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無欲の聖女は金にときめく  作者: 中村 颯希
第三部(完結編)
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9.レオ、お幸せな人である

 カジェ・タルムエルは、簡素な枠のはまった窓から太陽の位置を確認し、おおよその時間を把握すると、同僚であり妹分でもあるスーリヤに『そろそろだね』と話しかけた。


 部屋の奥の椅子でまどろんでいたスーリヤははっと飛び起き、


『も、もう来た!? もう来ちゃった!?』


 と慌てて顔を擦る。

 そうして、お仕着せのローブを慣れぬ手つきで整え、『なんだ、まだじゃないのさ』と口を尖らせながら部屋の入り口を見た。


 寿ぎの巫女付きの女官がまとう生成り色のローブは、シルエットを隠すように全身を覆っているが、わずかに覗く褐色の肌には十代ならではの張りがあり、豊かに波打つ黒髪もつややかだ。

 釣りあがった茶色の瞳のせいで気が強そうに見えるが、くるくると表情の変わる顔には愛嬌がある。


 彼女は、スラムの中でも可愛がられているその人懐こさを存分に発揮し、リーダー格のカジェに『ねえねえ』と気安く話しかけた。


『レオノーラ・なんちゃら様とやらはさ、この部屋を見たらどんな反応をするだろうねえ? 怒る? 呆れる? それとも泣き出しちゃったりして!』


 対するカジェは、つまらなそうにふんと鼻を鳴らすだけだ。

 スーリヤと同じ、褐色の肌に黒髪。

 ただし、きつくひっつめた髪と灰色がかった瞳のせいで、せっかく見目好く整った顔が、冷酷そうに見える。年の頃は、二十を少し超えたあたりか。


 カジェはじろりと妹分を睨みつけると、


『泣きだしちゃったりして、じゃなくて、泣いてもらわなきゃ困るんだよ。あたしたちは、そのためにここにいるんだから』


 のんきな発言をたしなめた。


 叱られたスーリヤは、『はーい』と答えながら、ぺろっと舌を出す。

 そうして、ぐるりと部屋を見回した。


『ううん。日当たりの超悪い、じめじめした暗い部屋。みすぼらしい寝台、埃っぽい床! ときどき便所虫のおまけつき。最高だね。最悪って意味だけど。あたしらの住むスラムにも張るんじゃない? よく聖堂の中に、こんな部屋があったよねえ?』

『元は囚人や政敵を閉じ込める座敷牢だったらしいよ。まったく、無欲と慈愛を掲げる教会なんて、よく言ったもんだ。政敵はぽんぽん閉じ込めてさ、年端も行かない女の子だって、同じ場所に閉じ込めて嫌がらせしようってんだから』

『ほんと、貴族連中って陰湿だよねえ』


 スーリヤは軽く肩をすくめてから、ちらりとカジェを見やる。


『……ねえ、カジェ。まさか、同情してんの?』


 そう尋ねると、カジェは呆れたように、はっと息を吐きだした。


『まさか。レオノーラとやらだって、あいつらと一緒さ。貴族――あたしらを搾取する側の人間だ。今までさんざん贅沢してきたんだろ。それなら、たかだか三日くらい、しんどい目を見てもらわなきゃあ、割に合わないじゃないか』

