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10分感の堆積:線路に落ちかけてた大学生を助けたら、私が恋に落ちてた話。

作者: 三日ノ 翔
掲載日:2026/08/13

「9月こそ、彼氏作るぞー!!」


 

 すれ違いざまに発せられたその言葉が気になって、私は思わず振り返った。

 

 私の背後では、2人の女子高生が話しながら駅の階段を昇っていくところだった。ふたりとも、必要以上に顔を寄せている。私にはなくなりつつある、肌のハリときめ細かさが羨ましい。

 

 会話の続きが気になったけれど、残念ながら彼女たちは階段を昇り終えてしまった。視線を下に戻し、再び階段を降りる。

 

 今から5年ぐらい前、私にもあんな時期があったっけ。柄にもなく思い出にふける。

 

 学生時代は文化祭や体育祭など、夏休み明けに楽しみがあった。しかし、社会人になった今は、夏から秋になってもなんのトキメキも感じない。ただ同じルーティーンワークが続くだけ。変わるのは気温ぐらいだろう。


 

 長い階段をやっと下り終え、ホームへと降りる。

 

 少し早起きしたからだろうか。いつもより人はまばらだったが、習慣でつい階段脇の定位置に並んだ。

 

 そこには既に見慣れない男性が立っていた。

 

 次の電車が来るまで、まだ時間がある。人間観察が密かな趣味の私は、隣の男性を観察し始めた。

 

 まだ若い。ネクタイはしてないから、大学生だろうか。身長が高く、色白で細身。無地の半袖のYシャツを着た、真面目そうな人だった。

 

 バレない程度にチラ見していると、その時。

 

 不意に、彼の体がぐらりと揺れた。スマホが床に落ちる音がしたかと思うと、そのまま線路に向かって倒れる。まるでスローモーションみたいに、線路に落ちようとしているのが見えた。


 

 ——パシッ。

 

 乾いた音がして、彼の体の動きが止まった。気がつくと私は、彼の肩を掴んでいた。

 

 元バレー部エースだった私の、反射神経が活きたのかもしれない。

 

 そう思いながら、両手でゆっくり彼の体を起こす。

 

 ——レモンの香水だろうか、彼からはほんのり柑橘系の匂いがした。

 

 一瞬ざわめいた構内は、私が無事助けたことがわかるとすぐに静まった。みんなスマホの画面に視線を戻す。

 

「すみません、急に頭が真っ白になってよろめいちゃって。本当にありがとうございます」

 

 彼が口を開いた。私は慌てて、手を放す。

 

「怪我とかありませんか?」

 

 一応聞いておく。

 

「大丈夫です。どうもありがとうございます」

 

 そう言って一礼し、彼は私に背中を向けた。階段へと歩き出す。


 

 その後ろ姿は、なんとも寂しげだった。左右にフラフラ揺れて、足元もおぼついていない。

 

 それを見た私は、なぜか、このまま放って置けない気がした。

 

 弟と重ねてしまったからだろうか。私の弟は、私が大学生の時に命を絶った。まだ中学生だった。不登校で家に篭りがちだったが、私たち家族には明るく振る舞っていた。でも、今だから分かるが、あれは空元気だったのだ。本当は弟も、誰にも言えない悩みで苦しんでいたに違いない。そんな弟も、最後に会った時は目の前の彼と同じ、寂しげな背中をしていた。

 

 もしあの時、弟に声をかけていれば。寄り添ってあげていれば、今も弟は生きていたかもしれない。

 

 何もできなかった後悔を思いだす。

 

 考えるより先に、私は口を開いていた。

 

「——あのっ」

 

 私の突然の大声に、彼が驚いた顔をして、こちらへ振り向く。周りの人も訝しげに私を眺める。しかし気にせず私は続けて、「今からお茶しませんか? 10分だけでも」と話しかけた。

 

 ——これが始まり。


 

 ♢♢♢

 

 

 声をかけてはみたものの、小さな駅なので朝の7時30分にやっているお店は限られていた。とりあえず、彼と一緒に空いていた駅前のバーガーチェーンに入った。注文と受け取りを済ませ、席に着く。

 

 さて、誘ったはいいが何て切り出そう。逆ナンだと思われてたら嫌だな。

 

 私が悩んでいると、向いに座る彼が、「さっきは助けてくれて、ありがとうございました」と丁寧に頭を下げた。

 

 観察どおり、律儀な人のようだ。

 

 私もつられて、

 

