33.レオ、脱出する
お待たせいたしました。
「レオ! レオ……!」
レーナは青褪めながら、横たわるレオのもとへと駆け寄った。
が、その体に圧し掛かるようにして昏倒していた男を引きはがすことはしたものの、そこで、つい動きを止めてしまう。
傍に屈みこんで、呼びかけるなり脈を取るなりすればよいとは思うのに、それができなかった。
だって、顔を近づけて、もしその息が止まっていたら。
もし脈がなかったら。
自分は、どうすればいい。
心臓がうるさい。
レオの、力なく閉じられた瞼を、だらりと投げ出された足を、見ていられない。
震えて立ち尽くすレーナの横に、ブルーノが並んだ。
彼もまた、この光景が信じられないとでもいうように、ひどく強張った声で呟いた。
『レオ……なぜだ……』
その掠れた独白をなぞるようにしながら、レーナはぼんやりと思った。
そう、なぜだ。
なぜ、彼が。
『なぜ、こんな……』
なぜこんな目に遭わなければならなかった。
『こんな状況で、後生大事に豚の内臓なんか抱えてるんだ、おまえは……!』
そう、なぜ豚の内臓を――
「――……は?」
レーナはふと顔を振り向けて、まじまじとブルーノを見つめた。
今、この男はなんと言っただろうか。
だがブルーノはそれに答えることなく、はあっと苛立ちを含んだ息を漏らすと――珍しいことである――、レオの傍らに屈みこんだ。
そして、
「おい、ふざけるな。起きろ」
いつもの、あの淡々としたヴァイツ語を口にしながら、がくがくと乱暴にその肩を揺さぶるではないか。
「え? は? え、なに……」
事態に取り残されたレーナは、困惑のままよくわからぬ呟きを漏らす。
というか、見ていて心配になるくらいの揺さぶり方だ。
「ちょ、仮にも、瀕死? 重体? の人間――」
慌てて制止しようと、自らもレオの傍に膝をついたが――
「ううん……解体、ショーを……ツアーの、目玉……」
動くはずがないと思っていた唇から、そんな呟きが漏れ聞こえ、ぎょっと目を見開いた。
「――……は……?」
「新鮮……バーベキュー……B級、されど……グルメ……」
ぐふぐふと締まらぬ笑みとともに紡がれる言葉は、ダイイングメッセージというよりは――寝言。
呆然とするレーナに代わり、ブルーノが顔を耳に近づけ、
『祓え』
「…………! 金貨掴み取り体験んんんん!」
エランド語で低く囁くと、レオはよくわからぬことを叫んで飛び起きた。
愕然としてブルーノを見やれば、彼は無表情で「意識を覆う闇を祓った」と答える。
どうやら先ほど男たちにしたのとは逆の力を行使したらしい。
意識を覆う闇を取り去られて、真っ先に思考に浮上するのが金貨摑み取りとか、とレーナは一瞬つっこみかけたが、いやいや、それ以上につっこむべき状況に思い至り、ひくりと口の端を引きつらせた。
レオの腹から飛び出ていたように見えた内臓。
彼が飛び起きた拍子にべちゃりと音を立てて落下したそれは、よくよく見れば、レオの身体には繋がっておらず、どうやらほかの動物のもののようだった。
ぐっしょりと血を吸った衣装も、目を凝らせばまったく裂けておらず、単に血を浴びただけなのだということがわかる。
肝心のレオ本人も、レーナたちの姿を認めるとぱっと顔を輝かせ、
「ブルーノ! レーナ! 来てくれたのか……っ、…………った!」
喜びの声を上げて、のんきに魔術で喉を焦がしている。
その、窮地に駆けつけてきた友に縋るというよりも、パーティーにサプライズで来てくれた友人を迎え入れるような、口調。
ついで、周囲を見回したレオが、
「あれ……? なぜ、みんな、倒れて……? 集団気絶?」
などと、のほほんと首を傾げているのを見て、レーナはめまいを感じた。
(なんなの、これ……)
レオは、生きていた。
というか、単に、気絶か、寝落ちか、していただけだった――?
「あ…………」
ぶち、となにかが切れる音がする。
「あな……っ、…………!」
あなたねえええ! と叫びかけて、喉をちりりと焼いてしまい、レーナは「うらぁっ!」と床を思い切り蹴り上げた。
『なんなのよ! なんなのよ! なんなのよ……っ!』
素の言葉で話せるエランド語を使ってみたが、それでも、この激しく渦巻く感情はとうてい表現しきれるものではなかった。
いったいどういうことなのだ。
なぜこいつは、血みどろの豚の内臓など抱えて気絶していたのだ。
いったい人が、どれだけ心配したと思っている――!
