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《後日談》 レオ、モデルになる(1)

大幅改稿した最終話を受けての内容となっております。

改稿前の最終話をお読みの方は、大変恐れ入りますが、今一度最終話にお目通しのうえ、お読みいただけますと幸いです。

「おはようございます、レオノーラ様」


 カイは静かに内扉を開け、射し込む朝陽の中で目を閉じている主人に話しかけた。


「朝でございます」


 長い睫毛が、ふる、と揺れる。

 ゆっくりと瞼が持ち上げられると、美しい紫水晶の瞳が現れた。


(よかった……――)


 何の変哲もない目覚めの光景。

 しかしカイは、敬愛する主人が今日もきちんと呼吸をし、起き上がってくれた奇跡を、精霊に感謝せずにはいられなかった。


 彼女が自分たちのもとに戻って来て二週間ほど。

 カイが何かにつけ思い出すのは、小雪舞うあの日の光景だ。


 アルベルト皇子以下、ビアンカやナターリアが皇族特権を鬼のように振りかざし、帝国始祖の引いた召喚陣を再度起動させたのは、寒さ厳しい朝のことだった。


 中庭では、既に再召喚を済ませた生徒たち、および特別に参観を許されたハーケンベルグ侯爵夫妻が、固唾を飲んで陣を見守っていた。


 皇子自らの詠唱の後、炸裂したのは雪雲を押しのけるような強烈な光。

 その光が収まった後、純白の羽とともに舞い降りたのは、果たして無欲の聖女、レオノーラ・フォン・ハーケンベルグであった。


 まるで少女の無垢さを寿ぐように、静かに降り積もる雪。

 神話に描かれる精霊さながらに、純白の衣をまとい、周囲に羽を舞わせていた少女。

 そして、彼女の、この世のものとも思われぬ、汚れなき美貌――


 絵画のような奇跡の光景に、誰もが拳を振り上げ、精霊の名を叫んだ。

 轟く声があまりに大きく、学院全体が揺れたように思われたほどだ。


「レオノーラ――!」


 アルベルト、ビアンカ、ナターリアに、オスカー。学院の主だったメンバーと侯爵夫妻、そしてカイは、少女のもとに駆け寄ると、ぼんやりと視線を彷徨わせる彼女を折れんばかりに抱きしめた。


 誰より早く少女のもとに辿り着き、その細い体に強く腕を回したのは、アルベルト皇子だ。周囲は一瞬それに悔しそうな表情を浮かべたが、すぐにそれどころではないと少女を見つめた。


