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無欲の聖女は金にときめく  作者: 中村 颯希
第三部(完結編)
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《閑話》 ただいま(前)

 リヒエルトの空に爽やかな風が吹き渡る初夏の一日、孤児院の院長ハンナは、毎年決まって、墨色の衣服をまとう。

 普段ならば、泰然とした表情を浮かべているはずの顔に、憂いの色を乗せて。

 顎を上げ、前を見つめていることの多い瞳を、そっと伏せて。


 それでも、しゃんと背筋を伸ばして歩く彼女に、下町の住民たちは知らず道を譲るのだ。

 ひそひそと、こんな会話を交わしながら。


「おい……! 馬鹿野郎おまえ、頭ァ下げろ、視線合わすな! あのお方が歩いてくるのに、ぼさっと突っ立ってるなんて、おまえもぐりか?」

「あァ? 俺ァ三日前にこの町に流れ着いたばかりよ。んだ? あんな小せえババアひとりに、なにビビってんだよ」

「し……っ! 馬っ鹿おまえ……! その一撃、熊をも倒すと言われるハンナ院長のこと、知らねえのかよ! 命知らずなやつだな!」


 ハンナ孤児院は、世間一般の人間からすれば、規律正しく質素な、ありふれた孤児院である。


 が、裏の住人、または下町の荒くれ者どもからすれば、本気を出せばヤの組織のひとつくらい瞬殺できそうな武力(ブルーノ)と、子どもとは到底信じられない金額を稼ぎ出す経済力(レオ)を擁した、底知れぬ存在であった。


 それを束ねるハンナ院長というのも、一見穏やかな老婦人でありながら、ときにドスの利いた恐喝で、あるいは裂帛の気合いが滲む拳でもって、その筋の人間とも対等に渡り合うという女傑である。


 短刀一本を忍ばせて、みかじめ料の値下げを交渉しにいって組織のトップに気に入られただとか、飲み比べで荒くれ者の親玉を酔い潰し、治安の維持を図っただとか、彼女についての伝説的なエピソードは枚挙にいとまがなかった。


