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無欲の聖女は金にときめく  作者: 中村 颯希
第三部(完結編)
133/150

25.レオ、雪歌鳥に告げ口される(前)

 凄まじい勢いで夜道を駆る馬車が、激しく地面を蹴って上下に揺れたとき、カイはしたたかに天井に頭を打ち悲鳴を上げた。

 もう六回目のことだ。


「大丈夫かい?」

「は……はいっ、騒がしくして申し訳ございません!」

「いいや、こちらが急かしているせいだしね。君のように元気だと、僕も少しはほっとするよ。――大丈夫ですか、オスカー先輩?」


 髪を黒く染め、平民のような身なりをしたアルベルトは、穏やかにカイに告げてから隣の席を一瞥した。

 そこには、ぐったりとしながら口元を押さえる商人の息子の姿があった。

 窓枠に手を掛けて背中を丸める様は、いつもの兄貴然とした男ぶりとはかけ離れている。


「いくらなんでも……飛ばし、すぎだろう……」


 彼は、精悍な顔を青ざめさせて、そう弱々しく漏らした。

 対するアルベルトは、軽く肩をすくめるだけだ。


「たしかに、移動陣五連続の後の獣道は、なかなかこたえますよね。ですが、これが一番速く着きますし、カイは馬車どころか早馬で同じことをしてきたわけですし」


 そう。

 彼らはカイの陳情を受けた後、即座に移動を開始したのであった。

 それも、通常の五倍ほどの速さで移動陣を展開した挙句、商会お抱えの御者を攫うようにして馬車を駆らせて。


「あ、いえ……申し訳ございません、私も馬とはいえ、もう少し平坦な道を使わせていただきました」


 往路よりもよほど素早い、しかしそのぶんハードな復路に、カイが小声で訂正を入れた。


 最速の移動手段を買い上げるとの宣言どおり、アルベルトの行動は徹底していた。

 魔力消費量の大きい複雑な移動陣をいくつも描き――これで魔力を減らせるのでちょうどいいと、彼は爽やかに笑っていた――、価格表も見ずに最速と評判の馬車を選び。

 エランド人の御者を相場の五倍近い値段で買い上げ、彼が獣道の走行を渋ると、都度優しく声を掛け、さりげなく貨幣を差し出しながら、その尻を叩きつづけたのである。


「まさかこんなに早く、エランドに戻ってこられるとは……。皆さん惜しみなく協力してくださって、これも殿下の人徳の賜物ですね」

「……馬鹿言え。こういうのは、買収に恫喝と言うんだ」


 純真なカイが感心したように言えば、オスカーがげんなりと指摘する。

 こんなにも優雅に金で頬を叩く人間を、彼は初めて見た。

 出発前、ロルフが「僕は足手まといになるだけだから、留守番してる!」と告げたとき、なんと薄情なと思ったオスカーだったが、今は心底、親友の賢明さをうらやましく思っていた。


 アルベルトは二人のどちらの発言も否定することなく、ただ「緊急事態ですから」と微笑んだ。


 と、そのとき、馬が激しくいなないたかと思うと、馬車が突然止まった。

 大きく揺さぶられたはずみで、カイは座席から飛び落ち、オスカーも少し腰を浮かせたが、アルベルトは滑らかに振動を躱すと、ただ片方の眉を上げた。


「……おや。また休憩の交渉でしょうか」


 先ほどから、予想を上回る強行軍に悲鳴を上げた御者が、時折「枝が張り出している」とか「獣の気配を感じた気がした」などと言っては、馬車を休めようとしているのである。

 都度、アルベルトが「優しく励まして」走らせていたが。


 もう一度「きちんと話をしてきますね」と、自ら座席を立とうとした皇子を、見かねたオスカーが腰を浮かした。


「……おい、待て。多少の休憩は必要だ」

「わ、私が様子を見てきますね!」


 素直に感心している場合ではないらしいと察した、空気の読めるカイが、慌てて立ち上がる。

 エランド語の不得意な彼は、頭の中で必要な単語を整理しながら座席を出て、御者台に身を乗り出したが――


「あれ……? レオさんに、ブルーノさん……!?」


 困惑顔の御者の視線の先に、見知った人物を発見し、大きくアーモンド形の瞳を見開いた。




***




「あの、レオさんもよければどうぞ。この干しぶどう、おいしいと評判なんですよ」

「どうも……」


 カイが差し出してくれた干しぶどうを受け取って、レーナはもごもごと礼を述べた。


 どうやらカイは、このメンバーの中にあっても、自身が給仕をする係と認識しているらしく、先ほどからせっせと、慣れぬ手つきで火を起こしなおしたり、間食を支給したりしているのである。