 そして。


「あ……ああ……」


 主人の様子がおかしいと、真っ先に気付いたのはカイだった。


「レオノーラ様……? レオノーラ様? どうされましたか!?」

「あああ……」


 彼女は真っ青になって、震えていたのである。


 慌てて体を離した皇子は、改めて少女の体を近くから見つめ、彼女がまとっているのが薄っぺらい古布に過ぎないことに気付いて驚愕した。


「レオノーラ……!? 一体、その姿はどうしたんだ」

「い……命だけは……」


 だが少女は、鋭い口調に怯えるかのように肩を揺らし、組んだ両手を皇子に向かって差し出した――罪人や奴隷が、赦しを乞う時のポーズである。


「ゆ……赦して、ください。なんでも、します……! 食事も、我慢します、から……!」

「なんだって――?」


 尋常でない様子の少女に、周囲ははっと息を飲んだ。


「レオノーラ……! くそ、なんてことだ……!」


 真っ先に事情を悟ったらしいオスカーが、さっと身に着けていたコートを脱いで少女に被せると、素早く周囲を見回して、おろおろとしているエミーリア夫人に声を掛けた。


「ハーケンベルグ侯爵夫人。どうかあなたが抱きしめてあげてください。恐らく……今は男たちが彼女に触れない方がいい」


 その言葉に、理解が追い付いていなかった者たちも一斉に青褪める。


「まさか……」

「レオノーラ、教えてちょうだい! 姿を消していた間、あなたに何があったの!?」


 エミーリア夫人が抱きしめながら問うと、その言葉が聞こえているのかどうか、少女は呆然としたように頭を小さく振って独白した。


「に……逃げられた、思ったのに、また、捕まって、しま……っ」


 悲痛な囁きに、女性たちが口を覆う。恐怖に引き攣ったその言葉の意味は、聡明な彼女たちにはすぐ理解できた。


 つまり、レオノーラ・フォン・ハーケンベルグは、発表会の舞台で魔力が発動した時、瞬時に空間を移動することで難を逃れた。恐らくだが咄嗟に、住み慣れた下町のどこかに身を寄せたのだろう。

 しかし――そこで不幸なことに、少女をこれまで虐待していた、卑劣な輩に捕まってしまったのだ。



 まさか、少女の体に収まっている金貨強奪犯(レオ)が、自首する覚悟も固まる前に皇子に捕獲されてしまったことをガクブルしているのだとは、誰も思いもしなかった。


 ということは、と顔を強張らせたビアンカが、


「レオノーラ! レオノーラ! お兄様が贈った藤色のドレスはどうしたの!? まさか……」


 震える妹分に血相を変えて問う。


「え……? ぬ……脱がされ……」


 どこか呆然としたような声の答えを聞くと、彼女は声を詰まらせた。


 侯爵以下、男たちはぎりぎりと拳を握りしめる。

 小雪舞うヴァイツ帝国の冬。少女からドレスを剥ぎ、ぼろ布をまとわせて折檻するなど、犬畜生にも劣る悪虐の所業であった。


「ビアンカ様、およしなさい。今は、レオノーラを安全な場所に移すのが先決です」


 ナターリアが声に焦りを滲ませながら(たしな)めると、ビアンカははっと顔を上げ、慌てて涙を拭う。


「そ……そうですわね。レオノーラを寮の部屋に……」

「いいえ」


 だが、それをエミーリア夫人のきっぱりとした声が遮った。


「レオノーラは、わたくしたちの屋敷に連れて帰ります」

「侯爵夫人……!」


 帝国貴族の子女が学院に通うのは義務であり、学院の自治権は上位貴族の権力をも上回って絶対である。しかし、否とは言わせない気迫が、小柄な彼女には満ち溢れていた。


「ああ。もはや彼女をこれ以上学院には置いておけない。レオノーラは我々が責任を持って屋敷で世話する」


 侯爵もまた、厳めしい顔に険しい表情を浮かべ、はっきりと告げた。


 戦場で睨みを利かせてきた彼がそのような顔をすると、一介の学生など逆らえない迫力がある。

 無言で見つめ合う侯爵夫妻とアルベルトたちの間で、カイはおろおろと視線を彷徨わせた。


 カイの最優先事項は、主人レオノーラの安全である。場所が学院であれ屋敷であれ、彼が誠意を持って仕えることになんら変わりはなかった。


「……わかりました」


 やがて沈黙を破ったのは、アルベルト皇子であった。


「お二人のお言葉はもっともです。我々には申し開きのしようがない」


 彼は澄んだアイスブルーの瞳で真っ直ぐに侯爵を射抜くと、淀みない口調で告げた。


「生徒会長の名において、レオノーラ・フォン・ハーケンベルグに一週間の休暇を認めます。――どうか、彼女を手厚く看護してあげてください」

「……せめて一年」

「一週間です」


 それ以上はアルベルトとしても譲れないようだった。


 結局少女は、以前召喚された時と同様、風のように侯爵夫妻に拉致られ、一週間に渡って手厚い看護を受けることになった。


 そうして、かなり粘着質に別れを惜しむ侯爵夫妻に見送られながら、先週、再び学院の門をくぐったのである。


(それからは気丈に振舞っていらっしゃるけれど……)