「特に、ああやって黒っぽい服を着てるときのハンナさんはやべえ……。冗談なんてとても通じねえ、軽々しく話しかけたやつは町から姿を消したって噂だぜ……」

「なんなんだよそれ、冬眠明けの熊じゃあるめえし……」

「あながち間違いじゃねえぞ、それ。あの黒っぽい服は、襲った相手の血が目立たないようにするためだ、って説もあるくらいだ」

「まじかよ……」


 こわごわと囁きを交わし、荒くれ者たちはごくりと唾を飲む。

 しかし、周囲に目もくれずにさっさと去ってしまった彼女を見て、男の一人はちょっとだけ首を傾げた。


「――でも、いつも黒い服を着てるときは、もっと憂鬱そうなのに……今日はなんか、やけにせかせかしてんな。討ち入りでもあんのか?」


 ハンナに関する彼の言葉が、はたして誇張された妄言かどうかはさておき、ハンナが急ぎ足であるということだけは、明確な事実だった。


 ――彼女は今日、とても大切な用があったのだ。


 孤児院の裏に建てられた聖堂。そこに「帰ってくる」美少女面の大馬鹿者を迎え入れるという、大切な用が。




***




『おー! なんと(あで)やか! 金香り、金光る、約束の地だなこの聖堂は!』


 昨年の秋、ハンナの前から姿を消したレオは、エランド語でそんなことを叫びながら、「光の聖堂」に踏み入ってきた。


 光の精霊の瞳と同じ金色をふんだんに取り入れた、華やかで明るい聖堂。

 ステンドグラスの光がこぼれる真っ白な床を、満面の笑みを浮かべて歩くその姿は、純白のドレスともあいまって、まさに精霊の花嫁といった風情である。


 が、その本性はあくまで守銭奴。

 レオの後に続いて馬車から降りたブルーノとレーナ――外見上は、少年二人――は、げんなりとした面持ちで「画と現実の乖離っぷりがひどい……」と呟いていた。


 レオノーラ・フォン・ハーケンベルグなる令嬢のなりをしたレオと、ブルーノ、そして鳶色の髪の少年のなりをしたレーナ。

 この三人は、今まさに、学院からの馬車に乗り、この建立されたばかりの「光の聖堂」へとやってきたところだった。


 と、相好を崩しながら周囲を見回していたレオが、掲げられた精霊布の下に立っていたハンナに気付き「あっ」と声を上げる。

 彼は、長い裾のドレスを意外にも器用に捌きながら、にこやかにハンナのもとへ駆け寄ってきた。


『院長! 来てくれてたのか!』

『ふん、そりゃあ、記念すべき「聖女様の出家」だからね。下町での「レオノーラ様」の保護兼世話役を仰せつかった身としては、外せないじゃないか。まったく、今日はとびきり忙しいっていうのに、そういう日に限ってあんたが帰還なんかを決めるもんだから』

『ごめんってー。見送る側にもいろいろ都合があるっていうんで、調整したらこの日になっちまったんだよ』


 語学に長けた二人は、エランド語で言葉を交わす。

 聖堂内にいるから、というのもあるが、これは単に、エランド語のほうが、レオも素の口調で話せるからという理由のほうが大きかった。


『……っていうか、なんであんたはいつまでもその姿のままなんだい。さっさと入れ替わりを解消すりゃあいいじゃないか』


 てっきり、この場に戻ってくる頃には少年の姿でいるだろうと思っていたハンナは、怪訝な顔で首を傾げる。


『……いやー、それがさ……』


 そして教え子から返された内容に、思わず絶句した。


『金の精霊の加護が強すぎて、戻れない?』

『そう! アル様にとって俺っていうのは、あくまでこの見た目でこの中身、っていう組み合わせだからさー。で、それを無理やり解消して――つまり身体にかかってる加護を手放して元に戻るっていうのも切ない話だから、今さっき馬車の中で、アル様も含めたみんなで相談して、こうすることに決めたんだ』


 レオの話す方針をざっくりまとめるとこうだ。


 ひとまず、いつまでも入れ替わったままではいられないので、金の精霊(アルタ)の加護は一度解除し、レオとレーナは体を戻す。

 そのうえで、アルタは、基本的には魂に準拠し、少年のレオのほうを見守る。

 ただし、そうはいっても、見目も中身も彼女好みであるほうが、彼女にとっても嬉しいは嬉しいので、年に一度を目途に、レオは再びレーナと入れ替わり、その期間だけ、加護もがっちりかけてもらう。


『つまりさ、アル様的には、俺がレオノーラになるその数日は、ご褒美ってことになって、俺もまたその数日は究極に金運が高まることになって、レーナもまた俺の姿で自由に出歩けるってわけだ。三方よしのトリプルウィン!』


 黙って話を聞いていたハンナは、思わず頭を押さえた。

 レオの保護者として、これまでの経緯や、帰還後の過ごし方をあらかじめ把握していたハンナだが、まさか彼らが馬車に乗っている短期間に、それが大胆に変化しているとは思わなかった。


『……性懲りもなく、ちょいちょい事件に巻き込まれに行くってかい……』


 いやまあ、向こうで結んだ友誼もあろうし、年に一度程度入れ替わるのは結構なことかもしれないが、この少年の場合、それすなわちなんらかの事件に繋がりそうな気がしてならないのだ。


 だいたい、


『あんたが信奉する金の精霊ってのは、どんな趣味の持ち主なんだい……』


 入れ替わりの臨時継続の理由が、「アル様が、少女姿の俺のほうが好きだから」っていうのは、いかがなものなのか。

 思わずつぶやいてしまうと、レオが「あっ」と嬉しそうに目を瞬かせた。


『院長! 興味ある!? アル様に会いたい!? その素晴らしい人となりに触れたい!? いいよ、じゃあ紹介する! っていうか、挨拶もまだだったしなー、ごめんごめん!』

