第16話 ハーレムの完成
ローゼンタール侯爵家の庭園には、特注の白い円卓が置かれていた。
秋晴れの高い空の下、テーブルを囲むのは五人の美しき女性たち。
そして、その中心で優雅に紅茶を啜る私、レティーティア。
傍から見れば、それは「妖精たちの茶会」のように幻想的で美しい光景に見えるでしょう。
けれど、実際に飛び交っている言語は、甘いお菓子とは程遠い、火花散るマウント合戦だった。
「……申し上げますが、奥様の健康管理において、私の右に出る者はおりません。朝のブラッシングから夜の足湯まで、奥様の肌の状態をミリ単位で把握しているのは私です」
筆頭メイドのマリアが、完璧な姿勢でポットを掲げながら先制攻撃を仕掛ける。その視線は氷のように冷たく、他のメンバーを牽制している。
「ふん。健康な体も、物理的な脅威から守れなければ意味がないだろう」
間髪入れずに反論したのは、白銀の鎧を脱ぎ、動きやすい騎士服を纏ったベルナデット(ベル)。
彼女はスコーンを齧りながら、鋭い眼光を放つ。
「レティ様に近づく有象無象を排除できるのは、私の剣だけだ。昨日の不審者も、私が門前で追い返した」
「物理とか、時代遅れだし」
頬杖をついたレンが、気だるげに指先で空中に火花を散らす。フリルのワンピースが似合ってきた彼女は、生意気な子猫のようだ。
「俺なら、レティごと空間転移で逃げられるし、なんなら屋敷ごと結界で要塞化できる。火力が違うんだよ、火力が」
「野蛮ですわね、皆様」
扇をパチリと鳴らしたのは、第二王女ソフィアちゃん。王族のオーラ(とドヤ顔)が眩しい。
「個人の武力など、国家権力の前では無力ですわ。わたくしが『王女』として一言命じれば、レティ様を法的にアンタッチャブルな存在にできますのよ? 政治力こそが最強の盾ですわ」
「あ、あの……」
最後に、おずおずと手を挙げたのは、回復したばかりの元聖女エレナ。
彼女の肌はすっかり白さを取り戻し、今はふっくらとしたピンク色をしている。
「わ、私は……レティ様がお疲れの時に、癒やしの奇跡を……あと、膝枕の係なら、自信が……あります」
「「「「膝枕!?」」」」
四人の声が重なる。
その瞬間、円卓の上の空気が凝固した。
「機能性」の話をしていたはずが、いつの間にか「誰が一番レティに密着できるか」という好感度レースにすり替わっている。
マリアの目が据わり、ベルが剣の柄に手をかけ、レンの髪が静電気で逆立ち、ソフィアちゃんが扇をへし折る音がした。
「……膝枕は私の特権業務です」
「いや、護衛対象の安全確保(密着)は騎士の務めだ」
「癒やしなら俺だって!」
「王族の膝こそ最高級ですわ!」
飛び交う主張。高まる魔力と殺気。
美しい庭園が、一瞬にして焦土と化す寸前。
「まあ、ふふふ」
私はカップを置き、鈴を転がすように笑った。
全員の動きがピタリと止まる。
「なんて仲良しなのかしら」
「「「「仲良し!?」」」」
「ええ。そうやって私のために真剣に議論してくださるなんて。……まるで、五本の指が一本の手を動かそうとしているみたい」
私はテーブルの上に手を広げた。
白く細い指。
「マリアは親指。生活の基盤を支える要。
ベルは人差し指。進むべき道を示し、敵を払う剣。
レンは中指。誰よりも高く届く才能の塔。
ソフィアちゃんは薬指。気品と約束の象徴。
そしてエレナは小指。守るべき愛おしさと、約束の証」
五人の顔を見回し、私は甘く囁く。
「どの指が欠けても、私は何も掴めないわ。……貴女たちは全員、私の『体の一部』なのよ」
論理的なようでいて、ただの殺し文句。
けれど、効果は絶大だった。
全員の顔から殺気が消え、代わりに茹でたような赤みが広がる。
「……体の一部……」
「……親指……支える……」
「……薬指……約束……」
彼女たちはそれぞれの指を見つめ、骨抜きにされたようにへなへなと椅子に沈んだ。
単純で、愛すべき私の共犯者たち。
