神様、お宅訪問
「お、美味しいっ!何これ?お米が炒められている……これがイタ飯」
五人家族の食卓に騒がしい声が鳴り響く。声の主は両手を頬に当てて陶酔している天音命。もはや神々しさや近寄りがたさなど無縁。夕方に母と自分が見惚れていた者と同じ存在と栞は信じたくなかった。わなわなと炒飯の味に天音命が感動しているなど神代一族は髪の毛の細さ程も信じていないだろう。そして、威厳の無い声を現在進行形で聞いているのは栞だけだ。
「……美味しいけどさ。騒ぎ過ぎです」
頭を抱えたくなる衝動とイタ飯発言にツッコミたいと悶えながら栞は表面上はいつも通りに食事を進めていく。パラパラと絶妙な炒め具合の具材に炒めてもシャキシャキの食感を失わないレタスの愛称は抜群でスプーンに止まる気配は無い。栞の弟の伊織など茶碗を直接口に着けアホの様にかっ込んで、既におかわりが射程圏内状態だ。
「栞のお父さんは料理が上手ねえ」
「……ありがとうございます」
共働きで直子が忙しいとき、きっちりと家事を手伝う幸隆の事を栞は快く思っていた。この年頃の少女なら父親とは距離を置くところだが、今のところそういった前兆は無い。幸隆にとってもこれは非常にありがたい事だった。
そんな娘の挙動に敏感な父の瞳はキラリと輝いた。
「栞……お前」
「な、なにお父さん」
いつになく真剣な父の表情につい栞は上ずった声をあげてしまう。なぜなら父も神代一族ではないものの、霊感をその身に宿す中年だ。栞が天音命を見る事が出来た理由が父方よりの霊感だとしたら……。
「安心しろ。体に付きにくい油を使っているからな!」
「な、何を言ってんのよ!?」
「昨日の麻婆茄子も同じ油を使っているから大丈夫よ!」
「ちょ……お母さん?」
栞の名誉を傷つける様な誤解をする父に、その父に乗っかる母。夫婦の悪ふざけに本来なら突っ込み役の栞もたじたじ。流石夫婦と叫びたい程の無駄に連携のとれたコンビネーションだった。
「別に私はダイエットなんて必要無いよ」
悪乗りする二人に勢いで抗してもロクな結果にならない事は今までの経験から分かっている。だから栞は溜息を吐くように己が真実を呟いた。通学で毎日一時間半の自転車通学をしている栞。間食もほとんどしないので栞の体重は標準よりもむしろ軽い。同級生が一喜一憂しているダイエットも必要無い。……虚栄ではない。
「うん。栞姉は痩せてるよ!」
「そうだよ!」
「……っ」
栞の言葉を肯定する様に二人の弟妹が元気に栞を援護する。だが、二人の純真無垢な眼差しはまるで栞が痩せていないと言っているような気分にさせられる妙な力が籠っていた。
「そ、そうだな!栞はむしろ痩せすぎな位だもんな」
「わ、わたしもそう思うわ!」
「ちょっ!な、なんでも二人ともどもるのよ!その言い方だと私が太ってるみたいじゃない!」
沙織と伊織の言葉にどもりながら両親は更に言葉を重ねる。無論二人ともにやにやしている。栞の反応が面白くて仕方ないのだ。
「ふふふっおもしろい両親だねぇ」
(全然、面白くないわよっ)
二人の漫才を見て天音命はけらけらと笑っている。栞はなんだか学校の先生、もしくは友人に親の恥ずかしい所を見られて様な妙な気分に襲われていた。
(く……お父さんもお母さんも私達しかいないと思っているから、こんなアホな事が出来るのに。私には天音命様が見えるから、すごくシュールな物を見せられているみたいじゃないっ)
もう少しレタス炒飯を食べたいと思う栞だったが、こんな気分では美味しく食べられないと、栞はさっさと夕食を終わらせると、食器を水に漬け二階の自室に戻って行った。
元々細い肩が更に細くなる程に肩を落とし、栞は疲労感を纏わせながらベッドへと倒れ込んだ。ぽすんと言う音と軋む音が部屋に響く。いつもは気にもならないが、先の会話を思い出すとベッドが軋む音が妙に栞には気になった。
