業《わざ》使い
この世界には、業と呼ばれる力がある。
人を焼く炎、触れたものを腐らせる腐食、鋼鉄より硬い皮膚を作り出す硬化——血筋によって形は違うが、どれも物理的な干渉力という点では同じだ。悪魔に対抗するために人間が磨いてきた、唯一の武器。
悪魔は業を持たない。だが強い。理由は分からないが、奴らは昔から人間の街を襲い、焼き、壊してきた。業使いが増えたことで被害は減った。それでも定期的に街が消える。管理都市ウィータの外に広がる無管理地帯には、悪魔に街を滅ぼされた人間たちが今も流れ着いている。
俺もそのひとりだった。
廃都の外れで生まれ、十歳の頃に街ごと爆破された。気づいたら瓦礫の中に立っていた。周りには誰もいなかった。なぜ自分だけが生きていたのか、今でも分からない。
ただ、そのとき初めて炎が出た。
燃えている街を見ながら、手のひらに小さな火が灯った。怖くはなかった。むしろ、これがあれば生きていけると思った。
その炎が目に留まったのか、ウィータの業使い養成機関——通称、鍛錬所——のスカウトがやってきたのは、それから半年後のことだ。
そして今、俺は鍛錬所の第一訓練場に立っている。
訓練場は広い。
天井まで十メートル以上ある石造りのホールで、床には細かい目盛りが刻まれている。業の出力を測るための区画分けらしいが、入学初日の俺にはまだその意味が分からない。四方の壁には焦げた跡や削れた跡がびっしりと残っていて、ここで何年分もの業がぶつかってきたことを教えてくれる。
今日の課題は単純だ。
足元には虫がいる。親指ほどの大きさで、半透明の羽を持つ、見たことのない種類だ。数十匹が地面を這い回り、触覚を動かしている。生きているのか死にかけているのか判断しにくい動き方をしていた。
「各自、業を用いて処理せよ。制御の精度を見る」
教官の声が訓練場に響いた。
周囲の生徒たちが動き始める。
左隣の女子生徒が手を振ると、見えない風圧が走って虫を壁際に吹き飛ばした。続けて壁に叩きつけて仕留める。無駄がない。右隣の大柄な生徒は地面に手を押しつけ、石畳を隆起させて虫をまとめて押しつぶした。どちらも慣れた動作だった。おそらくここに来る前から相当鍛えていたのだろう。
俺は右手を前に出した。
息を吸う。意識を手のひらに集める。炎は肺の奥から引き出すものではなく、血の中に最初からあるものだと、廃都時代に自分で気づいた。血筋に刻まれた系統。訓練で引き出すものだと教官は言っていたが、俺の場合は爆破された日からずっと、望めば出てきた。
指先に熱が集まる。それを手のひら全体に広げて、地面に向かって解放する。
小さな爆ぜる音がした。
一瞬で虫が消えた。焦げた匂いだけが残る。範囲も出力も、狙った通りだった。
「命、制御の精度は問題ない。次の課題に移れ」
教官に名前を呼ばれた。俺は返事をして、次の区画に移動した。
何も感じなかった。強いていえば、うまくいったという確認だけ。虫を殺したという感覚もほとんどなかった。爆破された街で瓦礫をどかす作業と大差ない——手を動かして、邪魔なものを取り除く、それだけのことだ。
次の区画では虫の数が増えていた。五十匹以上はいる。動きも速い。
俺は同じように炎を出した。今度は少し広げて、まとめて焼いた。
終わった。
また教官に呼ばれる前に、俺は三番目の区画を探して視線を動かした。そのとき、訓練場の端に目が止まった。
一人の生徒が虫の前に立っている。
動いていない。業も使っていない。ただ虫を見下ろしている。十秒、二十秒——そのまま動かない。教官が何か言った。生徒はそれに応えるでもなく、静かに右手を虫に向けた。
触れた。
虫が固まった。正確には、虫が触れた地面ごと、石畳が白く変色して硬直した。虫は形を保ったまま、まるで標本のように動かなくなった。
硬化だ。しかも精度が異常に高い。あの出力で自分の手が無事なのは、制御が完璧に近いということだ。
生徒がこちらを向いた。
目が合った。
何も読めない顔だった。感情があるのかどうかも分からない。ただ静かに俺を見て、それからまた次の虫に視線を戻した。
俺は三番目の区画に足を向けながら、さっきの光景を頭の中で繰り返した。
あれには勝てない、と思った。今の俺には。
それが悔しいというより、単純な事実の確認だった。あの硬化の精度は、訓練の積み重ねだけで出るものじゃない。何か別のものが土台にある。
次の区画の虫を焼きながら、俺はその生徒の名前を後で聞こうと決めた。




