をはっとさせ、慌てて言い繕ったが、そうなると余計に気になるのが人間というものである。
レーナは巧みに、ブルーノは胡散臭く誘導尋問を行ったが――よからぬ輩の正体に行きつく前に、カイが前提として語りだした「レオノーラ・フォン・ハーケンベルグ像」の時点で二人は盛大にずっこけそうになった。