 ぼうっとして目を擦っている主人を見つめながら、カイは内心で独りごちる。


 侯爵夫妻に引き取られた直後、少女は錯乱状態に近く、ずっと「許してください」「食事はいりません」とうわ言のように呟いていた。「金髪の死の精霊が追いかけてくる」と、悪夢から飛び起きたこともしばしばだ。


 侯爵は事情を聞き出し、今度こそ悪虐の輩を始末しようと息巻いていたが、少女の怯えようを見たエミーリアが、無理に事情を聞き出すのを制止したために、有力な情報は得られていなかった。わかったのはせいぜい、その卑劣漢が金髪だということくらいだ。


 しかし、この国の第一皇子からして金髪であることからも明らかなように、ありふれたその髪色では、まったく手掛かりにはならない。

 カイたちにとって、無力な自分たちを責めながら過ごす日々が続いていた。



 レオのうわ言はもちろん、「金貨を盗んだことを許してくれ」「できれば夕飯抜きくらいで手を打ってくれないか」「皇子に殺される」といった意味なのだが、そんなこととは思いもよらないカイたちである。


「おはようございます、カイ。今日もいい天気」


 可憐な声で話し掛けられて、カイははっと顔を上げた。

 見れば、すっかり目を覚ました主人が、こちらに愛らしい笑みを浮かべているところだった。


 彼女はその後、首からぶら下げた金貨を取り出し、


「カー様もおはよう。今日もぴかぴか」


 ちゅっと軽くキスを落とした。

 その穏やかな表情を見て、カイもまた心が解れるのを感じる。主人が、お守り代わりにぶら下げている金貨に、母様と呼び掛けながらキスを落とすのは、それだけで精霊画のように幸福な光景だった。


 そう。

 少女は、学院に戻るなり、アルベルト皇子に呼び出され、金貨を授かったのである。


 恐らくは、身を挺して皇子の命を庇ったことへの感謝と詫びの品だとは思うのだが、皇族の直系男子が親族以外の異性に家宝の龍徴を贈るというのは、特別な意味がある。


 しかし、どこまでも無欲な主人は、思い切り困惑し、最初金貨を受取ろうとしなかった。

 それを、アルベルトが言葉を費やし、何度も説得を重ね、少女も幾度となく「本当にもらっていいのか」と確認し、ようやくその金貨を受取るに至ったのである。



 もちろんレオとしては、罠ではないのか、後から返せと言わないかを慎重に確認しただけだったが、カイはひたすら主人の謙虚さに感じ入っていた。


 遠慮したとはいえ、やはり命を懸けて庇うほど慕っている皇子からの贈り物が相当嬉しかったのだろう。

 少女はそれからというもの片時も金貨を離さず、いつかエミーリアに言われた「母様はいつも傍にいる」という言葉を当てはめたのか、金貨に母の姿を重ねるようにさえなった。


 折を見ては金貨に「母様」と呼び掛け、矯めつ眇めつする姿を、カイは微笑ましく見守った。


「さあ、レオノーラ様。お支度をいたしましょう」

「え? 今日、安息日です。なぜ?」


 きょとんと首を傾げる主人は、すっかり今日が何の日かを忘れてしまっているようだ。カイはわざと窘めるふりをした。


「まったくもう! 本日は、レオノーラ様の肖像画が描かれる日ではありませんか」

「あ」


 少女の顔が引きつる。やはり、彼女はすっかり忘れていたようだった。


 そう。大変栄誉なことにこの日、代々生徒会長のみが描かれることの許された肖像画を、レオノーラもまた描かれることになっていたのである。


 それは、今回の少女の献身に感謝したナターリアたち生徒会一同が、学院の誇るギャラリーにぜひ少女の姿も収めてほしいと学院長に懇願したからであった。


(歴代生徒会長……つまり、歴代の帝国皇子の隣にレオノーラ様の肖像画が並ぶなど、学生でありながら正妃の座が約束されたようなものじゃないか。なんて誇らしいことだろう)


