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12.レオ、孤児院に向かう

 レオは上機嫌だった。


 馬車の窓から見える空は、青の絵具をたっぷりと含ませたかのような晴れ。

 ぐっと暖かさを増してきた風と共に、焼けた肉の匂いや店主の掛け声が運ばれてくる。


 雪割月も後半に差し掛かった安息日。

 レオは、リヒエルトの外れ――下町にある、ハンナ孤児院に向かっていた。


「ふふ、ふふ、いい天気、ですね」

「本当に。このところはもう春が来てしまったかのように、暖かな日が続きますね」


 にこにこと向かいに座るカイに話しかければ、彼もにこやかに相槌を打つ。

馬車の振動をものともせず、しゃんと背筋を伸ばして座すこの従者は、今回の下町行き実現の立役者であった。


 レオが孤児院に向かいたいと言い出したのは、かれこれ二週間ほど前。

 カイも粘り強く交渉してくれたのだが、当初は一向に侯爵の許可が下りず、不可を告げる返信が来るばかりだった。


 それがなぜか、先週に入った頃から、急に侯爵からの手紙がぱたりと途絶えた。なんでも、夫人と共に王宮に日参しているとかで、返信を認める暇もなかったらしい。


 それにいよいよ痺れを切らしたのはレオである。

 相手の反応がある内ならまだトライする余地もあるが、スルーされてしまっては手の打ちようがない。


(てか、なんで、たかだか下町にちょっと遊びに行くくらいで、こんな許可が必要なんだ!)


 レオにはある計画があったのだ。

 焦りを募らせた彼は、そんなわけである時ついついカイに漏らした。


「今度の安息日、行けなかったら、私、死んでしまいます……」


 それはいわば、「これ以上腹が減ったら死んじまうよ」とか、「こんな退屈じゃアタシ死んじゃう!」くらいのごくごく軽い発言であったのだが、それを耳にしたカイはさっと青褪めた。

 そして、


「レオノーラ様! どうか、早まった真似は……!」


 と悲壮な面持ちで叫ぶと、意を決したように拳を握りしめて部屋を飛び出し――その日遅くに戻ってきた暁には、外出許可を取りつけてきたのである。

 なんでも、父たる執事長に掛け合い、手紙の読む暇もない侯爵夫妻には事後承諾という形で許可をもぎ取ったらしい。本当にできる子である。


 カイはその後しばらく胃を押さえながら、「警護を……」とかなんとか呟いていたが、ある日になると、憑きものが落ちたようにすっきりとした顔になった。

 よくわからないが、何か折り合いをつけたのだろう。


(なんかごめんな、カイ)


 十二にもなる人間が、たかだか一日下町に遊びに行くくらいで何が起こるとも思えないが、過分に心配性な弟分が、不必要に心労を募らせてしまったのはわかる。


(雪花祭でがんがん儲けたら、おまえにもバイト料分くらいは分けてやるからさ)


 内心で、彼にしては破格の慰労を検討して、レオは再び締まらない笑みを浮かべた。


 そう。

 レオは、精霊祭の二週間前に開かれる、この「雪花祭」に参加すべく、密かに気炎を吐いていたのである。


 雪花祭とは、春の訪れを祝う精霊祭の、いわば前座のような祭だ。

 光の精霊が地上に春の日差しを照らし込む前に、雪の精霊が自らを溶かし、花の精霊が蕾を膨らませはじめる、それを祝う。


 具体的には、祭の日に町のあちこちで配られるトルペの花の鉢を受け取り、精霊祭に向けて育てはじめるのだ。

 満開になったトルペは、異性に愛を告げるのに使ったり、精霊祭当日に花弁を撒いて、精霊降臨を寿ぐのに使う。


 が、レオの目的は、当然そんな売れも食えもしないトルペなどではなかった。


 雪花祭では、そのトルペが無事に育つようにとの願いを込めて、精霊祭当日にも引けを取らない大規模な市を立てるのだ。

 なぜ市が立つと花が育つのか、因果関係はさっぱりわからないが、恐らくは精霊祭だけの儲けでは飽き足らなかったがめつい商人どもが、似たような祭を拵えたのだろうとレオは踏んでいる。


 その市では、精霊祭とは異なり、店舗を持たぬ個人でも商品の販売が許される。

 つまり、バザーという形で特別な営業許可証もなく物品を販売できるのである。


 ハンナ孤児院は手先の器用さを活かし、刺繍から造花、肉串までをバリエーション豊かに手掛け、例年荒稼ぎしている勝ち組の一つであった。


(雪花祭は明日。間に合って本当によかった。カイには感謝しかねえぜ)


