28.レオ、窮地に陥る(後)
レオはその後なんとか言葉を掻き集め、もごもごと反論を紡いだ。
『や……え、なんで? どうしてこのタイミング? ってか、入れ替わろうにも、この時期のエランドじゃ、魔力使えねえだろ?』
『厳密にいえば、魔力を新たに発動させることができないのよ。以前から発動している魔力は、継続して展開される。私たちが入れ替わったままなのも、言語制限の魔術が続いているのも、そのためよ』
仮説だけどね、と補足し、レーナはさらに続けた。
『この入れ替わりの魔術というのはね、レオ。最初に体を入れ替えた後、魂ともとの身体が引き合うのを阻止するための魔力が、ごく微量に継続展開されているのよ。私はこれまで、それを新たな魔力で打ち消して、再度体を入れ替えることしか考えていなかった。けれどそうではなくて、その魔力を精霊力で枯渇させれば、魂は自然と、もとの身体に向かって解放されるはずよ』
再度「入れ替わりの魔術を展開する」のではなく、「もともと展開されていた入れ替わりの魔術を解消させる」のだ。
それならば、魔力を行使できぬこの環境下にあっても、きっと実現できるはずだと彼女は請け負った。
『そして、それだけの精霊力を確保するための心当たりもある』
そう告げて、彼女はなぜかブルーノをちらりと一瞥する。
レオは額に手を当てて、必死にレーナの説の理解に努めた。
『わかったような、わからねえような……。それって、無理やり魔力切れを起こすってことだろ? 俺、魔封じの腕輪で魔力を減らしちまったときでも、結構しんどかったのに、それって、かなりやばいんじゃねえの?』
思い出されるのは、魔封じを受けていたアルベルトの姿だ。
あのとき、彼はひどく具合が悪そうだったし、侯爵も「生命すら危ぶまれる」とかなんとか言っていた気がする。
なのにそれを実行して、大丈夫なものなのだろうか――レーナが。
だって、もし彼女が魔力をすっからからんにした体に戻ってきたら、もれなく、生命も危ういほどグロッキーな、鎖に繋がれた女の子の出来上がりだ。
そんな状態でこの場から脱走するなど、ほとんど不可能ではないか。
『……うるさいわね。この世のあらゆる物事にリスクは伴うのよ』
『いや、わけわかんねえよ。なんでそのリスクを、おまえが負うんだよ』
『どうせあなた、魔力があってもろくに使えやしないじゃないの。魔力の使えない馬鹿が捕らえられているより、魔力の使えない頭脳明晰な私が捕らえられているほうが、よほど生存確率は上がるわよ。駆けつけようにも間に合わないかもしれない。だったら、なにかと優れた私があなたになって、脱出したほうが早いわ。自明の理でしょ?』
いつもの傲岸不遜な口調で言い放たれたが、レオは騙されなかった。
『話すり替えてんじゃねえよ。俺は、なんで俺がやらかして捕まっちまったのに、おまえが生存確率を上げてくれちゃうの、って聞いてんの』
『……おそらく精霊力を行使するにしても、解消すべき魔力を定義する必要があるわ。そのためには、水晶でこちらとあなたが繋がってなくてはならない。そろそろこの水晶も耐久の限界だと思うから、一度――』
『レーナ!』
『――うるさいわね!』
レオが遮るように叫ぶと、それ以上に大きな声でレーナが叫び返した。
彼女はそばかすの残った頬を赤く染め、きっとこちらを睨みつけていた。
『あなた、ぽやぽや甘ったれた口調で話してるけど、この状況がどういうことだかわかってるの!? 絶体絶命なのよ! 殺されそうになってるの! 死にかけてるのよ、私と入れ替わったせいで!』
その言葉に、そして、見たこともないようなレーナの必死な表情に、思わずはっと息を呑む。
怒りか、苛立ちか。