「こちらこそ……。いや、こちらこそは変ですね。とにかく無事でよかったです。寝不足だったんですか?」

 

 彼は少し微笑んで、

 

「そうですね。最近、いろいろと忙しくて……」

 

 そう言ってしばらく口をつぐんだ後、

 

「でも本当は……一瞬だけ、このまま電車に轢かれて死んでもいいと思ったんです」

 

 こう言って、寂しげに笑った。

 

 そのすぐ後に、彼はハッとした表情で、

 

「すみません! 変な話しちゃって。僕、もう行きますね。誘ってくれてありがとうございました」

 

 早口に言って立ち去ろうとした。

 

「ストップ!」

 

 私は行こうとする彼の手を掴んで止めた。こんな言葉を聞いたら、流石にスルーするわけにはいかない。もしこのまま別れたら、彼は本当に線路に飛び降りるかもしれない。私はもう二度と、救えなかった後悔をしたくない。

 

「もしよかったら、私に話してみませんか。私は見ず知らずの他人だけど、それでも相談に乗らせてほしいです」

 

 しばらく沈黙が続いた。

 

 そして、彼は話し始めた。


 

 ♢♢♢


 

 彼はお世辞にも話上手とは言えなかったし、所々言葉に詰まっていたけれど、大筋の事情はわかった。話をまとめると、だいたいこんな感じだった。

 

 大学で3年付き合った彼女に、ずっと2股をかけられていた。しかも相手は彼の弟で、浮気がばれた彼女は弟の方を取ったらしい。さらにそのショックで寝不足が続いていたところ、昨日パソコン操作を誤り、ほぼ完成していた卒業論文のデータを削除してしまったという。


 これはひどい……。

 

 私は話を聞くことしかできなかった。人生の先輩として、なんと言おうか。励ましの言葉を必死に考えていると、

 

「——すみません、変な話してたらもうこんな時間ですね」

 

 彼に言われ、急いで腕時計を見る。


 

 8時10分。

 

 マズい、このままだと遅刻だ。10分だけと思っていたが、すっかり話に引き込まれていた。

 

「そうですね、出ましょうか」

 

 恐らく彼は、言葉に詰まった私に気を遣ってくれたのだろう。年下なのに気が利く。

 

 一緒に店の外に出た。入り口の前で、

 

「今日は話を聞いてくれて、ありがとうございました。心が楽になりました」

 

 そう言って彼は、私にペコリとお辞儀をし、歩き去ろうとした。

 

「——また明日、こうして会いませんか?」

 

 私は思わず声に出した。

 

 マズい、変な女だと思われただろうか。しかし、彼を放って置きたくなかった。

 

 断られるかと思いきや、彼は私の方へ振り返って、

 

「——良いんですか?」と呟いた。

 

 私たちは連絡先を交換して、別れた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 それから、2人だけの奇妙な会合は私と彼との日課になった。毎朝10分。誰が言い出したわけではないけれど、自然とそう決まった。

 

 社会人になると、仕事抜きで話ができる友人というのはそう多くない。20代も半ばに近づくと、昔からの友達とも結婚の話ばかりになる。マウントの取り合いのようなその雰囲気が、私はなんとなく苦手になっていた。

 

 というわけで、この会合はいつしか私にとっても楽しみになっていた。

 

 初めはぎこちなかった会話も、今ではすっかり打ち解けていた。彼も私も自然な笑顔が増え、お互いを信頼しあっていた。


 

 出会ってから3ヶ月後。クリスマスの1週間前。

 

 たまたま早上がりした私は、することもなく駅上の本屋にいた。オフィス近くで買い物でもしようかと思ったのだけど、周りはイルミネーションが煌めき、すっかりクリスマスムードだった。独り者の私にはどことなく居づらく、逃げるように電車に乗った。

 

 そういうわけで、本屋ぐらいしか行くところがなかったのだ。


「——せめて、クリスマス料理の本でも買おうかな」

 

 振舞う相手はいないけど。

 

 自嘲気味に小さく呟く。もちろん口には出さない。

 

 相手、か。

 

 なぜか、彼の顔が浮かんだ。慌てて打ち消す。私たちはそんな関係じゃない。


 その時、不意に聴き慣れた声がして、私は入り口を振り返った。

 

 ——そこには、彼と見知らぬ綺麗な女性がいた。

 

 ふたりで話しながら本屋へ入ってくる。時折笑顔も見えた。

 

