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無欲の聖女は金にときめく  作者: 中村 颯希
第三部(完結編)
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27.レオ、窮地に陥る(前)

「う……」


  妙な気だるさを感じながら目を覚ましたレオは、横たわったまま、ぼんやりと周囲を見渡した。


(ここ、どこだ……?)


 ひとまず蝋燭がふんだんに灯されているのを視界に収めつつ、ゆっくりと瞳を動かしていく。


(ええと……俺、なにしてたんだっけ……。ああそうだ、サフィータ様がタマナシリウスで……グスタフ先生から逃げて……俺も逃げるから、鳥を処分……そうしたら、爺さん導師がやってきて……それ、で……うおおお!?)


 ちょうど視線を動かした先に、ヤギの生首が置かれているのを見つけて、レオはぎょっと肩を怒らせた。

 その拍子に、足元からじゃらっという重い金属音が響き、思わずそちらを見やる。

 そうして、再度驚愕した。


「な……っ、…………!」


 右の足首が鎖に繋がれ、自分が祭壇と思しき場所に横たわっていることを発見したからである。


「え、……えっ、ええ……っ!?」


 暴言封印の魔術があることも忘れ、レオは素で叫び、喉を焼く行為を繰り返した。


(うおえええええ!? な、なに!? えっ、なに!? どういうことこれ!?)


 そうだ、自分は先ほど、闇の精霊が云々とかいうアリル・アドに、妙な臭いのする布を押し付けられたのだ。

 つまり今自分は、闇の精霊に捧げられる生贄かなにかとして、この薄暗い部屋の祭壇に括りつけられているのだろう。


(いいい生贄!? お、俺、殺されちゃうの!?)


 やはり教会、導師なんていうのはロクな存在ではない。

 レオの大切なタマを、累計三度にわたって狙おうとするとは。


(いやいやいや、我ながらうまいこと言ってる場合じゃねえよ! タマのレベルが跳ね上がりすぎてるって!)


 半ばパニックになりながら己にツッコミを入れていると、


『――おや。目覚めましたかな?』


 ほの暗い部屋の入口付近――ちょうど、豚の死体が置かれている辺りから、穏やかな声が聞こえた。

 皺の刻まれた彫りの深い顔、思慮深そうな灰色の瞳――サフィータの摂政にして大導師、アリル・アドである。


 彼は、手にしていたナイフを飽きたようにその辺に放ると、


『――やはり、下賤な動物の処理は、相応の者に任せましょうか』


 そんなことを呟いて、清潔な靴の先で、豚の死体を脇に押しやった。


『え……、あ、……アリル・アド、さん……?』

『よく肥えたヤギの首、血塗られた金貨に、豚の内臓。闇の精霊はね、欲しがりなのです。おかげでこちらは苦労する』

『え……?』


 呆然とするレオに向かって、アリル・アドはにこりと微笑みかける。

 そうして、少女が鎖に繋がれているという光景にまったく疑問を覚える様子もなく、ゆったりと歩み寄ってきた。


『ですが、今回は、なんといってもこれだけ美しく、聡明な少女を捧げますからね。かの精霊も、きっと満足して、今度こそ私に力を授けてくれることでしょう。あの若造などではなく――この私がエランドを統べるための力を、ね』


 その言葉に、謀反だとか革命だとか、そういった諸々の不穏な要素をかぎ取って、レオはひくりと口の端を引きつらせた。


『……ええ、と……?』


 察するに、若造というのはサフィータのことか。

 つまり、この老人は、後見している元王子を排除し、自らが権力を掌握したがっているものと見える。

 それも、闇の精霊の力を使って。


『ア……アリル・アドさんは、光の精霊を、祀っているの、では……?』


 レオが、まさかね、まさかね、と思いつつ無駄あがきの問いを投げると、老齢の導師は「わかっているくせに」とでもいうように目を細めた。


『今さら、知らないふりなど。私がもはや、光の精霊を呼び出せなくなっていることを、あなたは讃頌の場で見通してしまったわけでしょう?』

『へ……!?』

『精霊珠の汚濁を見破り、あの場に顕現させたのが、光の精霊を模した偽物にすぎぬことを見通した……。なるほど魔力とは、大層な力です』


 そんなもの、まったく見通したつもりはない。

 レオは必死にその旨を訴えたが、もはやアリル・アドは聞く気もないようだった。


『あなたが真実を見通す目などを持ち合わせたのは、災難でしたねえ。精霊に血を捧げるための、戦のきっかけにしようと思っていましたが、気が変わりましたよ。あなたは、この場で殺して差し上げましょう』

