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21.レオ、陰謀を暴く(後)

 人畜無害な笑顔や慈悲深い振舞いは嘘だったのかとか、あんた魔力の筆頭講師のくせに影人形使ってサボってたんですかとか、突っ込みどころは多々あるが、レオにとって重要なのはそこではない。

 下町育ちのレオにとっては、多少の性格の悪さなど全くもって許容範囲内だ。


 それより問題は、自分の使った魔術が、意図せずしてハーラルトの本性を、かなり最悪な方法で暴いてしまったことにあった。

 レオは、金を愛しすぎていることを除けば、割と真っ当な道徳観念の持ち主なのである。


(うわ、うわ、うわ、やべえよ、これじゃ俺が先生のサボりをチクッてるみたいじゃねえか。ど、どうしたら止まるんだ、これ)


 魔術が拡張されているせいか、大画面大音量である。

 講堂内でエランド語に堪能な者たちが、ハーラルトの衝撃的な発言を聞いてざわついていた。

 その騒動の中にあっても、二階席のハーラルトはにこやかに微笑んでいるところを見ると――やはり、本当に影人形なのだろう。


「ス、ストップ! 停止!」


 慌てて再生を止めようとするが、焦っているせいかうまくいかない。

 そもそも、普段はパンの配給日だけを指定しているので、該当部分の再生が終わると勝手に終了するのだ。

 それに慣れてしまっていただけに、方法が分からなかった。


 慌てふためくレオをよそに、黒ハーラルトとアヒムの会話は続く。


『それに……今日の発表会では、私のサボりなど気にならないくらいの騒動が起こるはずだからね』

『ということは、まさか……!』

『ああ』


 画面のハーラルトは、普段の柔らかい表情からは全くかけ離れた、獰猛な肉食獣のような笑みを浮かべた。


『ようやく、ベルンシュタイン一派の一部が事を仕掛けるようだ。まったく……低俗な血の者は、やり方が乱暴なものだな。扱いやすいのはいいが』


 ベルンシュタイン、低俗。

 単語だけ拾っていた者たちも含め、今度こそ、講堂全体に衝撃が走った。


 方々から、「どういうことだ!?」と叫ぶ声が聞こえる。

 エランド語を解する者たちが、周囲に解説をしはじめた。

 囁きはどよめきに、戸惑いは激情に、様々な声と感情がうねりとなって、講堂を満たしていく。


 真っ先に立ちあがったのは、アルベルトだった。


「静粛に!」


 凛とした声が響くと、一瞬で場が静まり返る。


 その隙をついて、皇子は素早く舞台上の少女に駆け寄った。


「レオノーラ、これは一体……」

「い、い、いえ、自分にはなんの悪意も……!」


 魔術は暴走するし、せっかく離れられたと思った皇子は至近距離に迫って来るしで、レオはもうパニック寸前である。


 ハーラルトとアヒムの、愉悦に満ちた会話は止まらなかった。


『導師が学院の講師職に就かれて五年。満願の時まで、長うございました』

『本当だ。まったく……このみすぼらしいローブともようやくお別れかと思うと、涙が出そうだよ』

『ええ。龍の血を持ちながら、精霊の御技も操るハーラルト様は、講師の地位などに甘んじていてはなりません。そもそも、あの忌々しい皇帝が宗教弾圧を始めてからというもの、我ら教会の勢力が弱まりすぎているのです。どうかハーラルト様、偉大なる我らが導師よ。アルベルト皇子たち、魔力持ちの勢力を削いだ暁には、我ら教会勢のお引き立てを――』

『そう何度も言わずとも、わかっている』


 なんだか、単なるサボりというよりは、もっとヤバそうな話をしている感じである。


 政治に疎いレオには、あまりよく分からなかったが、そう、これはもしかして、


(て、帝国統治の転覆を狙ってる、的な……?)