 野外にあっても、見上げた従者魂であった。


「あ、オスカー様は、甘いものはお好きではなかったですよね。でしたら、こちらを……」


 カイが妙に高い侍従スキルを披露して、次から次へと食べ物を袋から取り出すのを横目に見ながら、レーナは周囲に改めて視線を配る。


 自分の隣にブルーノ、反対側にカイ。

 その隣にオスカーとかいう商人の息子、そして――


(まさかこんな場所で出会おうとはね……)


 焚き木を挟んだ向こう側に座る美貌の青年に向かって、彼女はつい警戒するように目を細めた。


 髪こそ黒く染めているようだが、高く通った鼻梁、透き通るようなアイスブルーの瞳。

 生まれついての王者の威厳と、カイの態度を見ていれば、さして思考を巡らせずともその正体がわかる。

 帝国第一皇子・アルベルトだ。


 先ほど、大ぶりな馬車が急停止し、座席からひょっこりとカイが顔を出したとき、レーナは思わず「……は?」と間抜けな声を上げるほど驚いた。

 だって彼は、レオとともにエランドの首都にいるはずだったからだ。


 なんとなく嫌な予感を覚えていると、カイのほうもこちらに驚いたようで、「なぜこんな場所に!?」と馬車から飛び降りてきた。


 そうしてレーナが適当な答えを返そうとしたその矢先に、


「――カイ。どうしたんだい?」

「トラブルか?」


 そんな声とともに、座席からあと二人の人物が顔を出したのである。


 ひとりは、黒っぽい髪に藍色の瞳をした精悍な青年、そしてもうひとりこそ、精霊じみた容貌をした青年――アルベルトであった。


 はっとしたカイが、彼らに向かって「あ、こちらはレオノーラ様が慰問で行かれた孤児院でのご友人でして、例の、陣を共同開発された……」とへりくだって説明する様子や、レーナたちに「ええと、この方々は……レオノーラ様の、学院のご友人です」と躊躇いがちに伝える様子から、レーナは即座にその正体を察した。


 「レオノーラ」の周囲にいて、陣ビジネスのことまで把握している、美貌の青年。

 そんな人物が何人もいたら、たまったものではない。


 カイに事情を問いただすことも忘れ、天敵に出会った蛙のように硬直していると、なぜか相手も、こちらを見てはっと見開いたようだった。


「――……君は……!」


 ところが、


『なんなんです、あんたたち知り合いなんですか!? こんな獣道に突然出てくるから、闇の精霊の眷属かなにかと思ったじゃないですか! もう嫌だ、こりごりだ、俺も馬も、視力も体力も気力も限界ですよ! ちょっとは休ませてください!』


 事情は知らないが、疲弊しきっていたらしい御者が突然そう叫び出したので、カイたちは互いに顔を見合わせると、気まずげに休憩を切り出した。

 そうして、「あの、よければレオさんたちも……」とカイが提案してきたので、レーナたちもまた、なし崩し的に、彼らと火を囲むことになったのである。

 ちなみにくだんの御者は、馬たちの世話を終えた今、ぐったりと土に横たわっている。


 さて、なぜまたカイと皇子がこの場にいるものか。

 状況を掴みかねて、レーナがじっと相手を窺っていると、彼のほうから、こちらに向かって声を掛けてきた。


「――……レオノーラの慰問先の孤児院というと……君はもしや、東地区のあたりの子だね?」

「……はあ。まあ」


 なぜそんなわかりきったことを、と思い、短く答えると、アルベルトは今度こそはっとした顔になった。


「ではやはり君だ! なんという運命だろう。君は僕のことを、覚えているかな?」

「……は?」


 初対面の相手に、素面(しらふ)で「運命だ」などという人間がいたら、それは頭がスイーツな貴族野郎か、さもなくば腹黒詐欺師だ。

 レーナが警戒心を最大レベルにまで引き上げて、つい唸るような返事を寄越すと、不意に横から声が上がった。


「オゥ、もしやあなたは、二年ほど前、お忍びで下町を出歩いているところをごろつきに絡まれて、レオに助けられ、礼として金貨をかっぱらわれ……もとい、授けたという高位貴族の息子サンではあーりませんか? 伝聞ですが」


 カイの手前、怪しげな口調を維持しているブルーノである。

 説明的すぎるセリフだが、おかげで状況を察したレーナは、さっと顔を強張らせた。


(ちょ……っ、聞いてないんですけどそんなこと……!)