『だよねー』


 スーリヤがきゃらきゃらと笑う。

 その声は無邪気だったが、細められた瞳には、まるでネズミをいたぶる猫のような残酷な光が浮かんでいた。

 貧民街で育ってきた彼女たちは、基本的に、持てる者に対して冷淡だ。


 エランドの中でも最下層の身分に位置する彼女たちが、寿ぎの巫女付きの女官などといった「名誉職」を務めているのには、ちょっとした事情があった。


『いけすかないヴァイツの貴族の女を、キレるほど追い詰めたら、銀貨三枚。導師様に見初めてもらって、あたしたちラッキーだね、カジェ』

『……ああ。一生洗濯女かゴミ漁りで終わるはずだったあたしたちにとっては、大金星だ』


 そう。

 もともと聖堂付きの下女だった二人は、一週間ほど前に、大導師の使いを名乗る人物に雇われたのだ。


 依頼内容は至極単純。

 寿ぎの巫女としてやってくるレオノーラ・フォン・ハーケンベルグの心をくじき、母国に泣いて縋るように誘導すればよい。

 ヴァイツから抗議を引き出せたら銀貨一枚、兵力をわずかでも動かさせたらもう一枚、レオノーラにエランドを罵らせたら、さらにもう一枚報酬を弾んでくれるとのことだった。


 明らかに黒い背景を抱えていそうな依頼だったが、カジェたちはその真意を探ろうとはしなかった。

 エランドにおける貴族、つまり教会の腐敗など今に始まったことではないし、おおかた、権力を求めて画策でもしているのだろう。


 そんなことより、三日言うとおりにするだけで、大金が手に入るということのほうが重要だった。

 エランドは厳しい身分社会。

 スラム育ちでは、どんなに働いても、具のないスープを啜るのがやっとだが、銀貨三枚があれば、そこに肉を入れられる。


 傷つける対象がヴァイツの女ということなので、なおさら問題なかった。

 特に圧政を強いてこないヴァイツを、カジェたちは憎んでいるわけではないが、もちろん好んでいるわけでもない。


『いとも尊きレオノーラ様。哀れで無力なあたしたちのために、どうか犠牲になっておくれよ』


 カジェが傲岸不遜に言い切ったとき、扉の向こうから静かな足音が聞こえた。

 ふたりはさっと視線を交わし合う。


『――来たね』

『ああ。これ以降は、依頼の話は禁止だよ、スーリヤ』

『了解。ま、相手は外国人なんだし、早口のスラングで話せばわからない気もするけどね。エランド語は大陸一難しいって言うし、標準語も聞き取れないんじゃない、その子?』


 スーリヤなど、にんまりと猫のように笑ってみせたのだが――


『失礼いたします』


 静かなノックののち、すっと小さな足を踏み入れてきた少女を見て、二人は言葉を失った。


 真っ先に目に飛び込んできたのは、暗い部屋にあってなお白く、美しく整った顔。

 こぼれそうなほど大きな紫の瞳は、まるで朝露を含んだ菫の花のようで、可憐な唇は陽光のもとほころぶ薔薇のようだった。

 睫毛は溜息が出そうなほどに長く、少女が瞬きするたびに淡い影を落とす。


 肩に流された黒くつややかな髪、きゃしゃな手足。

 手本のような立ち姿。

 旅装なのだろう、シンプルな薄墨のドレスであってさえ、少女の美しさはまぶしいほどだった。

 そのほっそりとした手には、同じく優美な白い鳥の収まった籠がある。


『ひ……光の精霊……?』


 先ほどまで軽口をたたいていたスーリヤが、ついそんな呟きを漏らす。


 そう、瞳の色こそ違えど、その人間離れした美貌と黒髪は、見る者に光の精霊を思い起こさせた。

 籠の中の白い鳥は、さながら精霊の使いといったところか。


 カジェも思わず、少女にくぎ付けになってしまっていたが、はっと我に返り、隣のスーリヤをこっそりと小突いた。


(……こりゃ、手ごわいね)


 内心ではひそかにそんなことを思う。

 敬虔な精霊教信者であるエランドの民からすれば、こんな光の精霊のごとき少女をいたぶるなど、それだけで精神的にためらわれた。


 だが――


(だが、仕事は仕事だ。悪く思いなさんなよ)


 銀貨三枚は大金だ。

 貧民の彼女たちなら、半年は食うに困らぬ額である。


 もとより誇りも人並みの感情も認められぬ身分。

 生活のためなら、光の精霊への信仰だって踏みにじってみせる。


 カジェはぞんざいに一礼すると、特訓してきた早口の標準語で話しかけた。


『ようこそエランドへ。わたくしは巫女付き女官のカジェ。こちらはスーリヤ。明日より始まる三日間の契約祭の間、あなた付きとなります。ただし、わたくしどもはあなたの使用人ではない。わたくしどもに命令できるのは精霊と、その声を聞く導師のみ。よって、あなたの世話はいたしません。ゆめゆめ、はき違えることのなきよう』

『あなたは、契約祭の掟に則り、心身を禊ぎ、すべてを自力で賄うよう心得てください。わたくしどもはあなたにいくつかの指示をしますが、それはすべて祭の段取りとして必要なものなので、あしからず』


 意図を悟ったスーリヤも、かなりの早口でまくし立てる。

 ネイティブでも聞き取りづらいくらいのスピードだ。

 外国人、それも、語学を長年学んだわけでもない少女ならば、取り残されてしまうだろう。

 気が弱い者なら、それだけで取り乱すこともあるかもしれない。


 が、しかし。


『カジェさんに、スーリヤさんですね。わたくしは、レオノーラ・フォン・ハーケンベルグといい……違う、申します。至らぬ点もござるかもしれませんが、なにとぞ、ご指導のほどよろしくお願い申し上げています』


 にこやかに返されて、二人は再度絶句した。


 ――なんなんだい、この子……! 意外なくらい、できる……!

 ――敬語がなんかおかしいけど!