『ああ? あんた、そんな軽々しくなにを――』


 まがりなりにも精霊、一般の人間からすれば、奇跡のような神聖な存在だ。

 それをそんなに軽々しく、と胡乱げな眼差しを向けたハンナだったが、彼女が反論を終えるよりも早く、


 ぱああああああっ


 レオが軽く挙げた手に反応するように、聖堂内に光が満ちた。


『紹介します! こちら、アル様! あらゆる貴金属の頂点にして市場安寧の守護神、姿麗しく香り芳しく、溢れる魅力は天元突破の、金の精霊様でいらっしゃいます!』


 ノリノリの言葉とともに、溢れた光が少しずつ輪郭をまとめ、人型を取る。

 やがてハンナの目の前には、金の衣をまとった美貌の女性が現れた。


 ゆるやかに波打つ金の髪、蠱惑的な泣きぼくろ、色っぽく笑みを象る唇。

 どこか破滅の予感を漂わせたような、そういう、危うさのある美しさであった。


 ――こんにちは。


 紡がれる声も、心をざわめかせるような響きを帯びている。

 ハンナは、初めて見る精霊を前に、完全に圧倒され、珍しく何も言えずに相手を見返した。


 精霊は、本当にいるのだ。

 そしてそれは――たとえ正式に認められていない精霊であっても、なんと美しく、なんと神々しい。


 ハンナが硬直しているのをよそに、レオはうきうきと精霊の紹介を続けた。


『あ、アルさまは見かけこんな感じにゴージャスでファビュラスだけど、中身はもう、貞淑っていうか、清楚そのものだから! 院長もきっと大好きになると思うよ』

「…………」


 いや、精霊を指して「俺の彼女、見た目ヤンキーだけど根はいい子だから」みたいな、実家に恋人を連れて来たような紹介をされても。


「……そうかい」


 ハンナは、照れたように微笑む精霊を凝視しながら、ひとまず無難に返した。


『馴れ初めはこの前手紙で報告したとおりだから、省略な。アル様はさー、まだまだ知名度は低いけど、精霊としての器っていうか、実力はすっごいから。アル様の手にかかれば、路傍の石も金の延べ棒に変わるんだぜ。院長にもいつか見せてあげたいな』

「…………」


 いや、だから、「彼女はまだ駆け出しの料理研究家だけど、実力はすごいから。その手にかかれば、残り物の食材でも豪華なディナーになるんだぜ」みたいな、ライトな褒め方をされても。