怒りのあまり一言も発せないという、初めての現象に陥っていると、傍らのブルーノが呆れたように、「なんだ、そののんきな態度は」と舌打ちし、これまでの経緯を問いただしてくれた。
『え? ああ、ごめんごめん、心配して駆けつけてくれたんだもんな。もしかしてブルーノ、この人たち敵認定して倒しちゃった系?』
『……それ以外になんだと』
『いやいや、この人たち、敵じゃないから! 経緯はアレだけど、ビジネスパートナーだから!』
流暢なエランド語で説明しだしたレオに、レーナとブルーノはそろって怪訝な表情になった。
『…………は?』
レオは、どっこらしょとその場に胡坐をかき、倒れた男たちに申し訳なさそうな一瞥を向ける。
そうして、彼が語りだした内容は、こうだった。
水晶で伝えた通り、アリル・アドに捕まり、レオは祭壇に括りつけられていた。
そんな彼を殺すべく派遣されたのが、この男たちだったと。
しかし、「守銭道のお導きのもと」「誠心誠意」言葉を尽くすうち、彼らと打ち解けることに成功。
彼らのうちの一人に鎖を解いてもらおうとしたところ、しかしそこで変な香の影響で男たちがハッスルしてしまい、再度襲われかけた。
絶体絶命というその瞬間、だが奇跡は起こった。
なんと、金の精霊が、自分のことを金貨の中にかくまってくれたのだと――。
『は……?』
『金の、精霊……?』
公式には認められてすらいない精霊の存在を力強く語るレオに、ふたりは胡乱な眼差しを向けた。
とうとう夢と現実を混同したか、とも疑いはじめたが、たしかに祭壇には血塗られた金貨が捧げられてある。
それに、真に驚愕すべきは、その後の部分であった。
『いたんだよ、アル……金の精霊様は! 夢だけど、夢じゃなかった! ――まあそれで、この金の精霊様ってのが、なにかとこう……存在感というか、力の発揮の仕方が、光の精霊と似ててさ。金貨にかくまってくれたときも、ぱーっと光ったりしたもんだから、この人たち、すっかり俺のことを光の精霊の化身か愛し子とでも思い込んじゃったんだ』
『…………は?』
まさかこの、骨の髄までがめつい守銭奴が、光の精霊の愛し子とは。
予想から遥か斜め上に、勢いよく駆け上がっていった事態に、レーナたちは仲よく唇を引きつらせた。
なんでも、レオが金貨にかくまわれていた間、男たちはみな、狂ったように五体投地し、光の精霊を称える聖句を唱えていたらしい。
荒くれ者ほど、奇跡を目の当たりにしたときの改心ぶりは大きい。
聖書で描かれるその法則のままに、彼らは、神聖な光を放って姿を消した少女にすっかり度肝を抜かれ、最も偉大な精霊の怒りを買ってはならぬと、必死に詫びを入れまくっていたのである。
もともと、精霊信仰が強いエランド人だから、という素地もあるのだろう。
そんなわけで、レオが金貨の中から外界――部屋へと戻ってきたとき、男たちは驚愕と歓喜の声を上げ、足元に縋りつきながら「卑しく愚かな自分たちを許してほしい」「なんでもする」と謝罪を繰り返した。
その様子をじっと見ていたレオは、やがておもむろに言ったのである。
あなたたちは卑しくなどない。
この国の誰にも負けない誇りと技術を持っている。
申し訳ないと思うなら、それを自分のために役立ててほしい、と。
『まあ、ありていに言えば、誤解につけこんで、その素晴らしい豚の解体技術を、俺にも教えてほしいってことだったんだけどさー』
なんでまた解体技術など、と眉を寄せるレーナたちに、レオは、ホルモン焼きなどのB級グルメや下町ツアーを核とした、体験型観光ビジネスの構想を語って聞かせた。
『B級グルメツアー……?』
『観光ビジネス……?』
『そう! 特に解体技術については、観光以外にも普通に役立つと思ったからさ。絶対これを身に付けずには帰れない、って思ったわけ。企業秘密だって断られるかなーとか覚悟してたんだけど、「あなたたちと同じものを食べ、同じ土俵に立ちたいんです」って力説したら、なんかぐっときてくれたらしくて』
ちなみに、信仰心に乏しいレオは知らなかったが、「あなたたちと同じものを口にし、同じ大地に降り立ちましょう」というのは、光の精霊が、貧民に慈愛の光を投げかけたときに告げたといわれるセリフである。
まばゆい光とともに帰還し、罪を許し、その身分に囚われずに誇りを認めてくれた美しい少女に、男たちが全身を震わせるほど感動していたことに、もちろんレオは気付いていなかった。
