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第68回 / 筋肉艦隊、出撃せず



「――報告せよ! 敵の現在位置は!?」


ワシントンD.C.、ホワイトハウスの地下深くにある極秘司令室。

しかし、その場所は通常の司令室とは異なっていた。

壁一面にはダンベルやバーベルが並び、モニターの横にはプロテインの巨大なボトルが鎮座している。

ここは通称『マッスル・バンカー』。

大統領スティーブ・ストロングが、己の肉体と精神を極限まで追い込むための聖域だ。


「はっ! 目標『クイーン・レティーティア号』、東海岸へ接近中! あと三十分で首都圏防空識別圏に侵入します!」


報告するのは、首の太さが顔の幅ほどある屈強な将軍だ。

彼もまた、軍服の袖がはちきれんばかりの筋肉を誇示している。


「くそっ……! 魔女め、ここまで来る気か!」


ストロング大統領は、黄金のベンチプレスを上げ下げしながら唸った。

「フンッ! フンッ! ……国民は骨抜きにされた! リビーも堕落した! だが……私は屈しない! この上腕二頭肌にかけて!」


彼はバーベルを叩き置き、立ち上がった。

その体は、六十代とは思えぬほどビルドアップされているが、その顔には深い焦燥の色が張り付いている。


「出撃させろ! 合衆国が誇る最強の海軍戦力……『大西洋・筋肉艦隊マッスル・フリート』を!」


「か、艦隊ですか!? しかし相手は民間船一隻ですが……」


「関係ない! 圧倒的な『力』を見せつけるのだ!

奴らに思い知らせてやれ! 汗と涙と乳酸こそが、この国の正義なのだと!」


「イエッサー! ……全艦、パンプアップ用意!」


          ◇


大西洋上空。

優雅に雲海を進む『クイーン・レティーティア号』のブリッジで、私は優雅に紅茶アールグレイの香りを楽しんでいた。


「……あら?」


ふと、海面を見下ろすと、そこには異様な光景が広がっていた。

紺碧の海を埋め尽くす、灰色の軍艦の群れ。

空母、戦艦、巡洋艦。その数、数十隻。

しかし、何より異様なのは、その甲板上の様子だった。


「……なにあれ」

レンが双眼鏡を覗き込んで絶句する。


甲板には、武器ではなく、無数のトレーニングマシンが並べられていた。

そして、何千人もの兵士たちが、上半身裸でオイルを塗りたくり、太陽光を反射させながらポージングをしているのだ。


『――通告する! こちらは合衆国海軍、マッスル・フリートである!』


無線から、暑苦しいほどの低音が響いてきた。


『貴艦は、神聖なる「努力の領空」を侵犯している!

直ちにエンジンを停止し、全員スクワット千回の刑に処す!

さもなくば……我らが誇る「メディシンボール砲」の餌食となるぞ!』


「……スクワット千回?」

ソフィアちゃんが呆れたようにため息をつく。

「非効率極まりないですわ。……彼らの筋肉、明らかに『見せる用』に偏っています。実戦では邪魔になるだけですのに」


「ええ。……それに、悲鳴が聞こえますわ」


私は扇を開き、眼下の艦隊を見据えた。

「彼らの筋肉は、硬く、冷たく、凝り固まっています。

……『強くなければ価値がない』という強迫観念で、鎧のようにガチガチに固められた肉体。……あれでは血が巡りませんわ」


「……ふん」


私の隣で、ベルナデットが立ち上がった。

彼女は愛剣の柄に手を置き、獲物を見つけた猛獣のような、獰猛な笑みを浮かべていた。


「面白い。……筋肉の会話なら、私の専門分野だ」


「あら、ベル。行ってくださるの?」


「ああ。……あの哀れな『観賞用筋肉』どもに、本物の『実戦筋肉キリング・マッスル』の使い道を教えてやろう」


「お手柔らかにお願いね。……マリア、援護を」

「畏まりました。……『プロテイン強化弾』、装填完了です」


          ◇


海上の旗艦、空母『ジョージ・ワシントン(マッスル改)』。

その甲板で、艦隊司令官のアームストロング提督が、自慢の大胸筋をピクピクさせながら空を睨んでいた。


「来たか、魔女め! ……全兵、サイドチェスト用意!」


「「「サイドチェストォォォ!!」」」


数千人の兵士が一斉にポーズを取る。

その熱気だけで雲が散るほどの圧力(物理)。


しかし、空から降ってきたのは、爆弾ではなかった。

一人の、黒いドレスの女だった。


ドォォォォォン!!