 買って得する精霊祭に、売って儲ける雪花祭。

 どちらもそれぞれ異なる楽しみがある。

 レオはなんとか雪花祭前日の孤児院に飛び込んで、一緒に販売に加わる気満々であった。


 彼は馬車に揺られながら、この二連休の計画について改めて思考を巡らせた。


 まずは、孤児院に向かってハンナ院長と会う。上手いことエミーリオ達にも会う。

 続いてレーナに会って、上手いこと金貨を頂き、精霊祭までに上手いこと体を戻す段取りを付ける。

 そして上手いこと泊まりに持ち込むようカイを丸めこんで、翌朝の雪花祭に備える。


 寝る前に子ども達と出店や人員配置、タイムテーブルの打合せをし、明け方四時ごろには抜け出して、市開き前の商店街を視察して価格帯を分析、情報収集。六時に市が開かれる直前に朝礼だけ済ませて、その後は怒涛の販売活動だ。


(ふふ……一点の曇りもない、完璧な計画!)


 雪花祭に関する行動計画が異様に具体的なのに対し、それ以外がずさん極まりないのだが、レオは計画の堅固さを疑わなかった。

 だいたい、レオがグループで参謀を務める時だって、大抵計画はこの一言で片付けられるのだ。「臨機応変に行こうぜ!」。


「楽しみ、ですね」

「はい、レオノーラ様」


 にこにこと窓の外を覗き込むと、見知った三角屋根の建物が見えてきた。




***




「まあ、ようこそおいでくださいました!」


 馬車から下り、カイが丁寧に孤児院の門を叩くと、質素ながら清潔なドレスを身にまとった老齢の女性が、ぱたぱたと玄関に走り寄ってきた。


 白髪でグレーがかった黒髪と、笑みの形に刻まれた皺、深い慈愛を湛えた青の瞳を持った、ハンナ院長である。


 見るからに穏やかそうな、人格者然とした雰囲気に、前に立つカイが無意識に肩の力を抜いたのをレオは見て取った。


(ちっちっ、甘えな、カイ。このばあちゃん、二つ名は「リヒエルトの鈴蘭(すずらん)」だかんな)


 鈴蘭とは、愛らしい白い花を持ちながらも、活けた水だけで時に心不全をも引き起こす、恐ろしい毒花である。


「学院から、このような下町の外れまでお越しいただき、さぞお疲れになったことでしょう。どうぞお入りくださいませ。わたくし、この孤児院の院長を務めております、ハンナと申します」

「ご丁寧に。こちらがハーケンベルグ侯爵家令嬢レオノーラ様、私は従者のカイと申します」

「院長。その、口調――」


 二人がにこやかに名乗り合っている傍で、レオはつい「何すか、そのお貴族様みたいな口調」とツッコミを入れそうになった。

 が、


「まあ! 下賤なる我が身に、親しげに口をきいてもよいと仰るのですね! なんと尊い御心!」


 ばっと抱きついてきたハンナに言葉を封じられる。

 大袈裟なようにも見える振舞いだが、そこは朗らかなおばあさん補正でカバーだ。


 ついでに彼女は、ドレスの裾が重なったその下で、盛大にレオの足を踏みつけた。


「…………っ!」


 ぐりぐりと踏みつけられながら、耳元でぼそっと、


「あんたはちょっと黙っときな」


 と囁かれる。

 レオはがくがくと頷いた。


『ああ、本当に、光の精霊のようにお美しい方だこと!』


 更には、ハンナはなぜか早口のエランド語に切り替えてレオのことを讃えだす――彼女もまた、エランド語に堪能な者の一人だ。

 レオは怪訝に思ったが、彼女はどうやらカイのことを見ているようだった。


(カイが、エランド語を理解するか確認してる……?)


 残念ながら、エランド語の読み書きは少々できても、聞き取りはほとんどできないカイは、面喰ったような顔でハンナを見返すだけだ。


「ええと、今のは……?」

「まあ、わたくしったら申し訳ございません。光の精霊がごとき美しさに、つい教会にいるような気分になって、エランド語が出てしまいました。ただいま当院では、エランド語教育に力を入れておりますのよ」


 彼女はヴァイツ語でそう言い訳すると、「でも、もう一度彼女の美しさを、わたくしに讃えさせてくださる?」と断りを入れ、レオに向かってにっこりと微笑んだ。


 そうして、顔だけは笑顔のまま、恐ろしい早口で告げる。


『あんたには色々説教したいことがあんだよこの大馬鹿者、うまいことこの美少年を撒いて私の部屋に来な、一分以内だ』

「え」


 レオはひくっと顔を引き攣らせた。

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