 レオよ。

 おまえが魔術発表会の場で金貨を奪ったということは聞いていたが、それが初犯でなかったとは初耳だ。


(ってことは待って? この皇子とレオは、私と体が入れ替わる前からの因縁ってこと?金貨を奪われたというのが本当なら、皇子にとっては、レーナの姿のレオ(レオノーラ)ばかりか、もちろん(レオ)も追跡の対象ってことで……。ちょ、え、どう振舞えばいいの? 事前情報がなんにもないんですけど!)


 なんと厄介な状況だ。

 先ほどブルーノの思い出話を聞いていたときは、レオが病から回復したあたりで密かに胸を撫でおろしていたレーナだが、今はそんな自分を張り飛ばし、レオの息の根を止めてやりたかった。

 あいつは、呼吸するように厄介ごとを生成する、まごうかたなきトラブルメーカーだ。


「ああ、その通りだ。……が、残念ながら覚えていない、のかな?」

「え、あ……その……」


 レーナが静かにパニックに陥っていると、ブルーノが、


「ああ。こちらのレオは、少し前に強く頭を打って死にかけて、記憶がいろいろと曖昧なのですネ」


 いけしゃあしゃあと苦しい言い訳を投げてよこした。

 三文小説だって採用はしないだろう、むちゃくちゃな理由だ。


 しかし、アルベルトは思わし気な表情になると、


「それはもしや……霜白月くらいのことかい?」

「ああ、そうかもしれませんネ」

「死にかけた……だからあのとき金貨が戻ってきたのか……」


 聞き取れないほどの小声でつぶやいて、なにかに納得するようなそぶりを見せた。


「アル様?」


 考え込むような様子の皇子に、カイが心配そうにそう呼びかける。

 どうやら、一応は皇子の身分を伏せている態であるらしい。

 アルベルトは顔を上げると、標準装備とおぼしき穏やかな微笑を浮かべた。


「――いや。そうか。それは残念だが、では改めて自己紹介させてもらおうかな。アルだ。レオノーラと同じ学院に通っている。君のことはカイから聞いているよ。レオノーラとともに、水を召喚する陣の構想を練るような、優れた頭脳の持ち主なんだってね」

「はあ、まあ……」


 手紙の検閲をなくしたいがばかりに、レオがこしらえた設定が、実にナチュラルに広まっている現状に少し慄きながら、レーナは曖昧に頷いた。


「レオノーラも君のことを大層慕って、よく孤児院に足を伸ばしているとか。毎日のように手紙を交わすくらい、仲がいいらしいね」

「はあ。まあ……。連絡を絶やすと不安になるし、あいつも不安がるんで」

「――へえ?」


 レーナはあくまで入れ替わり事情的な観点で答えただけだったが、皇子がにこやかに、けれど少しだけ低い声で相槌を打ったのに気づき、ついまじまじと相手を見つめてしまった。


 柔和な笑み。

 穏やかな青い双眸。

 しかし、――ほんのわずかに感じ取れる、反発。


 レオよりも数倍、こういった負の感情に敏感なレーナは、その正体をすぐに理解することができた。


(……もしかして)


 胸によぎったひらめきが促すまま、ふとこんなことを言ってみる。


「まあ、なんていうか、俺ってあいつの最大の理解者なんで。下町での生活も、あいつの価値観も手に取るようにわかるから、あいつも俺と話したがるんじゃないかなって」

「……彼女の心に寄り添える人物がいるというのは、僕としても喜ばしいね」

「え、それって誰視点すか。兄貴? 恋人? まさかね」

「…………」


 アルベルトが穏やかな笑みを絶やさぬまま、ごくごくわずかに不快の感情をにじませたのを、レーナは笑いをこらえながら見守った。

 そして、確信した。


(こいつ、私に嫉妬してる!)