 素早く視線を交わし合い、カジェたちは想定難易度を引き上げた。

 エランドの敬語表現は、現地人でも間違えるくらい難解なものなので、この少女はかなり流暢にエランド語を話せる部類と踏んでよいだろう。少なくとも、ヒアリングは完璧のようだ。


 カジェはこほんと咳払いすると、次の策に移った。


『……では、さっそく、部屋の案内を。ご覧の通り、ここがあなたの部屋です。暗く、肌寒く、手入れも行き届いておらず、時折虫も湧きますが、異議は認められません。ここで三日間、お過ごしいただくこととなります』


 そうして、薄暗い部屋を指し示す。

 顔には高圧的な笑みを貼り付けて、わざわざ部屋の嫌な点をわかりやすく教えてやった。

 これで不快感を引き出せたならこちらのものだ。

 眉をわずかに寄せでもしたら、「おや、エランドの掟に逆らうのですか」とさらに畳みかけてやる。


『繰り返しますが、あなたの勝手と異なることがあっても、それはすべて、魂を鍛えるための試練――』

『ああ、よかった!』


 だが、冷ややかな声音で告げた言葉は、ぽんと軽やかな拍手で遮られた。


『――……は?』

『ありがとうございます。ご配慮いただけたようで、わたくしはとても、嬉しゅうありますぞ』


 冗談かと思って相手の顔を見つめるが、少女は嘘偽りなく、実に嬉しそうに微笑んでいる。

 スーリヤが少し口の端を引きつらせながら、繰り返し指摘した。


『……あの? この部屋、聖堂で一番暗く寒いのですけど』

『助かるよなあ! あ、違う、助かるのでございますよね。光の精霊の熱い包容に、ヴァイツ育ちのわたくしの肌はいささか、罵声……怒号……ええと、キャーの声を上げておりましたから』


 なんだか実家にいるみたいです、と、ほっとしたように笑う少女にスーリヤは固まった。

 キャーの声ってなんだ。


『あの、でも、埃っぽいし……虫! 虫が湧くんだよ! いえ、湧くのですよ。気色が悪いですし、中には毒を持つものもあります』


 敗退したスーリヤに代わってカジェが進撃する。

 ただし、少女の奇妙な敬語表現につられて、こちらの猫もはがれ気味だった。


『ああ……虫。毒虫……?』


 言われて初めて気づいたように、少女が床に視線を落とす。

 そこにはさっそく、何十もの足を持ち、触れるとかゆみをもたらす虫が這っていたが、彼女はそこで驚くべき行動に出た。


 身に着けていたハンカチでそっと虫を掬い上げると、目を輝かせながら、それを寝台脇に備え付けてあった小物入れに入れたのである。


『え……!?』


 驚愕するカジェに向かって、少女は慈愛を感じさせる声で説明した。


『見た目が悪くても、絹糸を吐き出してくださる虫様もござりますし、毒だって、使い道によっては有益ですから。もし、見かけたら、これからも教えてくだせえね』


 二人は思わず、再度視線を交わし合った。


 ――なんなんだい、この子……!

 ――以下略……!


 虫けらにまで愛おしげな視線を注ぎ、毒すら価値を転じて認めてみせる少女の器の大きさに、早くも二人は吞まれてしまいそうだ。

 そして、やはり敬語部分が微妙におかしい。


 だが、このまま引っ込んでは、スラムの女の自負が泣く。

 こんな箱入りのお嬢ちゃんに、自分たちが打ち負かされるなど、あってはならないのだ。


 カジェはそこで、寝台に畳んであった衣装を取り上げると、少女に向かって投げつけてみせた。


『これが、あなたのまとう衣装です。ヴァイツ様式のドレスはお脱ぎください。三日間、あなたにはこれ以外の着用は認められません』


 少女がおずおずと広げたのは、エランド式の巫女装束だ。

 教会の者がまとう白いローブの上に、巫女の身分を示す、幅の広い布を斜めに肩掛けして、帯で留める。

 その形状こそ一般的だったが、状態が異様だった。


 無欲を表す白いローブは、よれよれに布がくたびれており、裾は所々ほつれている。

 斜め掛けにする布――ラーレンは、元は精霊布と同じように、十二種類の色糸で幾何学模様状に編まれていたものだったが、いまやすっかり色あせ、いつほどけてもおかしくないような状態だった。

 元・洗濯女の身分をフル活用して、廃棄された衣装の中から、特別みすぼらしいものを選んできたのだ。


 とはいえ、状態は悪くとも、正規の衣装は衣装。

 これで文句を言うようなら、それを逆手に――


『素晴らしい……!』


 カジェの目論みは、またもや盛大に外されることとなった。


『これこそ、私の求めていた服でございますね……! ありがとうございます』

『は……? こ、この、ぼろ布が……?』

『柔らかくしなる布地、汚れをさりげなく同化なさる色味。歩きやすいよう、そして汚れてもよいよう、という、温かな配慮を感じ申す。痛み入ります』


 まさかそんな風に捉えられるとは思わず、カジェとスーリヤは目を丸くした。

 あげく少女は、同性でもどきっとするような愛くるしい笑みを浮かべて、臆面もなく、こう言い放つではないか。


『女官とはどんな御仁であろう、など少し心配もしましたが、こんなに優しい方に恵まれて、私、お幸せな人ですね!』


 カジェたちは、ばっと音が鳴るくらいの勢いで顔を合わせ、またも視線を交わし合った。


 ――なんなんだい……っ!!

 ――略ぅーっ!!


 彼女たちの「仕事」は、なかなかに難航しそうであった。

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