 ひく、と口元を引き攣らせたレオの横で、青褪めたアルベルトが、


「まさかハーラルト導師が、そのような裏切りを……!」


 と、この世の終わりのように呟いているので、きっとそれで正解だろう。


 やばい、やばいぞ、なんだかどんどん大逸れた話になってきたぞと、レオがあわあわしていると、


「レオノーラ! これは真実か!」


 舞台にもう一人人物が現れた。

 黒っぽいチュニックに身を包んだ、オスカーである。


 彼がレオノーラの両肩を掴んで揺さぶろうとすると、アルベルトが素早くそれを制止した。


「静かに。まだ水晶の再生が続いています」

「だが――!」


 激昂するオスカーを遮るように、ハーラルトのくつくつとした笑い声が響いた。


『文武両道、品行方正の完璧な皇子が、各国大使も集う晴れの舞台で庶民生徒の反乱を許したとなれば、面目丸つぶれだ。それだけでも何らかの処分は免れないだろうが……頭に血が上った庶民たちは、何をしでかすか分からないからな。血気盛んな学生のことだ、うっかり、皇子を弑することだって――あるかもしれないな?』

『さよう。持たざる者は、持てる者に憎しみを滾らせるのが常ですからな』

『ふ……。「過剰な魔力は時に力無き者を殺める」か。我ながらよく考えたものだ』


 嘲るようなハーラルトの発言に、オスカーが


「何だと……?」


 さっと顔を強張らせた。


『導師が、皇族や上位貴族どもに繰り返し刷り込んだ甲斐がありましたな。おかげで彼らは庶民相手にけして力を揮おうとはせず、庶民どもは皇族への悪感情を日に日に強めている』

『まさか授業ひとつで、ここまで洗脳されるとはな』

『ふ……。よもや導師が嘘偽りを、それも帝国を揺るがすような根幹に関わる虚偽を教えるはずがないと、すっかり思い込んでいるのでしょう。導師も悪いお方だ』


 阿るようなアヒムの言葉に、ハーラルトは独り言のように呟いた。


ひとりの少女(フローラ)の、妃になりたいという幼稚な野望すら、帝国中を揺るがしたというのに……。転覆の発端はごく些細なできごとにすぎぬということを、13年も経つと、すっかり人々は忘れてしまうらしい』


 聞き取れなかったアヒムが『導師?』と聞き返すと、ハーラルトは軽く手を振り、さっさと話題を切り替えた。


『まあ、庶民側にも都度私がフォローをしていたからな』


 レオは懺悔室でオスカーに労わりの声を掛けていた姿を思い出す。

 たしかにあの時、頭髪の維持を願うオスカーに対し、ハーラルトはしきりと共感しながらも、「皇族ならできるのに」と嘯いていた気がする。


『それに、町でも教会からの施しを徹底しているからな。下位貴族は庶民とのつながりが深い。庶民を味方につけている我らの姿を見て、民意は教会の側にあり、魔力を持ちながらも益なさぬ皇族は悪であると、そこからも思っているのだろう』


(そこに繋がるんかい!)


 まさか、パンの配給にそのような意図があったとは。

 レオは絶句した。


「ハーラルト……あの野郎……!」


 横では、拳を握りしめたオスカーがぶるぶると震えている。

 皇族と庶民の対立を、ハーラルトが煽動していたことがよほど衝撃的だったのだろう。


 しかし、怒りに震えていたオスカーも、


『――して、今日はどのような「騒動」が起こるのですかな?』


 というアヒムの問いにはっと目を見開いた。


「まずい……!」


 辺りを見回しだした彼を、アルベルトが「どういうことです?」と問い詰める。

 答えはハーラルトによってもたらされた。


『装飾として、学生が舞台に張り巡らせたリボンがあるだろう。あれは、私が一部の生徒に教えた「陣」なのだ――魔力を倍増させる、な』

『……はあ?』

『ふ、わからないなら言い変えようか。舞台を中心に爆薬を大量に撒いたのだ。魔力に乏しい学生が、ほんのちょっと力を込めるだけで、引火し、大爆発を引き起こすような、強力な爆薬をな』


