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少女と女神様

 

天上付近にふよふよ浮いている天音命っぽい存在に栞の頭の中ではネズミが走り周っているかの如く大混乱に陥っていた。


(あれ?天音命様って霊力が高くないと見えないじゃなかったっけ?……ってことはあれは何?で、でも本人にしか見えない……)


 ひとえに栞が混乱に陥っている理由がそれだった。本家筋のもしくは四名家の人達はまるで栞の視線の先の少女には気付いていない様子で栞には見えない何かと話をしている様に見える。


(で、でも私が見えている。あの人に誰も気付いていない……。お母さんも見えないって言ってたし)


 ここに居る者達は大なり小なりの差は有れど全て霊感を有する者達だ。分家も分家、傍流も傍流、本家まで遡るのも面倒な程に離れた血筋の栞の目に映り他の人達に見えないなんて事は普通では考えられない。


(……うん、やっぱり私以外見えていないっぽい)


 自分の家系がよっぽど本家から離れている自覚がある為、自身の力など素人の毛が生えた程度、むしろ見えなくても良いものが見えてしまうという利点どころか欠点塗れの力に自信等があるはずも無い。


(う、ううん?ってことはどういう事……あっ!)


 ここで混乱気味の思考の栞はついついその人ならざる少女と目を合わせてしまう。幽霊と目を合わせると付いて来たり、ちょっかいを出されたりとロクな事にはならない。それが霊を見るだけの力しか持っていない栞なら尚更だ。故に、いつもなら霊を見かけても極力目を合わせ無い様にしていたのだが、今日に限っては予想外に過ぎる事情があった為、ちらちらと見ていたことが仇となった。


(やばっ……目が合っちゃった。うわこっちをメチャメチャ見てるってか凄い驚いてる?)


 完全に視線をあらぬ方向へと向け、栞は見えてないアピールするが、それは誤魔化していますと言わんばかりの行動だった。神職の服を纏った少女……というか天音命と寸分の違いも見られない少女はふよふよと栞へと近寄ってくる。


『うむ?もしかしてあたしの事見えてる?』

(うわぁ話しかけてきた……見えない聞こえない見えない聞こえない)


 好奇心一色に染められた瞳をきらきらと輝かせ浮遊少女は栞へと声を掛ける。幽霊を見た事は多々あるし、意味の無い言葉をかけられたことも少なからず経験していた栞だが、ここまで意味のある言葉をかけられたのは初めてだった。


『あれ?気のせい……だったかなぁ?はぁ……』


 栞の上手くない誤魔化しに少女は首を傾け、自分が勘違いしたのかと悲しげな表情をその整った顔に浮かべる。そのあまりに悲しそうな表情と、そして、ちょっぴり刺激が少ないなと思い始めていた現状が栞にある決断をさせた。そうさせてしまった。


(う……罪悪感が……ちょっと話をする位なら良いよね。多分天音命様だし……うん、幽霊じゃないよね)

「……み、見えてますよ」


 他の人の耳に入っては事だと、栞は極力小さい声――――自分の耳にすら届かない程の声量で天音命だと思われる少女に声をかける。

 その言葉に対する反応は劇的だった。ただでさえくりくりと大きな瞳を更に大きく開き、少女は栞とその瞳を合わせた。好奇心に彩られたその目にはしっかりと栞が映っている。


『……わぁ、本当?本当!?』


 掴みかからんばかりの勢いで少女の様子にこくりこくりと栞は頷く。同性でも美しいとしか形容できない美貌に栞の顔は思わず朱が差してしまう。そんな様子に直子は心配そうな声をあげた。


「どうしたの栞?顔が赤いけど調子悪い?」

「う、ううん。いや大丈夫だよ」


 やはり、母には少女は見えないらしい。頬に感じる熱を忘れる様に、栞は疑問をつらつらと脳裏に浮かべる。その視界には相変わらずふよふよと少女が浮かんでいた。







「……で、貴女は一体誰……なんですか?」

「ん?あたし?」


 栞の敬語にしようかしまいかと言う葛藤が透けて見える言葉に少女が可愛らしく答えた。


「んー知っていると思うけど、まぁいっか。ふふふ、そう言えば自己紹介ってのも久しぶりだし」


 超常の存在故の読心の類か、はたまた栞の感情が分かりやすいだけかは定かではないが、少女には栞が既に自分の正体に気付いているのを知っている様であった。


「あたしは天音命だよ」


 聞く者が聞く者ならひっくり返ってもおかしくない程の爆弾発言を少女――天音命は口にする。


「……やっぱり」


 いつも見る様な幽霊達とは明らかに違う気配と、見た目から大凡の正体を分かっていた栞は納得の表情を浮かべ、一人頷く。彼女がひっくり返らなかったのは偏に、幽霊を見る程度の力しか無かったからだった。これが神職や退魔関係を生業にしていたのなら、今の事態が稀有極まりない事を気付けていただろう。