『!? や、やめて……!』


 アリル・アドの本気を悟って、レオはぎょっとして叫ぶ。

 しかし、いかにも穏やかに見える老導師は、きっぱりと無慈悲に告げた。


『心配召されまするな。ここは精霊のはじまりの土地。あなたの魂は、最も偉大な精霊様のもとに間違いなくたどり着き、その御心を満たすでしょう』

『ちょ……っ! 勘弁!』


 因果はめぐるとでもいうのか。

 先ほど鳥と交わしたばかりの会話を、ほとんどなぞるようにしながら、レオは懸命に鎖を鳴らし、アリル・アドに縋った。


 しかし彼は、のたうつレオの顎を取り、酷薄な笑みを浮かべた。


『体つきは幼く貧相ですが、まあ、美しいものだ。供物にはうってつけと言えましょう。清らかなる者が穢され、傷つけられるときに上げる悲鳴と血、そして怨嗟は、闇の精霊のなによりの好物。あなたには頑張ってもらわねば』

『ちょ……っ! 冗談! こんなことして、ただで済むと……!』


 もはや口調を取り繕う余裕もない。

 しかし、己の優位と、闇の精霊を呼び出す高揚感に酔っているらしいアリル・アドは、ただ愉快そうに眉を引き上げるだけだった。


『それが、ただで済むのです。なにしろ、情に厚く愚かなる我が主人は、すべての責任を背負い込むのが得意でしてね。少し誘導してあげれば、精霊珠の汚濁の責任も、真の原因を見誤ってヴァイツに喧嘩を売ることも、すべて自ら引き受けてくれる』

『え……?』


 いったい彼が、なにを言っているのかがわからず、レオは眉を寄せた。

 精霊珠の汚濁? ヴァイツに喧嘩を売る……?


 しかし、その疑問に答えることなく、アリル・アドは踊るような足取りで踵を返した。


『そうとも、優しい優しいサフィータ様に奏上せねば。ヴァイツの巫女が見当たらぬと。とびきり焦った顔で、深刻そうに……! それで、この罪すらあやつのものだ!』


 そうして、歌うように叫びながら、等間隔で灯された蝋燭に、怪しげな香をまき散らしていく。


『戦になるかな? なるだろうとも。血と苦しみが地に満ち、かの精霊はそのお力を増す……。仕上げに、あの若造の首をヴァイツに差し出せば、この高貴なるエランドは私のもの……!』


 慈愛深く見えた瞳は、今や狂気に彩られ、優しい笑みを浮かべていた口元には、禍々しい笑みが浮かんでいた。

 アリル・アドは扉の前まで戻り、くるりと祭壇に向かって振り返ると、少しだけ残念そうな顔になった。


『あなたを穢し、その血に手を浸す役割は、私が果たすべきだったでしょうが、それでは辻褄が合わなくなってしまう。ヴァイツの巫女を攫い、闇の精霊に捧げんとした果敢な痴れ者の役目は、豚の処理と同じく、下賤の民に引き受けてもらいましょうね。ここは穢れた血で結界を張った、聖なる精霊にはとても入り込めぬ地下牢の奥深く。どれだけ叫んでいただいても構いませんよ』


 ではまた――あなたの悲鳴と血が、この部屋に満ちるころに。

 そう告げるだけ告げると、アリル・アドは気取った仕草で一礼を寄越し、部屋を去っていった。


「いったい、なにが……」


 残されたレオは、呆然と扉を見守る。


 アリル・アドが、なにやら不穏なことを企んでいるのはわかった。

 どうやら自分がそれを見破ったと思い込んでいることや、サフィータを言いくるめて、すべての責任を彼に押し付けようとしていることも。

 ただ、精霊珠の汚濁であるとか、戦だとかいうのがよくわからないが――


(わかんねえけど、でも、今はそんな場合じゃねえ!)


 異国の導師の野望など、この際どうでもいい。

 とにかく脱出だ。

 ここから去らねば、命が危ういのだ。


 我に返ったレオは、


『ふざけんなあああ! ここから出せえええええ!』


 喉も裂けんばかりに大声で叫んだ。

 エランド語のほうが流暢に助けを請えるというのも、なんだか皮肉な境遇だ。


 が、叫べど叫べど、声は部屋の壁に吸い取られるばかりで、一向に誰も来てくれる気配はない。

 肩で息をし、次いで、鎖に繋がれている足をぶんぶん振り回したり、爪でひっかいてみたりしたが、自らの身体が傷つくだけの結果に終わった。


(やべえ、やべえよ……! 寝台に括りつけられて、タマ切り取られそうになった以来の大ピンチだよ……! 俺の(タマ)と、レーナの身体の貞操が危うい!!)