 なるほど、とアヒムが感嘆したような声を漏らす。


『陣となるリボンを張り巡らせたのもその生徒たちなら、皇族に害なしたのもまた彼ら。我らは一切手を汚さずに、高みの見物が出来るというわけですな』

『ああ。しかも、「爆発」は、高い魔力を持つ者にのみ照準が合うよう整えてある』


 それで、事態の真相究明がなされた時、真っ先に疑われるのは庶民側というわけだ。

 ハーラルトはどうやら、この事件を使って更に学院内での対立を煽る気のようだった。


「陣……陣となるリボンは……あれか!」


 オスカーと一緒になって天井を見上げていたアルベルトが鋭く叫ぶ。


 視線の先には、複雑な形で張り巡らされた、滑らかな絹のリボンがあった。


 事態を把握しだした学生たちが叫び出す。

 エランド語に明るくない多くの者たちは、「爆薬」という単語にだけ反応し、もはやパニック寸前だった。


「静まれ! 今この陣を撃破する!」


 アルベルトが右手を掲げ、その先に魔力を凝らせた瞬間、オスカーが「馬鹿野郎!」と制止する。


「魔力を狙って展開する術式だと言っただろう! 下手に陣に魔力をぶつけて、事態を悪化させたらどうする!」

「しかし……!」


 オスカーの言うことはもっともだった。だが、手段を封じられ、アルベルトはもどかしそうな表情を浮かべる。


 光の幕に映る二人は、のんびりと会話を続けていた。


『して、その「爆発」はいつ起こるのですかな?』

『もうじきだろう。下位貴族の最後に発表する生徒が、ベルンシュタイン急進派のトップだ。彼が舞台で発表を終え、陣が崩れず維持されていることを確認したら、その足で裏庭にでも向かって詠唱を始めるのではないかな』


 レオはさっと青褪めた。


(下位貴族最後の発表……って、おい、それ、さっきの奴じゃないか?)


 なぜか強張った顔をして退場していた生徒を思い出す。

 レオは侯爵家令嬢ではあるものの最年少のため、上位貴族一番手だったはずだから、間違いないだろう。


『――しかし、そうすると、ちょうどレオノーラ・フォン・ハーケンベルグの発表中あたりになってしまいますな』

『おや、詳しいな、アヒム。さては、おまえもレオノーラを気に掛けているのか?』

『それはもちろん。まだ幼いながら、あれほどの美姫はそうおりますまい。光の精霊もかくやといった容貌に、無垢な心。身分さえ許せば、私が手元に置いて愛玩したいほどです。導師もお気に召していたように見受けますが』


 愛玩、の辺りで、レオの両脇を囲む青年たちからぶわりと殺気が立ち込めたが、そんなことなど当然知らぬ画面中のハーラルトは、


『ふむ』


 と顎をしゃくった。


『たしかに、あの子は美しい。精霊を至高の存在と仰ぐ我らからすれば、教会付きとして侍らせたくなるような少女だ。だが――』


 穏やかな草色の瞳が、物騒に細められる。


『彼女はベルンシュタインに髪を譲ったと聞く。それが本当なら、彼女の行いが契機となって、私の教えが嘘であると露見してしまうかもしれない。それを、おめおめと見過ごすわけにはいかないだろう?』


 なに、彼女なら死体でも飾りたくなるほど美しいに違いない――。


 ハーラルトの呟きに、レオは「ひ……っ」と肩を揺らした。


 やばい。

 さすが教会クオリティ。

 (タマ)だけでは飽き足らず、(タマ)まで狙うとはなんてことだ。


 と、その時、


「いやだああああ! 死にたくない!」


 パニックに陥った一部の生徒が立ちあがり、叫びながら逃げはじめた。

 それを皮切りに恐怖が伝播し、次々と生徒が席を立ちはじめる。


 二階席に居る保護者達も混乱をきたしたようで、我先にと階段に詰め寄り、一部は人の少なかった舞台にも縦横無尽に広がって、講堂全体が大混乱に陥った。


 阿鼻叫喚。地獄絵図。まさにカオスである。


「レオノーラ! 危ない!」


 人の波に飲まれそうになったところを、アルベルトが背後からぐっと腰を引いて避けてくれる。

 レオは反射的に「あっ、どうも……」と答えつつ、自身も盛大に焦っていた。


(やべえよー、やべえよー、これって俺のせい? 俺のせい? ていうかいつ爆発すんだよこれ、もうすぐっつってたよな)


 厳密に言えば、危険があるのは舞台上なのだが、エランド語を正しく理解しない者たちが舞台にまでひしめいているせいで、避難が難しい。


 アルベルトが混乱を制そうと声を張り上げているが、恐慌に陥った人々の怒号に紛れ、成功していなかった。

 こういう場合に場を鎮めるべき警備の者も、権威ある大人も、基本的には魔力頼みであったため、「陣を刺激するとまずい」という状況に身動きが取れないでいる。


 ――つまり、打つ手なしの大ピンチだった。


「レオノーラ、大丈夫だ。ひとまず我々もここから避難しよう。外に出て、詠唱している生徒を突きとめられれば、術の発動は防げる」


 腰を抱きとめたまま、背後からアルベルトが囁く。こんなときでも安定の美声だ。

 条件反射で身震いしたレオに、


(――いや、待てよ?)