「……うう、気にしすぎ気にしすぎ」
ぼそりと呟いて、顔を横に向けてみれば天音命が興味深げに部屋のあちこちに行ったり来たりしている。それはそれですごい気になる行動だが、栞からすれば体の一部を壁やら天上やらにめり込ませるのは止めて欲しかった。夢に出そうなので。
「なんか面白い家族だね」
「それは否定出来ないです」
面白いというより、変わっているに近いです。という本音は隠し、栞は天音命の言葉に答えた。
「……っ」
そして何故か、急に体を起こす。寝転がっていた姿勢から体を起こした為、髪型は若干以上に乱れていたが、そんな事は気にならなかった。
「き、急にどうしたの?」
「い、いえなんでもありませんよ」
(別に食べて急に寝たら牛になるとか思い出したからじゃない……宿題……は終わったし。予習も終わってる……あ、携帯充電してなかった)
何気に夕食の一件が尾を引いているのだろう。というか体型、体重の話は年頃の少女には常に脳内トピックスだ。しょうがないと言える。……しつこいようだが、栞はむしろ痩せ形の部類に入る。
取ってつけた様な言い訳を心中でのみ零し、栞は携帯を充電器にセットする。
全体が赤いカラーリングのシンプルな携帯。最近流行中の多機能型携帯電話……所謂スマートフォンではない。常から自転車移動を旨とする栞は通学時間にあたる部分がほぼ自転車移動。インターネットだなんだとスマートフォンを弄る時間は無い。それに頑丈なのが好印象だ。
「それが今の電話かぁ……自分の部屋で使う時は電話線に繋げるんだね」
「違いますよ。別にこのままでも使えます」
実演してみようかと、栞は僅かばかり逡巡するが、そんな事でわざわざ料金を払って電話をするのは勿体無いし、メールにしても咄嗟にどんな内容を誰に送るかなんて思いつかない。栞は電話するのもメールするのも嫌いでは無いものの、用事が無い限りは自分から連絡をしないタイプだった。
やる事も無くなった栞はとりあえず、音楽でもかけてまったりしようかと、ベッドの反対側に置かれたタンスの上にあるコンポに手を伸ばす。栞が聞く曲は十歳の頃から対して変わっていない。誰もが知るアーティストではあるが、所謂アイドルでは無い。
(なんか売れる歌を歌うのって好きじゃないのよね。流行よりも自分達が流行る様にしないとねぇ)
栞の一番好きなグループは何曲ものミリオンを出しているが、栞の好きな曲は実はその中に一曲くらいしかない。確かに良い曲と思いつつも、皆が買う曲はまるで流れに沿っているようで好きになれないのだ。……素直じゃないとも言える。
現に今、栞がかけようとしている曲はリリース時には対して売れなかったのに、ドラマの主題歌になった途端に売れ始めたという曲だ。この曲がデビュー後、初めてのミリオンとなって、栞ご贔屓のグループはブレイクしたのだ。
(絶対あのドラマの監督はあのグループのファンね。……売れるのは嬉しいけど、嬉しくない。ファン心理とは難しい)
再生ボタンを押して、聞きなれた導入部を耳に入れながら、栞はつらつらとどうでも良い事を考えていた。いつ聞いても良い曲だ。耳に残り過ぎるほどに聞いてきた曲なれど、目を瞑れば幾度でも聞き入ってしまう。
「栞姉またそれ聞いてるの?たまには流行の曲でも聞けば?」
「んー流行ってあんまり興味無いんだよね」
開け放たれたドアから遠慮無しの声が栞にかけられたが、栞は微塵も驚かない。築十年と栞の家は新しいとも古いとも言えないが、木造だけあって誰かが階段を上り下りすれば必ず音が鳴る。余程集中しているか、ぼんやりしていなければ気付く。
「女子高生らしくないなぁ」
栞は流行と言うモノにはとんと疎い。むしろ妹である沙織の方が詳しい程だった。