激しい感情で頬を紅潮させた彼女の顔は、泣いているようにすら見えた。
『あなたにはさんざん事態を悪化させられたけど、もとをただせば、この状況も全部、私が安直に他人と体を入れ替えたから起こってるのよ。そのせいで人が死ぬなんて、はっきり言って想定外だわ。許せるわけないでしょう!? この事態は、私の名に懸けて私が回収する。あなたは――大人しく助けられてなさい!』
むちゃくちゃな理論だ。傲慢な言い方でもある。
だが、その瞳に宿った意志は固く、気迫に満ちた表情は、今まで見たどんな彼女よりも、人間らしさに溢れていて――好ましく思えた。
『レーナ……おまえ』
レオはふと視線を上げて扉のほうを見やり、ついでに小さく口の端も持ち上げた。
『……大概、馬鹿だよなあ』
『はあ!?』
『頭はめちゃくちゃいいくせに、なんかいつも、前提が間違ってんだよ』
そう、と、レオは内心で頷いてみせる。
貴族の男と接したくないからという理由で、バッタと体を入れ替えることを思いついたり、尻拭いをしなくてはならないからという理由で、自ら絶体絶命の状況に飛び込もうとしたり。
その発想は、いつも大胆で、突飛だ。
『孤児の野郎のために、女の子が死ぬなんて、……そっちのほうがよっぽど想定外だし、許されるわけねえだろ。親が泣くぜ』
だがおかげで目が覚めた。
入れ替わることでしか苦境を脱せないのだというのなら、自分は助けを求めるべきではない。
少なくとも、レーナ――横柄で、小賢しくて、妙に責任感が強く義理堅い女の子にだけは、縋るべきではなかった。
『……レオ? なにを――』
『この通信自体は助けにならねえってことだろ。じゃ、悪いけど切るわ。でもって、次におまえが呼びかけてきても、ちょっと取り込んでて出られねえかも』
『レオ……!?』
不穏な気配を悟ったのか、レーナが顔を強張らせて名を呼んでくる。
焦燥に見開かれた鳶色の瞳を覗き込んで、レオは、妹分を諭すようにゆっくりと告げた。
『おまえ、男に襲われかけたりして、男嫌いになったんだろ? じゃあ、……これからしばらく、絶対、水晶再生すんな』
『レオ!? いったいなにを……――!』
水晶に縋りつくようにして叫ぶレーナをよそに、強引に通信を切る。
ぽとりと力なく水晶が手に落ち、やがて溶け消えていくのを確認し、レオは再び視線を上げた。
『――こいつかあ? 穢して殺せっつー女は』
『ヴァイツの女だってよ』
『女っつーか、子どもじゃねえか』
先ほどアリル・アドが出て行った扉。
ぎ……、と開いた、重い石づくりの扉の奥から、何人もの男たちが、ぞろぞろと入ってくる。
イントネーションから察するに、スラムの住人だろうか。
皆一様に上半身を裸にし、顔を識別させないためか、目だけをくりぬいた黒い頭巾をかぶっている。
「……はは」
なんて、絵に描いたような絶体絶命。
レオは、祭壇から上半身を起こしたまま、ぎこちない笑みを貼り付けた。
***
『レオ……!? レオ! ちょっと、やだ、なんなのよ、レオ……!』
唐突に水晶から姿を消したレオに、レーナは錯乱したように叫びつづけた。
「水晶……! 再生を! レオノーラ・フォン・ハーケンベルグの今の姿を! 水晶! 再生しなさい……っ、………!」
ヴァイツ語の呪文を唱え、つい素の口調が出てしまい、喉を焼く。
それでもレーナは、喉を掻きむしるようにして呪文を唱えつづけたが、しかし水晶は淡い光を発するものの、相手の姿を映すことはしなかった。
「レオ……!」
青褪めて叫んだ切り、黙り込む。
無意識に持ち上げた手を額に押し付け、レーナはふらつきかけた。
今、彼はなんと言った。
孤児の野郎の代わりに、女の子が死ぬなんて許されない。
男嫌いならば、水晶を再生するな――?