 なんといっても主人は、皇子に龍徴を授けられた身。

 皇子は彼女に「くれぐれも金貨を人に見せることのないように」と言い含めていたため、ナターリアたち親族以外、少女が金貨持ちであることを知らないが、それはつまり、学院を卒業するか成人を迎えたら、少女は皇子の妻にもなりえるということに他ならなかった。


(レオノーラ様は幼くていらっしゃるから、まだそこまでの想いには気付かれていないようだけど……)


 無邪気に金貨を撫でている主人の支度を進めながら、カイは少女が着実に女性の栄華を極めんとしていることを思って相好を崩した。


 ――もちろん、アルベルトが物凄い勢いで外堀を埋めにかかっている事実を知ったら、レオは恐慌をきたして倒れてしまうだろう。


 と、ちょうど支度が済んだ時、


「レオノーラ、入っても構わないかい?」


 ノックの音が響いた。もちろん、すっかりこの部屋の常連となった、アルベルト皇子である。

 カイは恭しく扉を開けて彼を引き入れた。


「おはよう、レオノーラ。せっかくの安息日にすまないね」

「……い、いえ……。おはよう、ございます」


 戸惑いがちに答える少女の様子は相変わらずだが、以前より態度は柔らかくなっている。


 もちろんそれは、皇子が新品の金貨をくれたことでレオの警戒がかなり解け、皇子を信用しはじめたためであるのだが、周囲は少女が恋を自覚しはじめたためだと微笑ましく見守っていた。


 絵のモデルとなるため、カイが張り切って支度した努力が実り、今日の少女は一際美しい。寒くないよう純白のガウンをまとった姿は、まるで雪の精霊のようだ。

 長く引く裾には、カイの機転で、金と青の糸で刺繍が施されたものを選んであった。


 それに気付いたアルベルトは、「とてもきれいだ」と優しく目を細め、手を取って少女をエスコートした。



***



 休日のため人気の少ない回廊を歩み、客人を迎えることのできる応接室に向かう。

 なんとなく緊張しながら、レオは隣を歩く皇子を見遣った。


(お礼に絵を描かせたいって言ってたけど、ほんとにこいつの狙いはそれだけなんだよな……?)


 体を元に戻す間もなく、皇子たちに再度召喚されて二週間。

 即座に処刑が待っているのかと思いきや、侯爵夫妻に拉致され。さては拘留かと思いきや、屋敷に軟禁されていた間、皇子からは何の音沙汰もなければ、衛兵たちがレオを捕らえに来る気配も無かった。


 これはどうしたことかと、侯爵夫妻に「私、捕まるのでは、ないのですか」と問えば、相変わらず涙もろいエミーリアが「そんなことさせるものですか!」とレオを抱きしめ、必ずどんなものからも身を守ると確約してくれた。


 侯爵の方も、「臣下として言ってはならぬことだが」と前置きしつつ、今回の件で皇子や学院には失望している、我々はどんなものからもおまえを守ると誓ったのだと息巻いていたから、もしかしたら、金貨を奪われたぐらいで指名手配を掛けるような心の狭い皇子から、本当に自分のことを守ろうとしてくれているのかもしれない。


(なんかアレかな、年の功ってやつで、ケチな皇子を諭してくれたんかな)


 孫娘というだけで――実際は違うと言うのに――毛を逆立てて自分を守ろうとしてくれている二人に、レオの良心は少々痛んだ。それが、屋敷滞在中、この体の正体を打ち明けられなかった理由でもある。


(皇子もなー、なんかもしかしたら、いい奴なのかもしんないし……)


 改めて、傍らの皇子にちらりと視線を送る。


 これまで「皇子=死の精霊」という図式を信じ込んでいたレオだが、とある事情からそれは覆りつつあった。


 というのは、侯爵夫妻に諭されて反省したのか、学院に戻るなり、皇子はレオの金貨強奪を責めるどころか、新たにカールハインツライムント金貨を寄こしてきたからである。


 何と言うのか、空腹のあまり林檎を万引きをし、殴られるかと身を縮めていたところを、意外に人情肌だった主人に「ほら、もう一個食いな」ともう一つ林檎を恵んでもらったような気分だった。