「どうしたの?」

「い、いえ。それで、あの……天音命様っ。私に何か御用なんですか?」


 神が特定の人間の前に姿を現し、お告げを告げる。それは日本のみならず、世界各地で報告がある事象。つまり神たる天音命が人――つまり栞の力を借りたいと思う様な事が起こっているのでは思い至った栞は身構えつつも、天音命の返事を待つ。


「……じぃー」

「ごくり……」


 変わり映えの無い日常に少々退屈気味な栞だったが、それは贅沢な悩みだと分かるだけの分別は有る。なにより、自分のみならず家族になんらかの不利益が生じるのは本意では無い。


「いや、特に」 

「……は?」


 天音命の想像外の返答に学校では突っ込み担当かつクール要員の表情が素っ頓狂なものへと変貌する。


(ん……今、なんて言ったの?特に……まさか特別!?)

「……特になんですか」


 栞の中で既に答えは分かり切っていたが、精神の平静を保つために敢えて、質問することする。


「ん?いや、特に用は無いんだけど……まぁ敢えて言えば面白そうだから」

「お、面白そう?」

「うん」


 特別……では無く特に用は無いと言う裏表もない明け透けな天音命の言葉に栞は思わず神様である事を忘れて盛大に突っ込んでしまいそうな自分を全力で自制する。それはもう全力全開で。


「しっかし、あの状態のあたしが見れるなんて、結構珍しいねぇ。よっぽど霊力が高いか、それともあたしと波長が合ってるかな?」

「波長?ん?あの、今の天音様が見えるのって珍しいんですか?」


 本家と四名家、それ以外では姿を隠した状態の天音命を見る事は出来ない。それは知識として知っていた栞だったが、なんとなく天音命が言っていることが、それとはニュアンスが違う様な気がして思わず質問してしまう。それに大きな真実が隠されているとも知らずに。


「うん。すっごく珍しいかな。ここ最近だと百年はあの状態のあたしのことを見れる人は居なかったよ。いや、毎年毎年見えるふりをしているのを見るのは地味に面白いから良いんだけどね。他の神様でやってたら天罰もんだよ。あはは」


 いやぁねぇと手首をまるでおばさんの如く動かしてけらけらと天音命は笑い、栞は絶句していた。一杜の土地を守護する神の寵愛を受ける一族、そんな一族の上位陣が百年近くもそんな演技をしていた等とは思ってもみなかったからだ。


「そう……だったんですか」


 一族最大の秘密をいきなり知っていまい。栞はどんよりとした気分になってしまう。そうまさに気分はサンタクロースの正体を知ってしまった小学生のものに非常に近かった。


「そうだよ。いやぁでもこうやって話が出来るってのは楽しいね!しばらく退屈しないで済みそうねぇ」

「お話くらいならいくらでもしますよ……ん?しばらく?」

「うん。百年ぶりだからね。こんな機会は今度いつ来るのか分らないし」

「……うそでしょ?」


 神様だし、一日くらいなら付き合っても良いかなと思っていた。栞だったが、天音命は自分を見ることが出来る稀有な存在に大いに喜んでいるのか、しばらく付き纏う気まんまんであった。

 平穏、平和は何よりも掛け替え無い物で大切な物である。それは栞も大いに理解してた。そしてそれがちょっぴり退屈な物である事も分っていた。だから少しだけ刺激が欲しいと不謹慎な事を願っていた。

 その願いはあっさりと叶えられた。……これも神様がお願いを叶えてくれた。そう言う事なのだろう。 これも自業自得と言えば自業自得なのかなと半ばフリーズしかけた頭で栞はそう思考していた。






「もう……しばらくはあの公園に行かない」


 一杜でもっとも発展している中心街の一角、その中の喫茶店の一つで栞はアイスコーヒーを虚ろな目でかき混ぜながら、どんよりと言葉を吐き出していた。


「……どうしたの?飲まないの?」


 その向かいの椅子にまるでまるで人がそうするように腰かけているのは天音命である。本来ならふわふわと宙を自在に浮くことが出来る彼女だが、今はなんとなく椅子に座っていた。若干、お尻が椅子にめり込んでいるのは、あくまで座っているようにしているだけだからだ。


