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ある日、熊さんに出会った話

 山が色付くこの季節は、なぜか空気が澄んでいるように感じられる。野山が呼吸をしているからだろうか、それとも、北風の寒さが肺を冷やすだろうか。

 赤い球が沈むのも、この頃は早くなってきたし、帰り道が真っ暗な闇に覆われて、おもいがけず夜空を見上げてしまう。季節の移り変わりに疎い私ですら、そうなのだから、動物達は肌で、その事を感じているだろう。

 地方都市では、猿が降りてきて話題になったそうだ。

 私が何故、こんなにも秋を感じているかというと、今現在、進行形で熊に出会ってしまったからだ。

 此処は山ではないし、田舎の畦道でもない。此処は私の家だ。

 木彫の熊は豪快に、川を登ってくる鮭を食わえているが、この熊は、鯖缶を食わえていた。

「あの〜。すいませんが、あなたは誰ですか?」

「……」

「此処は私の家なんですけど……」

「……」

「どうやって侵入したんですか?」

 熊は黙って指を(前足の)を玄関の段ボールを差した。

 そこには、イキモノでもセイブツでもなく、ナマモノと書いた大きなステッカーが貼ってあった。

 差出人の名前は、父方の祖父で、宛先は間違いなく私の家だった。

 そして、熊といっても、どう考えたって着ぐるみの熊だった。耳が頭頂部に付いていて、眼を見開いたまま凝視している。何より、二足歩行をしている時点で本物の熊ではなかった。


「……」

 私はもう一度、冷静にその熊を観察して言った。

「どちら様ですか?」

 私は怖かった。本物の熊と出会う事よりも、自分の家で、着ぐるみの熊に出会うことの方が怖かった。

「強盗ですか?」

「……」

「ドッキリ?」

「……」

「そうだ、妻はどうしたんだ?もしかして食べ……何処かに監禁したとか?」

「……」

「なんとか言ったらどうなんだ。この……熊!!」

「……」

 私は怖かった。意味が解らない事が怖かった。

 私は、ある私立大学の教授だ。私が教えているのは『ある限定地域における民族意識の変化とその推移』だ。最近は、何ら感慨も沸かないような論文を発表したが、大した批判も受けずに教授をやっている。


「ただいまぁ」

 妻が帰ってきた。2という数は、どちらかが一方的に働きかけるか、二者による相互的な働きかけの往復に終止していまいがちだ。しかし、これが3になると、より流動的な関係になる。つまり、妻が帰ってきたのだ。

