第65回 / 炎上(キャンセルカルチャー)の火消し
ロサンゼルスのダウンタウンにあるテレビ局の巨大スタジオ。
全米で最も視聴率が高いと悪名高いワイドショー番組『ザ・ギロチン』の生放送が、今まさに始まろうとしていた。
番組のコンセプトは単純にして残酷。「過ちを犯した有名人を、国民全員で裁く」。
スタジオには、魔女狩りの群衆のように興奮した観覧客が五百人詰めかけ、手には「GUILTY(有罪)」と書かれたプラカードを握りしめている。
今日の被告人は、つい先日「普通の女の子宣言」をしたばかりの元スーパーヒーロー、リビーだった。
「――さあ、国民の皆様! 正義の鉄槌を下す時間です!」
司会者のバリー・バーナーが、過剰な身振りでカメラを指差す。
彼は「炎上の魔術師」と呼ばれる男で、他人の失言を切り取り、扇動し、社会的に抹殺することを生き甲斐にしている。
「ゲストは、我々を裏切った元・国民的ヒロイン、リビー!
彼女は先日、SNSでこう発言しました。『今日は疲れたから、一日中ポテトチップスを食べて寝てた』と!
……信じられますか!? その間に、世界のどこかで犯罪が起きているというのに! これは職務放棄だ! 偽善者だ!」
「ブーッ! 恥を知れ!」「謝れ!」「金返せ!」
観客席から罵声が飛ぶ。
ステージ中央のパイプ椅子に座らされたリビーは、大きめのパーカーに身を包み、震えながら下を向いていた。
「ち、違います……。私はただ……人間らしい生活を……」
「言い訳無用!」
バリーが彼女の顔にマイクを突きつける。
「君は公人だ! 子供たちの模範だ! 『怠惰』を肯定するのか? それがアメリカの精神か!
……さあ、カメラに向かって土下座しろ! そして引退を撤回し、死ぬまで戦うと誓え!」
「うぅ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
リビーが涙を流す。
その姿を見て、観客のボルテージは最高潮に達する。
正義という名の暴力。安全圏から石を投げる快感。
スタジオの空気は、熱狂的で、そしてヘドロのように淀んでいた。
「……趣味が悪いですわね」
その時。
怒号渦巻くスタジオに、場違いなほど澄んだ声が響き渡った。
「誰だ!?」
バリーが振り返ると、スタジオの照明が突然切り替わり、スポットライトが客席後方の扉を照らし出した。
そこには、優雅に扇を開き、純白のドレスを翻す私が立っていた。
背後には、不機嫌そうに腕を組むベルナデットと、ビデオカメラを回すソフィアちゃん。
「ごきげんよう、ミスター・バーナー。……『ギロチン』だなんて、野蛮なショーですこと。フランス革命の時代からタイムスリップしてこられたのかしら?」
◇
「あ、あんたは……例の『全肯定未亡人』か!」
バリーが顔を引きつらせる。
「部外者は出て行け! ここは神聖なる法廷だ!」
「法廷? いいえ、ここはただの『いじめの現場』ですわ」
私は優雅に階段を降り、ステージへと向かった。
観客たちがざわめく。「なんだあの女」「帰れ」という声が上がるが、ベルナデットが軽く睨みをきかせると、モーゼの海割れのように道が開いた。
私はリビーの前に立ち、彼女を背に庇った。
「大丈夫よ、リビー。……ポテトチップスはおいしかった?」
「……え? ……う、うん。コンソメ味で……」
「素敵。最高の休日ね。……誰に謝る必要もありませんわ」
私は扇を閉じ、バリーと、五百人の観客を見回した。
「さて、皆様。……一人の女の子が、休日に家でゴロゴロしていた。
それが、これほど寄ってたかって石を投げるような大罪なのですか?」
「当然だ!」
最前列の男が叫んだ。
「彼女は特別なんだ! 俺たちは期待してたんだ! それを裏切るなんて許せねぇ!」
「そう。……では貴方は、生まれてから一度も、誰かの期待を裏切ったことがないの?」
「え……?」
「親の期待、上司の期待、恋人の期待。……すべて完璧に応えて、一度も『疲れた』と言わず、一度もサボらずに生きてきた聖人君主なのですか?」
私は男の目の前に顔を近づけた。
男は言葉に詰まり、視線を逸らした。
「……そ、それは……人間だから、たまには……」
「ええ。人間だもの。誰だって間違えるし、疲れるし、逃げたくなるわ。
……なのに、なぜ彼女だけは許されないの?」
スタジオが静まり返る。
痛いところを突かれたからだ。
彼らはリビーを攻撃することで、「自分たちは正しい側にいる」と安心したいだけなのだ。自分自身の弱さから目を逸らすために。
「詭弁だ!」
司会のバリーが叫び、自分のペースを取り戻そうとする。
「個人の問題じゃない! これは『キャンセル・カルチャー』だ!
社会的に不適切な言動をした者は、市場から退場させられるべきなんだ! それが現代の自浄作用だ!」
バリーは意地悪な笑みを浮かべ、背後の巨大スクリーンを指差した。
「それに、あんたのことも調べがついているぞ、レティーティア!
……見ろ! これが彼女の『過去の失言集』だ!」
スクリーンに映し出されたのは、私が王宮時代に発した(とされる)言葉の数々だった。
『パンがないならスコーンを食べればいいじゃない』
『王様の演説、長くて飽きましたわ』
『公務よりお昼寝が優先です』
「どうだ! こんな不謹慎で、わがままで、常識外れな女が、正義を語る資格があるか!
