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世界は存在しているか。

 存在するものが「私」の外にあり、価値が「私」の中にあるというのは、本当にそうなのだろうか。世界の中に「私」という存在が含まれているのではあるまいか。

 「私」の内と「外」の世界を区別する根拠は、どこにあるのか。

 価値や意味が他者に影響を与え、他者の中で私の影響が残り得るのならば、価値は本当に「内なるもの」と言えるのだろうか。




 外の世界は実際、あると思う。そう考えるのが、先にも述べたと思うが妥当だと思うからだ。ただ私の視点からみて「絶対的な確信が持てない」から世界そのものの存在については言及してこなかっただけで、世界が本当に存在しているというのは妥当だろう。これも、他者が私と同様の存在として実在していると考えている理由と同様である。恐らく世界があり、その中の一要素が私なのだろうと思う、そう考えて現在のところ矛盾はないし、整合性的にも問題ないので、最も妥当な仮説で捉え方だ。私が言及してきたのはあくまで確実に存在している「私」という意識から見える世界の話であり、私の世界は外的世界に存在しているのだろう、きっと。だが、私たちが本当の意味で客観的な視点を得ることができないように、私たちはそれぞれの自分の意識でしか世界を見ることができない。それが「私の世界」であり、「他者の世界」である。その認識が重なり合って、私たちは共通認識や意思の疎通を得る。そういう意味で、それぞれの世界が重なり合っていると言っているのだ。価値は共通認識のひとつでしかなく、ここの世界において使われる通貨のようなもの。世間一般の価値とはそんなものだ。国が(ひとが)違えば本当にその価値が通用するか分からないのも、そのため。「私の価値」は私の内なるもので、世間一般の価値は、ただの共通認識。

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