着地の衝撃で、鋼鉄の甲板がクレーターのように凹む。

砂煙の中から現れたのは、日傘を差したまま仁王立ちするベルナデット。


「……貴様が、敵の尖兵か!」

アームストロング提督が叫ぶ。

「女ごときに何ができる! 我々の鋼の腹筋は、砲弾さえも弾き返……」


「――硬いな」


「あ?」


ベルナデットは、瞬きする間もなく提督の懐に潜り込んでいた。

その指先が、提督の分厚い僧帽筋(肩の筋肉)に触れる。


「ガチガチだ。……まるで乾燥したビーフジャーキーだな。

これでは可動域が死んでいる。パンチも打てまい」


「な、何を……触るな!」

提督が剛腕を振り下ろそうとする。


しかし、ベルナデットはそれを軽く受け流し、逆に彼の腕を掴んで捻じ上げた。


「くっ……!?」

「力任せに振るうから、関節に負担がかかるのだ。

……ここだろ? 夜、痛むのは」


彼女の指が、提督の肩甲骨の裏側――深層筋肉のコリのトリガーポイントを、ピンポイントで突き刺した。


ズプッ。


「……あ、あがッ……!?」

提督の口から、悲鳴とも喘ぎともつかぬ声が漏れる。


「痛いか? ……それは、貴様の筋肉が泣いている声だ。

休ませろと言っている。ほぐせと言っている。

……それを無視して、重りを持ち上げ続けた結果がこれだ」


ベルナデットは、提督の巨体を軽々と持ち上げ、そのまま甲板に叩きつけた。

ただし、ダメージを与える投げではない。

全身の骨格を矯正する、荒療治の整体術カイロプラクティック


ボキボキボキッ!!


「ギャアァァァァ!! ……あ……?」


甲板に伸びた提督は、白目を剥きながらも、奇妙な感覚に襲われていた。

背中が……軽い。

万年悩まされていた腰痛が……消えている?


「……ち、血が……巡る……。指先まで……熱い……」


「筋肉とは、縮めるものではない。……緩めてこそ、最大のパフォーマンスを発揮するのだ」


ベルナデットは立ち上がり、周囲を取り囲む兵士たちを見回した。


「次は誰だ? ……全員、まとめてほぐしてやる」


その姿は、悪魔デーモンであり、同時に天使セラピムでもあった。

「お、俺も!」「俺の腰もお願いします!」

兵士たちが、武器ではなく、自分の患部を指差して殺到する。


「よし、並べ! ……貴様はハムストリングスが硬すぎる! ストレッチだ!」

「ひぎぃぃぃ!」

「貴様は猫背だ! 背骨を入れ直すぞ!」

「あべしっ!」


戦場であるはずの甲板は、一瞬にして地獄の青空整体院と化した。


          ◇


一方、上空の『クイーン・レティーティア号』からは、マリアによる砲撃が開始されていた。


「これより、『栄養補給チートデイ』を開始します」


ドシュン! ドシュン!

撃ち出されたのは、パラシュート付きのコンテナ。

それが海上で弾け、中から大量のお菓子が降り注ぐ。


「……なんだこれは? ……プロテインバー?」

「いや、これは……『高タンパク・低糖質・極上ロールケーキ』だ!」

「こっちは『アミノ酸配合・回復スムージー』だぞ!」


兵士たちが手に取って食べる。

その瞬間、彼らの脳内に革命が起きた。


「う、うまい……! パサパサの鶏肉じゃない……!」

「甘い……! 甘いのに、筋肉に染み渡る……!」


マイクを通したソフィアちゃんの解説レクチャーが、艦隊全体に響き渡る。


『――聞いてください、筋肉戦士の皆様!

最新のスポーツ科学において、休息と栄養なきトレーニングは、ただの『自傷行為』です!

筋肉は、ジムにいる時ではなく、寝ている時に成長(超回復)するのです!