さあ、観客諸君! こいつこそ断罪されるべき魔女だ! 燃やせ! 炎上させろ!」
バリーが煽る。
ネット上のコメント欄も『こいつ何様だ』『生意気だ』と加速する。
通常なら、これで社会的に抹殺される。過去を掘り返され、人格を否定され、謝罪に追い込まれる。
しかし。
「……ふふ。ふふふふ!」
私は扇で口元を隠し、高らかに笑った。
「な、何がおかしい!」
「だって、それだけ? 調査不足ですわ、ミスター・バーナー」
私はスクリーンを見上げた。
「私の失敗談なら、もっと面白いものがありましてよ?
……初めてのダンスパーティーで、王様の足を踏んで骨折させたこと。
……外交の席で、国賓のハゲ頭を『満月みたいで綺麗』と褒めてしまったこと。
……夜中にこっそりつまみ食いをして、ドレスの背中が弾け飛んだこと」
私は指を折りながら、自分の「黒歴史」を次々と暴露した。
堂々と。楽しそうに。
「え……?」
バリーも観客も、ポカンとしている。
「人間ですもの。失敗なんて、生きていれば山ほどありますわ。
……それを隠して『私は清廉潔白です』なんて顔をするほうが、よほど不健全じゃなくて?」
私は両手を広げた。
「さあ、燃やしなさい!
私の失敗も、失言も、だらしない所も、全部事実よ!
……でも、だから何?
私はそんな『ダメな私』も含めて、自分のことが大好きですわ!」
圧倒的な自己肯定。
「恥」を「ネタ」に変え、「攻撃」を「愛嬌」に変える無敵のメンタル。
炎上させようとした火種が、私の笑顔という防火壁の前で、シュンと消えていく。
「……か、勝てない……」
バリーが後ずさる。
「恥ずかしくないのか……? 過去の過ちを……」
「恥ずかしいわよ。……だから、笑い飛ばすの」
私はバリーの手を取り、マイクを握らせた。
「貴方も、本当は怖いのね。
……自分がいつか『キャンセル』される側になるのが怖くて、必死に他人を攻撃して、『自分は安全圏にいる』と確認している」
「……ッ」
「可哀想なバリー。……貴方も、過去に何か『許されない失敗』をしたのかしら?」
バリーの顔が歪む。
彼がまだ新人だった頃、些細なミスで干されかけ、必死に他人を蹴落として這い上がってきた記憶。
彼の攻撃性は、その時のトラウマの裏返しだ。
「……俺は……ただ……この椅子を守りたかっただけだ……」
「椅子なんて、また探せばいいわ。
……でも、人を傷つけた傷跡は、貴方の心に残る。
もう、ギロチンの紐を放しなさい」
私は彼の胸ポケットから、赤いハンカチを引き抜き、彼の額の汗を拭いてあげた。
「……観客の皆様もです」
私は客席に向き直った。
いつの間にか、ソフィアちゃんがスタジオの空調をハックし、甘いバニラの香りを流している。
「人を許すことは、自分を許すことです。
『あの人もダメだった。じゃあ、私の失敗も許されるかも』。
……そう思えたほうが、世界は生きやすいと思いませんこと?」
私はリビーの手を引いて、ステージの前に出た。
「彼女はポテトチップスを食べて寝ました。
私はドレスを破りました。
バリーさんは、焦って汗びっしょりです。
……みーんな、ダメ人間! みーんな、有罪!」
私はウィンクした。
「だから……全員まとめて、『恩赦(特赦)』ですわ!」
一瞬の沈黙。
そして、誰かが吹き出した。
「……ぶっ。……なんだそれ」
「めちゃくちゃだ……」
「でも……なんか、楽になったかも」
プラカードが下ろされる。
怒っていた顔が、苦笑いに変わる。
「許す」という行為の甘美さに、彼らは初めて気づいたのだ。他人を裁く快感よりも、許し合う温かさの方が、ずっと心地よいことに。
「……リビー、どう?」
「……うん。……私、ダメダメだけど……でも、今、すごくお腹空いた」
リビーが笑った。
その笑顔は、番組冒頭の引きつったものではなく、等身大の少女のものだった。
「じゃあ、みんなで打ち上げにしましょうか。
……バリーさん、貴方の奢りでよろしくて?」
「……はは。……参ったな。……予算、下りるかな」
バリーは力なく、しかし毒の抜けた顔で笑った。
◇
生放送は、番組史上最高の視聴率を記録し、そして最も「放送事故」的なエンディングを迎えた。
スタジオで観客も出演者も入り混じって、ドーナツを食べる映像が全米に流れたのだ。
「キャンセルカルチャー、鎮火しましたわ」
ソフィアちゃんがタブレットを閉じる。
「ネット上のトレンドが、『#許し合おう』『#私もダメ人間』に変わりました」
「上出来ね」
私はスタジオの出口で、LAの夜風に当たった。
不寛容な社会の熱を冷ますのは、正論ではない。
「自分も完璧じゃない」と認める、ユーモアと自己愛だ。
「……さて。リビーの心も、世間の目も、これでクリアになりました」
しかし、私の背後で、ベルナデットが低い声で告げた。
「だがレティ。……『力』の象徴である彼女が戦線を離脱したことで、バランスが崩れたぞ。
……本物の『脅威』が現れた時、誰が戦うのだ?」
その予言めいた言葉に応えるように、私の通信機が鳴った。
ホワイトハウス周辺で、ストロング大統領が暴走し、自らパワードスーツを着込んで出撃しようとしているという情報だ。
「……あらあら。寂しがり屋の王様が、癇癪を起こしたようですわね」
私は夜空を見上げた。
「行きましょう。……彼が核ボタンを『かまってちゃんボタン』と勘違いして押す前に」
甘い革命は、いよいよ最終局面へ。
私が相手にするのは、世界で一番強くて、世界で一番脆い男。
さあ、抱きしめる準備はできていてよ。




