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無欲の聖女は金にときめく  作者: 中村 颯希
第三部(完結編)
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39.レオ、幕を下ろす(後)

 一方。


『……だぁ、かぁ、らぁああああ……!』


 馬車で待機していたレーナは、手にしていた本をぐちゃぐちゃに握りつぶしそうになるのを必死にこらえながら、エランド語で低く呟いた。


『なんで毎回、毎回、やつにかかわることは、こうして超解釈されることになるのよ……っ』


 血管が浮き出そうなほど強く掴まれたその背表紙には、「精霊の花嫁、あるいは無欲の聖女・レオノーラ(下)」との表題が見える。


 レーナは今、その第十五章「愛、聞こえていますか ~金貨王の誓い~」を読了したところであった。


『なによこの、涙を浮かべて身を引く感じの、貞淑で清楚な美少女ぶりは! いや美少女だけど! 私、美少女だけど! あいつは単に、「追いかけてくんなよな」って言っただけだっつーの!』


 彼女が言うのは、自身も加わった、アルベルト皇子の下町行き制止の場面だ。

 レオが相変わらず無意識に聖女爆弾を投下させるのを必死に回収しながら、レーナも言葉を費やし――そのせいで、うっかりアルベルトを意固地にさせる失言をしてしまった――、なんとかアルベルトが皇子留任を決意しはじめたところ。


 レオがほっと胸を撫でおろし、「いやあよかった! 頼むから俺のことは忘れてくれよな、あんたにもそのうちいい人が見つかるって! な!」といった趣旨の発言をしたところ、あのたどたどしい口調が見事に効力を発揮し、


 ――どうか、私のことは、お忘れください。

  皇子には、必ず、私よりもふさわしい人が、見つかります。……そう、信じています。


 とこんな感じで、ひどくいじらしい仕上がりになってしまったのだ。


 それが、貴族令嬢フィルターを通した結果、「ああ、愛しい人よ……!」みたいな仰々しい形容にまみれ、もはや背景にフルオーケストラが鳴り響いていそうな、一大場面に変化してしまっていた。


 しかもこのテンションが、全編通して続くのだ。

 レーナは胸やけを起こしながら、十六章に続くページをめくろうとしていた。


『結局なにをどうしたって、やつの正体がばれない方向に力学が働くあたり、もういっそ呪いとしか思えないわ……! 恐ろしい……!』


 そしてその呪いのおかげで、ただの強運な守銭奴は、もはや永遠に穢れなき聖女扱いである。

 最初の内こそ、こちらの都合で恋した少女と引き裂かれてしまうアルベルトに同情すら覚えていたレーナだったが、最近では、むしろ彼に「永遠の初恋の人」という甘美な思い出をプレゼントしてしまっただけなのでは、とも思えるのだった。


 声を震わせるレーナに、向かいの席で腕を組んで座っていたブルーノは、呆れたように声を掛けた。


『そんな恐ろしい思いをしてまで、読まなければいいだろうが』

『うるさいわね! これは剝がれかけたかさぶた、剥けかけたささくれ。めくると不幸になるとわかっていてなお、めくらずにはいられない、魔性のなにかなのよ……! だいたい、今回の聖女列伝の原因の大半は、あなたなんだからね、ブルーノ!』


 レーナはそう叫び返し、冷や汗を浮かべながらページに視線を走らせる。

 ブルーノはやれやれと息を吐くと、


『……随分遅いな』


 と、車窓に掛かっていたカーテンを持ち上げた。


『どうせまた、見送られながら聖女伝説をこさえているんでしょう。「学院退場の様子が、半年後には絵画になって出回っている」に銅貨一枚』

『俺も同意見では、賭けにならんな。……とはいえ、輝きの聖堂、もとい孤児院の裏庭では、エミーリオたちが手ぐすね引いてあいつを待ってるんだ。あんまり遅いと、ぎゃんぎゃん泣かれ――』