 つまりこの時点で、アルベルトの評価は急上昇。

 レーナからの金貨二枚を受取りそこなったことも手伝い、惜しげもなく金貨を恵んでくれた皇子のことを、レオはかなり見直していた。


 とはいえ、やはり万人の心を惹きつける金貨を奪われたら、自分なら許すことなど絶対できるはずもないので、レオはまだまだ最後の警戒は解いていなかった。


 折に触れて見る皇子の性格はかなり腹黒そうだし、もしかしたらこの金貨も、「やっぱ無ーしー!」と言って後から取り上げるつもりなのかもしれない。


(なんてったってこいつには、わざと金貨をちらつかせて手に取らせた前科があるからな。レーナと言い、無駄に頭のいい奴は何を考えてるか、わかったもんじゃねえ)


 金貨をくれる奴はいい奴だ。だが、人を一度喜ばせておいて取りあげようと企んでいるなら極悪人だ。

 凡庸を自負するレオの頭脳ではその見極めなど付くはずもなく、心は千々に乱れていた。


 そんな時、ふと隣の皇子が声を掛けてきた。


「今日は、お礼だと言っておきながら、結局こちらのわがままに付き合わせるような形になって悪いね」

「……いえ」

「だが、きっと君も驚くと思うよ。僕たちにも思い入れの深い、ある画家を呼んだんだ。描かれる人物は息をするかのごとし――肖像画の名手をね」


 悪戯っぽく目を輝かせて告げる皇子に、レオはピンと来た。


(目的がわかったぞ! さては――より精緻な人相書きを作る気だな)


 たとえば町の警邏隊でも、犯罪を起こした際に即座に聞き込み調査ができるように、万引きやスリの前科がある人物については、人相書きを作って保存している。


 黒い紐で綴じられたそれはブラックリストと呼ばれ、レオ達は間違ってもそれに載ることがないよう細心の注意を払って生きてきたものだった。


 発表会の後レオが金貨を奪って姿を消した時、皇子は帝国中に指名手配を掛けたという。それでも見つからなかったのは人相書きの水準が低いからだと考え、今後に備えてそれをブラッシュアップすることにしたのだろう。


(やっぱり……ほとぼりが冷めたら俺のこと捕まえる気満々じゃねえか。危ねえ、危ねえ、カー様ですっかり懐柔されるとこだったぜ……!)


 金貨を奪った罪を自白させるべく、金貨を渡して懐柔するなど、凡人にはなかなか思い付く手段ではないが、レオは二年前と発表会の時で既に二回も金貨を強奪したことになる。大捕り物だと考え、敵もそれなりの準備をしているに違いない。

 そういえば、獅子は兎を狩るにも全力を出すと聞いたことがあるから、きっとそういうことなのだろう。


(最終的にはこのカー様も巻き上げるつもりなんだろうが、そうはいかねえ。さっさと魔力を回復させて、カー様と一緒に脱走するんだからな!)


 服越しに金貨をぎゅっと握りしめ、下がりかけていたガードをレオが改めて上げ直していると、アルベルトがふと口を開いた。


「それにしても、今日の装いもよく似合っている。その純白のガウンやドレスは、カイの見立てかい?」

「……はい」


 今度は遠回しに、「以前贈ってやった藤色のドレスはどうした」と聞いてきやがったと悟ったレオは、慎重な言葉選びで相手の怒り具合を探ることにする。


「……せっかく頂いた、紫のドレス、失くしてしまって、申し訳ありませんでした。その……弁償を……?」

「何を言うんだ!」


 自分の為に命を懸け、更には卑劣な輩に捕まって散々な目に遭ったというのに、ドレスなんかの末路を案じて詫びる少女を、皇子は強い口調で遮った。


「君はそんなことを気にしなくていいんだよ。何なら、新しいものをまた作らせよう」

「いえ、けっこうです」


 少女は固い表情だ。

 金貨こそ喜んで受取ってくれたが、甘い囁きにも、華やかな贈り物にも怯えたような眼差しを向ける彼女に、皇子はたまらないもどかしさを覚えた。


(いや、だが、彼女の境遇を考えれば自然なことだろう。けして無理強いをすることがないよう、気を引き締めねば――)