「なんで、そんな、こと……!」
女の子をかばうヒーローだなんて、柄じゃないくせに。
馬鹿で能天気な、トラブル体質の守銭奴のくせに。
冷静さを欠いた頭に、そんな思いだけが渦巻く。
ブルーノの言っていたことは本当だった。
彼は無償の愛なんて信じない。
というより、自分だって周囲から愛される対象なのだと思いつきもしない。
その命が、自分勝手な女よりも犠牲にされるべき軽いものだと、疑いもしない。
だから、こうしたときに、あっさりとそれを投げ出してしまうのだ。
「冗談じゃ、ない……っ!」
不意に感情が昂り、レーナは泣きそうになった。
今、この瞬間、彼女はこれまでのどんなときよりも痛切に、過去の自分の選択を悔いた。
入れ替わりなどすべきでは、なかったのだ。
人の人生は、安直に、不用意に、蹂躙していいものではなかった。
巡り巡って自分の被害が大きくなるからとか、そういった理由ではなく、その尊厳を守るため、けして手を付けてはいけないものだったのだ。
入れ替わってしまったのなら、なにを措いてでも、自分はすぐに、体をもとに戻す手段を講じるべきだった。
「精霊よ……!」
レーナは生まれて初めてといっていいくらい、心から精霊に祈った。
謝る。
償う。
なんでもするから、どうか自分の代わりに、彼の命を奪ったりしないで。
横ではブルーノも、青ざめた顔のまま立ち尽くしている。
その黒い瞳は強張り、見開かれ、この事態を必死に拒んでいるようだった。
「レオさん! ブルーノさん!」
と、そこに、草木をかき分ける音とともに、カイの声が響いた。
彼は肩で息をしながら、「ここでしたか……!」と、焦ったように二人に告げた。
「どうです!? 精霊からなにか手掛かりは得られましたか!?」
「…………」
咄嗟に言葉が出てこない。
レーナが呆然としたままでいると、その表情を読み取ったカイは残念そうに眉を寄せ、しかしすぐに顔を引き締めた。
「ほかの皆さんと話し合って、殿……アル様とオスカー様で、二手に分かれることにしました。馬車に仕立てるより馬のほうが早いので、二頭の馬をそれぞれに割り振ります」
幸い、馬車を引いている馬は、乗馬用にも調教されていたとのことで、アルベルトが一頭を駆りエランドに急行し、オスカーがもう一頭でヴァイツに引き返して、雪歌鳥とともに状況を皇帝に奏上するとのことだった。
「私と御者は、夜明けを待って山を下り、エランドに向かいます。レオさんたちも、そうされますか?」
きびきびと説明するカイを、ぼんやりと見つめる。
見つめながら、レーナはその脳裏で、目まぐるしく思考を巡らせていた。
(考えろ……考えろ……)
どうしたらレオを助けられる。
この場での最適解はなんだ。
(私には馬を駆れない以上、エランド行きは皇子に託すのが一番速い。でも彼は、レオがどこに囚われているかを知らない)
自分ならば、その場所を知ることができる。
水晶を、再生さえすれば。
覚悟を決めて、レーナは口を開いた。
「カイ。アル……いや、アルベルト皇子殿下は、まだ、そこにいるな?」
「え、あ、はい……馬に水を……、って、『アルベルト皇子殿下』……?」
ぎょっとしたカイに、しっかり目を見つめながら頷きかける。
そうして短く、頼み込んだ。
「皇子殿下に、話させてくれ」
レオノーラ・フォン・ハーケンベルグが攫われた瞬間を再生することで、その本性が露呈し、この入れ替わり劇が破綻することも、あるかもしれない。
脱出は、大いに困難になるかもしれない。
だが――それでも、レオの命が助かる可能性は、高まる。
「重大な手掛かりが、俺の手にはあるんだ」
そう言って、レーナは、水晶を乗せた掌を、カイに向かっておもむろに突き出してみせた。