 ぼやくような口調で紡がれていた言葉が、ふと途切れる。

 不思議に思ったレーナが本から顔を上げると、ブルーノは窓の外を見つめながら、いつも凝り固まっているようにしか思えない唇を、かすかな笑みの形に象っていた。


『――……よかったじゃないか。レオ』


 小さく、呟く。

 あまりに低く、聞き取れなかったレーナが「なに?」と視線を向けると、ブルーノは軽く首を振り、


『いや。……友達甲斐のないやつだと言っただけだ』

『なにそれ』


 肩をすくめて話題を切り上げたので、レーナは眉を寄せた。

 とそこに、


「お待たせ、しました」


 可憐な声が響き、噂の人物が馬車に乗り込んでくる。

 その花嫁もかくやという装いにレーナはうげっと顔を顰め、即座にエランド語で突っ込んだ。


『なにその恰好! ……って、あれか、そうか、精霊の花嫁か……』

『へ? なんでそんなこと知ってんの?』

『ふ……。覚悟なさい、レオ。これからの道中、私が楽しい楽しい読み聞かせをしてあげるから』

レーナに合わせてエランド語に切り替えたレオに、どすの利いた声で脅しもかけておく。


 火消しに没頭するあまり、くだんの書物の中身にキャッチアップしていなかったレオは、怪訝そうに首を傾げるだけだったが、ブルーノに『その籠は?』と尋ねられ、ぱっと笑みを浮かべた。


『おう、これ! 差し入れだって。鰊のパイ。間違いなく絶品!』


 そのへらへらした笑顔には、別れの悲壮感や寂しさなどかけらも窺えない。


(……ま、レオだもの。見送られて涙するなんて情緒、搭載しているわけがないわよね)