「さあ、冷めないうちにケーキをいただきましょう。……今日はマリアが焼いたタルトを、ベルが切り分けて、レンが温めて、ソフィアちゃんが紅茶を選んで、エレナが祈りを捧げてくれたのでしょう? 世界一のフルコースだわ」
私はフォークを手に取る。
円卓。
かつて騎士たちが対等さを誓ったその形は、今や私を中心とした、甘く強固な「運命共同体」の象徴となっていた。
これだけの才能が、私の善意一つで統率されている。
外から見れば、これは国家転覆すら可能な軍事組織に見えるかもしれない。
事実、彼女たちがいれば、小国の一つや二つ、お茶を飲んでいる間に制圧できるだろう。
けれど、私たちの目的は侵略ではない。
ただ、この甘い午後を永遠に続けること。
……そのためには、少しばかり「邪魔な石」をどかさなければならない時もあるけれど。
その時。
庭園の入り口に、黒い影が現れた。
王家の紋章が入った漆黒の馬車。
そこから降り立ったのは、全身黒衣の使者――王妃直属の近衛兵だった。
「――ローゼンタール侯爵夫人に、王妃陛下より親書をお持ちしました」
使者の声は、秋風のように冷たく、乾いていた。
サロンの空気が一変する。
マリアが素早く私の前に立ち、ベルが使者との射線上に体を滑り込ませる。レンとエレナは身を寄せ合い、ソフィアちゃんが顔色を変えて立ち上がった。
「お母様からの……?」
使者が差し出したのは、分厚い封筒。
封蝋の色は、王家の青ではなく、個人的な手紙を示す「黒」。
そして、香水の匂い。
王妃様が好む、冷たく張り詰めた白檀の香り。
「……ありがとう。受け取るわ」
私はベルの制止を笑顔で解き、自ら封筒を受け取った。
ずしりと重い。
紙の重さではない。そこに込められた、書き手の情念の重さだ。
ペーパーナイフですっと封を切る。
中に入っていたのは、一枚のカードだけ。
『明日の夜、二人きりで話がしたい。私の私室にて待つ』
署名はない。
けれど、その筆跡の鋭さ、インクの濃淡から、書いた人物の息遣いまでが伝わってくるようだった。
迷い、苛立ち、そして……深い孤独。
「……決戦の申し込み、というわけね」
私が呟くと、周囲がざわめいた。
「罠です、奥様! 二人きりなど、暗殺してくれと言っているようなものです!」
「私が同行する。隠密行動なら……」
「結界を張ったまま移動すれば……」
皆が口々に反対する。
当然だ。王妃様は、教会の顔を潰した私を危険視し、排除しようとしている「ラスボス」なのだから。
けれど、私の頭脳は、別の結論を弾き出していた。
これは罠ではない。
SOSだ。
「二人きり」という条件は、暗殺のためではなく、「誰にも弱みを見せられない」という彼女の悲鳴だ。
「大丈夫よ」
私はカードを胸元にしまった。
「彼女は私を殺したいんじゃないわ。……ただ、『私を知りたい』だけよ」
「レティ様……」
「ソフィアちゃん。お母様は最近、よく眠れているかしら?」
突然話を振られ、ソフィアちゃんがハッとする。
「……いいえ。侍女の話では、深夜まで執務室の明かりが消えないと。……お父様(国王)が遠征で不在の間、全ての政務をお一人で……」
「そう。……なら、必要なのは武器じゃないわね」
私はマリアに向き直った。
「マリア。最高級の安眠ハーブと、肌触りのいい膝掛けを用意して」
「……は? 膝掛け、ですか?」
「ええ。王城は夜になると冷えるもの」
私は空を見上げた。
雲が流れ、太陽を隠そうとしている。
王妃様。鉄の女と呼ばれ、国を背負う孤独な女王。
貴女のその氷のような心を溶かすには、どれくらいの熱量が必要かしら。
「皆様。明日は留守をお願いね」
「レティ様!」
「信じて。……私は、新しい『お友達』を作りに行くだけよ」
私の言葉に、皆は渋々ながらも頷いた。
彼女たちは知っているのだ。私が一度「救う」と決めたら、神様でも止められないことを。
円卓の中心。
私は最後の紅茶を飲み干した。
カップの底に残った茶葉が、王冠の形に見えたのは、きっと私の思い過ごしではないでしょう。
さあ、いよいよ本丸へ。
全肯定の弾丸を装填して、鉄の扉をノックしに行きましょうか。