 私はとっさに、何も買わずに店を飛び出した。

 

 自然と小走りになり、エスカレーターを駆け下りる。

 

 バッグの紐が肩に擦れて、ヒリヒリと痛む。

 

 しかし、そんなことは気にならなかった。

 

 出会ってから3ヶ月。出会いのない私と違って、大学生なら新しい彼女ができていてもおかしくない。

 

 私は駅ビルの外に出て、ゆっくり息を吐き出した。

 

 白くなった息が降ってくる雪と混じり合って、消えていくのを眺める。

 

 気づくと、私の頬は冷たく濡れていた。


「ああ……恋してたんだ、私」

 

 雪空の下、呟く。


 

 ♢♢♢


 

 次の日、私は有給を使い会社を休んだ。

 

 と言っても、何も失恋で寝込んだわけじゃない。確かにショックは受けたが、それ以上に傘も差さずに雪空の下に立っていた、物理的なダメージの方が大きかった。

 

 数年ぶりに、風邪をひいた。

 

 会社に連絡を入れた後、彼に短いメッセージを送る。

 

【ごめん、風邪で今日は会えません】

 

 それだけ書くと、私はベッドに倒れ込んだ。いつの間にか眠り込む。


 

 夢を、見ていた。

 

 久しぶりに弟が出てきて、生意気そうに笑う。作り笑いじゃない、本物の笑顔だ。

 

「元気でやってる?」

 

 私がそう尋ねると、うるさそうに顔の前で手を払って、

 

「俺のことはいいからさ。姉ちゃんこそ、後悔しないよう生きろよ」


 

 そこで目が覚めた。

 

 スマホを見ると、彼から返信が来ていた。

 

【大丈夫ですか? メッセージ見たら連絡ください。力になりたいです】

 

「後悔しないように、か……」


 出会った頃と違って、彼はもう大丈夫。弟の様にはならないだろう。あと私にできる残されたことは、彼の幸せと恋が上手くいくことを祈って、身を引くことだけだ。この3ヶ月間、朝の彼との時間は宝物だった。終わるのは寂しいが、やり残した後悔はない。

 

 私は思い切って、彼に電話をかけた。2コール目で、彼は電話に出た。


「風邪は大丈夫ですか? 病院、付き添いますよ」

 

 心配する彼を遮って、

 

「もう大丈夫だから心配しないで。……それよりも、毎朝会うのもう終わりにしよう」

 

「何でですか⁉︎」

 

 彼が驚いた声で返す。

 

「私より、彼女さんと一緒にいてあげて欲しい」

 

「彼女? そんな人、いないですけど……」

 

「えっ、昨日駅上の本屋さんで、かわいい彼女さん連れてなかった?」

 

「ああっ!」

 

 彼は短く笑って、

 

「あれは従姉妹ですよ。年明け、進学してこっちに引っ越してくるので案内してたんです」

 

 なんだ、そうだったのか。

 

 身体中の力が抜けた。

 

「そうだったんだ。ごめん、もう休みたいからそろそろ切るね」

 

 彼に告げた後で、

 

「心配してくれて、ありがとう。また明日ね」

 

 私はこう付け足した。

 

 電話を切って、ベッドに横になる。


 私はなぜか笑顔になっていた。

 

 気づくと熱っぽい体の不快感も、どこかへ過ぎ去っている。

 

 私は目を瞑り、今度は深い眠りについた。



 ♢♢♢


 

 次の日の朝。

 

 いつもよりも早く、私はおなじみのバーガーショップに来ていた。

 

 コーヒーに口をつける。いつもよりも熱く感じるのは、多分風邪のせいじゃない。

 

 昨晩考えたセリフを、頭の中で何度も繰り返した。


 「昨日は心配してくれてありがと。それで……良かったら、クリスマスの夜って空いてる?」


 少しストレート過ぎだろうか。もっと大人っぽい、スマートな誘い方の方が……。


 そんなことを考えていると、不意に、店の自動ドアが開く音がした。

 

 足音が、こちらに向かってくる。レモンの香水が香った。


 来た。


 彼だ。

 

 深呼吸して、彼に声をかけられるより先に、私は勢いよく後ろを振り返った。



 

 

 ——じっと、彼の目を見つめる。

 

 私はゆっくり、口を開いた。


 <fin>

初投稿です!

最後までお読み頂き、本当にありがとうございました!!

こんな恋がしたいと思ってくださったら、主人公に共感したら、評価よろしくお願いします!

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