 さすがの彼もしょんぼりと現れるのだろうかと、少しでも予想した自分を馬鹿馬鹿しく思いながら、レーナは御者に出発の合図をした。


 皇家が手配した最高級の馬車は、振動もなく滑らかに走り出す。

 レーナたちは、パイを片手に、御者へ内容が漏れぬようエランド語を使いながら、あれこれと今後について話し合った。


 輝きの聖堂に着いたらすぐに、ふたりの入れ替わりを解消すること。

 入れ替わり解消後、レーナはしばらく聖堂に籠って過ごすこと。

 そして、人の噂が落ち着くのを待って、徐々に「貧しく賢明な者」であるところの孤児院連中と過ごすよう、調整していくことなど。


『――まったく、金の精霊様様だわね』


 ブルーノさえ存在を知らなかった金の精霊を見つけ出し、味方に付けたレオの強運ぶりもさることながら、彼女のレオへの献身ぶりには頭の下がる思いである。


 レーナが座席の背にどさりと体を預け、呟くと、レオがなぜか誇らしそうな顔で笑った。


『おう、アル様の偉大さがおまえにも伝わったか、レーナ!』

『……その、アル様っていう呼び方、どうにかしなさいよ。あなたのその話し方が、なにかとこう……まあ、今となってはもう、どうでもいいけど』


 死んだ魚のような目をして、本に視線を落とす。

 指についていたパイのかけらを丁寧に口に入れていたレオは、ふと顔を上げ、のんきに『なあなあ』と呼びかけてきた。


『俺の話し方のことを、おまえはとやかく言うけどさ、そんじゃあ、先に暴言封印の魔術を解いてくんねえかな』


 片言で話すな、とは言うが、どうもこの魔術がある限り、微妙な下町ニュアンスが間引かれてしまって、と説明するレオに、レーナはそれもそうかと頷いた。


 この三か月間、最初は魔力が足りず、最後のほうにはレオが多忙を極めてしまった結果、放置していた暴言封印の魔術だが、今となっては掛けつづけている意味もない。


『今度こそ、ちゃんと魔力は貯めているんでしょうね?』


 腕を組んで軽く睨むと、レオはからからと笑って、任せろと請け負った。


『アル様と懇意になってから、やけに金回りがよくってさ。おかげで、魔封じの腕輪の破片に対する執着もちゃんと封印できて、遠ざけといたから。今度こそ、大丈夫!』


 そう言って、ほっそりとした腕を差し出してくる。

 レーナはそれを掴み、彼自身の首に押し当ててやりながら、


「暴言封印の、解除――」


 ヴァイツ語で呪文を唱えかけた。

 が、


「――……?」


 そこでふと、眉を寄せる。


『レーナ?』

「暴言封印の、解……」


 もう一度唱えるが、やはり途中で口を閉ざしてしまった。


『え? どうした?』


 そして、首を傾げるレオに向かって、怪訝な眼差しを向けた。


『……なぜ、魔力を弾くの?』

『はあ!?』


 低く問えば、可憐な守銭奴は心底驚いたように聞き返してくる。

 彼は、自身がまるで、魔力の発現を拒む膜のようなものに包まれていることに、まったく気付いていない様子だった。


『なんだよ、それ! 全然弾いてなんかねえよ!』

『や、弾いてるでしょ!? なんかこう、うまく言えないけれど、もわっと、ふわっとしたなにかで、魔力、弾いてるでしょ!?』


 それは、レーナにとっても未知の感触だった。

 混乱のあまり、額に手を当てて叫んでいると、向かいで車窓を眺めていたブルーノが、ふと顔を上げる。


『……ああ。それは――』


 彼は、その黒い瞳に無感動な光を浮かべながら、ぽそっと呟いた。


『精霊の加護が強すぎて、魔力を弾いているんだな』

「…………!」

「…………!?」


 レオとレーナは、ぎょっと振り向く。そして、ブルーノの発言を理解して、同時に冷や汗を浮かべた。


『精霊の加護って……』

『もしかしなくても、アル様の……?』


 まあつまり、そういうことだった。

 顔を見合わせたレオとレーナは、まるで鏡のように、そろって口の端を引き攣らせる。


『魔力を弾くって……じゃ、じゃあ……』

『ま、まさか……入れ替わり解消のための、魔力、も……』


 沈黙すること、しばし。

 先に口火を切ったのは、レーナのほうだった。


『レオ。あなた、金の精霊の愛し子、やめなさい』

『え……っ!』


 ぎくりと顔を強張らせるレオの肩を、レーナはがしっと掴む。

 そうして激しく揺さぶった。


『えっ、じゃないわよ、えっ、じゃ! あなたね、人が決意を固めたときに限って、どうしてそう毎回毎回、それを挫くような真似をするの? ふざけんじゃないわよ!』

『い、いや、別に、決意を挫こうとして愛し子になったんじゃねえよ! 不可抗力だよ!』

『経緯なんざ聞いてない! いい? 金の精霊に愛されている限り、あなた、元の身体に戻れないのよ? レオノーラのままなのよ? 「金をやめますか? レオをやめますか?」 簡単な問題でしょ!』


 一喝され、レオはとっさに言い返した。


『超難問だよ!』


 もはや金とレオは一心同体なのである。

 青褪める守銭奴にいらっとしたレーナは、うっすらと微笑みを浮かべながら顎を引いた。


『あらあ……いいのよ私は、別にこのままでも。そうよ、なんとしても元に戻さなきゃなんて思ったこともあったけれど、あなたの意志が伴わないんじゃ、ねえ? 皇子との結婚という脅威も消え去った今、もういっそ、ずーっと、その金巡りのいい体にいてくれて、いいのよ?』

『いや、そりゃそうかもしれねえけど……さすがに……だめだろ、それは……』


 もごもごと呟くレオを『なにがだめなのよ』と半眼で一刀両断すると、彼は困ったように眉を下げた。


『そりゃだっておまえ……それぞれ人生があるっつーか……。おまえだって、早く女に戻らねえと、……それこそ誰とも結婚できねえだろうが』

『は?』


 思いがけぬことを言われ瞠目すると、レオは真剣な顔で説明する。


『だから。そりゃあ皇子との結婚は嫌だったんだろうけど、おまえだって、いつか誰かを、その……好きになったりするかもしれねえだろ? 女の結婚には適齢期だってあるんだ。いつまでもこんなことやってちゃ、せっかく誰かと家族になれる機会を、ふいにしちまうじゃねえか』