「まぁ全然気にならないって言ったら嘘になるけど……買うほどじゃないんだよね」
「それなら私の貸すよ?」
「あー気が向いたらね」
「……結局聞かないんじゃん。あーお風呂空いたよ」
自分の好きなジャンルを姉に聞いて貰いたかった沙織は興味がほとんど無さそうな栞の返事に少々落ち込みながら部屋を出て行った。
そんな妹の様子に若干、罪悪感を栞は感じるものの、嘘を吐いてまで聞く気は無い。
「お風呂に入ろ。……天音み……あれ?いない。……ん――――あのー近くに居ます?」
お風呂セットを小脇に抱え、天音命を様子を窺おうとして栞は、天音命の姿が見えない事に気付いた。自分にも見えなくしているのか本当にいないのか、いまいち判断がつかない為、小さく声を出し、栞はぐるりと部屋を見渡す。
「……いないのかな?う、なんなのこの恥ずかしさは」
誰もいないのにお伺いを立てるという行為に、謎の羞恥心が湧いたのだろう。栞は頬をうっすらと染めて部屋を後にした。
柚子の香りに溢れる浴室で一人の少女がだれていた。
父、幸隆の意向によって足を十分に伸ばせるほどに広い浴槽に栞は浸かっていた。浴室内は柚子の香りが溢れ、より一層、栞をリラックスさせる。
「あー良いお風呂」
顔をごしごしと擦りながら栞は微妙に年寄っぽい台詞を吐く。黒く一切の癖が無いストレートの黒髪がゆらゆらとお湯の中を揺蕩っていた。
「お風呂は命の洗濯……」
「お、上手いこと言うねぇ」
一人で入浴しているはずの栞の独り言に何故かお褒めの言葉が掛かる。
「……」
「ん?」
言わずもがな、声の主は天音命。ドキドキ四方家探索の途中で覗いてみたお風呂にちょうど栞が居た為に声を掛けられた。
声を掛けられた栞は上半身だけを天井がはみ出させた天音命と、見つめ合っていた。相変わらずの巫女服を纏った天音命と一糸纏わぬ……ずばりすっぽんぽんな栞が。
「き……」
「き?」
「きゃああああああ!?」
まさか、万が一。天音命が風呂場に突入してくることは栞も十分に予想していた。だが、予想はしても、驚いてしまう事態と言うのは確かに存在する。
栞の悲鳴は本人が思った以上に大きく発せられ、家中に届くのだった。
「……もう、やだ」
電気を消した部屋のベッドの上で栞が声を絞り出す。その声には元気というものが殆ど無かった。
栞が悲鳴をあげた後、四方家はそれはそれは大騒ぎな自体に陥った。母、直子は塩を持って風呂場に突撃し、妹、沙織は風呂場に突入しようとする父、幸隆を引っ叩く。そして弟、伊織は沙織に頬を引っ叩かれ壁に激突する父を見て、部屋に引っ込んだ。……ちなみに直子が塩を持って行ったのは悪霊対策だ。
そんなてんやわんやな事態を潜り抜けた栞は心底疲れ切っていた。
(あぁでも沙織ナイス)
散々としか言いようがないお風呂場事件だったが、父に裸を見られなかったのは不幸中の幸いと言えた。
(でも引っ叩く事のはやり過ぎだよ)
綺麗に真っ赤な手形を頬にプリントされた父の姿を思い出し、栞は眉を顰める。それほどまでに中学生の娘にびんたされて落ち込む父の姿は涙を誘うものだった。
「あーダメ、気になってしょうがないよ」
何とか目を瞑り栞は眠ろうとしていたのだが、どうにも普段は居ないもう一人?の人物が気になって中々寝付けない。
「すーすーむにゃむにゃ」
件の神様。天音命は自らを祀る一族の少女の睡眠を自分が邪魔しているなどとは思いもしないでのん気に眠っていた。
「神様って眠る必要あるの?」
今のところ加護のかも字も感じない土地神に聞こえないてないであろう質問をぶつけ、栞は布団を掛け直す。
(明日、朝起きたら居なくなってるといいなぁ)
罰当たりな事を脳裏に走らせ、栞は早く眠りたいと目を瞑った。
天音命様の威厳がどんどん無くなっていくという。






