表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/19

第十話:壊れた人生

『授けられし力の神話百科事典 ――「見えざる戦争」』


「歴史がスポットライトに照らされた舞台だとするならば、真の権力闘争は常に闇に包まれた舞台裏で行われている。


一般の人々は、タリスマンはとうの昔に失われたと信じている。だが真実を知る者たちは、確かに存在する。古代の年代記は囁いている――秘密結社の存在を。"蒐集者コレクター"、"守護者ガーディアン"、そして"狩人ハンター"。


彼らの目的はそれぞれ異なる。ある者は世界の理を自らの望む形に作り変えるため、アーティファクトを集めようとし、またある者は人類を不浄なる混沌から守るべく、危険な遺物を隔離しようとする。


これらの組織は、いかなる国家の法律にも縛られない。彼らのエージェントはまるで亡霊のような存在だ。タリスマンの力が目覚める場所に現れては、すべてが終わると同時に跡形もなく姿を消す。


そして彼らには、恐るべき“浄化”の力があると噂されている。禁じられた力に触れた者の痕跡を、この世から完全に消し去ることができるのだ。


彼らにとって、人の命などただの駒に過ぎない。神にも等しい力を巡る、終わりなき戦いの盤上に置かれた、取るに足らぬ代償なのだから。」意識の奥底から、ぼんやりとした影が浮かび上がる。


三人の子ども。


自分と同じ黒髪の少年。

マリアのような明るい髪の少女。

そして、もう一人――


子どもたちの笑い声。

降り注ぐ太陽の光。

この木の下で遊ぶ姿。


まぶしすぎるほどの幸福。目が焼けるような光。


けれど、顔だけが霧に隠れて見えない。


自分がそこにいることは分かる。確かに、あの輪の中にいる。

なのに――


(あの子たちは誰だ?

 どうして、こんなに温かいのに……胸が裂けそうになるんだ?)


「全部……霧の中みたいだ……」


ラミレンは自分の手のひらを見つめながら、かすれた声で呟いた。


「まあ……私には関係ないけど」


マリアは鼻で笑い、背を向けて歩き出しかける。

だが、ふと足を止めた。


もう一度彼の方を見る。眉がわずかに上がる。


「顔、どうにかしなよ」


「え?」


「びしょびしょ。泣きながら寝てたの? 早く来なよ、授業始まってる」


ラミレンは頬に触れた。

指先が濡れる。


「……え?」


自分の手についた涙を、信じられないものを見るように見つめた。


悲しいわけじゃない。

ここ数年、強い感情なんてほとんど感じていなかった。


けれど――体が覚えている。

心が忘れた喪失を、体だけが泣いている。


霧の奥の光景がまた揺れる。

笑い声が悲鳴に変わり、

太陽が血の色に染まり、

幸福が恐怖に塗りつぶされる。


(どこから来るんだ、これ……

 なんで俺が見る?

 覚えてないのに、どうしてこんなに痛いんだ)


「どうして……俺……泣いてるんだ……?」


戸惑いの声が、風に溶ける。


数秒そのまま立ち尽くし、風に涙を乾かさせたあと、

彼は乱暴に袖で顔を拭った。木の根元に置いていたリュックを拾い、マリアの後を追う。


(最近ずっと、この夢を見る……誰かの記憶のかけらみたいなやつ)


前を歩く彼女の背中を見つめる。

ただの学級委員のはずなのに、なぜか胸の奥がざわつく。


(あの光景には光がある。笑顔がある。

 なのに、必ずその後に影が落ちる)


思い出していないはずの悪夢が、体の奥にこびりついている。


(いつの出来事なんだ……過去? 未来?

 それとも最初から存在しない時間?)


考えは霧の中を泳ぐみたいに鈍い。

細部は何一つ掴めない。ただ感覚だけが残る。


(眠っている間に、別の人生を生きたみたいだ)


ラミレンはうつむいたまま歩く。


(あの中には、確かに幸せがあった。

 温かくて、まっすぐな友情があった)


でもそれは、自分のものじゃない。


物心ついた頃から、彼はいつも一人だった。

ずっと、教室の端の影だった。


(じゃあ、あの幸せは誰のだ?

 少なくとも、俺のじゃない)


風が吹き、雨の匂いを運んでくる。


(それなのに……どうして俺は、何度もここへ戻ってくるんだ)


振り返ると、あの大きな木が校庭の端に立っている。

枝を広げ、静かに揺れていた。


(家は息が詰まる。壁が迫ってくる。

 静かすぎて、心臓の音がうるさい。眠りも浅い)


でもこの木の下では違う。


葉のざわめきを聞いていると、意識がすぐに落ちる。

まるで、ここだけが許された場所みたいに。


(この木が俺を待ってるみたいだ。

 ここだけが……俺の居場所みたいだ)


二人は校門を抜ける。

マリアはまっすぐ前を歩く。背筋を伸ばし、この世界にちゃんと属している人間の歩き方。


ラミレンは数メートル後ろを、ゆっくりついていく。

体はここにあっても、心はまだ夢の残骸をさまよっていた。


彼は、彼だけの道を歩いている。


(最近、この夢を見る回数が増えてる……)


遠ざかる彼女の背中を見る。

かつて大切だった気がする誰かの面影が、なぜか重なる。


(全部、あの場所に繋がってる)


深く息を吸い込み、吐く。


(あの木。

 あの幻の中では、何かの象徴みたいだった)


けれど今は違う。


(今の俺にとっては……ただの孤独の象徴だ)


それでも。


(あそこにいると、少しだけ落ち着ける。

 たぶん……あれが今の俺の、唯一の“友達”なんだ)


暗い布に身を包んだ男が、息を切らしながら走っていた。

周囲には濃密な霧がまとわりつき、音も思考も粘つく靄の中に沈んでいく。


やがて前方、灰色の霞の向こうに、打ち捨てられた小屋の影が浮かび上がった。


男は転がり込むように中へ飛び込み、勢いのまま壁へ向かって駆け寄る。そこには、ひび割れた鏡が掛かっていた。


鏡を覗き込む――だが、何も映らない。


そこにあるはずの顔の代わりに、揺らめく空虚な闇だけが広がっていた。


「まだ……見つからないのかよ……クソッ!」


短く振りかぶり、叩きつけるような一撃。


鏡は甲高い音を立てて砕け散り、飛び散った破片が拳に突き刺さった。




ラミレンはベッドの上で跳ね起きた。


心臓が肋骨を打ち破りそうなほど激しく脈打ち、喉はからからに乾いている。


数秒間、彼はぼんやりと自分の手を見つめた。切り裂かれたはずの拳に血が滲んでいる気がして。


だが指先は無傷だった。


「夢か……」


掠れた声が、静かな部屋に溶ける。


「ずっと見てなかったのに……夢なんて。目を閉じたときに“何かが見える”感覚、もう忘れてたのに」


ラミレンは気だるげに目をこすり、こびりついた眠気を追い払った。


ベッドから抜け出し、慣れた動作で制服のズボンに足を通し、シャツを肩に羽織る。


開け放たれた窓の前に立ち、朝の澄んだ空気を吸い込みながら、ゆっくりとボタンを留めていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