『ま、実力云々はさておいて、俺は、アル様がアル様であるだけでいいっていうか、存在すべてが素晴らしいって思ってるけどね!』

「…………」


 しまいには盛大に惚気られた。

 レオのやつは、色恋にはとんと疎いが、案外恋人ができたら、誰よりも惚気まくるタイプなのかもしれないと、ハンナはそんなことを思った。


 ――もう、レオったら。そこまで言われたら、照れるわ。


 どことなく面白くなさそうな顔をしているレーナをちらりと視界に入れ、金の精霊アルタは、苦笑しながらレオを窘める。

 それから、ハンナに視線を合わせるように、宙に浮いていたところをふわりと舞い降り、目の前に立った。


 ――はじめまして、ハンナ院長。どうか警戒しないで。私は、ずっとあなたに会いたいと思っていたのだから。


「……私に、かい……?」


 敬語を使うべきなのだろうが、思いの外相手から低姿勢に出られて、ついいつも子どもたちに話すような口調になってしまう。

 ハンナがはっと口を押さえるよりも早く、麗しき金の精霊は笑みを深めた。


 ――ええ。あなたは、私の大切な人。彼を……私のレオを、こんなにも素敵に育て、結果として私とめぐり合わせてくれた、恩人だわ。


「…………」


 なぜだろう。

 今、ものすごくできた嫁に、「お義母さんは、こんなに素敵な彼を育て、私と出会わせてくれた恩人です」と言われた姑のような気分になった。


「……それは、どうも……」


 ――いきなり降って湧いたような、私みたいな精霊にレオを守護されたのでは、あなたもさぞ心配でしょう。

   けれど、どうか安心して。彼は、私がきっと幸せにしてみせるから。

   これは、その気持ちのほんの現れ。


 そう告げて、彼女がすうっと繊細な指をハンナに向かって伸ばすと、胸に下げていた古びた首飾りが、みるみる金色の輝きを帯びはじめた。おそらく、金に転じたのだ。


「……………………」


 なんだろう。

 すごく驚いたし、言いたいこともいくつかあったはずなのだが、それ以上にこの精霊の、「なんかめちゃくちゃできた嫁感」に印象のすべてが持って行かれている。


 ――だから、どうか。彼を守護する精霊として、どうかこれからよろしくね。


「……………………」


 これまでにも、結婚を機に孤児院を旅立っていった子どもたちや、その相手から、同様の挨拶を受けたことはあった。

 そういったときハンナは彼らの意思を尊重し、多少物申したいことがあっても「そうかい」の一言でごくりと呑み下すのが常だった。

 しかし、まさか精霊に向かってまで、この言葉を告げることになろうとは。


「…………そうかい」


 人知を超えた存在たる精霊に対し、そんなぞんざいな返事をしてみせたハンナに、ブルーノやレーナがちょっと驚いたように目を見開く。


『……さすが院長、動じないな』

『まさか精霊に対しても、あの一言で受け入れるなんて、さすがね。……ねえ、院長って本当に一般の人なの? 実は犯罪組織の親玉だったとか、魔王の母親だったとか、そういう裏設定があるんじゃないの?』


 ひそひそとした声も聞こえるが、ハンナとしてはこう主張したかった。

 だって、それ以外にどう言えと――と。


『ふん、聞こえてるよ。だれが魔王の母親だって? あたしゃしがない商家の出だよ』


 思わず鼻を鳴らしてエランド語で突っ込むと、レーナが驚きの声を上げた。


『院長、商家の出だったの? ……まあ、読み書きや外国語ができる理由としては納得だけど、そんな富裕層が、なんでまた孤児院の院長なんか――』

『……商家にだっていろいろあるだろ。あたしゃ、落ちぶれた側の人間さ』


 声は、ほんのわずかに低くなっただけのはずだが、レーナはそれ以上踏み込まないほうがいいと判断したのか、一瞬の沈黙の後、『……そ』と肩をすくめた。

 ハンナが思うに、こういった聡さが、彼女の数少ない、そして最近急激に育ちつつある美点だ。


 ――そうなのね。


 ふと視線を感じて顔を上げると、金の精霊がじっとこちらを見つめている。

 彼女はその金色の瞳で、すべてを見透かすようにハンナのことを覗き込んでいた。


 ――最初は、あなたがレオの育て親だからだと思っていたけれど……どうして初めて会ったあなたのことが、こんなにも好ましいのかが、今わかったわ。


『……金の匂いがするってかい?』


 無意識に皮肉気な笑みを浮かべて問うと、精霊は穏やかに、いいえ、と顔を振った。

 振ったけれども、正しい理由までは口にしようとしなかった。


 ただ彼女は優しく笑い、すうっと宙に溶け消えながら、レオと、そしてハンナの頬を撫でていった。


 ――大好きなあなたたちに、私の祝福が惜しみなくそそぎますように。

   ……さあ、レオ。次は少年の姿のあなたと会いましょう。


 姿が消えると同時に、「レオノーラ」のどこか金色がかっていた瞳が、以前のような完全な紫に戻る。

 どうやら、助精――金の精霊による加護が解かれたようだった。


 レオは少々寂しそうな顔をしていたが、『ま、加護はなくとも、アル様とはこれからも会えるしな!』と己の頬を張り、レーナに向き合い。

 そのわずか五分後――レオとレーナは、あらかじめ用意しておいた陣を使って、とうとう互いの体を取り戻した。


 かつて、レオがあまりに突然、なにげなく事件に巻き込まれてしまったように、その終わりも、実になにげなく、あっさりとしていた。


 始まりとは、終わりとは、いつもそうだと、ハンナはしみじみそんなことを思った。

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