10分感の堆積:線路に落ちかけてた大学生を助けたら、私が恋に落ちてた話。
「9月こそ、彼氏作るぞー!!」
すれ違いざまに発せられたその言葉が気になって、私は思わず振り返った。
私の背後では、2人の女子高生が話しながら駅の階段を昇っていくところだった。ふたりとも、必要以上に顔を寄せている。私にはなくなりつつある、肌のハリときめ細かさが羨ましい。
会話の続きが気になったけれど、残念ながら彼女たちは階段を昇り終えてしまった。視線を下に戻し、再び階段を降りる。
今から5年ぐらい前、私にもあんな時期があったっけ。柄にもなく思い出にふける。
学生時代は文化祭や体育祭など、夏休み明けに楽しみがあった。しかし、社会人になった今は、夏から秋になってもなんのトキメキも感じない。ただ同じルーティーンワークが続くだけ。変わるのは気温ぐらいだろう。
長い階段をやっと下り終え、ホームへと降りる。
少し早起きしたからだろうか。いつもより人はまばらだったが、習慣でつい階段脇の定位置に並んだ。
そこには既に見慣れない男性が立っていた。
次の電車が来るまで、まだ時間がある。人間観察が密かな趣味の私は、隣の男性を観察し始めた。
まだ若い。ネクタイはしてないから、大学生だろうか。身長が高く、色白で細身。無地の半袖のYシャツを着た、真面目そうな人だった。
バレない程度にチラ見していると、その時。
不意に、彼の体がぐらりと揺れた。スマホが床に落ちる音がしたかと思うと、そのまま線路に向かって倒れる。まるでスローモーションみたいに、線路に落ちようとしているのが見えた。
——パシッ。
乾いた音がして、彼の体の動きが止まった。気がつくと私は、彼の肩を掴んでいた。
元バレー部エースだった私の、反射神経が活きたのかもしれない。
そう思いながら、両手でゆっくり彼の体を起こす。
——レモンの香水だろうか、彼からはほんのり柑橘系の匂いがした。
一瞬ざわめいた構内は、私が無事助けたことがわかるとすぐに静まった。みんなスマホの画面に視線を戻す。
「すみません、急に頭が真っ白になってよろめいちゃって。本当にありがとうございます」
彼が口を開いた。私は慌てて、手を放す。
「怪我とかありませんか?」
一応聞いておく。
「大丈夫です。どうもありがとうございます」
そう言って一礼し、彼は私に背中を向けた。階段へと歩き出す。
その後ろ姿は、なんとも寂しげだった。左右にフラフラ揺れて、足元もおぼついていない。
それを見た私は、なぜか、このまま放って置けない気がした。
弟と重ねてしまったからだろうか。私の弟は、私が大学生の時に命を絶った。まだ中学生だった。不登校で家に篭りがちだったが、私たち家族には明るく振る舞っていた。でも、今だから分かるが、あれは空元気だったのだ。本当は弟も、誰にも言えない悩みで苦しんでいたに違いない。そんな弟も、最後に会った時は目の前の彼と同じ、寂しげな背中をしていた。
もしあの時、弟に声をかけていれば。寄り添ってあげていれば、今も弟は生きていたかもしれない。
何もできなかった後悔を思いだす。
考えるより先に、私は口を開いていた。
「——あのっ」
私の突然の大声に、彼が驚いた顔をして、こちらへ振り向く。周りの人も訝しげに私を眺める。しかし気にせず私は続けて、「今からお茶しませんか? 10分だけでも」と話しかけた。
——これが始まり。
♢♢♢
声をかけてはみたものの、小さな駅なので朝の7時30分にやっているお店は限られていた。とりあえず、彼と一緒に空いていた駅前のバーガーチェーンに入った。注文と受け取りを済ませ、席に着く。
さて、誘ったはいいが何て切り出そう。逆ナンだと思われてたら嫌だな。
私が悩んでいると、向いに座る彼が、「さっきは助けてくれて、ありがとうございました」と丁寧に頭を下げた。
観察どおり、律儀な人のようだ。
私もつられて、