さて、おあつらえ向けに豚の死体がそこにあったので、「さあ! 今すぐ!」とレオは彼らに迫ったのだという。
男たちは少々困惑したものの、おそらくはその凄まじい商魂に呑まれ――実際には神秘がかった少女の言動に圧倒され――、解体ショーを始めてくれた。
血管を極力傷つけない繊細な刃捌き、丁寧な血抜き。
儲けに繋がるそれらの動作を、レオは夢中になって観察し、やがて、ある欲求を抑えられなくなってくる。
『見るだけじゃなくて、感覚を手に叩き込んでおきたいなーと思って』
そう。
自らも内臓の処理をやってみたいと考えたのである。
レオはその衝動のままに、自ら豚の内臓に手を突っ込んだ。
両手いっぱいに引き出したそれの、まずは状態を観察しようとした瞬間――
『そういや床にすんげえ血だまりができてて、うっかり足を滑らしちまったんだよなあ』
つるっといって、後頭部を石造りの祭壇に強かに打ち付けたと、まあ、そういうわけである。
『…………』
『…………』
ブルーノとレーナは、ともに遠い目をして視線をさまよわせた。
そんな状況下で脱出もせず、なにをしているのだこいつは。ああ、金儲けか。
では先ほど男たちは、なぜこぞってレオを取り囲んでいたのだ。ああそうか、介抱するためか。
いくつもいくつも、ツッコミの言葉が湧き上がってきては、それを、怒りと諦念とが入り混じったなにかが打ち消していく。
呼吸五つぶんほどの、沈黙。
やがてレーナは、がくりとその場に崩れ落ち、
『…………もうやだ』
大層悲しげな声で呟いた。
先ほどまでの、自分たちの焦燥はなんだったのだ。
覚悟はなんだったのだ。
謝る、償う、なんでもするから彼の命を救ってくれと、精霊に祈りまでした自分は、いったい、なんだったというのか。
(……ああ。そういえば皇子は、現在進行形でその状態なんだったわ……)
一国の皇子が、悲壮な覚悟を背負って駆けつけているのだと思うと、なんだか滑稽を通り越して悲哀すら覚える。
自分は男嫌いで貴族嫌いのはずなのに、今レーナは、どちらかといえばアルベルトの肩を「どんまい」と叩いてやりたいくらいだった。
『レオ。あなた、アルベルト皇子に一言詫びたほうがいいわよ……。いやむしろ私たち全員に詫びろ。今すぐ爆ぜろ』
『不穏! ていうか皇子? なんで?』
なのに、レオのやつは、不思議そうにそんなことを返してくる。
あげく、レーナが事情をかいつまんで説明すると、彼はさあっと青ざめすらした。
『えっと、つまり、俺の逃亡を察知して、超全力で追いかけにきてる……?』
どうやら、彼の中ではそのような解釈になるらしい。
皇子の恋情を説明してやる義理もなかったが、レーナはいらっとした。
人の焦燥を、……想いを、少しも斟酌せずに、のほほんとしているレオのことが、無性に腹立たしく思えたのだ。
『――……あなた、いい加減にしなさいよ……』
『へ?』
ぐっしょりと血に染まった装束。
周囲に倒れた男たち。
しれっと自力で助かってしまっている状況や、間抜けな経緯にも腹が立つが、――一歩間違えれば、身体を蹂躙され、命を落としていたという事実は変わらない。
なのにのんきに、とぼけたことばかり抜かして。
助かっても、助からなくても大差はないとでもいうように、あっさりと救助の手を払いのけて。
『なんなの……? 私たちが、――皇子も含めた、私たちが、どれだけ心配したと思ってるの……? どうして、それが、わからないのよ……!』
アルベルトが、どれだけ伝えても一向に理解されない好意。
今までは滑稽としか思わなかったそれが、今のレーナには、ひどく苛立たしく、もの悲しく思えた。
だってそれは、レーナも同じだ。
心配して、焦って、必死に差し伸べた手を、「なぜ自分に向けられるのかわからない」と言わんばかりに、あっさりと拒絶される、その衝撃。
『孤児だから? 男だから? 自分には救いの手なんて伸ばされないと思っている? ふざけないで!』
レーナは今、無性に、この少年の肩を揺さぶってやりたかった。
気が付けば、言葉が溢れ出ていた。
『いい、よく聞きなさい。アルベルト皇子はね、あなたのことを処刑しようとしてなんかいない。あなたを、好いているのよ。金貨を授けたのは、婚約者にしたかったから。過剰な護衛を配置するのは、あなたのことが心配だから。あなたが心配で、心配で、仕方ないから、今も徹夜で馬を駆って、エランドに向かっているのよ!』
