天音
すごく間が空いてしまい申し訳ないです。
これも全然人が入らないせいなんだ。きっと……。
「では詳しい話はまた、今日は急に訪ねてしまい申し訳ありませんでした」
「い、いえ、大したお構いも出来ませんで」
お互い高校生らしからぬ挨拶を交わすと、深く頭を下げ奏莉はリムジンへと乗り去っていく。リムジンが走るには、狭い道路だが奏莉を乗せたリムジンは特に走りにくそうにするでもなく、すんなりと去って行った。
なんとなく、リムジンが去って行くまで直立で立っていた栞の瞳には角を曲がったリムジンの赤いテールランプが危険信号の様に見えていた。
あの後、奏莉が訪れたことで狼狽しまくりの直子を適当に誤魔化して栞は自室へと戻っていた。
妙に重い体をなんとか動かし、部屋に戻るなり栞はぽすりとベッドに倒れ込む。仰向けに転がり、顔にかかった癖の無い髪をふーっと吹き散らす。あまり行儀の良い仕草では無いが、ここは自室、家族以外に彼女の今の姿を見るものは居ない。
本来なら。
「……天井から顔だけ出さないで下さいよ」
「驚いてよー定番の怪談なら叫んでるところよ?」
するりと天井をすり抜け、この部屋のもう一人の住人、天音命は栞のところまで漂っていく。艶やかな黒髪が、さらさらと揺れ栞の顔にこれでもかとかかる。その髪からは桃の様な甘い香りが香る。
「もう……顔に髪をかけないで下さいよ」
芳しい香に思わず頬に熱が集まりかけるが、その魅惑以上に敏感な顔の肌を毛先が刺激するのを煩わしく思い、栞は吐息で天音命の髪を吹く。
「天音命様」
「なぁに?」
「奏莉様が来るって分かってましたね?」
「あーバレちゃった?」
肩を竦め悪戯が成功した子供の様に天音命は小さく笑う。同性、異性関係無く引き寄せられるような笑みだが、今は胡散臭さしか感じない。
「分かってたなら言ってくださいよ!どれだけびっくりしたと思ってるんですか?」
「まぁまぁ、私が近くに居なかっただけマシでしょ?」
「居たら大変な事になってましたよ。でも……はぁ、巫女になることになっちゃいましたよ」
まさに目の前に巫女服を着た少女がふわふわ浮いている光景を前にそんな事を栞は呟いた。先までの極度の緊張からか、その唇はまだ潤いを取り戻してはいない。
そんな唇を舌で軽く舐め、栞は更に言葉を重ねた。
「うぅ……そう言えば巫女さんってどんな仕事するんですか?うちは分家も分家なんで一族の行事とかってほとんど参加してないんで分からないんですが」
「ん―――祈祷とか?そんな感じのをやってるけど……」
ぼんやりと喋りながら、両手を祈りを捧げるように掲げ、天音命は目を瞑る。そしてそのまま倒れ込むようにベッドへとぽすっと寝そべった。
髪が盛大に広がり、栞の顔をこれでもかと覆った。
栞は眉間に皴を寄せ、寝そべる天音命とは対照的に体を起こし、胡乱気な視線を天音命に向けた。
「なんですか、そのふわぁとした答えは。天音命様の巫女の仕事ですよ」
正確な答えは得られないのは既に想定内だが、それにしてもあんまりな答えに栞もやや言葉を荒げてしまう。神様に対してアレな対応だが、ここ最近の面倒事の大半は天音命に起因しているうえに、それを越えかねない厄介事が起きた直後では仕方無き事だった。
「ごめん、ごめん。でも何しているかは良く分からないのは本当よ。あれってすっごく長いのよ?一から十まで付き合ってたら死んじゃうわよ」
「……そうですか」
暫しの沈黙の後、肩をがっくりと落とし、床を眺めながら栞は吐き出すように言葉を漏らした。あれだけ
奏莉が心を痛めていたというのに当の本人は自身を祀る巫女に対する興味がこれだけ薄いとは、奏莉が哀れ過ぎて涙が出てくる。
(退屈は神々も殺すと言うけど……どうなのかな?)
寝ころんだ体勢のまま、ふわふわと部屋を右往左往する天音命を見ながら益体の無いことを栞は考える。
「あ!そうだ栞!」
「な、なんでしょう?」
顔がくっつかんばかりの勢いで迫る天音命に思わず栞は上ずった声をあげてしまう。距離を取ろうするが、何故か天音命はそれを認めないとばかりの、無駄に力強い視線をぶつけてくるため、うっと小さく呻くだけで、栞は互いの息の音が聞こえる程の距離で見つめ合うこととなった。
「奏莉の事、呼び捨てだったよね」
「え、ええ、半分強制ですけど……って見てたんですか」
「うん」
「……まぁ良いですけど、えっと呼び捨てがどうかしましたか?」
傍に居なくても遠くを見通す。それが出来ることに今更驚く栞ではない。お天道様はお見通し、天網恢恢疎にして漏らさず。という言葉もある神様ならその位できるだろう。それに……。
(どんな小さな救いの言葉も嘆きも聞き逃さない。遍く声を聴く女神。故に天音命……だもんね。見ていても驚かないし、というか聞こえない訳がないよね?)
