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《閑話》 おしえて、レオ兄ちゃん―家庭科―(前)

 値切り三姉弟の中で、アンネは一番会計管理がしっかりしている。

 たとえばエミーリオは買い物で少々足が出そうだと判断すると、天性の愛嬌と泣き落としで相手に帳尻を合わさせるのに対し、アンネはそのようなことをしない。あらかじめきっちりと収支を織り込み、その範囲内にぴたりと収めてみせるのだ。


 その、収支管理に厳しいアンネが、ある日。


「お願いです、レオ兄ちゃん。私の有り金、全部持ってっていいから――」


 こつこつ溜めた小銅貨(へそくり)を、ブルーノと談笑していたレオの前に投げ出し。


「私に、料理を教えてください」


 深々と、額が床に付くほど頭を下げた。




***




「ヒルデ婆さんが、意識不明?」


 屋根裏の作業部屋で、ブルーノとともに内職に精を出していたレオは、かわいい妹分の語り出した内容に大きく目を見開いた。


「そうなの。もともと足が悪いのに、梯子で庭の高いところに登ろうとして、落っこちて頭を打っちゃたんだって。昨日の朝の話よ」

「なんだってそんな無茶を……」

「まあ、あの婆さん、気性だけは若いというか、激しかったからな」


 眉を寄せるレオの横で、ブルーノがぼそりと呟く。


 ヒルデはそこそこ裕福な独居老人で、ハンナ孤児院の提供する「高齢者訪問(デイケア)サービス」の主要顧客であったが、その意地悪な言動に、これまで孤児院の多くのメンバーが悩まされたものであった。


「俺も一回行ったときは、杖で、殴られたしな」

「そりゃおまえ、お得意の無表情暴言をかまして、怒りを買ったんじゃねえの? 多少気難しかったけど、俺にはそんな感じでもなかったぜ」


 心なしか目を細めた幼馴染を、レオはばっさりと切り捨てた。

 デイケアは、なぜか老人受けのいいレオが一度以上訪問してから、年下の孤児に割り振ることになっている。

 レオも何度かヒルデの世話をし、「この人ならまあ大丈夫だろ」と判断して、アンネに後任を託したのだった。


 なあ? と目で問いかけると、アンネはこくりと頷いた。


「うん。出会い頭に『ふん、薄汚い孤児め』って水を掛けられたけど、『水滴垂らしてんじゃないよ』って新しい服をくれたし。その後もちょこちょこ、『腹を空かせた顔してんじゃないよ、みっともない』って言って物を投げつけられたけど、投げてこられたのって全部食べ物だったし」

「あー、あれな。おまえ、レモンとかバタークッキーとか、やたら持ち帰ってたもんな。うまかったなあ」

「…………」


 しみじみと「いい人だよなあ」「ほんと」と頷くレオたちに対し、ブルーノは少し微妙な表情だ。

 孤児としてかなり割り切っているようでも、もともと誇り高い性質である彼には、この境地まで至るのは難しいらしい。


 アンネは一度口を引き結ぶと、ためらいがちに切り出した。


「――あのね。もしかしたらなんだけど、ヒルデ婆さん、私のためにレモンを取ろうとして、梯子に登ったんじゃないかと思うの」

「レモン?」

「うん。この前ヒルデ婆さんの家に行ったとき、レモンを浮かべた水を出してくれてね、それがあんまりに美味しくって、ほめちぎったの。ヒルデ婆さん、そっぽ向いてたけど、目をキラキラさせてて――それって、嬉しいときの、ヒルデ婆さんの癖だから」


 ヒルデが倒れたのは、ちょうどアンネの訪問予定日の朝のことだった。

 おそらくは、一等おいしそうなレモンをもいでやろうとして――足を滑らせたのではないかと、アンネは言うのだ。


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、どっちだろうと、私はヒルデ婆さんになにかしたいの。昨日は、孤児だからって近所の人に追い払われて、家にも入れてもらえなかったけど……。周りにいたやじ馬から聞いた話だと、頭の傷自体は、大したことないんだって。でも、体力と気力が、歳のせいでもう追いつかないんだって。ずっと寝たまんま目を覚まさなかったら、そのまま、眠るように、死んじゃうのかもしれないんだって……!」