 皇子とて気の逸る十七歳の青年に過ぎない。だが、少女を大切に思うからこそ、彼は自らを厳しく戒めた。


「あの、皇子。やはり、絵は、描かなくてはだめですか」

「どうしてだい、レオノーラ?」


 画家の待つ応接室が近付くにつれ、そんなことを言いだした少女に、皇子は首を傾げる。


「あの。私なんかよりも、もっと、絵のモデル、ふさわしい人いっぱいいると思うのです」


 必死な口調で幾人かの名前を挙げはじめた少女を、アルベルトは優しく諭した。


「そんなことを言わないでくれないか。これでも、君に喜んでもらえたらと思って、僕たちも張り切ったのだから」

「張り切った?」

「ああ。歴代生徒会長の肖像画は、絵の得意な生徒によって描かれるのが常だったのだけどね。絵画好きで知られるアウグスト皇子の時からは――」


 説明しかけて、皇子ははっと口を噤む。


 それは、自分たちの努力を明かしたくなかったからではなく、「アウグスト皇子」の話題を避けたからであった。


 フローラの名の影にすっかり隠れてしまっているが、アウグスト皇子とは、十三年前の生徒会長にして帝国第一皇子。

 つまり、少女の母を死に追いやった人物である。


 アルベルトからすれば年の離れた従兄にあたる彼は、フローラに出会うまでは文武両道で情に厚く、次期王に相応しい人物であったと聞く。それだけに、皇家にはいまだに彼の没落を偲ぶ者も多いが、少女にとっては名前も聞きたくない相手であろう。


「時からは?」

「あ……ああ、いや」


 アルベルトはさっと頭を振って、端折りながら説明を続けた。


「そう、途中からは、末席ならば宮廷画家を呼んでもいいことになったんだ。だが、今回は末席ではもったいないと思って、とっておきの人物に依頼した」


 アルベルトは今回、とある人物をアサインすべく、珍しく父王に頭を下げたのだ。

 しかし、一介の学生には贅沢が過ぎるとでも思ったのか、父王は首を縦には振らなかった。そこで、以前に両親がモデルとなったナターリアや、商会として取引のあるオスカーの伝手を使いつつ、ようやく「彼」を学院に呼び込むことに成功したのである。


(実際、「彼」がああも気難しい人物だとは思わなかったが――)


 応接室に近付きながら、アルベルトはこっそり嘆息する。

 当世きっての人気画家は、なぜか学院には足を踏み入れたがらず、今もナターリアがつきっきりで足止めをしてくれているのであった。


 それでも、きっと彼も、この少女を見たら、自ら絵筆を握りたくなるに違いない。


 そう確信してアルベルトは、


「失礼します」


 重厚な応接室の扉を開けた。


 普段なら豪勢なソファセットのあるそこは、今ばかりは壁の片側に家具類を押しやり、簡易のアトリエとなっている。


 部屋の真ん中で仁王立ちをしていたその人物は、皇子の声に素早くこちらを振り返った。


「紹介しよう、レオノーラ」


 年のころは三十程か。

 深い栗色の髪に、同色の鋭い瞳。

 唇を取り囲むように生やした髭と、鷲鼻が印象的なその男性を、アルベルトは優雅な手つきで指し示す。


「こちら、ゲープハルト・アンハイサー氏だ」


 そこに立っていたのは、かつて少女が忠告を読み取った肖像画の、作者だった。

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