蝋燭のじじ、と焦げる音以外しなかったその部屋に、レーナの叫びが響く。
レオはしばらく、ぽかんとしていた。
『は……? 皇子が、俺を、好き……?』
そうして、シチューの肉だと思って食べたものが、焦げた小麦粉だった、みたいな、ひどく微妙な顔をした。
『いや、俺、男なんですけど……』
『今のあなたは、どこからどう見ても絶世の美少女なの! いい加減、自覚しなさいよ!』
『あ……? ああ、そっか……。でも、まあ、外見に騙されたんだとしても――いや、いくらそうでも、騙されるかね? だって俺、あいつから二回も金貨奪ったんだぜ? 不敬ばっか働いてるし』
彼は心底不思議そうだった。
『俺、皇子に好かれるようなことって、なんにもしてねえのに、対価もなくなんで――』
対価。
その言葉に、レーナはかっとなった。
『対価じゃないわよ!』
レオがきょとんとする。
その紫色の瞳が、なんの邪気も含んでいないことに、レーナはむしろ泣きそうになった。
『対価じゃない。好意は――想いは、お金みたいに「同じ価値の分だけ返す」なんてものじゃない。あなたが……あなたにとっては、記憶にも残らないような、ささいな言葉や行動が、人の心を揺さぶることだって、あるのよ……!』
脳裏に、孤児院の廊下で交わした言葉がよみがえる。
おまえには親がいるだろうと、思いやるように言われたあのとき、レーナは頭が真っ白になるくらいの衝撃を覚えた。
ブルーノだってそうだ。
きっと、エミーリオやマルセルたちだってそう。
おそらくは、アルベルトや学院の友人たちだって、この、金に汚くて、のんきで、鈍感で――底抜けに優しい少年に、心の真ん中を抉られるような言葉を、放たれたはずだ。
レーナは、正体のわからぬ感情に心臓を震わせながら、ぎっと相手を睨みつけた。
『あなたは、「親の愛すら得られなかった孤児」なんかじゃない。四方八方から、むやみやたらに慕われてる、救いようのない人たらしなんだって――いい加減自覚しなさい、この馬鹿!』
『え、あ……は……』
『返事!!』
『はいっ!!』
やけくそになって怒鳴ると、レオはハンナにでも対するように、ぴしりと背筋を伸ばしてよい子のお返事をした。
レーナはそれを見届けると、ぷいと顔を逸らす。
興奮のあまり、瞳の周囲に滲み出てきてしまった、よくわからない分泌液を、この大馬鹿守銭奴に見られるわけにはいかないと思った。
――のだが。
『……なにしてるのよ、ブルーノ?』
視線を逸らした先で、なにやらブルーノがせっせと男たちを縛ったり、ヤギの首や豚の死体を整列させたりしているのを見つけて、半眼になった。
この男、先ほどから妙に静かだと思ったら、いったいなにをしているのか。
嫌な予感を抱きつつ問うと、
『いや。あまりに闇の精霊好みの準備がされているものだから』
彼はぼそりと答える。
ものだから、の後に続く言葉を、レーナは不幸なことに補うことができた。
――これを使いまわして、闇の精霊を宥める儀式をしてしまおうかな、と。
「…………」
ひくりと、口の端が引きつるのがわかった。
ああなるほど。
たしかに、闇の精霊に捧げるための儀式は「準備」が大変そうだし、すでに夜明けも近いようだから、時間の短縮にはもってこい――。
(……じゃなくて)
レーナは両手で頭を抱えた。
『あんたたち、現金すぎるのよおおおおお!』
危機を脱したとなるや、こちらの心配もそっちのけで自身の道を歩きはじめる男どもを、彼女としては詰ったつもりだったが、ブルーノは「はて」と首を傾げ、レオに至っては、
『え、現金だなんて! そんな……』
なぜか照れたようにはにかみだす。
レーナはもう世界に絶望した。
(精霊よ、これが私の受けるべき報いとでもいうのですか)
そんな悲壮な思いを噛み締めながら。
しかも、レーナが世の無情を嘆いていたら、ブルーノはちらちらと視線を寄越し、「さっさとレオを連れてこの場を出ていけ」とアピールしてくる。
闇の精霊の愛し子として祈りを捧げるところを、見られたくないのだろう。
まあ、レーナとしても、時間を追うごとに事態が大ごとになっている以上、当初の計画を変更し、即刻この場から脱出することに異存はない。
異存はないのだが。
(……なんっか、釈然としない……!)