「こちらこそ……。いや、こちらこそは変ですね。とにかく無事でよかったです。寝不足だったんですか?」
彼は少し微笑んで、
「そうですね。最近、いろいろと忙しくて……」
そう言ってしばらく口をつぐんだ後、
「でも本当は……一瞬だけ、このまま電車に轢かれて死んでもいいと思ったんです」
こう言って、寂しげに笑った。
そのすぐ後に、彼はハッとした表情で、
「すみません! 変な話しちゃって。僕、もう行きますね。誘ってくれてありがとうございました」
早口に言って立ち去ろうとした。
「ストップ!」
私は行こうとする彼の手を掴んで止めた。こんな言葉を聞いたら、流石にスルーするわけにはいかない。もしこのまま別れたら、彼は本当に線路に飛び降りるかもしれない。私はもう二度と、救えなかった後悔をしたくない。
「もしよかったら、私に話してみませんか。私は見ず知らずの他人だけど、それでも相談に乗らせてほしいです」
しばらく沈黙が続いた。
そして、彼は話し始めた。
♢♢♢
彼はお世辞にも話上手とは言えなかったし、所々言葉に詰まっていたけれど、大筋の事情はわかった。話をまとめると、だいたいこんな感じだった。
大学で3年付き合った彼女に、ずっと2股をかけられていた。しかも相手は彼の弟で、浮気がばれた彼女は弟の方を取ったらしい。さらにそのショックで寝不足が続いていたところ、昨日パソコン操作を誤り、ほぼ完成していた卒業論文のデータを削除してしまったという。
これはひどい……。
私は話を聞くことしかできなかった。人生の先輩として、なんと言おうか。励ましの言葉を必死に考えていると、
「——すみません、変な話してたらもうこんな時間ですね」
彼に言われ、急いで腕時計を見る。
8時10分。
マズい、このままだと遅刻だ。10分だけと思っていたが、すっかり話に引き込まれていた。
「そうですね、出ましょうか」
恐らく彼は、言葉に詰まった私に気を遣ってくれたのだろう。年下なのに気が利く。
一緒に店の外に出た。入り口の前で、
「今日は話を聞いてくれて、ありがとうございました。心が楽になりました」
そう言って彼は、私にペコリとお辞儀をし、歩き去ろうとした。
「——また明日、こうして会いませんか?」
私は思わず声に出した。
マズい、変な女だと思われただろうか。しかし、彼を放って置きたくなかった。
断られるかと思いきや、彼は私の方へ振り返って、
「——良いんですか?」と呟いた。
私たちは連絡先を交換して、別れた。
♢♢♢
それから、2人だけの奇妙な会合は私と彼との日課になった。毎朝10分。誰が言い出したわけではないけれど、自然とそう決まった。
社会人になると、仕事抜きで話ができる友人というのはそう多くない。20代も半ばに近づくと、昔からの友達とも結婚の話ばかりになる。マウントの取り合いのようなその雰囲気が、私はなんとなく苦手になっていた。
というわけで、この会合はいつしか私にとっても楽しみになっていた。
初めはぎこちなかった会話も、今ではすっかり打ち解けていた。彼も私も自然な笑顔が増え、お互いを信頼しあっていた。
出会ってから3ヶ月後。クリスマスの1週間前。
たまたま早上がりした私は、することもなく駅上の本屋にいた。オフィス近くで買い物でもしようかと思ったのだけど、周りはイルミネーションが煌めき、すっかりクリスマスムードだった。独り者の私にはどことなく居づらく、逃げるように電車に乗った。
そういうわけで、本屋ぐらいしか行くところがなかったのだ。
「——せめて、クリスマス料理の本でも買おうかな」
振舞う相手はいないけど。
自嘲気味に小さく呟く。もちろん口には出さない。
相手、か。
なぜか、彼の顔が浮かんだ。慌てて打ち消す。私たちはそんな関係じゃない。
その時、不意に聴き慣れた声がして、私は入り口を振り返った。
——そこには、彼と見知らぬ綺麗な女性がいた。