 どうやら、彼は本気でそう思っているらしかった。

 少しだけ金色に近いような、明度の高い紫色の瞳には、なんの邪念も計算も見えない。


 レーナはぽかんとし、――それから、はああ、とため息をついた。


『レオ風情が、適齢期に配慮してんじゃないわよ。主張の飛躍ぶりにびっくりしたじゃないの』

『な、なんだよ、人がせっかく――』

『うるさいわね。いいのよ、別に。……私、入れ替わったままでも、肉体的にも精神的にも異性と結ばれる方法が一つだけあることに、最近気づいたし』


 ちらりと視線を上げ、レオを見つめてみる。

 が、相手はその方法にまったく心当たりがないというように、まん丸に目を見開くだけだった。


『なにそれすげえ! どんな裏技!?』

『……もういい』


 この大馬鹿激鈍守銭奴を相手取るという発想は、もう少し検討を重ねたほうがいいかもしれない、と思ったレーナであった。


 乙女心をかけらも解さぬ美少女面の守銭奴は、仏頂面になったレーナを困惑顔で見やる。

 だが、当面の課題を思い出したのか、その優美な両手でがっと頭を抱え、ぐるぐると唸った。


『とにかく戻るのは大前提だとしてさあ……。俺は、いったいどうすりゃいいんだよ……』


 レオの苦悩は深かった。

 クリスの一件を見るに、愛し子をやめるというのは、物理的にそう難しい作業ではない。ただ「やめます」と宣言すればそれでよいのだ。


 だが――、


(アル様のご加護を手放す……? その御名を放棄する……? せっかく出会えた、大好きな、大好きなアル様の御名を……?)


 心理的負荷が凄まじかったし、アルタがその金色の眉を少しでも悲しげに寄せようものなら、自分はどうにかなってしまうのではないかと思われた。


(あ、でも、アル様は俺の正体を知ってるわけだから、今後は男の俺(レオ)のほうに加護を与えてくれってお願いして――)


 そんな都合のいいことを考え、しかしレオははっとする。


 ――むさ苦しい男じゃない信徒って初めてだったから、女の子のほうが嬉しかったけど。


 ちょっと拗ねたように彼女がにじませた本音を、思い出したからであった。


(だだだだめ!? だめかも!? 男の俺じゃ、アル様的にアウトかも!?)


 本来の自分が、むさ苦しい一匹の守銭奴でしかないことを自覚しているレオは、さあっと青ざめた。


 アルタは「どちらの自分でも受け入れる」と言ってくれていたが、それも結局、この姿をしているレオに対して向けられた発言だ。

 なにせこの姿は、カイやアルベルトといったモテ男たちすら篭絡した魔性のなにか。

 その美少女補正なしにアルタの心を繋ぎ止められるかと問われれば、レオにそんな自信はまったくなかった。


『ど……どうすれば……』


 男の姿に戻って、またじゃんじゃん金儲けをしたい。

 レーナにもさっさと体を返してやりたい。

 だが、アルタがこの体に掛けたであろう加護を手放すのは、あまりにつらい――。


 うがああ、と頭を抱え、俯く。

 そのとき、足元に置いていたバスケットが視界に入り、レオはふと目を見開いた。


 ――互いの姿が見えなくても繋がっている、家族。


(でも……)


 続く言葉を胸の内で唱え、レオは、ゆっくりと顔を上げる。


『た……例えば、なんだけど』


 そうして、不機嫌そうにこちらを見ていたレーナに、恐る恐る、切り出した。


『こういうのは、どうかな……?』

次話エピローグは、半日ほど前倒して、明日8時に投稿させていただきます。

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