つまり……『昼寝』こそが、最強の筋トレなのです!』


「な……なんだってー!?」

兵士たちが衝撃を受ける。


「俺たちが今までやってきた、睡眠時間を削っての早朝トレーニングは……」

「筋肉をいじめていただけだったのか!?」


「そうです! さあ、今すぐ横になりなさい!

寝るのです! それがバルクアップへの近道です!」


その言葉は、彼らにとって福音だった。

彼らは疲れていたのだ。

痛む体を無理やり動かし、「No Pain, No Gain(痛みなくして成長なし)」と唱え続ける日々に、本当は限界を感じていたのだ。


「……寝て……いいのか?」

「強くなるために……寝るんだ……!」


一人が武器を置き、甲板に寝転がった。

海風が心地よい。

ロールケーキの甘さが口に残る。


「……Zzz……」


それを見て、二人、三人……。

次々と屈強な男たちが、オイルまみれの体を甲板に預け始めた。


「……提督」

副官が、ほぐされた腰をさすりながら、アームストロング提督に尋ねる。

「我々は……どうすれば……」


提督は、ふにゃふにゃになった体で空を見上げた。

そこには、優しい午後の日差しがある。


「……『超回復』の時間だ。……総員、全力で……シエスタ(昼寝)を敢行せよ」


「イエッサー……ムニャムニャ……」


          ◇


ホワイトハウス、マッスル・バンカー。

モニターに映し出された光景に、ストロング大統領はダンベルを取り落とした。


ガシャン!


「な……な……」


モニターの中の最強艦隊は、完全に沈黙していた。

いや、沈没はしていない。

全艦が停泊し、甲板上が巨大な「お昼寝ビーチ」と化しているのだ。

数千人のマッチョたちが、幸せそうな顔でスヤスヤと眠り、鼻提灯を作っている。


『報告します……。筋肉艦隊、全滅スリープモード……。敵艦、抵抗なく通過……』


「ば、馬鹿な……! 私の軍隊が……!」


大統領は頭を抱えた。

「なぜだ! なぜ戦わない! 筋肉は裏切らないはずだろう!?」


「筋肉は裏切りませんが、疲労は蓄積しますからね」


突然、通信回線に割り込みがあった。

モニターが切り替わり、優雅に微笑む私の顔が大写しになった。


『Hello,ミスター・プレジデント。……素敵なジムですわね』


「き、貴様……レティーティア!」

大統領が画面に向かって指差す。

「よくも私の兵士たちを堕落させたな! 悪魔め!」


『堕落ではありません。「回復」させたのです。

……次は貴方の番ですよ、スティーブ』


私は画面越しに、彼の目を見つめた。


『貴方のその立派な大胸筋の下で、心臓が悲鳴を上げているのが聞こえますわ。

……「強くあれ」という呪いで、自分自身を押し潰そうとしている哀れな王様』


「だ、黙れ! 私は強い! 誰よりも強いんだ!

……弱ければ、父に捨てられる! 国民に見放される! 負けルーザーになるんだ!」


彼は叫び、壁の赤いボタン――『ゴールデン・イーグル』起動スイッチに手をかけた。


「もう誰も信じない! 私がやる!

この黄金の鷲で、貴様を叩き潰し、怠惰な国民どもを叩き起こしてやる!」


『いいでしょう。……いらっしゃい』


私は扇を閉じた。


『最高の「添い寝」を用意して、お待ちしておりますわ』


ブツン。通信が切れる。

大統領は荒い息を吐きながら、震える手でボタンを押し込んだ。


「……うおおおおぉぉぉ!! 見てろよ、ママ! ……いや、レティ!

僕が……私が一番強いってことを、証明してやる!!」


ズズズズズ……!

ホワイトハウスの地下格納庫が開く。

夕日に染まるワシントンの空へ、黄金の巨像が、悲しいほどの輝きを放ちながら飛翔した。


それは、世界最強の国家元首による、史上最大規模の「家出」であり、「癇癪」だった。


「……来るわね」

クイーン・レティーティア号の甲板で、私は迫り来る黄金の光を見つめた。


「レティ様。……コタツの温度、最大出力にしておきますか?」

マリアが尋ねる。


「ええ。……とびきり熱く、そして抜け出せないやつをね」


最終決戦。

武器はなし。

あるのは、母性という名の最強の重力だけ。



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