ふたりで話しながら本屋へ入ってくる。時折笑顔も見えた。
私はとっさに、何も買わずに店を飛び出した。
自然と小走りになり、エスカレーターを駆け下りる。
バッグの紐が肩に擦れて、ヒリヒリと痛む。
しかし、そんなことは気にならなかった。
出会ってから3ヶ月。出会いのない私と違って、大学生なら新しい彼女ができていてもおかしくない。
私は駅ビルの外に出て、ゆっくり息を吐き出した。
白くなった息が降ってくる雪と混じり合って、消えていくのを眺める。
気づくと、私の頬は冷たく濡れていた。
「ああ……恋してたんだ、私」
雪空の下、呟く。
♢♢♢
次の日、私は有給を使い会社を休んだ。
と言っても、何も失恋で寝込んだわけじゃない。確かにショックは受けたが、それ以上に傘も差さずに雪空の下に立っていた、物理的なダメージの方が大きかった。
数年ぶりに、風邪をひいた。
会社に連絡を入れた後、彼に短いメッセージを送る。
【ごめん、風邪で今日は会えません】
それだけ書くと、私はベッドに倒れ込んだ。いつの間にか眠り込む。
夢を、見ていた。
久しぶりに弟が出てきて、生意気そうに笑う。作り笑いじゃない、本物の笑顔だ。
「元気でやってる?」
私がそう尋ねると、うるさそうに顔の前で手を払って、
「俺のことはいいからさ。姉ちゃんこそ、後悔しないよう生きろよ」
そこで目が覚めた。
スマホを見ると、彼から返信が来ていた。
【大丈夫ですか? メッセージ見たら連絡ください。力になりたいです】
「後悔しないように、か……」
出会った頃と違って、彼はもう大丈夫。弟の様にはならないだろう。あと私にできる残されたことは、彼の幸せと恋が上手くいくことを祈って、身を引くことだけだ。この3ヶ月間、朝の彼との時間は宝物だった。終わるのは寂しいが、やり残した後悔はない。
私は思い切って、彼に電話をかけた。2コール目で、彼は電話に出た。
「風邪は大丈夫ですか? 病院、付き添いますよ」
心配する彼を遮って、
「もう大丈夫だから心配しないで。……それよりも、毎朝会うのもう終わりにしよう」
「何でですか⁉︎」
彼が驚いた声で返す。
「私より、彼女さんと一緒にいてあげて欲しい」
「彼女? そんな人、いないですけど……」
「えっ、昨日駅上の本屋さんで、かわいい彼女さん連れてなかった?」
「ああっ!」
彼は短く笑って、
「あれは従姉妹ですよ。年明け、進学してこっちに引っ越してくるので案内してたんです」
なんだ、そうだったのか。
身体中の力が抜けた。
「そうだったんだ。ごめん、もう休みたいからそろそろ切るね」
彼に告げた後で、
「心配してくれて、ありがとう。また明日ね」
私はこう付け足した。
電話を切って、ベッドに横になる。
私はなぜか笑顔になっていた。
気づくと熱っぽい体の不快感も、どこかへ過ぎ去っている。
私は目を瞑り、今度は深い眠りについた。
♢♢♢
次の日の朝。
いつもよりも早く、私はおなじみのバーガーショップに来ていた。
コーヒーに口をつける。いつもよりも熱く感じるのは、多分風邪のせいじゃない。
昨晩考えたセリフを、頭の中で何度も繰り返した。
「昨日は心配してくれてありがと。それで……良かったら、クリスマスの夜って空いてる?」
少しストレート過ぎだろうか。もっと大人っぽい、スマートな誘い方の方が……。
そんなことを考えていると、不意に、店の自動ドアが開く音がした。
足音が、こちらに向かってくる。レモンの香水が香った。
来た。
彼だ。
深呼吸して、彼に声をかけられるより先に、私は勢いよく後ろを振り返った。
——じっと、彼の目を見つめる。
私はゆっくり、口を開いた。
<fin>
初投稿です!
最後までお読み頂き、本当にありがとうございました!!
こんな恋がしたいと思ってくださったら、主人公に共感したら、評価よろしくお願いします!