「……誰のせいで落ち込んでいると思っているんですか」


 思わず、友達を喋る様な声量で喋りそうになるも、すんでのところで栞はそれを堪えた。アイスコーヒーを入れたコップの外に付着していた水滴がたらりとテーブルを濡らす、それはまるで栞の背に流れる冷や汗を表しているかの様だった。

 栞が落ち込んでいる理由、それは先の公園での出来事が原因だった。一応、周りに配慮し人が少ない場所をきちんと栞は選んでいたのだが、昼間の公園で人が皆無というわけではなく、何人かに不審な目で見られてしまったのだ。


「う……、微妙にトラウマだわ。……あぁしかも私、制服だし」


 個人名までは外見からは分からなくても、今日の栞は学校指定の制服を着用している。何処の高校の生徒か見るものが見れば分かるだろう。


「……虎……馬?」


 トラウマと言葉を知らないのだろう。天音命の頭の中では虎柄の馬がうろうろと歩き出していた。 


「はぁ……まぁ良いです」 


 微妙な表情をしてなにやら考え事をしている天音命を見て、トラウマという言葉を知らないのだろうと思い至った栞はアイスコーヒーを少し飲むことで、やや落ち着きを取り戻す。


(知り合いに会わなかったから良かったと思おう。うん。ってかそれ以上考えちゃだめよ)


 同い年くらいの女の子二人の変なものを見る視線を思い出しそうになり、自己暗示をかける勢いで先程の精神的ダメージを追いやろうと奮闘していた。

 だからだろう。天音命が触れるか触れないかギリギリまで近付いている事に栞は気付かなかった。


「ねぇ……ねぇってば!」

「っ!?……はぁっ」


 僅か数センチまで顔を近づけていた天音命にようやく気付き、悲鳴ばりの大声を出そうとした己が声帯を全力をもって自制する栞。急激に内圧が上昇した肺が熱を持ったように痛むが、溜息の様に息を吐き出すことでようやく栞は平静に近い状態へと回復した。


「……な、なんですか?」

「それ美味しい?泥っぽいけど」

「ど、泥ですか。まぁ似てなくもないですけど……とうか泥、泥って」


 ミルクが充分に混ざり合ったアイスコーヒーの色は薄茶色で、赤土の泥の色に似ているとは言え、飲み物に対する言葉としては不適切過ぎた。現に栞は普段は落ち着いていると評されるその表情を引き攣ったものへと変えていた。


「……飲んでみたいなぁ」


 人差し指を形が良く薄桜色の唇に当て、子供の様に天音命はそう呟いた。実年齢は明らかに自分以上、外見も十代半ばにしか見えないがその仕草は栞をして可愛らしいと言って差支えないものだった。

 ただ、神様の威厳は一片すらも垣間見えなかった。


「……飲めるんですか?」

「飲めるよ。えっとね。あれ?名前聞いてないや」

「あ、栞です。四方栞。」

「栞かぁ。良い名前だねっ!」


 今更ながら自分の名前を聞くのを忘れていた天音命に思わず、くすりと笑いながら栞は自身の名を神へと告げる。降神の儀式の神々しさは鳴りを潜めてしまっていたが、今の天音命はこれはこれで魅力があるなぁと栞は思っていた。


「これをあたしに捧げたい。って栞が思ってくれれば良いよ」

「え……それって誰も触ってないのに、いきなり中身が減るってわけじゃないですよね」


 ズズーっとアイスコーヒーが見えない何かに吸い込まれたり、もしくは捧げようと思った瞬間に中身がパッと消えてしまうのを想像し、栞は渋面を浮かべた。そんな非日常極まりない現象を見られてしまっては、どんな注目を受けるのか想像もしたくない栞だった。

 だが、天音命の返事は栞のネガティブな発想を覆す。


「大丈夫、大丈夫。神様のお供え物って無くならないでしょ?神様は人の……うーん。思い?思いやり?まぁそんなのを食べてるのよ」

「へぇ……それなら」


 とりあえず栞は天音命の言う通り目の前の無糖・・のアイスコーヒーをどうぞとかそんな思いをなんと無く浮かべてみる。


「んん……来た来たっ!ぶふぅ!?苦っ!!ってかホントに泥なんじゃないの!?」


 この人?ホントに神様なんだろうか――――?初体験であろうコーヒーの苦さに顔をくしゃくしゃにして、あまつさえ涙を浮かべながら店内を飛び回る天音命の姿を見て栞は心の底からそう思う。

 それほどまでに、今の天音命には威厳も神々しさも無かった。

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