 どうやら、この大陸一高貴な美貌の皇子は、守銭奴美少女レオノーラに恋するあまり、女である自分に嫉妬しているようであった。

 これほど滑稽な話があろうか。


 それに孤児院では、レオと子どもたちの絆の深さに、自分のほうが圧倒されることはあっても、「自分とレオの仲がよすぎて嫉妬される」などということはまずなかった。


 我ながら趣味が悪い。

 でも、……実に気分がよかった。


「ああ、そういえばあいつ、皇子サマの婚約者候補だなんて噂が立ってるみたいだけど、言わせてもらえば、俺のほうが皇子サマなんかより、ずっと本当のあいつをわかってやれるんじゃないかな」


 レーナは、性格の悪さを重々自覚しながらも相手が正体を明かそうとしないのをいいことに、ついねちねちとアルベルトで遊びつづけた。

 だって、「嫉妬される」だなんて、初めてだ。

 それに、嘘は言っていない。


 さらに言えば、貴公子然とした微笑みを強張らせはじめている皇子というのが、なかなか面白い。

 思い描いていたよりずっと人間臭い彼に、ちょっとハマりそうだ――玩具という意味で。


「……へえ」

「俺とあいつって、運命共同体というか、体か心を共有でもしてんじゃねえか、って思うこともあるんでね。まあ、皇子サマなんかには――」

「それで」


 しかし、浮かれて調子づいていたレーナを、ブルーノが遮った。


「皆さんは、なぜここにいるのでしょうカ?」


 その言葉ではっとする。

 珍しい経験にはしゃいでいる場合ではなかった。


「私は、見ての通り、エランド人ですからネ。友人のレオとともに、契約祭のエランドを観光しようとして、……まあ、残念ながら路銀が足りず、馬車を下ろされてマシて。歩き回って、迷ってしまったのですが、皆さんはなぜここに?」


 ブルーノは、口調こそ胡散臭いが、実に如才なく、レーナたちがここにいる事情をごまかす。

 するとカイが、「それは災難でしたね」と嘆かわしそうに眉を寄せ、ついで回答に悩んだようにアルベルトを仰ぎ見た。


「――……僕たちも、契約祭の様子を見に行こうと思ってね」


 アルベルトは、隣のオスカーと素早く視線を交わし合い、身分は明かさないながらも、ある程度の事情を話すことを決めたようだった。


「実は……レオノーラが――寿ぎの巫女として、ヴァイツを代表して派遣されているはずの彼女が、エランドから嫌がらせを受けていると聞いて。居ても立ってもいられなくなって、様子を見に、エランドに急行している最中なんだ」

「……なんだって?」


 思わぬ話に、レーナとブルーノは顔を見合わせた。


 半ば予想していたとはいえ、アルベルト一行の行き先はレオ――レオノーラの元だった。

 もしこのまま駆けつけられてしまえば、脱走の難易度が一気に跳ね上がる。


 まあ、まだ正体や脱走の気配を察知して追い詰めにかかった、といった事情でなくて幸いだが、それにしてもレオが嫌がらせに遭うなどという図が腑に落ちず、レーナは怪訝な顔になる。

 すると、カイが説明役を買って出てくれた。


 とても国賓とは思えぬ環境に住まわされていること、試練の名のもとに、照り付ける太陽のもとをぼろ切れをまとって歩かされ、ごみの山に引き倒されたことなど。


「それでも、レオノーラ様は健気にも、不平のひとつも漏らさず……! ですが、見ているこちらが限界ですし、最終日の明日――いえ、もう今日でしょうか、事態がますます悪化して、一層レオノーラ様が傷つけられるようなことがあったらと思うと、私はもう、我慢できなくて……!」

「それは……」


 レーナたちは少々困惑した。


 それはたしかに、国賓という身分に照らせば、なかなかの侮辱にも思えるが、下町暮らしを経験している自分たちからすれば、別にいちいち騒ぎ立てる必要もない気がする。


 下町経験半年に満たない自分ですらそう思うのだ、レオのやつなら、むしろその状況を楽しんですらいそうである。


 自分も随分、下町の価値観に馴染んだものだ、と、レーナが少し感慨深くなりながら、宥める言葉を口にしようとすると、感情を昂らせたカイは、つらそうに手で顔を覆って叫び出した。