「じー」
「あの……ちょっと、退いてもらえません?……聞こえてます?」
見つめてくるだけの天音命に気不味くなったのか栞は自身の体が何故か動かないので、退くように促す。だが、聞こえていないのか、はたまた無視しているのか一向に天音命は動こうとしない。
「栞!」
「は、はい!?」
強引にでも身を捩って天音命を退かせようと思案したところで若干以上に目を血走らせた天音命が神の癖に鬼気迫る栞に顔を近づけてくる。
その様子に驚きつつも栞は半ば反射的に返事を返す。
(な、何、この展開?なんでこんなに必死になってるの?ま、まさか……?)
耳年増という程では無いにしろ、年齢的にお年頃の栞も有る程度、そっち方面の知識は少なからず存在している。そして、その知識が無駄に刺激され、あまり歓迎出来ない事態に陥るのでは無いのかと、栞の頬を染め上げる。
「ちょっと天音命様?一体、な、何を……?」
「……様」
「え?」
「その、様って言うの止めて欲しい」
一瞬に良からぬ方向に向かった栞の思考は、天音命の予想外の言葉にフリーズする。体の動かし方をしばし忘れ、無意味に視線が上下左右に揺れる。
そして、僅かな再起動の時を経て、解へと至った。
「は?え?な、何を言ってるんですか?祭神様を呼び捨てになんてできるわけないじゃないですか」
栞が天音命にするのと同じように様付けしていた奏莉。それが途中から半ば強引とは言え呼び捨てになった事に、天音命は多少なりとも思うところがあったようだ。
「別に私が良いって言ったら呼び捨てで良いんだよ」
「いやいや……」
(別に呼び捨てしても、祟りとかにはならないだろうけど……もし奏莉さ……奏莉の前で思わず様付け忘れたら、大変な事になりそうだよ)
ただでさえ、天音命の存在を知覚出来ることがバレているのだ。それにあの清廉と呼ぶに相応しい性格、下手をすれば、自分の代わりに祭主に務めて欲しいと言い出してもおかしくはない。
(それは絶対に勘弁願いたい……でも)
「栞ー!呼び捨てで良いからぁ」
「分かった!呼び捨てにしてもらえるように全力で頑張るよ!よし、この家の庭から油田が出れば!」
そう叫ぶなり天音命の両の瞳が翡翠の輝きを灯す。それに伴い明らかに空気が変わる。肌を撫でる空気がピン張り詰める。肌が騒めき、視界が僅かに霞んでいく。
それまでそこからの気の良いお姉さんとも呼べた天音命の雰囲気が触れれば切られるようなモノへと変質していく。それは、祭神として顕現した時の神々しさをそのままに纏う、一族の誰もがイメージする天音命の姿そのままだった。
(ダメだっ!ここで止めないときっと取り返しのつかないことになる)
「分かりました!分かりましたから!」
栞の霊感が生涯でも最大級の危険を告げる。祟りや呪いと言った類とは真逆のベクトルの脅威だが、こんな力を本家、四名家にでも見られてしまったら、ロクな事にならないのは明白だった。
「うん。なら良いや」
かつて無いほどに必死になっている栞の言葉に、先までの雰囲気がまるで夢幻で有ったかのように、その気配を霧散させると天音命は嬉しそうに笑顔を浮かべる。
その笑顔に栞は気付く、してやれたと。
「わざとやりましたね」
「えへへ」
「えへへじゃないですよ!なにナチュラルに人を騙してんですか!?」
「いやいや、騙したわけじゃないよ?止めてくれなかったら本気でやってたよ」
小さく肩を竦めて、白い歯をちらりと見せながら小首を傾げて天音命は微笑むが、それとは逆に栞の顔からは表情が消えていた。
(危なかった……。というかもういいや、呼び捨てするぐらい。あだ名的なのを付ければ良いよね)
「栞、栞。ね、ほら呼んでみて!」
天音命は力無くベッドに座る栞の右側に正座で座り、今か今かとその時を待っている。その目は無駄にキラキラしている。その純真さは神で有るからなのか、それとも天音命の性質なのか、それは栞には分からない。
「うぅ、あぁえっと」
「じーー」
「……あ、天音」
何故か、頬を染めながら絞り出すように栞は天音命をそう呼んだ。
「……」
「あれ?えっと、やっぱりちゃんと呼ば、わぁああ!?」
「天音、天音!なんか今どきの名前っぽい!」
ぎゅうぎゅうと栞に抱き付きながら天音命こと天音は楽しそうにはしゃぐ。その様はまるで子供だ。
「まぁ良いか」
喜ぶ天音と、とりあえず事態が安全領域に着陸出来た事に、栞は安堵すると階段を駆け上がって来る母に先の事態をどう言い訳すれば良いかと悩むのであった。
言霊、それは言葉に宿るとされる力とされている。受験や結婚式等でも縁起の悪い言葉を言わないのはそれの名残りである。ならば神が新たなる自分の名を認めた事にどんな意味があるのだろうか?
その意味を栞が知るのはもうちょっと先の話である。
ちなみに敬語も禁止された。
また年越しは職場かぁ!
せめて緊急が来なければ……。