臨界超越と超越者
「いい加減、斬られなさいよっ!」
甲高い怒号が夜の静寂を切り裂いた。
八月下旬、このころになると夜は段々と冷え込むようになる、のだが。
「斬られなさいよって、斬られたら死ぬだろ!?」
公園で汗だくになっている一組の高校生の男女は、寒さなどどこ吹く風だった。
「あんたが死んで悲しむ人なんているの?」
長い黒羽色の髪がさらりと揺れる女の子、桜庭勇音が怪訝な表情で男に尋ねる。
キリッとした眼、筋の通った鼻、健康的な桜色の唇。
胸のふくらみは、アクティブに動くのが困難ではないだろうかと思わせるほどで、上下制服に身を包んでいる。スタイルは抜群にいい。
そして右手には……真剣。
「それは流石にひどくねえか…うわっ!」
一方の男、赤坂大斗は丸腰である。
上はTシャツ、下はジャージ。
髪はさっぱりと短く、顔は…まあ悪くない。体型は華奢だ。
大斗のものと思われる制服は、公園の隅にあるベンチに投げ捨てられたような無造作な形で置かれていた。それが、事の始まりが急だったことを暗に語っている。
……にしても、だ。
一体何時までこんなことを続ける気なんだろうか。
襲い来る白刃を気怠そうに躱しながら、大斗は腕時計に目を遣った。
午後九時過ぎ。思わずため息が漏れる。二時間もこうしているのか、と。
正直なところ大斗は、早く家に帰って寝たい一心だった。
だがそんな大斗の気持ちとは裏腹、
「よそ見してるんじゃないわよ!」
勇音の鋭い突きが、まるで鉄砲玉の様な速さで繰り出される。
「…っと」
常人では反応すらできないようなそれも、大斗は身をよじって難なく躱し、素早く勇音と距離を取った。
躱し方は道化師のような滑稽な動きだが無駄はない。どうせ躱すならもうちょっとカッコよく躱したいと大斗は切に願っているが、反射的なものゆえに、その願いは当分叶いそうになかった。
「ん?」
と、やにわに追撃が止んだ。
ふう、と一息ついた大斗は、冷え切った手をポケットに突っ込む。
そうスタミナがある方ではないと自覚している大斗だが、必要最小限しか体を動かしていないため、息切れは見られない。
対する勇音は肩で息をしていて、飄々と佇んでいる大斗を睨みつけた。
「……なんで…っ」
苦しそうな様子の勇音は、これ以上やっても無駄だと判断したのか、ゆるゆると力無く真剣の切っ先を地に付けた。
そうして下唇を噛んで、
「なんで剣道有段者でもないあんたが、今の躱せるのよ…っ!」
今しがたの突きによっぽど自信があったのだろう、勇音が悔しそうな表情を浮かべる。
「そんな、人を小馬鹿にしたような動きで!」
毒を吐くのも忘れていなかった。
勇音は実家が剣道の道場だからなのか、一子相伝と言われている榊七桜流という流派を受け継いでいる。
勇音によると、最強というより正確無比な流派らしい。それって最強なんじゃないかと思ってしまったのは伏せておく。
ともかくも、家が近くで、いわゆる幼馴染みだった俺にとって勇音は、目の上のこぶみたいな存在だった。
なにかにつけて比較され、別段なんの取り柄もない俺はその度に無力感に苛まれていた。
なにしろ勇音は、剣道はもちろん合気道や茶道、書道、華道に精通し、品行方正で学業優秀という才色兼備の最たる例だ。学業はおろか、あまつさえ遅刻もする俺に敵う余地は微塵もない。
そんな俺が出しぬけに臨界超越を発症したのは、中学二年の夏。
その日はたまたま勇音の家に晩御飯を呼ばれていて、「必殺技を練習したい」という勇音のひょんなキッカケから、剣道の相手をさせられることになった。
「お願いします」
「お、お願いします」
剣道なんてやるハメになるとは思ってもなかった俺は、もたもたと防具を身に着け、見よう見まねで竹刀を構えて勇音と向き合った。
張りつめた空気の道場。
互いの息遣いが聞こえそうなほどな静けさ。
「……!」
そして、気づいた。
いつもの勇音ではない、と。
(……殺られる)
本能的にそう感じ取ったが、時はすでに遅し。
勇音は勢いよく床を蹴り、こちらに向かって来ていた。
練習を始める前に「あんたはじっとしてればいいから」と言われていたものの、なにせ必殺技だ、ともすれば本当に殺されるかもしれない。
普段冗談など絶対に言わない勇音だからこそ。
うすら寒いくらいのリアリティがあって。
そんな恐怖の中で振り下ろされた勇音の竹刀は、
「……え?」
しかし俺を捉えることなく、虚しく空を切っただけだった。
「あれ?」
俺は少し遅れて自分が勇音の攻撃を避けたのだと気付いたが、すぐに頭がそれを払拭した。
避けたといっても右斜め後ろに半歩下がっただけで、しかも自分で意識して後退したわけではなかったから。
「も、もう一回やりましょ!」
互いの頭上に疑問符が浮かんだままで仕切り直し。
勇音の顔には『なかったことにしたい』と油性のマーカーではっきりと書かれていた。
だが何度やっても結果は同じで。
それこそ勇音は、上段から下段まで多種多様な技を繰り出してきたが、ただ一つとして大斗に届くものはなかった。躱し方は不恰好だったにせよ。
「まさか……臨界超越…?」
自分の言ったことが信じられないような顔の勇音。
超越者でもければ見切れるはずはないし…、という勇音の呟きは右から左に流してやった。
大斗もまた、そんな可能性があるとは露ほども思っていなかったからだ。
「んな訳ねえだろ。こんなみじめな超越者がいてたまるか」
軽く言ってのける大斗。
しかしそれが後に臨界超越だと認可され、超越者しか入学できない高校に強制入学させられることになり、勇音もまた超越者になるとは、神のみぞ知るところだった。
──臨界超越。
人智を超えた能力。
その大半は一芸に秀でたもので、万能な能力はごくごく僅かしか確認されていない。
けれど臨界超越は非常に稀なものというわけでもなく、一般社会に広く普及していた。
そんなありふれたようでありふれていない生活が今、始まる。
これって学園モノ? SF? と十分程度迷った挙句、学園モノにしました。
初投稿でお見苦しいところもあるかと思いますが、暖かい目で彼らを見守ってやってくださいm(__)m