「古着に、劣悪な衛生環境。粗末な食事……レオノーラ様の忌まわしい過去を刺激せぬよう、私たちが切り離そうと、もっとも心を砕いてきたことだったというのに……!」

「……ああ……なるほど」


 どうやら、「過去に虐待を受けてきた哀れな少女」という妄想のために、事態の悲惨さが下駄を履いてしまっているらしい。


「……いやあ、でも、ほら、あいつって芯がしっかりしてるから、意外と――」

「だからこそです! 卑しい下町の娘などという、謂われなき悪評を退けんとする強いお覚悟……なまじ芯が強すぎるだけに、このようなひどい悪意に晒されても、ご本人は耐え忍ぼうとしてしまわれるのです……!」

「……謂われなき、悪評……?」


 卑しい下町の娘、というワードに聞き覚えがあって、レーナが顔を強張らせると、カイは、こちらに同意を求めるように強く頷きかけた。


「ええ。レオさんが以前、拡散を食い止めようと奔走してくださった、怪文書がありましたでしょう? あれが……どういった経路を伝わってか、主人のもとに送りつけられ、その目に触れてしまったのです。レオノーラ様は焼いて隠そうとしていらっしゃいましたが……。そんなひどい中傷をされてなお、いえ、だからこそ、試練に立ち向かわれている主人を思うと、お痛ましくて……!」

「…………!」


 諸々の事実がばちりと繋ぎ合わさり、レーナはさあっと青ざめた。


 どういった経路というか、あれはレーナが送りつけたものだ。

 レオや子どもたちのやらかしたことを、自分ばかりが奔走して尻拭いしているのが苛立たしくて、腹立ちまぎれに現物を一枚封入したのだった気がする。

 ほら見ろ、こんなものが出回っているのだぞ、こちらは大変なのだぞと。


(……よ、余計なことするんじゃなかった……っ!)


 いや、でも、自分はたしかに焼いて捨てろと手紙に書いたはず――ああそうか、それが余計に事態を悪化させたのだ。


(ああもう、なんでこうなるのよおおお……っ!!)


 ことレオに関しての、この手の事態の悪化ぶりには、頭を抱える思いだった。

 やることなすことが、すべて裏目、裏目になっていくこの感じはどうだ。


 聞けば、「レオノーラ様」が今回のエランド行きを承認したのも、そもそもを言えば、巫女の役割が彼女に回ってきたのも、元を正せば、この怪文書の存在があってのことらしい。


 たった一つの過ちが、どんどん、どんどん大事になっていくような感覚を覚えて、レーナはふと背筋を粟立たせた。


 今はまだ彼らも、様子見くらいのことしか考えていないようだが、これがまかり間違って、「少女が不当に、手酷く扱われている」という確信を得てしまったら、どうなるのだろう。


(せ……戦争なんて起こらないでしょうね。冗談じゃないわよ!?)


 冗談じゃない、とは思うが、各国の歴史書を紐解いたことのあるレーナは知っている。

 古今東西、戦争のきっかけは、実にくだらない出来事だったりすることを。


「ま……、まあ、ちょっと落ち着いてみれば!? たしかに痛ましい状況かもしれないけどさ、本人が気にしてないならいいじゃないか。なにも殺されかけたってわけじゃないんだ、きっとレオノーラ様だって、不用意に騒がれるのは喜ばないと思うな。うん、そう思うな!」


 レーナは冷や汗をかきながら、事態の回収にこれ努めた。

 皇子一行を、できるならエランドに近づけたくないし、とにかく自分たちの行動が原因の戦争など引き起こしたくない。


 アルベルトも、


「そうだね。周囲が過剰に騒ぎ立てるのは、レオノーラも望むまいと思うからこそ、僕たちもこうしてお忍びで来ているわけだから。エランドは精霊の国。ヴァイツ人が妙な介入をするのはご法度だ。僕たちも、レオノーラが強い危機にさらされているのでなければ、事を荒立てるつもりはけしてないよ」


 そんな言葉とともに、ひとまずは冷静に事態を受け止めている旨を告げる。


 少しだけ安心したレーナが、ここぞとばかりに説得を重ねようとしたとき、しかしそれは起こった。


 ――バサバサバサ……!


 上空から力強い羽ばたきが聞こえたかと思うや、突然、焚き木の周囲に白い鳥が舞い降りたのである。



誤解爆弾、着弾。

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無欲の聖女4
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[一言] 《私》に恋するあまり《私》に嫉妬… 大変ややこしい
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