 死、という単語は、残念ながら孤児院の子どもたちにはなじみ深い。

 昨日まで一緒に遊んでいた子が、次の日には路地裏で冷たくなっていることだって、これまでに何回かあった。


 それでも、その不穏な言葉を口にするだけで、アンネの目にじわりと涙が浮かんだ。


「ヒルデ婆さん、人一倍グルメな人だから、おいしいスープの匂いを嗅いだら、ぱっと起きるかもしれないでしょ? レオ兄ちゃんが、銅貨の匂いを嗅いだだけで飛び起きるみたいに」

「いやアンネ、それは――」

「ああ。飛び起きるかもしれねえな」


 ある人物特有の現象だから、と無情にも突っ込みを入れようとした幼馴染の口を、レオは素早く塞いだ。

 妹分の意志に水を差したくなかったし、彼自身、そういう現象もありえると信じていたからだ。


 アンネは胸の前でぎゅっと両手を握り合わせた。


「私はまだ、料理当番でも火に触らせてもらえなかった。これまでは、レオ兄ちゃんが作ってくれたスープをデリバリーしてただけだけど、……でも、今回は、私が自分で作りたいの。だから」


 おしえて、レオ兄ちゃん。


 言い切った後、涙を零さないように、一生懸命唇を引き結ぶ妹分を、レオはぽんぽんと撫でた。


「あったりまえだろ」


 そうして、床に転がった小銅貨を丁寧に拾い集め、ほんのちょこっとだけ未練がましそうに撫でてから、アンネに返してやる。


「初回限定、無料キャンペーン実施中だ」


 手のひらに残った銅貨の匂いを振り払うように打ち鳴らすと、レオは「やるぞ!」と笑いかけて、厨房に向かった。




***




 さて、数分後。

 やる気満々でお下がりのエプロンを身に着け、厨房に乗り込んでいったアンネを待ち受けていたのは、


「ひっ……!」


 鶏の死体だった。


「おー、アンネは、こっから始めるのは初めてだったか」

「一応、血抜きまではしてあるが」


 年長組は余裕の表情である。

 鶏小屋から、老齢となった鶏は間引いて屠殺(とさつ)しているのだが、ちょうど昨日がその日だったのだ。


 首を切られ、きれいに羽をむしられた鶏は、まさにリアルな鳥肌を浮かべて、香草と一緒に壁にぶら下げられていた。

 ちなみに、首を落とすのはブルーノ、羽をむしるのは専らレオの役割である。なぜならば、それがお互いの得意分野に通ずるところがあるからなのだが――まあ、この辺は説明する必要もないだろう。


「い、いつもは、私、最後の仕上げとか、配膳とかの手伝いだったから……」

「そっかそっか、アンネはしっかり者だから、つい忘れちまうけど、下から数えた方が早いんだもんな。まあでも、そろそろ鶏くらいは捌けてもいいかもな!」

「ああ。早く覚えて、損ということもない」


 女心だとか、機微といったものにとことん疎い男二人は、アンネの及び腰にも気づかず、ほれほれと包丁を握らせる。


「今回は丸ごと一匹使うから、捌くまではしなくていいけどさ。味が出るように、ちょっと切れ目を入れてみ?」

「腿の付け根から、双方向にねじ込むといいぞ」


 大まかな分担として、野菜や果物は年少組、肉や魚の調理は年長組の管轄だ。

 ぶにぶにとした鳥皮に初めて触れたアンネは「ひいいい……」と呟きながら、震える手で包丁をにぎりしめた。


「こ……っ、怖いいいい! 気持ち悪いよう……!」


 ざしゅっ、ざしゅっ。

 言葉とは裏腹に、わりと大胆に包丁を差し込んでいく。


「…………あー、……うん。そうだよな。こういうのって、意外に女子の方が順応早いんだよな」

「この前エミーリオにやらせてみたら、『べ、べつに、怖くないけど、ブルーノ兄ちゃんに任せてあげるよ』と、最後まで逃げ切っていたからな」

「あー、マルセルもそんな感じだったわ」


 こうして、年少組が鶏の捌き方を習得していくと共に、年長組もまた、女子という生き物の肝の太さや、男子という生き物のしょうもなさを実感していくのである。


 切れ目から塩をすり込み、鶏の下ごしらえを完了させると、続いて三人は野菜の準備に移った。


「今回は、滋味たっぷりっつーことで、鶏とじゃがいものスープにしような。さっぱり系だけど、ヒルデ婆さんにはその方がいいだろ」

「うん。ヒルデ婆さん、こってりした煮込み(グラーシュ)よりも、薄味のスープの方が好きだって言ってた」

「なんてできた人だ」


 孤児院の懐事情は、常に乏しい。あまり、調味料や肉をふんだんに使った料理は作れないのである。

 ゆえにレオは極限まで調味料を控え、骨や野菜の皮ごと出汁を取る薄味料理を作る傾向にあるのだが、しかし、その薄味ながら味わい深い品は、高齢者のハートをがっちり掴んでいるというわけであった。