 リヒエルトの下町でヤな男に絡まれたときには、すっとぼけた勘違いをしていたレオも、不思議なことにエランド語でのその手の恫喝は、相違なく理解することができた。

 ひとえにエランド製官能小説のおかげである。


 それにしてもこの状況というのがまた、あの時の経験を想起せずにはおけない。

 過去のトラウマも手伝って、レオはじわりと冷や汗を浮かべた。

 ちょっと泣けてきそうだ。


『カー様! ……って、金の力じゃさすがに無理か……! ブ……ブルーノ! ハンナ院長! 助けて……!』


 あの時のように助けを乞うてみるが、まさか彼らが、そう都合よく駆けつけてくれるわけもない。

 レオは半泣きになりながら、思いつく人物の名を次々と叫んだ。


『カイ! ……はいなかった、グスタフ先生! ……はさっき、追い払っちまったんだったちくしょう!』


 誰か。

 誰かこの悲鳴を聞きつけてくれる人物はいないか。


『カジェさん! スーリヤさん! スラムの少年! 廊下の衛兵! ――レーナ!』


 ここ最近、通信ばかりしていたために、水晶を再生するときのように、彼女の名前をつい呼んでしまう。


(ああだめだ、ここじゃ魔力は使えねえんだ! 唯一使える水晶の魔術も絶望的かよ……くそっ!)


 わずかに残っていた冷静な思考が、そう断じたとき、しかし意外なことが起こった。


 ――ふわっ


 淡く光の輪を発しながら、手の先に、まさに今思い浮かべていた水晶が出現したのである。


 まさか、と思いながら、恐る恐る、


「……水晶の、再生を。レーナの、今の姿を」


 そう唱えてみる。

 すると水晶がゆらりと光を放ち、次の瞬間、透明な玉の中に慣れ親しんだ自分の――レーナの顔が映りだした。


『レ、レーナ……!? すげ、まじで繋がった……! これってどんな奇跡!?』


 内心、最も可能性が低いだろうと思い込んでいた選択肢が見事実現し、ついそんな感想を抱く。

 しかし相手はなぜか大層ご立腹の様子で、開口一番、こちらを盛大に罵ってきた。


 レオはつい圧倒され、状況も忘れてその怒りの叫びに耳を傾けたが――


『……すげえ』


 内容を理解すると、今度はまた異なる驚きから、しみじみと首を振った。


『なんでわかったの?』

『――……は?』


 訝しむように眉を寄せたレーナに、状況が伝わるよう、水晶を上空へと浮かび上がらせる。


『俺……まさに、その状況なんですけど』


 絶句しているレーナに、「ですよね……」と乾いた笑いを漏らしつつ、レオはこれまでの経緯をかいつまんで説明した。


『……というわけで、なんでだか知らねえけど、アリル・アド――その大導師の中で俺、陰謀を見破ったことになってて、口封じ兼、そいつの信仰する闇の精霊の生贄にするべく、絶賛囚われ中でして……』


 どうやらブルーノも横で水晶を覗き込んでいるらしく、険しい表情を浮かべている褐色の顔が、半分だけ見える。

 彼はなぜか、レオがアリル・アドの名を出したとき、一瞬痛みをこらえるように口の端を歪め、『呑まれたか……』と小さく呟いた。


 その意味を捉えそこね、レオがブルーノの名を呼び掛けたとき、


『……あなたは……』


 それまで黙って話を聞いていたレーナが、這うような低い声で唸りを上げた。


『あなたって……いう人は……!』


 彼女は血の涙を流さんばかりの顔つきになって、ぎっとこちらを睨みつけてくる。


『魔術発表会のときといい、今回といい、……どうしてそうほいほい、不用意に陰謀を暴いちゃうのよおおおお!』

『どっちも俺の意志じゃねえよおおおお!』


 なのでレオも叫び返した。

 そりゃあ、よくわからない事態に巻き込まれてばかりの、このトラブルほいほいのような体質もどうかと思うが、やはり陰謀を企むほうが悪いと思うのだ。


 ぎゃあぎゃあと叫びあっていると、水晶の向こうでブルーノがレーナを押しのけ、画面を占拠する。


『それで、レオ。そこがどこだかわかるか』


 幼馴染の、安定した冷静な声に我に返ったレオだったが、しかし周囲をきょろきょろと見回して、情けなく眉を下げた。


『ええと……悪いけど、さっぱりわかんねえ。地下牢だって、あいつは言ってたけど』


 だが、それではいくらエランド人のブルーノとはいえ、場所を特定するのが難しいのだろう。

 彫りの深い顔に焦燥の色を浮かべた。


『なにか……ほかの手掛かりはないのか。壁の石のつくりや、広さとか――』

『この通信を切って、水晶に、レオの捕まった直後を再生させたほうが早いわよ』


 水晶の活用法に明るいレーナがそう遮る。

 彼女も焦りに顔を強張らせつつ、早口でレオに告げた。


『いい、レオ? よく聞いて。一度通信を切って、あなたのいる場所を確認するわ。すぐにこちらからまた水晶で呼びかけるから、必ず応じて。そうしたらその後――』


 そして、レーナは驚くべきことを言いだす。


『私たち、入れ替わるのよ』

『――……は?』


 レオは状況も忘れて、ぽかんと口を開けた。


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