レーナは、人付き合いにおける葛藤というものを学び、歯噛みした。
『おい、レーナ。大丈夫か? なんか修羅みたいな形相してるけど……。その、心配させて悪かったな。お詫びにこの内臓をちょっと炙って――』
『レオ。脱出するわよ』
歯噛みしつつも、やることはやる。
この大馬鹿守銭奴に合わせていたら、レーナたちはいつまでたってもこのまま、いや、日ごとに事態を悪化させるだけだ。
なぜかやる気満々で燭台を掴んでいたレオを遮り、レーナはきっぱりと告げた。
『今、エランドには皇子だけでなく、彼が招集を託した帝国軍までもが向かっているはず。もはや、のんきに巫女解任時の脱出なんかを狙っていては、間に合わないわ。今すぐ、日が昇りだす前にここを脱出して、国境付近に逃げるのよ』
『お……、おう……!』
レオは急な展開に目を白黒させながらも、こちらの気迫に呑まれたのか、真剣な表情で頷き返す。
『わ、わかった。あ、じゃあブルーノ。おまえも――』
『いや。俺は少し遅れてから行く』
『へ?』
ともに脱出をと呼び掛けたところ、あっさり断られて、レオは首を傾げた。
『え、なんで?』
『それは……あー、俺が誤って倒してしまった彼らの介抱をするからだ。このまま捨て置けないだろう』
あー、だなんて、あからさまにでっち上げっぽい呟きが挟まったが、孤児院では兄貴分として、なにかと介抱役に回ることの多いレオは、その言い訳をすんなり信じたようだった。
『そっか。あ……でもそれなら、俺が介抱したほうが――』
『馬鹿言え。レーナの言う通り、おまえの置かれた状況は相当差し迫ってるんだぞ。ちんたらしてたら、誘拐事件の被害者として厳重に保護されて、二度と脱走できなくなる。さっさと行け』
どこかずれた人の好さを発揮してそう申し出る彼を、ブルーノはばっさりと切り捨てる。
レオは今度こそ、「そっか」と頷くと、意識を失ったままの男たちに改めて視線を向けた。
『じゃあ、悪ぃけど、そこの四人をよろしく頼むわ――……って、あれ?』
だがそこで、ぱちぱちと目を瞬かせる。
『……四人?』
『四人ではおかしいのか』
『たしかさっきまで五人……あっ、タリム少年がいない!』
いったい誰だと問えば、試練中に知り合ったスラムの少年なのだとレオは答えた。
籠でレオを運ぶうちに、すっかりこちらに親しみを抱いてくれていたらしく、小遣い稼ぎにこの仕事に加わったものの、ターゲットの正体がレオだったと気づいて、さりげなく助ける方向に話を誘導してくれたのだという。
『っかしーな、五人の中では一番仲良くなって、――……あ』
首を傾げていたレオが、ふと顔を強張らせる。
『……そういや、頭打って意識を失う直前、「助けを呼んでくる」みたいな声が……聞こえた、気も……』
それを聞いたレーナは、さあっと血の気を引かせた。
タリムの行動は、状況が異なればありがたいものだったかもしれないが――レオの、この破滅的な巡り合わせの悪さを考えると、まずいフラグにしか思えない。
たとえば、うっかり彼が、「光の精霊の愛し子であるレオノーラ・フォン・ハーケンベルグ」について吹聴してまわったり、うっかり、駆け付けた皇子を導いて、引き合わせてしまったり。
『や、……厄介ごとが近づいてくる前に、逃げるわよ……っ!』
レーナは覚悟を決めて、拳を握りしめる。
彼女もまた現金なもので、先ほどまで盟友のようにすら思いかけていたアルベルトを、あっさり厄介ごとポジションに格下げすると、レオの腕を掴んで走り出した。