 用意したのは、押し麦とにんじん、じゃがいも、そしてローズマリー。

 香草は軽く叩いて鶏肉の入った鍋に放り込み、押し麦も加えて一緒に煮込んでいく。

 にんじんは皮をきれいにこすって――剥くだなんてもったいないことはしない――、乱切りに。

 じゃがいもも皮ごと、と麻袋から芋を取り出したところで、レオは顔をしかめた。


「あー、やっぱ芽が出ちまってるかあ」

「二束三文で買い叩いたやつだからな」

「よし、アンネ。芽かきってやったことあるか?」


 話を振られたアンネは、なにか悲壮な覚悟をにじませたような顔で頷いた。


「う……んん! あるっていうか、ないっていうか、アレだけど、気合だけはあるよ!」

「どういう意味だよ」


 レオが半眼で突っ込むと、アンネは真剣な顔つきで包丁を握りなおした。


「レダ姉ちゃんが言ってた。私の包丁さばきには、正確性と繊細さこそないけれど、迷わない大胆さと、気合、そして勢いがあるって。レダ姉ちゃんの後継者になれるほどだって。だから……大丈夫!」

「ちょっと待て、包丁さばきから正確性を奪ったらなにが残るんだよ! っていうか、料理の腕前ワーストワンなレダの後継者認定されてる時点で、おまえもいろいろ悟れよ!」

「料理は、技術じゃない。気迫と気合だって、レダ姉ちゃん言ってた!」

「違うだろ!? 明らかに違うだろ!? そしてなんなのその持ち方!?」


 レオがぎょっとしたのは、アンネが包丁を逆手に握った両手を、まな板に転がるじゃがいもを睨みつけながら、高々と天に掲げはじめたからだ。

 そのポーズは、じゃがいもの芽かきをする少女というよりは、祭壇に横たわる生贄にナイフを振り下ろす邪導師そのものであった。


「めを……えぐり取る……!」

()だからな!? 芽かきだからな!? ねえなんでそんな不穏なオーラにじませなきゃなんねえの!?」


 まるで今にも、人の目を抉り出しそうな鬼気を醸し出す妹分に、レオは絶叫した。


「うらああああああ!」

「やめ―――っ!」


 ――パンッ


 すっかり混乱の坩堝(るつぼ)と化した厨房に、そんな音が響く。

 大惨事を予測して咄嗟に妹分へと手を伸ばしたレオは、その軽やかな音と、その後訪れた静寂に、大きく目を見開いた。


「……確かに、迷いがない」


 視線の先では、身を乗り出したブルーノが、その褐色の両手で包丁の刃を包み込んでいる。

 刀部分の両側から刀身を挟み込んで押しとどめるその技こそ、白刃取りと言われるものであった。


「な……っ! 包丁が、動かない……!?」

「甘いな、アンネ。迷いはないが、速度がない。これでは仕留める前に、獲物が逃げ出してしまうだろう」


 びくともしない包丁に瞠目するアンネに、唇の端を持ち上げて答えるブルーノ。


「……ねえ、なんなの? 活劇なの? 任侠小説なの? おまえらやる気あんの?」


 遠い目になったレオが突っ込みを入れる。

 ここで、「おまえ、手は大丈夫なのか!?」とか、「なんだよその技!」とかの方面に驚くのは時間の無駄だと、付き合いの長いレオは知っていた。


 ブルーノは人外じみて強く、いろいろ変。

 これだけ押さえておけば、突っ込みを入れるだけで疲れてしまうような状況は回避できるのだ。


「……とりあえず、アンネ。包丁を置け。おまえは芽かきどころか、料理というものの概念から理解する必要がある」

「……はーい」

「そうだぞ、アンネ。包丁はいかん。鍛えたいなら、今度短剣をやろう」

「ブルーノは黙る!」


 そうして「調理実習」は、なぜか命の教室や暗殺教室に時折姿を変えつつ、三人は数時間がかりで、ようやくスープを完成させたのであった。


前中後編の全3話予定です。

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