 金の亡者神が舞い降りた。


(よく考えるんだ、レオ。ピンチをチャンスにって、よくハンナも言ってただろ? これはもしや、脱走にうってつけの機会なんじゃ)


 体を両腕に抱きしめられたまま、ぎぎ、ぎぎ、と首を左右に動かす。


 右、怒号を上げる混乱した人々。

 左、悲鳴を上げる混乱した人々。


(……チャーンス!)


 この混乱に乗じれば、学院を脱走することは容易に思えた。


 しかも。

 しかもである。


(背後に感じる、この固い感触――!)


 間違っても痴漢めいた話ではなく、金貨の話である。


 アルベルトが抱きしめているせいで、あのピカピカの金貨が、レオの耳のすぐ後ろくらいにあったのだ。


 どれくらい近くかというと、そう、「うっかり何かの拍子に触れて手の中に落ちてしまい、やむなく自分が持っておくことにせざるをえない」くらいの距離である。


 逡巡、葛藤、そして決断。

 金の亡者神の思考処理は実に速やかだった。


(混乱に乗じて、その金貨、頂くべし――!)


 だって、爆発してしまったら自分は死ぬかもしれないのだ。

 そんな時に、他人を慮っていられる人間などいるだろうか。

 否。欲望を貫くとしたなら、まさに今この瞬間しかないのだ。


 手を伸ばせば触れられる金貨。

 とろりと光を放つ、魅惑的な塊。


 欲しい。手に入らなくとも、せめて触れたい。眺めたい。


(うおぉぉぉぉぉぉ!)


 レオは決死の覚悟で振り返り、アルベルトの胸に顔を埋める姿勢を取ると、そこから両腕を突っ張り、一気に金貨を強奪した――!


「レオノーラ!?」


 音が消え、世界の速度が落ちる。

 アルベルトが驚愕に目を見開くのが、やけにゆっくりと見えた。


(悪ぃな、皇子。恨むなら魅力的過ぎる金貨を俺に見せつけた、その自分の浅はかさを恨むこった!)


 レオが不敵な笑みを浮かべかけた、その時である。


 ゴ……――!


 不穏な音が耳朶を打った。


「危ない……!」


 オスカーの絞るような叫びが聞こえる。


 え、と頭上を見上げると、


 ゴゴゴゴゴ……!


 リボンの陣の形通りに亀裂の入った天井が、今まさに崩落しようとしていた。


(嘘だろおおおおおお!?)


 それはさながら、レーナを救った時の、粉引き小屋での光景。

 いや、崩落する天井が、なぜか自分だけを目指している点は異質であった。


(ちょ、ちょ、ちょっと、おい、まじか、今度は俺が圧死の危機かよ!)


 命の危機に際した脳が、走馬灯の上映を始める。


 生まれて初めて拾った小銅貨。

 ねこばばした古本が質屋で思いの外高値が付き、友人とハイタッチをした雪の日。

 悪戯をして夕飯を抜かれた夜も、傍らにあってレオを慰めてくれた貯金記録。

 そして、初めて手にしたカールハインツライムント金貨。


 ……ついでになぜか、満面の笑みを浮かべて契約書を突きつけるレーナ。


(レーナてめええええ! 金貨の支払いもまだなのに、死ねるわけねえだろおお!)


 死の恐怖は、なぜか瞬時に、金への欲望と生者への怒りに変貌した。


「今度……っ、助け……!」


 つーか今度はおまえが俺のこと助けろってんだよ!


 渾身の力で吐いた悪態は、悲しいかな全ては発音できなかった。


「レオノーラ……!?」


 目の裏まで白く染まるような、強烈な光。

 誰かの叫び声。

 風が巻きあがる気配。


 そして――


「レオノーラ――!!」


 レオの意識は、それきり途絶えた。

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