「あら、もう届いたのね?」

 熊を見て、妻が言った。

「届いた?どういうことだ?」

「……」

 熊は、ゆっくりと妻の方を見た。

「さっき御父さんから電話があってねぇ、ボケたじいさんが間違って熊を送ったって……」

「間違って?何を間違ったら熊が届くんだよ!?」

「……」

「ちょっと、怒鳴らないでよ。あら、意外と可愛い顔してるじゃない」

「いや待て、コイツは熊ですらない。これは熊の着ぐるみじゃないか?」

「……」

 私は、ネクタイを外しながら妻に言った。

「いいじゃない、家族が増えたと思えば……」

「家族?こんな得体の知れない着ぐるみを被った人間を家族だと!?」

「……」

 私は、机に拳を叩き付けた。

「何を感情的になってるのよ。前から犬か猫でも飼いたいな、なんて言ってたのは貴方じゃない」

「犬か猫だと、コイツは、いやコレは人間だろ?誰かが中に入ってるんだ」

「……」

 私は、熊の着ぐるみの頭に手をかけたが、熊は両手で私の手を強く振り払った。

「……」

「危険だ。見てみろ、コイツは私の手を叩いたぞ」

「怖がってるだけよ、ほらこっちに来なさいな」

 妻が椅子を差出すと、熊はそれに従った。

「椅子に座る熊なんて聞いたことないよ」

「行儀がよくて良いじゃないの」

 早くも、洗脳にかかった妻を見て、私は危機を感じた。

「こんな熊なんて、捨ててこよう」

「でも、せっかくオジサマがくださったモノだしねぇ」

「……」

「とにかく君、顔をとって話し合おう、条件によっては家に住ましてやっても良い。だが顔を見せてくれないことには、フェアな話し合いはできないだろう」

 私は幾分か冷静になった頭で、事に対処しようと考えた。私が、この熊の着ぐるみを着た男。いや女かもしれないが……を人間として考えるから、話が混乱するのかもしれない。

「動物を飼うっていうのはな……一生、こいつの世話をする責任を負うことになるんだ。エサ代だって熊なんだから馬鹿にならないし、しつけだって一筋縄じゃいかないんだ」

「そうね……熊って何食べるのかしら」

「もし、何かのミスでこの熊が近所の人間を傷付けたり、散歩中に暴れだしても、私達にはどうすることもできない」

「そうね、なんだか怖くなってきたわ」

 もう一息だ。妻も、だんだんと否定の方に傾いてきている。

「熊を飼うなんて無理なんだよ、こうゆうのは専門の飼育員じゃないと……」

ピンポーン

「はーい、今行きまーす」

 妻はさっさと玄関に向かった。自然と、リビングには椅子に座って正面を凝視している熊の着ぐるみを着た何者か、と自分の二人だけになる。

「なぁ、しゃべってみろよ。妻がいない間に、一言ぐらいなら大丈夫だって」

「……」

「よし分かった、この鮭缶をやろう」

「……」

「喉が渇いただろう、お茶でも飲むか?」

「……」

 観察してみると、熊の表情は半笑いのまま動かず、見ているものを、恐怖と不安に陥れるには十分だった。ここは森ではないし、熊さんに出会ったら死んだフリが原則だ。

「……」

「なんだよ、睨んでるのか?それとも、その仮面の下で薄笑っているのか?」

「……」

 リビングはやけに静かで、さっきから私の独り言が虚しく響くだけだ。

「もういい……疲れた。」

「ねぇ、あなた」

「ん…何だよ」

「今ね、運送会社の人がきてね。手続きのミスで熊の木彫と本物の熊を間違えたらしいのよ」

「手続き?じいさんが送ったんじゃないの?」

「どうやら違うらしいわ」

「ガオー」

「うわ、ちょっ、どうしたんだ、さっきまでおとなしかったのに」

「ついにキレたんじゃないの?」

「お前は何で、そんなに冷静でいられるんだよ」

「あ、おとなしくなった」

 熊は、一声上げただけで椅子に座ったままだ。

「もう我慢できない、間違って送られたなら、送り返そう」

「でも、疲れたわ。明日にしましょう」

「そうだな。今日は、さっさと寝よう」

 熊は椅子に座ったままおとなしくしている。私達は、寝ることにした。

「おやすみ」

「……」

「おやすみなさい」



 部屋が真っ暗になって、私が寝かけると、リビングから何か聞こえてきた。

「ふぁ〜、よく寝たな。ここはどこだ?」

 私は電気を着けるのを躊躇ったが、暗闇のなかで熊の頭部が外されたのが分かった。

「やっぱり人間じゃないか。絶対そうだと思ったんだ」

 私は、喜々として立ち上がり、照明の紐を引っ張った。そこには、熊の頭を右わきに抱えて立っている異形の生き物がいた。

 二本足で立つ真っ白いヌルヌルとした顔の、頭の大きなその生物は

「いけね、しゃべっちゃった」

と言うと、窓を開けて闇の中に消え去った。

 私はこの体験を論文にまとめたが、アホらしくなって小説にした。あの生物が、宇宙外生命体だったのかどうか、いまだに判断しかねるが、熊の頭部は今も自宅の玄関で宙を凝視している。

シュールに仕上げるつもりでしたが、どうしても脱力的なコメディになってしまいました。

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― 新着の感想 ―
[一言] ちょうどいい脱力的なコメディだと思います(笑) どうオチをつけるのかなと思っていたら、予想外の展開にびっくりです。
[一言] 熊さんがかわいかったです。 所々にあるユーモアがいい味だしてました。
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